大体、日記みたいなものというのは難しい所があって、特に最近SNSでblogやblogもどきを見るにつけ、これは一体どうしたものかという気分に晒される事がある。
多分にプライバシーに関する感覚の違いだったり、女性の日記に対する妙に気合の入った男性のコメントだったり、あるいは一言応援したいのだけれども掛ける言葉が見つからなかったり、というちょっとしたじれったさなのだが。
正解というものは無いと判っているのだが、公開された日記のありようというのは千差万別で、他人の日々の記録を見るに付け、自分の書いているものは正しい日記になっているのかと自問してみたり。暑いから、余計な事を考えてしまうんだろう。
でも、こうした日記に現れる個人差の分析を行うと、面白そうだよなあ。かなり広範囲の現代人のサンプルで、選択的に露出する社会的人格と内的人格の揺れ幅が広いというのは、かつてないメディアだろう。人々がサービスとして求めているものを、こういう所から汲み上げられないものだろうか。
多分にプライバシーに関する感覚の違いだったり、女性の日記に対する妙に気合の入った男性のコメントだったり、あるいは一言応援したいのだけれども掛ける言葉が見つからなかったり、というちょっとしたじれったさなのだが。
正解というものは無いと判っているのだが、公開された日記のありようというのは千差万別で、他人の日々の記録を見るに付け、自分の書いているものは正しい日記になっているのかと自問してみたり。暑いから、余計な事を考えてしまうんだろう。
でも、こうした日記に現れる個人差の分析を行うと、面白そうだよなあ。かなり広範囲の現代人のサンプルで、選択的に露出する社会的人格と内的人格の揺れ幅が広いというのは、かつてないメディアだろう。人々がサービスとして求めているものを、こういう所から汲み上げられないものだろうか。