事情がわからないと思いますが、すみません、独り言と思って聞き流してください。
今日はコメント欄も閉じさせていただきます。
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
昨夜、友人の娘さんと電話で話をしてから、ずっと考えていました。
彼女の「生」をつなぎとめておくものは無かったか。
多分なかったのでしょう。
あの日から、彼女の「生」の流れは、まっすぐに「死」の淵へと堰を切られたように流れ込み始めたのです。
誰にもその流れを止めることはできなかった。
多分、彼女自身にも、その勢いは止められなかったのではないでしょうか。
娘さんがそばにいたとしても、息子さんがどんなに気にしても、私が毎日のように電話をしようとも、なにも彼女をこの世につなぎとめる何の手立てにもならなかったのです。
そして、彼女の「生」の最後の一滴が流れ込んでしまった日が、その日だったというだけ。
今日、子供たちの笑顔を見て、「生」というものの美しさを感じました。
ああ、「生きている」って、きらきらしていることなんだなと感じました。
同時に子供の「生」を「美しい」と感じられる私は、多分何があっても「死」に向かって歩みだすことはないだろうと思いました。
もしも、彼女が幼いお孫さんの笑顔に「生」を感じてくれたら...
そう思わずにいられません。
でも、それは、多分無かったでしょう。
あの日から、彼女のまなざしは、まっすぐに「死」しか見つめていなかったのですから。
「ペケママさん、死にたいわ。死にたいわ。」といっては泣いていた最初の何ヶ月間、その間はきっとその思いはそれほど強くなかったのではないかと思います。
それを口にしなくなり、楽しい毎日を私に語り始めるようになってから、逆に彼女は「死」を友にして毎日を生きるようになってしまったようです。
娘さんの話からそのことを知り、体中のちからが抜けていくようでした。
本当に「生の最後の一滴」が「ぽつん」としずくになって落ちるように、彼女は旅立っていきました。
彼女の娘さんと、こう話しました。
「旅立っていく瞬間、どんなに彼女は幸せだったことだろう。」と。
本当に、そうであってくれたらと祈っています。
今日はコメント欄も閉じさせていただきます。
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昨夜、友人の娘さんと電話で話をしてから、ずっと考えていました。
彼女の「生」をつなぎとめておくものは無かったか。
多分なかったのでしょう。
あの日から、彼女の「生」の流れは、まっすぐに「死」の淵へと堰を切られたように流れ込み始めたのです。
誰にもその流れを止めることはできなかった。
多分、彼女自身にも、その勢いは止められなかったのではないでしょうか。
娘さんがそばにいたとしても、息子さんがどんなに気にしても、私が毎日のように電話をしようとも、なにも彼女をこの世につなぎとめる何の手立てにもならなかったのです。
そして、彼女の「生」の最後の一滴が流れ込んでしまった日が、その日だったというだけ。
今日、子供たちの笑顔を見て、「生」というものの美しさを感じました。
ああ、「生きている」って、きらきらしていることなんだなと感じました。
同時に子供の「生」を「美しい」と感じられる私は、多分何があっても「死」に向かって歩みだすことはないだろうと思いました。
もしも、彼女が幼いお孫さんの笑顔に「生」を感じてくれたら...
そう思わずにいられません。
でも、それは、多分無かったでしょう。
あの日から、彼女のまなざしは、まっすぐに「死」しか見つめていなかったのですから。
「ペケママさん、死にたいわ。死にたいわ。」といっては泣いていた最初の何ヶ月間、その間はきっとその思いはそれほど強くなかったのではないかと思います。
それを口にしなくなり、楽しい毎日を私に語り始めるようになってから、逆に彼女は「死」を友にして毎日を生きるようになってしまったようです。
娘さんの話からそのことを知り、体中のちからが抜けていくようでした。
本当に「生の最後の一滴」が「ぽつん」としずくになって落ちるように、彼女は旅立っていきました。
彼女の娘さんと、こう話しました。
「旅立っていく瞬間、どんなに彼女は幸せだったことだろう。」と。
本当に、そうであってくれたらと祈っています。