戦争当時、多くの人に水を供給していたタンク
高さ14.3m、直径6.3mの給水塔
訓練用の実弾を保管していた弾薬庫
機銃掃射の痕跡が残るコンクリートの外壁
直径9.8m、深さ2.3mの円形の防火用水槽
給水塔の斜め前に設置された円形防火用水槽
知覧城址碑銘
■ 所在地 / 鹿児島県南九州市知覧町
■ 竣工 / 1942年 ( 昭和17年 )
■ 給水塔 / 町指定史跡
■ 知覧飛行場 / Bランク近代土木遺産
戦禍が大きくなるにつれて肉弾という言葉が現実のものとなった忌まわしい歴史を九州も背負っている。
太平洋戦争末期、悪化する戦況に対して軍がとった作戦は、
爆弾を抱えたまま戦闘機で乗員もろとも敵艦に突入するという、前代未聞の特攻作戦であった。
1036名を数える犠牲者のうち、ここ知覧飛行場を離陸して帰らぬ人となったのは452名である。
畑や住宅が点在するグラウンドの横に給水塔が傾いて立っている。
町指定史跡になって風化を防ぐために補修が施されて、現在は白っぽいコンクリートになっているが、
以前はもっと重苦しい陰のある様相で立っていたという。
太平洋戦争が勃発する昭和16年12月に滑走路や鉄骨の格納庫、給水塔などの整備が完了し、
翌17年3月には太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校している。
また、ほとんど知られていないが国指定史跡である知覧城の本丸等地下には横穴式の壕が掘られ、
陸軍太刀洗航空廠知覧分廠という立派な称号を得た整備掩体壕が残存している。
知覧飛行場関連施設跡へのアクセス
知覧関連施設跡へは、九州道鹿児島I.C.より指宿スカイラインにて知覧I.C.へ。
知覧町役場から左へ曲がって次の交差点を右に入れば給水塔が見える。
周りに3面ほど野球が出来るグラウンドがある。
駐車は、給水塔の前が無料駐車場になっている。