「鉱山保安の父」と呼ばれた石渡信太郎の胸像
この練習坑道は救護隊員の養成訓練、並びに隊員の練習指導のため、
明治45年に建設されたもので、
建設当時は長さ約11メートル断面積297平方メートルの坑道 であったが
練習を更に効果的に行なうため、
大正14年に傾斜40度と20度の斜坑(木造)と
水平坑道(レンガアーチ巻及び鉄筋コンクリート巻)を設け
総延長117・6メートル、断面積約3.5平方メートルに改築された。
坑道内にはほふく訓練用の架橋、高落箇所、煙およびガス発生炉、
温度上昇用の暖房三箇所と非常口三箇所が設けられている。
その後、坑道が老朽化したので、昭和41年11月、
傾斜40度の木造部分を廃棄し、
20度の斜坑はコンクリートアーチ巻坑道に改造され
坑道延長117メートルで今日に至る。
この道に煙及び蒸気を通し、坑道内の温度湿度をあげて
実戦 さながらの練習訓練を行なったものである。(現地説明版より)
突発的な事故、
しかも死亡する可能性が極めて高い事故が頻繁に起こり得る
労働現場であった炭鉱において、
責任者が負うべき役割は重要である。
事故を起こし得る行動をした者、
一緒に働く相手を裏切った者に対して
暴力的制裁も含めた厳しい対応を取ることが責任者に求められた。
いうまでもなく、
事故が起こる最前線で常に命を懸けて陣頭指揮を執ることも
責任者の重要な役割であった。
責任者が在来的な納屋頭から近代的な技師へと変更する際に、
最新の知識を活用できて、
より安全な採炭法を取ることができるだけでは、現場労働者は納得しない。
現場労働者とともに大酒を飲み、刃傷沙汰にも動じない度胸を持ち、
石渡は炭鉱労働者にはじめて責任者として認められて、
お互いに信頼できる相手として共有信念を形成し得たのである。