「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県今帰仁村「百按司墓」の収集遺骨の返還訴訟について・・・

2022-04-21 18:41:47 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所

沖縄県今帰仁村運天にある「百按司墓(むむじゃなばか)」

 

 

 

 

 

 

墓の説明版

 

 

 

 

 

 

百按司墓に通じる墓道

 

 

 

 

 

源 為朝公上陸の地碑

 

 

 

 

 

 

昭和初期に沖縄県今帰仁村の古墳「百按司墓」から

旧京都帝国大(現京都大)の人類学者が持ち出した遺骨を

京大が占有し続けているのは違法だとして、

第一尚氏の子孫を称する県民2人や

琉球民族遺骨返還研究会代表で龍谷大学の松島泰勝教授らが

遺骨の返還と損害賠償を求めた訴訟で、

京都地裁(増森珠美裁判長)は今日、請求を棄却した。

 

 

以前、琉球王朝時代の王や按司の墓や、

羽地朝秀や玉城朝薫など、琉球の歴史上の人物の墓をめぐっていた。

そんな時、今帰仁上がり(なちじんぬぶい)の志慶真乙樽や赤御墓、

大北墓(うふにしばか)などと一緒に百按司墓にも訪れたことがある。

「百按司墓(むむじゃなばか)」は、

沖縄県今帰仁村運天の運天港を見下ろす丘の中腹にあり、

「源為朝公の上陸の碑」の側から細道を下りて行くと樹木に覆われ、

昼間でも薄暗い墓道を進むと

左側の岩窪に積み石をめぐらして漆喰で固めてある。

墓口は無いが天井が開いている。

ここには数基の墓があり、いくつかの時代の墓所と思われる。

 

1、羽地按司に滅ぼされた中北山の戦死者の墓。

2、後北山が尚巴志王に滅ぼされた時の戦死者の墓。

3、尚巴志王統が滅び、その監守たちが葬られた墓。

4、尚徳王の悪政について行けない貴族たちの遁世(とんせい)した墓。

5、薩摩軍の攻撃で戦死した北山監守たちの墓。

そんなことが推測される。