第27回 CBC賞の勝ち馬 フェイムオブラス
第22回 CBC賞の勝ち馬 リードトリプル
第29回 CBC賞の勝ち馬 トシグリーン
第24回 CBC賞の勝ち馬 トーアファルコン
中京競馬場の名物レース 「 CBC賞 」 は、個人的にも大好きなレースである。
今は1200mになっているが、1400mという距離に心を惹かれていた。
第27回 CBC賞の勝ち馬 フェイムオブラス
第22回 CBC賞の勝ち馬 リードトリプル
第29回 CBC賞の勝ち馬 トシグリーン
第24回 CBC賞の勝ち馬 トーアファルコン
中京競馬場の名物レース 「 CBC賞 」 は、個人的にも大好きなレースである。
今は1200mになっているが、1400mという距離に心を惹かれていた。
2着だった小倉サマージャンプ ( 2008.7.26 )
2008 小倉サマージャンプ
優勝した小倉サマージャンプ ( 2007.7.21 )
優勝した小倉サマージャンプ ( 2006.7.22 )
九州産馬だったコウエイトライは小倉をよく走った。
無事にゴールをしてくれることを願い。
いつもいつも応援していた。
父 ファルブラヴ
母 バルドウィナ
生年月日 / 2006年4月03日
調教師 / 藤岡健一 ( 栗東 )
馬主 / 青山洋一
生産者 / 社台ファーム
産地 / 千歳市
通算成績 / 26戦5勝 [ 5-2-2-17 ]
主な勝鞍 / フィリーズレビュー ・ 函館スプリントS
近親馬 / ジュエラー ・ サンシャイン
競走馬としてデビューして勝利を収めた小倉競馬新馬戦 ( 2009.8.23 )
父 アグネスタキオン
母 ヴェイルオブアヴァロン
生年月日 / 2007年4月08日
調教師 / 池江泰寿 ( 栗東 )
馬主 / サンデーレーシング
生産者 / ノーザンファーム
産地 / 静内町
通算成績 / 38戦6勝 [ 6-2-7-23 ]
主な勝鞍 / カシオペアステークス ・ 野路菊ステークス
近親馬 / ヴォルシェーブ ・ レイスアベール
リルダヴァルのデビュー戦は、
気性の荒さからイレ込んで、本馬場入場後に大立ち回り。
鞍上が佐賀の名手・鮫島克也だったことで落馬や放馬を免れたが、
他の騎手なら振り落とされていたと思う。
出走前にかなりのスタミナを消耗したにもかかわらず、
本番のレースではキッチリと勝って見せた。
第40回小倉大賞典 ( 2006.2.4 )
今日のエプソムカップは、5番人気のレイエンダが勝った。
血統的には父キングカメハメハで、母がラドラーダというダービー馬レイデオロの弟だ。
本来ならこのくらいの成績を残しても不思議でない馬である。
2着には7番人気のサラキアが入り、1番人気に支持されたソーグリッタリングは3着だった。
トップガンジョー
父 マヤノトップガン
母 ゴールデンノヴァ
生年月日 / 2002年4月2日
調教師 / 和田正道 ( 美浦 )
馬主 / 河内孝夫
生産者 / ハシモトファーム
産地 / 新冠町
通算成績 / 27戦6勝 [ 6-2-4-15 ]
主な勝鞍 / エプソムカップ ・ 新潟記念
近親馬 / シャイニングノヴァ ・ ノヴァクラックス
トップガンジョーは、パドックでは目を剥くほど気合いが入って、
厩務員さんをグイグイ引く勢いだった。
第43回 小倉記念 ( 2007.7.29 )
父 ステイゴールド
母 リザーブシート
生年月日 / 2003年4月30日
調教師 / 田中章博 ( 栗東 )
馬主 / ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
生産者 / 橋本牧場
産地 / 静内町
通算成績 / 26戦3勝 [ 3-3-4-16 ]
主な勝鞍 / マーメイドステークス
近親馬 / スマートリバティー ・ ハーマジェスティ
ソリッドプラチナムはマーメイドステークスだけの成績ならば、
1着、3着、3着と、滅法相性の良いレースだった。
まさにマーメイド娘だった。
ワイドバトルの2着だった第26回 小倉大賞典 ( 1992.2.28 )
父 テュディナム
母 ライトスピード
生年月日 / 1985年4月3日
調教師 / 伊藤雄二 ( 栗東 )
馬主 / 小林百太郎
生産者 / 石田牧場
産地 / 新冠町
通算成績 / 24戦6勝 [ 6-8-0-10 ]
主な勝鞍 / エプソムカップ ・ 京阪杯
近親馬 / ミスターボーイ ・ スズノライジン
ミスターボーイの父はターゴワイスだが、
母のライトスピードはニホンピロブレイブと同じである。
1987年5月17日の第37回 安田記念は小雨で、馬場は重 ( おも ) 馬場。
19頭のマイラーが栄冠を目指したが・・・
当日ボクは向日町競輪に参加していて、
しかも安田記念の発走時刻と自分のレースの準決勝戦の発走時刻と重なって
リアルタイムでレースを見ることができなかった。
準決勝戦を2着でゴールし、決勝戦にコマを進めたが、
自分のことよりも安田記念の結果が気になって、
検車場からテレビのある選手控室に急いで戻ったのを覚えている。
テン乗りの柴田政人を背に安田記念を勝ったレースも印象に残っているが、
それ以上に田原成貴を背に粉雪が舞う阪神競馬場で毎日杯を勝った時の方が強く印象に残っている。
4着になった 「 第27回 小倉記念 ( 1991.8.25 ) 」
今日の鳴尾記念は出走頭数が9頭と少なかったが、
1番人気に支持されたメールドグラースが後方待機から一気に抜けて1番人気に応えた。
2011年11月17日。
1993年の鳴尾記念(G2)などを制したルーブルアクト(牡23歳)が、
けい養先の北海道新ひだか町のアロースタッドで放牧中の事故により死亡した。
同馬は父ラシアンルーブル、母ヒダカアクト(母の父ファバージ)という血統。
浦河町のヒダカファームの生産で現役時代は通算39戦6勝。
重賞勝ちは前述の鳴尾記念(G2)のみだが、
91年に白百合Sに優勝したほか、94年の京都記念(G2)はビワハヤヒデの2着。
91年の小倉記念(G3)では古馬を相手にコンマ4秒差の4着となるなど、
逃げ、先行脚質を武器に中、長距離路線で活躍した。
95年のオーストラリアトロフィー9着の後、地方・水沢に移籍。
1戦し現役生活を引退。
96年からはアロースタッドで種牡馬となり、08年までわずかながら種付けを行ってきた。
実質12年間の種牡馬生活で9頭の産駒を残し、うち6頭が出走し4頭が優勝。
5世代目産駒のカムパネルラは2歳12月に中京競馬場で行われたJRA未勝利戦に優勝し、
中央競馬の勝馬として、その足跡を残している。
父 ノーザンテースト
母 ユアスポート
生年月日 / 1983年3月23日
生産地 / 北海道千歳
生産者 / 社台ファーム
性別 / 牡
毛色 / 鹿毛
調教師 / 松山吉三郎 ( 美浦南 )
馬主 / (有) 社台レースホース
競走成績 / 13戦5勝
主な勝鞍 / 日本ダービー ・ 有馬記念
今年の日本ダービーは2016年に生まれた7071頭から選ばれた18頭が出走し、
その中でも無敗のサートゥルナーリアが1番人気に支持されて行われたが、
ゴール前に伸びを欠いて4着に敗れる波乱の結果となった。
ダービーの栄冠に輝いたのは同じ角居厩舎で12番人気のロジャーバローズだった。
そしてその背の北九州出身の浜中騎手はダービー初制覇で晴れてダービージョッキーとなった。
応援したアドマイヤジャスタは脚元に異変を感じたのか?
4コーナーを回ってから追うこともなく最後方のまま馬なりでゴールしてしまった。
これからがある馬なので、無事であってほしいと願っている。
ダイナガリバーのダービーは同じダイナでもダイナコスモスの方が人気していた。
関西人としてはラグビーボールやシンチェスト。
さらにはエイシンガッツ、タケノコマヨシなどを応援していたが不発に終わった。
15時40分発走の第86回 日本ダービー。
6枠12番の枠に入ったアドマイヤジャスタ。
母は小倉で応援したアドマイヤテレサ。
今日は、その息子を応援しよう!
小倉競馬第3レース 障害未勝利戦 ( 2007.7.22 )
チャクラは平場で活躍した馬だったが、
新たな活躍の場を求めて障害競走へ 路線を変更してきた。
その障害未勝利でデビューしたのが小倉競馬場だった。
馬名のチャクラ ( 梵 : चक्र, cakra; 英 : chakra ) は、
サンスクリットで円、円盤、車輪、轆轤 ( ろくろ ) を意味する語である。
ヒンドゥー教のタントラやハタ・ヨーガ、仏教の後期密教では、
人体の頭部、胸部、腹部などにあるとされる中枢を指す言葉として用いられる。
輪 ( りん ) と漢訳され、チベット語では 「 コルロ 」 という。
2本のボルトを入れたまま走っていたヤマニングローバル
ヤマニングローバルは、骨折がなければ三冠を獲っていただろうと言われた逸材だった。
デイリー杯3歳ステークス(G2)では重賞初出走を単枠指定で出走し、
レコードタイムで重賞初勝利を飾ったが、
ゴール後バランスを崩し、馬運車で運ばれ、検査の結果。
右前種子骨が縦真二つに割れる重傷を負っており、
通常であれば安楽死措置となる状況だったが、
陣営は治療を選択し、割れた骨を2本のボルトで繋ぐ手術を施術され、
復帰を図ることになった。
この骨折に主戦・武豊騎手は 「 来年のGIを4つ損した 」 と発言し、
幻の三冠馬と呼ばれるようになった。
そんなヤマニングローバルが2016年9月6日夕刻、新冠・錦岡牧場で亡くなった。
29歳だった。
ボクの部屋に馬房の前で唯一馬と一緒に写った写真を飾っている。
それがテンザンハゴロモである。
額から鼻面へ大きく流れた流星が個性的な彼女だった。
イサミサクラは快速馬で
ゲートが開くと風のように一目散に駆けて行った。
その娘のイサミサクラサクラは母ほど活躍しなかったが、
3本の指に入るほどの美女だった。