日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

「海ゆかば」という歌を知っていますか

2013-08-01 12:46:32 | 日記

昨夜、夜中に目を覚ますと、急に「海ゆかば」という歌を思い出しました。このうたからいろいろなことを連想していると、「これをブログに書こう」と思いました。

「海ゆかば」という歌を知っていますか。歌詞は次のような詩です

大伴家持作詞、 信時潔作曲

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

(現代語訳)

海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、大君(天皇)のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない

日本政府が国民精神強調週間を制定した際のテーマ曲。信時潔がNHKの嘱託を受けて1937年(昭和12年)に作曲しました。その年の11月22日に国民歌謡で初放送されました。
国民一般の印象を決定したのは、太平洋戦争期、ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕(日本軍の全滅)
伝える際に、冒頭曲として流されたことでした。

太平洋戦争中、どこに行っても聞かれた曲で、小学校でも繰り返し習いました。70年近くたった今でも、私は何の苦労もなく歌うことができます。それくらい刷り込まれた歌でした。

この曲の意味を今になっていろいろという人がいます。「大伴家持の歌は違う意味だった」という人もいます。もちろん家持が後世の太平洋戦争を予期して歌を詠むはずはありません。
この歌が「国民精神高揚」を目的として作られ、「玉砕」のテーマ曲になったことが「軍歌 海ゆかば」 の意味なのです。「天皇のために死ぬ」ことを教育することが、この曲の目的でした。

「天皇のために死ぬ」という教育は、なにも「海ゆかば」も限ったことではありませんでした。国民学校(小学校)の国語、修身、音楽などあらゆる科目で叩き込まれました。このことは入江曜子さんの著書「日本が神の国だった時代ーー国民学校の教科書を読む」(岩波新書、2001年)によく描かれています。

このような教育のもとで、私たち太平洋戦争中の小学生は、「天皇のために死のう」と本気で思っていたのです。
私は昭和20年満洲(中国・東北部)にいました。小学校4年生でした。8月9日ソ連が参戦し、私たちの町にも市街戦の危機が迫っていました。幸い、この時同級生とかわした会話を鮮明に覚えています。「ソ連の戦車が来たら地雷を手に持って戦車の下にとびこもう 」と真面目に誓い合いました。さいわい数日後に日本の敗戦のため、市街戦はなく命は助かりました。60年あまりたって再会した時、その友人に小学生の時の誓いを話すと、彼は覚えていませんでした
「そんな恐ろしいことを」と絶句しました。

自民党の憲法改定案をみると、このような過去がよみがえります。改定案の中には「天皇を元首とする」「国防軍を作る」などの項目が並んでいます。恐ろしいことです。

 

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