私の妻は病気のため介護保険の「要支援」に認定されています。介護保険があるため歩きやすいように住宅改修をしたり、歩行器を借りたりしています。また週2回通所リハビリに通っています。
おかげで玄関から外まで手すりを伝わって出ることが出来ます。自動車が多い公道を横切るのはなかなか大変だったのですが、歩行器を頼りに近くにある「かかりつけ医」に通うことができるようになりました。自宅にいるとつい動かなくなり、運動不足になりますが定期的にリハビリに通うようになり、動くようになりました。
総じて介護保険を使うことによって不安がなくなり、転ぶ危険も減るので安心できるようになりました。もちろんすぐに病気が治るわけではないのですが、悪くなるのを予防し、少しずつ機能を回復するのに役立っているのを感じます。介護保険があるのと、ないのとではずいぶんと違うのを日々実感しています。
「要支援」でもこんなに役立つのですから「要介護」の方にはずいぶんと役に立っているのだろうと思います。
こんな風に感じているとき意外なことを知りました。いわゆる「介護保険制度の見直し」が進められていることを知ったのです。
「要介護1」「要介護2」のいわゆる「軽度者」の「通所介護」や「訪問介護」の「生活援助」を介護保険のサービスからはずすというのです。
「通所介護」というのは私の妻のように施設に通ってリハビリをする、あるいは施設に通って、食事、入浴などを含む日常生活の世話を受けるいわゆる「デイケア」などをさします。
「訪問介護」というのはヘルパーさんが自宅に訪ねてきて世話をやいてくれるサービスです。「訪問介護」では、食事・排泄・入浴などの介護(身体介護)や、掃除・洗濯・買い物・調理などの生活の支援(生活援助)をします。
厚生労働省の「見直し」案のように「要介護1」「要介護2」の人のサービスを減らすことになれば、私の妻の場合から考えると、病状が悪化して重度になるのではないかと恐れます。
このような「見直し」は多くの人の反対によって今回は見送られました。しかし厚生労働省はこうした考えを持っているので、また出てくる恐れがあります。
厚生労働省の「見直し」には、もう一つあります。「要介護」1,2の「軽度者」のサービス利用料を1割から2割に値上げしようというのです。どういうことかと言いますと、現在は「訪問介護」や「通所介護」などのサービスを利用すると利用料が決まっていて、9割を介護保険で、1割を本人が負担することになっているのです。今度の「見直し」案ではこの利用者負担を2割に増やそうというものです。2倍にあげるのです。
たかが1割と思われる方がいるかもしれませんが2倍です。それも壮年のバリバリ働いている人とは違います。年金で生活している高齢者です。年金がない人も大勢います。国民年金は満額でも月5万円前後です。この方々にとって利用料が1割から2割に、2倍に上がるというのは大変なことです。
政府は「働いている若い人との釣り合いのために高齢者にも負担してもらう」と言いますが、高齢者が負担できないときには息子や娘が負担することになります。若い人との釣り合いどころか、若い人の負担が増えることになります。
私の家族のことを考えても、妻のことだけでなく、同じく高齢の私も「要介護」になるでしょう。二人で「要介護」になったとき、考えるのも嫌なことですが、二人で老人ホームが必要になったとき、お金を払えるか疑問です。
一般論に戻れば、世の中には払えない人がたくさんいることを私は知っています。そのとき、介護保険の「利用ひかえ」が起こるでしょう。介護が必要だと分かっていても介護保険を利用しなくなるのです。介護保険を利用しない場合、やってくるのは病状の悪化です。
こうなると結果は介護保険に戻ってきます。重度の「要介護」者の増加です。介護保険財政の節約のために行った「見直し」が裏目に出ます。重度者の増加はもっと深刻な形で介護保険財政の負担を重くするでしょう。このとき「見直し」を進めた人たちはどうするのでしょうか。「自己責任だ」「自業自得だ」と言って傍観しているのでしょうか。
介護保険法は次のような立派な目的をもって制定されました。ぜひこの目的に沿った政治を行ってほしいものです。
難しい文章ですが引用しておきます。
第1条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。