安倍晋三氏は「戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、リーダーとして手を合わせる。世界共通のリーダーの姿勢だ」と説明する。本当に世界共通なのだろうか。
28日の朝日新聞の朝日川柳に次のような川柳が載っていた。
この次も死んでくれよと奉る(東京都 鈴木英人)
私はこの川柳が的を射ていると感じた。
靖国神社はなぜ創られ、(戦前までは)天皇も参拝する特別な神社になったのだろう。
靖国問題について研究した哲学者高橋哲也氏の考えを聞こう。
明治28年の「時事新報」(福沢諭吉が社主を務めた新聞)の論説に答えがあるという。日清戦争が終わったこの時期、同紙はこういう。(現代文で要旨のみを紹介する)
東アジアの情勢は緊迫していて、いつまた戦争になるかもしれない。戦争になったら何に依拠して国を守るべきなのか。それはまさしく死を恐れずに戦う兵士の精神にほかならず、したがって、その精神をやしなうことこそ国を護る要諦である。それを養うためには、可能なかぎりの栄光を戦死者とその遺族に与えて、「戦場に斃れることが幸せだということを感じさせ」なければならない
首都東京に全国戦死者の遺族を招待して、明治天皇自らが祭主となって死者の功績をほめたたえ、その魂を顕彰する直後を下すことこそ、戦死者とその遺族に最大の栄誉を与えること、そして国民に「戦場に斃れることが幸せだということを感じさせる」ことになるのだ。
高橋哲也氏は、このことこそ靖国神社の目的だと主張する。まさに、さきに引用した川柳そのものです。次の戦争に行って「名誉の戦死」を遂げる兵士を作ることが靖国神社の目的だと言ってよいでしょう。
言いかえれば戦死者の遺族に、息子や父、夫がなくなった悲しみを忘れさせ、国の名でほめたたえ、天皇が名誉を授けることによって「幸福」を感じさせる、遺族の感情を操作する「感情の錬金術」を行うことこそこの神社の目的だと言ってよいでしょう。
安倍晋三氏の説明に即して言えば、かれは再び国民を戦争に行かせようとして靖国参拝にこだわっていると考えられます。
(参考) 高橋哲也:靖国問題 ちくま新書、2005年