日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

日本は朝鮮(韓国)で何をしてきたか

2013-04-23 20:47:16 | 日記

韓流ブームなどで民間レベルでの交流が続いてきた日韓関係が、領土紛争の影響で、昨年来冷え込んでいます。今日はは領土紛争そのものではなく、ここ100年あまりの日韓関係、その不幸な関係を振り返って、現在の問題を考えてみたいと思います。

 


日韓併合まで

明治政府は、幕末以来欧米諸国が日本に押しつけた不平等条約を朝鮮に対して押しつけようとしました。明治8年(1875年)には武力を背景に朝鮮に治外法権をみとめさせ、関税自主権も奪いました。

明治37年(1904年)には第一次日韓協約をむすび、日本政府が推薦する日本人一人を財務顧問に、同じく日本政府が推薦する外国人一人を外務顧問にすることを認めさせました。

翌明治38年(1905年)には第二次日韓協約を結び、日本は韓国から外交権を剥奪しました。韓国の外交はすべて日本が行うことにしました。事実上日本の保護国にしたわけです。そうして韓国統監府(初代統監・伊藤博文)を設置しました。

さらに明治40年(1907年)には第三次日韓協約を押しつけ、高級官吏の任免権を韓国統監が掌握すること、韓国政府の官吏に日本人を登用できることなどが定められました。これによって、韓国の内政は完全に日本の管轄下に入りました。また非公開の取り決めで、韓国軍の解散・司法権と警察権の日本への委任が定められました。

このように、韓国にたいする支配力を強めていったうえで、明治43年(1910年)8月、「韓国併合に関する日韓条約」調印により日本は、韓国を廃して日本領として併呑したのです。
日韓併合により韓国の近代化が促進されたかのように言う人もいますが、武力による脅しで国そのものを奪い取って植民地にしたのです


 韓国国民の抵抗運動と日本による弾圧

こうした日本の進出、支配強化にたいして、日清戦争中の明治27年(1894年)10月頃より農民主体の義兵闘争が始まり、日露戦争中にも朝鮮半島南部を中心に義兵闘争が広まりました。1907年に韓国軍隊が強制的に解散されると、旧韓国軍の将兵たちの多くが蜂起して、農民義兵に合流し、反日義兵闘争は組織的な戦闘力を高めつつ韓国全土をおおいました。義兵の蜂起に手を焼いた日本軍は、村々を焼きはらい、ゲリラ闘争を続ける義兵を大量に殺害し、あわせて日本軍に非協力的な民衆もみせしめに殺傷しました。
日本人が間違えてならないのはこのような弾圧は日韓併合より以前から行われたということです。外国(独立国)の国内問題に対する内政干渉、軍事干渉だったのです。

 

三・ー独立運動

大正8年(1919年)3月1日、天道教、キリスト教、仏教指導者の呼びかけに応えて、朝鮮の人々が植民地支配からの独立をめざす運動を起こしました。3月半ばには運動は朝鮮全土に広がり、5月までの間に1.500回近いデモや騒動があり、延べ200万人の人々が参加したといいます。これにたいして日本政府は徹底的な弾圧を加えました。以後1年間で朝鮮の人々の死者は7,000人、負傷者は4万人、逮捕者は5万人近くに及びました。弾圧によって運動そのものは5月ごろには表向き終息を迎えました。


 皇民化政策

1930年代半ば以降の皇民化政策は、学校教育・神社崇拝・地域支配をそれぞれ強化することを柱として展開され、創氏改名とのちの徴兵制の導入によってその極致に達したといえます。

昭和7年(1937年)10月から、朝鮮総督府は、「私共ハ大日本帝国臣民デアリマス/私共ハ心ヲ合セテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス/私共ハ忍苦鍛錬シテ立派ナ強イ国民トナリマス」という「皇国臣民ノ誓詞」を制定、学校で児童生徒に毎朝斉唱させました。また、1938年3月には第3次朝鮮教育令が公布され、「内鮮共学」と称して日本と同じ国定教科書を使い、朝鮮語を正課からなくして日本語の常用を強制するようになりました。 (註:皇国=天皇の治める大日本帝国)


国民精神総動員と創氏改名

朝鮮総督府は、日中戦争期に一面(村)一神社設置計画を推し進め、また各戸にも神棚をつくらせ、「天照大神」の御札を毎朝礼拝するよう奨励しました。京城(現在のソウル)には天照大神と明治天皇を祭った朝鮮神宮を作り参拝を強要した。7月に皇民化政策を推進する機関として国民精神総動員朝鮮連盟が発足し、地方・学校・企業ごとにも連盟支部が組織されました。

皇民化政策の創氏改名は、昭和14年(1939年)12月、朝鮮総督府によって朝鮮民事令・朝鮮戸籍令などの改正として公布され、翌昭和15年(1940)年2月11日を期して施行されました。創氏は義務(法的に強制)、改名は任意とされましたが、現実には日本式改名こそ「皇民化の指標」とみなされて、有形無形に強制されました。また、氏設定(創氏)は、法的に強制されたものであったので、届け出がない場合も、従来の「姓」を日本語読みにしてそのまま新しい「氏」とされました(設定創氏)。

創氏改名は、皇民化政策の一環であり、徴兵制導入(昭和19年(1944年)から実施)を射程に入れた上で、戸主を中心とする家観念を確立し、天皇を頂点とする家の序列の末端に植民地住民を位置づけたと言われています。

朝鮮人は「朝鮮語」という民族固有の言語の使用を禁止され、先祖伝来の「姓」を強制的に換えさせられただけでなく、日本の国家神道と天皇崇拝を強制されました。


慰安婦

このブログで以前に取り上げた「慰安婦」は、その多くが朝鮮から「女子挺身隊」などの名目で連れて来られた20歳前後の未婚女性たちでした。国家機関(軍・内務省・総督府)が朝鮮を中心とする地域で、組織的に女性を集め、軍が「慰安所」の設置と運営に直接かかわるなど、政府機関・軍が直接に関与したということが、日本における「慰安婦」問題の特徴になっています。「慰安婦」にされた女性の総数は、8 万人とも1 0 万人ともいわれ、さらに多数にのぼったという推計もあります。


朝鮮人強制連行

もうひとつ朝鮮人を強制的に連行し、鉱山などで働かせた問題があります。この問題については私の理解が浅いので、問題の存在を挙げるにとどめます。


人種差別

私自身の見聞きしたところでも、朝鮮人に対する人種差別は非常にひどいものでした。その影響は現在でも明らかに残っています。
しかし、私には、この人種差別について系統的に述べる力はありません。もし書くとすれば職業上の差別、結婚の差別などについて資料があれば書くことができると思います。またそのような客観的な資料に残る差別ではない、日常生活上の差別もあり、文学作品から読みとる方がよいのかもしれません。

 


日本は軍事力を背景に、朝鮮(韓国)を併合して、植民地にしただけでなく、その後も過酷な支配により朝鮮の人々を苦しめてきました。現代の問題をついても、このような背景を理解したうえで考える必要があると思います。


 


 

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「あたらしい憲法のはなし」 古くて新しい教科書

2013-04-19 16:47:38 | 日記

「あたらしい憲法のはなし」という本をご存じでしょうか。昭和22年に文部省が出し教科書です。翌23年から中学1年生の教科書として使われました。私は昭和23年に中学に入学したので、この教科書で憲法を学びました。
残念ながら、2,3年で使われなくなったそうです。 

この教科書は、後にみるように「日本国憲法」を分かりやすく解説した名著です。「これが文部省発行の教科書だろうか」と思えるほど生き生きと新憲法ができた喜びを伝えています。その後の政府がこの憲法をないがしろにしていることを考えると夢のような話です。

非常にやさしい本ですし、わずか35ページの薄い本なので時に触れて読みたいものです。とくに政府や自民党の意見に触れた時、日本人の初心を思い出すために読むといいのではないでしょうか。この本は日本平和委員会が再刊していますが、もっと簡単には青空文庫に収められています。
ここをクリックしてみてください。

内容に入りましょう。(引用分に旧字体が使われています。國=国、戰爭=戦争)

 これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。

と国民が作ったことを強調しています。

 この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです

 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。

と、前文の三つの原則だけは変えてはならないと言っています。自民党の「改憲案」はまさにこの原則を変えようとしているのではないでしょうか。

この後「民主主義とは」「国際平和主義」「主権在民主義」[天皇陛下」の項がありますが、少しとばして「戦争放棄」に入ります。どう書いてあるでしょう。全文を示しましょう。

みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
挿絵6
 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、
兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。

実に率直に戦争に対する反省を述べています。今の政府が戦争を起こしたことの反省を口にしなくなったのとは対照的です。また、戦争放棄についても「戦争をするものためのものは、一切持たない」と明快です。

基本的人権については:

 くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけたゞれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、たゞ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。
 人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、國の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。

と人間に生まれながらに持つ権利だと述べています。「自民党改憲案」の説明では、このような「天賦人権説」にたいして明確に否定しています。どちらをとるべきでしょうか。私はいろいろな理由をつけて人権に制限をつけるのに反対したいと思います。

この後には「国会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」の項目がありますが、紹介が長くなりすぎるので、原文をお読みいただきたいと思います。

最後に「最高法規」の項を紹介しておきましょう。

このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。この最高法規としての憲法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。この中で、國民の基本的人権は、これまでかるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろいろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。
 憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。これも憲法がはっきりきめています。
 このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。また、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。
 みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。

あらためて「基本的人権」は人間が長い間の努力の結果獲得してきたものだとのべ、決して犯すことができない永久の権利だと述べ、これに対する改定はあるべきでないとの立場を取っています。また天皇も大臣も守らなければならないと述べています。この憲法の規定からみれば、政府が憲法改定を主導することは考えられないことです。

以上紹介してきましたが、この教科書は65年前の本とは思えないくらいに新鮮な意味を持っていると思えます。また引用分にも明らかなように、戦争を引き起こした国としての反省、戦争の惨禍を見た後の二度と戦争をしたくないという決意に満ちた本になっています。
私も久しぶりに読み、もう一度憲法をまもろことの大事さを考えました。 


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マーガレット・サッチャー元首相のこと

2013-04-18 16:54:20 | 日記

イギリスの元首相マーガレット・サッチャー氏が亡くなった。氏はイギリスで初めての女性首相であり、この面で尊敬する人も多い。また「小さな政府」を目指しす新自由主義的政策を行った。電話ガス空港航空水道等の国有企業の民営化や規制緩和し、所得税、法人税の引き下げを行う一方、付加価値税(消費税)の値上げを行った。また労働組合の規制、教育への介入も行った。

サッチャー政治に反対した人たちは社会保障を切り捨て、経済効率最優先の格差社会をつくったと批判します。新自由主義の路線です

オックスフォード大学は大学予算削減に抗議して、首相に就いた卒業生に慣例となっている名誉法学博士号の授与を、サッチャー氏に関しては拒否しました。

巨額の公費をかけた盛大な葬儀も論議の的です。映画監督のケン・ローチ氏は「サッチャー氏の葬儀を民営化して競争入札にかけるべきだ」と発言しています。映画「ナビゲーター」で国鉄民営化を痛烈に批判した監督です

サッチャー首相の在任当時、レーガン米大統領、中曽根康弘首相も共に新自由主義の政策を推し進めました。その流れは小泉純一郎政権の「構造改革」から安倍晋三政権へと受け継がれています。サッチャー氏が残したものは日本にも無縁ではありません。

イギリス政府は異例の準国葬でサッチャーの死を悼んだが、イギリス国民の中にはこれに反対の立場を示した人々っが多い。「サッチャーの葬儀のために我々の血税を使うな」というデモもロンドンで起きた。葬列に背を向けてたち、抗議の意思を示した人もいた。また「鐘を鳴らせ!悪い魔女は死んだ」(映画『オズの魔法使い』の挿入歌)が、英国音楽ダウンロードチャートの1位となったまた「鉄の女」に異名から死者にささげる言葉「RIP」を「安らかに錆びろ(Rust In Peace)」として批判する者もいた。

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「アベノミクスの陥穽」を読んで(2) アベノミクスではデフレ・不況から抜け出せない

2013-04-14 11:48:47 | 日記

前回に引き続き「アベノミクスの陥穽」を紹介します。今日は「第一章 アベノミクスではデフレ・不況から抜け出せない」です。

以下本書第一章の要約です

まず「アベノミクス」の特徴はその政略的なところにあります昨年の選挙の前から念入りに計画を練り、「スピード感を持って」一定の景気回復の「気配」を示すことにあります。こうした「気配」を7月の参院選挙の前にみせ、その余勢をかって自民党の議席を増やし、憲法改定への道を開こうとしています。
また、景気が回復したからと言って、消費税増税に持ち込もうという戦略です。

「第一の矢 大胆な金融政策」の目的は、日銀に「無制限の金融緩和」を約束させることによって、投機的な資金を呼び込み、「ミニバブル」を起こすことです。本書の出版後に起こったことを見ると、著者の見通し通りのことが起こっています。
「第一の矢」のもう一つの目的は、「第二の矢 機動的な財政政策」の財源作りでもあります。
「アベノミクス」には「第三の矢」「第四の矢」が隠されています。昨年の三党合意による「社会保障制度の見直し」という「第四の矢」、「消費税増税」という「第五の矢」です。また消費税増税によって生まれた「財政的なのゆとり」の大半が、「国土強靭化」や「成長戦略」すなわち公共事業のために使える仕組みになっています。消費税増税分が社会保障ではなく「第二の矢」のための回されるということです。

第一の矢、無制限の金融緩和」では、「輪転機をぐるぐる回して無制限にお札を刷る」という発言こそ取り下げましたが、日銀に強制して国債を大量に買わせようとしています。もともと国債を日銀に引き受けさせることは財政法で禁じられています。いわば「禁じ手」なのです。太平洋戦争の時に大量の国債を日銀に引き受けさせ日本経済の破たんを招いた苦い経験から定められたものです。
このような政策を続けるならば、国際的に「円」と日本国債への信用を失わせることになるでしょう。

「第二の矢、機動的な財政政策」は、十年前まで何度も繰り返されてきた「公共事業ばらまき」政策の復活です。財源は「第一の矢」建設国債の増発によるものです。最後のつけは消費税増税に持ち込まれます。「財政再建」は放り出されてしまいました。13兆円もの資金を投入すれば一時的にはGDPが上がるでしょう。しかしこれまで21回も行われてきた公共事業ばらまきの経験から考えると一時的な効果に終わるでしょう。公共事業の中身も問題です。復興・防災事業に3.8兆円を投じる以外は大企業向けの支出です。
「緊急経済対策 」による雇用創出は60万人と言われているがその根拠は不明です。ある銀行の独自の試算を行い10万人程度としています。一方で電機産業で13万人のリストラ計画が進行中ですが、これに対する問題意識は見られません。

「第三の矢 産業投資立国」はどうでしょうか。
特徴的なのは、原子力発電所をどうするかということに全く触れていないことです。「可能な限り原発依存度を出来るだけ減らす」しか言っていません。しかも、自民党の中でも最も原発に執着してきた甘利明氏を経済再生担当相に起用し経済財政諮問会議には財界代表として原発製造会社である東芝社長を登用して、原発推進の姿勢を明らかにしています。「成長戦略」の政策立案のかなめとなる産業競争力会議には閣僚のほか、学識経験者二人、民間の他の8人はすべて現役の経営者ばかりです。それも「グローバル展開」を目指す財界人ばかりです。結局「産業競争力会議」は日本企業の海外展開のための戦略を検討することに終始するに違いありません。
「世界で一番企業が活動しやすい国」を目指すとも言っています。しかしここで言われる「企業」はもっぱら世界市場での国際競争力を競っている企業のことでしょう。日本の企業の圧倒的多数を占める中小企業や自営業にとって「活動しやすい国」を目指しているようには見えません。

「アベノミクス」は、結局、国民の暮らしと日本経済に何をもたらすのか。
当面の円安をどう見るか。異常な円高の修正は見本経済にとって悪いことではありません。しかし「無制限な金融緩和」によって円安に誘導し、投機的な資金の流入によって相場が乱高下するようでは、日本経済にとって良いことではありません。また円安誘導に対しては、海外から「通貨戦争」に火をつけるものだという批判が起こっています。

当面の円安傾向、カンフル剤としての公共投資、無期限・無制限の金融緩和に他の要因も加わって「ミニ・バブル」的な動きが出て来るでしょう 。しかしカンフル剤による「ミニ・バブル」は真の景気回復ではありません。「アベノミクス」は二極化する景気回復を促進し、大多数の国民にとっては、むしろ貧困と格差の拡大をもたらす可能性があります。
またカンフル剤の効果はすぐに切れて悪質な「スタグフレーション=不況が深まる下でのインフレーション」 になるでしょう。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上は本書第一章の要約です。(一部省略したところもあります。)
「アベノミクス」が一時的な景気上昇を演出しながら、一方でリストラ合理化と賃金抑制を放置しています。それにもかかわらずメディアは景気回復をはやし立てています。その大宣伝のもとで安倍内閣の支持率は空前の高さを示しています。私は、アベノミクスの本当の姿を明らかにしなければならない時期だと考えています。


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「アベノミクスの陥穽」を読んで(1)  デフレ・不況の真の原因を探る

2013-04-12 13:09:46 | 日記

友寄英隆著「安倍新政権の論点II アベノミクスの陥穽」(かもがわ出版)を読みました。安倍内閣の経済政策が大分理解できたような気がしましたので、紹介します。

  • 今日はこの本の順序を少し変えて、第二章をから紹介します。「第二章 デフレ・不況の真の原因を探る」です


著者は、今の不況の原因を十数年続いた構造改革路線にあると考えています。
バブル崩壊の後、小泉政権の強引な構造改革によって、いわゆる「戦後最長の景気上昇」が起こりました。輸出産業を中心とした大企業の繁栄です。大企業は最近十年余りで200兆円を超える莫大な蓄積を行いました。しかしこの「景気上昇」は国民の犠牲の上に成り立ったものでした。1997年から2012年の15年間に民間労働者の平均賃金(年額)は467万円から409万円に下がりました。約60万円の減少です。先進国の中にはこのような国はありません。
格差を広げた結果、生産者が作った物やサービスを買う「需要」が減少し、需要と供給の間のギャップが生じました。これが不況の正体だというのです。

著者は、さらに突っ込んで、なぜ不況が長引くのかという問題を分析しています。
不況の原因になる「需給ギャップ 」がなぜこのように長引いているのか。それは「二重の悪循環」があるからだと言います。

第一に悪循環は「リストラ・低賃金と円高の悪循環」です。リストラ「合理化」・低賃金→円高→リストラ「合理化」・低賃金→円高→・・・・ という悪循環です。
もうすこしくだいて言うと、「輸出競争力」をつけるために、価格を下げる。そのために手っ取り早い方法として、労働者の賃金を下げたり、リストラを行う。そうすると 一時的には輸出が増えます。しかし今の国際的なシステムの中ではこのようにして輸出を増やしても、円高によって帳消しになってしまします。こうなると輸出価額を上げたのと同じことになるので、また振り出しに戻り、さらなるリストラと賃金引き下げが必要になります。こうして「需給ギャップ」はつづきます。

もう一つの悪循環は「インフレ率低下と円高の悪循環」です。低賃金・雇用不安による内需不振・長期不況・デフレと円高の悪循環です。内需、すなわち国内の需要が低迷すると、他の国に比べて物価上昇が低いために、外国と比較すると円の価値が上がります。すなわち「円高」になります。この「円高」が再びデフレを招くという悪循環です。

著者は、この「二重の悪循環」は絡み合い、悪循環を主導しているのはリストラ「合理化」であると言っています。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

要約のしかたがよくないために理解できないこともあるかもしれません。乱暴かもしれませんが、一言でまとめてしまえば、

「大企業に大きな利益をもたらし、多くの国民には低賃金と雇用不安をもたらした『構造改革』によって、国内の需要が低迷し、不況が長く続いている」

というのが著者の主張であると言ってよいのではないでしょうか。
この結論は経済学に素人の私にもよくっ分かる結論だと思います。 

次回は「第1章 「アベノミクス」では、デフレ・不況から抜け出せない」を紹介するつもりです。


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