日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

年頭の思いーー大変な戦争体験、戦後体験を経てできた憲法を変えさせない

2015-01-04 16:17:47 | 憲法

明けましておめでとうございます。今年もご愛読のほどよろしくお願いいたします

私は15年戦争のさなか昭和10年の生まれです。小学生のころまで明治憲法のもとで生きてきました。忠君愛国を最高の美徳とし天皇のために戦死することにあこがれた軍国少年でした。それが当たり前だったのです。

昭和20年日本の敗戦。旧満洲(中国東北部)にいた私は世の中の急激な変化を体験しました。ソ連兵の進駐に始まり、中国の国府軍、中共軍を見ました。中国の解放戦争の市街戦にも巻き込まれました。そのなかで自分の考えがどんどん変化していきました。

昭和21年の秋は平和な時期でした。日本人の親たちが中国政府の許可を得て日本人の子供の学校を作りました。その時期でした。学校で日本国憲法の授業がありました。中国政府、蒋介石の命令だったと聞いています。この年の11月3日に発布された憲法を先生が謄写版で印刷してくれました。憲法が何なのかも知らない小学5年生の子供の柔らかい頭に憲法がしみこんでいきました。

昭和22年に帰国し、父母の故郷長崎の惨状を見ました。祖母や兄が原爆で亡くなったことも知りました。そうして中学校に入ると「新しい憲法のはなし」という国定教科書(このブログ2013-04-19に紹介してあります)がありました。今読み直してみてもよい教科書です。国民主権、戦争放棄、基本的人権など憲法の基本的な原則がやさしく述べられていました。この授業で、私が軍国少年から新しい価値観を身に付けた少年への転換が完了したと感じています。

太平洋戦争中から、戦後のさまざまな体験が積み重なって、憲法を受け入れる基礎が出来ていたのだと思います。

おそらく日本人の多くが私と同じように自分の体験から憲法を受け入れていったのだと思います。そのことが現在でもでも国民の間に強く残っている「憲法擁護」という考えの基礎になっているのだと思います。けっしてアメリカから与えられて、いやいや受け入れたというようなものではないと思います。自分の体験に基づく思想だからこそ70年たっても風化しないのだと思います。

この2年余りの間、安倍晋三首相は日本国憲法を骨抜きにするために暴走しています。しかし安倍首相がどんなに「ていねいに説明」してくれても、私はもう二度と自分の考えを変えないと思います。当時を体験した多くの日本人は、「もう二度と戦争をやりたくない」と考えていると信じています。

わたしは、二度と戦争を起こさないため、憲法をかえさせないため、ことしも私に出来ることをやっていきたいと思います。

コメント
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