私のところにはいろいろな方が受診される。「金持ちも貧乏な人も」と言いたいが、金持ちと言えるような人はあまり来ない。おそらく別のところに受診するのだろう。あまり肩が凝らない人の方がいいので、私の方もそれで満足している。
生活保護を受けている人(以下「受給者」と書く)も来られる。普段は受給者かどうか意識することはない。気がつくのは福祉事務所から要求されて、「医療が必要」だという書類を書くときくらいだ。
最近受給者から聞く話。
「最近、生活保護受けてるひとは、悪人のようにテレビで言うでしょう。つらくって、肩身が狭くって・・・・」
「福祉事務所に行くのつらくて・・・いろいろ言われるから・・・」
「本当は生活保護なんて止めたいんだけど・・・生活できないから・・・・・・」
「身体が悪いのに・・・働けと言われるし・・・・」、
(「まだ仕事に出るのは早い」という医者の言葉に)「福祉から言われるから」と無理に働きに出ようとする人もいる。
この様なことがある度にうつ病が悪くなる人も珍しくない。
受給者ではないが生活に困っていることが見て取れる人もいる。
(「治療のためにも生活保護を受けた方がいいのでは 」とすすめると)「一度福祉事務所に行って、いろいろと言われて、嫌な思いをしたから・・・」
「だって税金でしょう。いやです」
「親兄弟に問い合わせが行くんでしょう。居所を知られるのもいやだから」
「夫に 暴力をふるわれてやっと逃げてきたのに、居所を知られるのが嫌だから」
などと言って生活保護を受けようとはしない。
こんな折、政府は生活保護基準の切り下げをすすめようとしています。
生活保護費が多すぎるから減らすのだという。
たしかに受給者の数は年々増えて、昨年10月には214万人を超えたという。
大変なことです。大変なのはお金がかかるからではありません。こんなに多くの人が貧困にあえいでいることが大変なのです。そうして貧困をこれだけ広げたのはなぜだろうか。小泉純一郎氏に始まる構造改革、それによる格差の拡大にあることは 誰でも認めることではないでしょうか。そうだとすれば生活保護費を減らすための方策は違ったものになるでしょう。貧困を減らすこと、そのために失業者を減らすこと、最近また増えているリストラをやめさせること、いまや勤労者の中心になってきたかに見える非正規労働者を正規雇用にすること、最低賃金を上げること――――など政府のやるべきことは沢山あります。いま生活保護費が増えて財政負担が増えたからといって予算を減らそうとしている人たちは、この根本のところで間違っているのではないでしょうか。
保護費の減らす理由にも問題があります。政府は物価が下がっているから保護基準を下げるべきだというのです。しかし物価指数の変化をよく見ると、下がっているのは家具・家事用品、教養娯楽費であり、光熱水量が上がっています。テレビやパソコンのようなものの値段が下がっているわけですが、収入が低い人でも毎日必要なガス代、電気代があがってます。生活費は下がっていないのです。それなのに、生活保護費を減らされてはたまらないでしょう。
保護費の悪徳受給者がいるというのも理由になっています。この話はマスコミにも盛んに流されていて、一般の人を憤慨させています。たしかに人間の社会ですから悪い人もたくさんいます。しかし大多数の、悪いことをしていない人達は、悪い人と一緒にされてはたまらないと思います。大体どんな制度でも悪い人がいるからといって全部をその対策に向けていたら制度として成り立たないでしょう。悪い人のことはきちんと摘発すればいいことです。ただでさえ肩身の狭い思いをしている人たちをこれ以上委縮させる必要はないでしょう。
やり方も汚くなってきています
現在の法律によれば、生活に困っている人は 誰でも生活保護を受けられるはずです。しかし現実にはいろいろと細かいことをかれて、すっかり滅入って帰ってきたという話をよく聞きます。申請のための書類ももらえないで帰される例もあるようです。さらに法律にはないことですけど、親族に問い合わせたり、援助を依頼することも多いようです。このために事情があってこれまで付き合ってこなかった親族に居場所を知られていやな思いをしたり、嫌がらせを受ける例があるようです。
こういったことはいまでもある話ですが、今度の政府の案では扶養義務者に対する調査を必ずやるようになるそうです。はずかしい思いをさせて受給をあきらめさせようしていると言ってもいいでしょう。
生活保護受給者と、非受給者のうち収入が一番低い人たち(10%)の収入を比較したら、受給者のほうが収入が多かったと言う調査結果をもとに、保護基準を下げるべきだと言っています。しかし、ここに現れた非受給者は、生活保護制度について知らなかったり、知っていてもいろいろな事情で利用を断られたりした人達も含まれています。この人たちが「健康で文化的な最低限度の生活」をできているとは限らないのです。このような人たちを十把ひとからげにして平均をとることに意味があるとは思えません。こんな乱暴な計算で生活保護が高すぎるなどという結論を出されては困ります。
やはり憲法に則って、「健康で文化的な生活」をする ためにはどれだけのお金が必要かを計算して、生活保護の金額を決めるべきではないでしょうか。
最後にこのブログを読んでいる多くの方は受給者ではないと思いますが、自分のことではないと考えないでください。生活保護基準は日本社会のいろいろなことと関係があります。第一に最低賃金です。生活保護基準が下がれば最低賃金が切り下げられるでしょう。さらに一般のサラリーマンの給料にも跳ね返ってきます。介護保険料、国民健康保険料など国民生活の広い分野に影響があります。「自分には関係ない」と考えないで、関心を持つことが大事です。
「最後に」をもう一つ付け加えたくなりました。何十年も医者をやっていると福祉事務所との付き合いも少なくありません。以前ーーといっても40年くらい前、美濃部知事の時代には、親身になって受給者の相談に乗るようなケースワーカーが沢山いました。最近はずいぶん減ったように思います。わたしはこのような自分の経験をふりかえって、福祉事務所の評判が悪いのはケースワーカー個人の問題ではなくて、受給者の数を減らしたい、保護費の総額を減らしたいと考えている為政者の問題だと考えています。---蛇足ながら一言付け加えます。