東京都民の一人私にとって、築地市場が豊洲に移転するかどうかという問題は重大な関心事です。それでこの問題についていろいろな論点から考えてみました。
第一の問題。豊洲移転を決めたのは石原慎太郎知事の時代であり、土地の汚染問題はあまり重視しないで決められたことは確かなようです。これはおかしな話です。何しろあの土地は数十年にわたり東京ガスがガスを製造していた工場跡地です。当時のガスは石炭を蒸し焼きにしてガスを作るわけですが、副産物としてコールタールが出来ます。当時工場で働いていた人の話によると、コールタールは地面にたっぷりしみ込んでいたということです。私は医学部の学生のときに聞いたことがあります。昔、がんの研究をしていた学者が、実験的に動物の皮膚にコールタールを塗ってがんを発病させていたそうです。このように、コールタールには危険な物質がたくさん含まれています。東京ガスはこのような物質を大量に排出しながら何十年を操業していたのです。
東京ガス自身はそのことをよく知っていたので、東京都に売るのをためらったということです。のちに賠償責任を負うのが嫌だったのでしょう。
第二の問題、このように汚染された土地を、なぜ東京都が買ったのでしょうか。この問題の全貌がすっきり明らかになったわけではないと思います。しかし大きな傍証があります。
そこで気になるのは、石原知事が豊洲移転を決めた時、この事業が市場の問題から出発して決められたのではなく「開発事業」として位置づけられていたという経緯です。これは見落とされがちなことですけれども大事なことです。
もう少し言えば、東京駅丸の内周辺の再整備、秋葉原の区画整理という巨大開発事業と並ぶ、開発事業として位置付けられていました。築地市場の移転は、築地市場の跡地開発と豊洲埠頭(ふとう)の区画整理事業というふたつの開発事業を同時に生み出す、ゼネコンと大手デベロッパーにとって”金の卵”の事業だったのです。築地市場の豊洲移転事業は、都民の食の安全、安心から出発した事業ではなく、ゼネコンと大手デベロッパーを儲けさせるための事業だったのです。こう考えると、石原知事が汚染された土地を無頓着に買った理由がわかるような気がします。
第三の問題は、「それでは現在の豊洲は安全なのか、今後とも大丈夫なのか」という問題です。
3月19日東京都の専門家会議が開かれました。この会議は「地上は安全」と言ったようにとられています。しかし、この会議で発表された資料には、現状においては問題が生じないとしながらも、「将来想定されるリスク」について述べています。
「地下水から気化した水銀、ベンゼン、シアンを含むガスの地下ピット(地下空間)内への侵入が発生する」「1階床面のコンクリートにひび割れ等が生じて地下ピット内から1階部分への空気の侵入・拡散が発生することにより1階部分でリスクが生じる可能性がある」と書いてあります。
一言でいえば「今はいいけれども将来問題が起こる心配がありますよ」というのです。
この日の専門家会議の平田座長の一部発言などを引用して、「地上は安全」などの言説が一部に流布されました。しかし、その日に発表された資料では、地上部分にも有毒物質が侵入・拡散するリスクについて明記されているのです。
もう一つ。法的な面からも問題があります。 農水省がつくった資料があります。土壌汚染対策法という、汚染土壌から国民の健康を守る法律がありますが、この法律の概要について農水省が作成した資料です。この資料によると、土壌汚染対策法では、一般の土地利用の場合には、汚染土壌を除去しなくても盛り土などを行って汚染が遮断されれば、土地利用ができるが、「生鮮食料品を取り扱う卸売市場用地の場合には(そういうことは)想定し得ない」と明記しています。ここで「想定しえない」というのは役所の言葉で分かりにくいのですが、「とんでもない」という意味です。
この点については農水大臣も、4月10日参議院決算委員会での答弁で確認しています。吉良よし子議員の質問に対して、山本農水大臣は「東京都が汚染の除去の措置を行わず、盛り土等のみを行った状態で(生鮮食料品を取り扱う)卸売市場の用地とすることについて想定し得ない」という「認識を持っている」と答弁しました。大臣の答弁ですから、重い意味があります。
これを、ひらたく言うとどういうことかといいますと、“汚染土壌の上に生鮮食料品の市場をつくることはとんでもない”ということです。これが土壌汚染に対する政府・農水省の基本的立場なのです。
汚染土壌が残っていれば、たとえ盛り土などで遮断したとしても、たとえば地震によって地盤が液状化した場合、あるいは老朽化がすすんだ場合などに、汚染が遮断を破って表に出てくる危険性があるからです。現に、東日本大震災のときには、豊洲市場用地が液状化し、土砂が噴き上がるという事態が起こりました。そういう時に、一般の土地利用ならいざ知らず、生鮮食料品の市場が造られていたら、甚大な被害が生まれ、国民の健康被害にもつながりかねない。だからそんなことは「とんでもない」と強調しているのです。
第四の問題。最近豊洲とくらべて、「築地も危険だ」「築地も同じだ」という主張が出ています。昭和二十年代に米軍のクリーニング工場があったので汚染されているというものです。私は、この主張に何かおかしなものを感じます。何よりも数年間クリーニング工場が操業していたことと、数十年ガス工場が操業していたことと同じだというのに作為を感じるからです。汚染物質の量から言えば比べることが出来ないほどの差があるからです。少しでも考えることが出来る人ならおそらく3桁も4桁も、あるいはもっと差があると考えるはずです。それを「築地も豊洲も同じだ」と言い、さらに「だから豊洲のほうがいい」と主張するのは無理があると言えるでしょう。これでは「豊洲がいい」という結論が先にあったとしか考えられません。
以上、四つの角度から豊洲移転問題を考えてみましたが、いま豊洲移転を主張することには根拠がないと考えられます。