日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

築地市場の豊洲移転には根拠がない。豊洲と築地は同じように汚染されているというのは根拠がない

2017-04-24 17:04:07 | 政治

東京都民の一人私にとって、築地市場が豊洲に移転するかどうかという問題は重大な関心事です。それでこの問題についていろいろな論点から考えてみました。

 

第一の問題。豊洲移転を決めたのは石原慎太郎知事の時代であり、土地の汚染問題はあまり重視しないで決められたことは確かなようです。これはおかしな話です。何しろあの土地は数十年にわたり東京ガスがガスを製造していた工場跡地です。当時のガスは石炭を蒸し焼きにしてガスを作るわけですが、副産物としてコールタールが出来ます。当時工場で働いていた人の話によると、コールタールは地面にたっぷりしみ込んでいたということです。私は医学部の学生のときに聞いたことがあります。昔、がんの研究をしていた学者が、実験的に動物の皮膚にコールタールを塗ってがんを発病させていたそうです。このように、コールタールには危険な物質がたくさん含まれています。東京ガスはこのような物質を大量に排出しながら何十年を操業していたのです。

東京ガス自身はそのことをよく知っていたので、東京都に売るのをためらったということです。のちに賠償責任を負うのが嫌だったのでしょう。

 

第二の問題、このように汚染された土地を、なぜ東京都が買ったのでしょうか。この問題の全貌がすっきり明らかになったわけではないと思います。しかし大きな傍証があります。

そこで気になるのは、石原知事が豊洲移転を決めた時、この事業が市場の問題から出発して決められたのではなく「開発事業」として位置づけられていたという経緯です。これは見落とされがちなことですけれども大事なことです。

もう少し言えば、東京駅丸の内周辺の再整備、秋葉原の区画整理という巨大開発事業と並ぶ、開発事業として位置付けられていました。築地市場の移転は、築地市場の跡地開発と豊洲埠頭(ふとう)の区画整理事業というふたつの開発事業を同時に生み出す、ゼネコンと大手デベロッパーにとって”金の卵”の事業だったのです。築地市場の豊洲移転事業は、都民の食の安全、安心から出発した事業ではなく、ゼネコンと大手デベロッパーを儲けさせるための事業だったのです。こう考えると、石原知事が汚染された土地を無頓着に買った理由がわかるような気がします。

 

第三の問題は、「それでは現在の豊洲は安全なのか、今後とも大丈夫なのか」という問題です。

3月19日東京都の専門家会議が開かれました。この会議は「地上は安全」と言ったようにとられています。しかし、この会議で発表された資料には、現状においては問題が生じないとしながらも、「将来想定されるリスク」について述べています。

「地下水から気化した水銀、ベンゼン、シアンを含むガスの地下ピット(地下空間)内への侵入が発生する」「1階床面のコンクリートにひび割れ等が生じて地下ピット内から1階部分への空気の侵入・拡散が発生することにより1階部分でリスクが生じる可能性がある」と書いてあります。

一言でいえば「今はいいけれども将来問題が起こる心配がありますよ」というのです。

この日の専門家会議の平田座長の一部発言などを引用して、「地上は安全」などの言説が一部に流布されました。しかし、その日に発表された資料では、地上部分にも有毒物質が侵入・拡散するリスクについて明記されているのです。

もう一つ。法的な面からも問題があります。 農水省がつくった資料があります。土壌汚染対策法という、汚染土壌から国民の健康を守る法律がありますが、この法律の概要について農水省が作成した資料です。この資料によると、土壌汚染対策法では、一般の土地利用の場合には、汚染土壌を除去しなくても盛り土などを行って汚染が遮断されれば、土地利用ができるが、「生鮮食料品を取り扱う卸売市場用地の場合には(そういうことは)想定し得ない」と明記しています。ここで「想定しえない」というのは役所の言葉で分かりにくいのですが、「とんでもない」という意味です。

 この点については農水大臣も、4月10日参議院決算委員会での答弁で確認しています。吉良よし子議員の質問に対して、山本農水大臣は「東京都が汚染の除去の措置を行わず、盛り土等のみを行った状態で(生鮮食料品を取り扱う)卸売市場の用地とすることについて想定し得ない」という「認識を持っている」と答弁しました。大臣の答弁ですから、重い意味があります。

 これを、ひらたく言うとどういうことかといいますと、“汚染土壌の上に生鮮食料品の市場をつくることはとんでもない”ということです。これが土壌汚染に対する政府・農水省の基本的立場なのです。

汚染土壌が残っていれば、たとえ盛り土などで遮断したとしても、たとえば地震によって地盤が液状化した場合、あるいは老朽化がすすんだ場合などに、汚染が遮断を破って表に出てくる危険性があるからです。現に、東日本大震災のときには、豊洲市場用地が液状化し、土砂が噴き上がるという事態が起こりました。そういう時に、一般の土地利用ならいざ知らず、生鮮食料品の市場が造られていたら、甚大な被害が生まれ、国民の健康被害にもつながりかねない。だからそんなことは「とんでもない」と強調しているのです。

 

第四の問題。最近豊洲とくらべて、「築地も危険だ」「築地も同じだ」という主張が出ています。昭和二十年代に米軍のクリーニング工場があったので汚染されているというものです。私は、この主張に何かおかしなものを感じます。何よりも数年間クリーニング工場が操業していたことと、数十年ガス工場が操業していたことと同じだというのに作為を感じるからです。汚染物質の量から言えば比べることが出来ないほどの差があるからです。少しでも考えることが出来る人ならおそらく3桁も4桁も、あるいはもっと差があると考えるはずです。それを「築地も豊洲も同じだ」と言い、さらに「だから豊洲のほうがいい」と主張するのは無理があると言えるでしょう。これでは「豊洲がいい」という結論が先にあったとしか考えられません。

 

以上、四つの角度から豊洲移転問題を考えてみましたが、いま豊洲移転を主張することには根拠がないと考えられます。

 

 

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北朝鮮問題の解決のために私たちがやるべきことーー私の提案

2017-04-16 17:12:28 | 政治

せっかくの花の季節だというのに日本の上に不安な風が吹いています。そうです。北朝鮮とアメリカの間の物騒なやり取りのことです。北朝鮮はミサイルの実験をしたり、核実験を計画したりしています。さらに在日米軍基地に打ち込むとも言っています。アメリカのトランプ大統領は航空母艦を北朝鮮に向けて出発させました。我々日本国民にとってはいつ戦争が起こるのかとハラハラさせられる局面です。

本当は私たち国民が一番頼らなければならない日本政府もこの危険なゲームに、アメリカの尻馬に乗って参加しようとしています。先般できた「安保法制」によって、アメリカとの集団的自衛権を行使しようとしています。北朝鮮を攻撃するアメリカ軍に「後方支援」をしようと待ち構えています。これでは北朝鮮の在日米軍基地攻撃に口実を与えるだけではないでしょうか。

いま私たちはこの危機を回避するために何をしたらいいのでしょうか。テレビで見ていると多くの方々が迷っているようです。不安を感じながらも迷っている、それが現在の多くの日本人の姿ではないでしょうか。私もそうです。しかし僭越ながら提案をします。

1.一つはアメリカ政府に対して、今ここで北朝鮮に対して軍事行動をしないように要求することではないでしょうか。航空母艦を派遣してミサイル攻撃や爆撃をすることをやめさせるための声をあげることです。

2.もう一つは日本政府に対して、アメリカの軍事行動に対する支持を取りやめさせることです。たとえアメリカ政府に対する私たちの直接の抗議が十分届かなくても、日本政府が軍事行動に協力しなければ、アメリカ軍の行動は制約されるはずです。これによって戦争の危機は回避されるのではないでしょうか。

今すぐにでも、アメリカ政府に軍事行動をやめるよう要求し、日本政府に「安保法制」の廃止を要求しましょう。

3.いったん軍事的な危機が収まった時には、北朝鮮に対する平和的な交渉をする必要があります。いわゆる「6か国協議」を再開し、北朝鮮の核開発を中止させなければなりません。そのために必要があれば経済制裁を強めることが必要でしょう。

 

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「教育勅語」は明治天皇の国民への命令であり、国会決議で「無効」「廃止」が決められている。子供の教育に使うなどとんでもない

2017-04-05 11:48:48 | 政治

新聞紙上に「教育勅語」の文字が躍っています。政府が「教育勅語」を教材として使ってよいと決めたのだそうです。

私は「教育勅語」という言葉を聞くと勅語の文章が頭に浮かんできます

朕(ちん)惟(おも)フ(う)ニ 我(わ)カ(が)皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 國(くに)ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ 德(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ・・・・

かわいい小学生だった私も、70年余りの年月を重ねると、ところどころ怪しくなりますが大体のところは暗唱できます。私には、余計な知識を持って、暗唱できることが、腹立たしく感じられます。

小学校で暗記させられ、「教育勅語」の精神を叩き込まれ、信じたことがあったことが情けなく感じられます。どうして民主国家の一市民としての教育を受けられなかったのか腹立たしく感じます。

 教育勅語について官房長官は「親を大切にとか、兄弟姉妹仲良くとか、教育上支障のないことを取り扱うことまでは否定しない。適切な配慮の下、教材使用自体に問題はない」といいます。しかし「教育勅語」というまとまった文章から、「親を大切に」とか「兄弟姉妹仲良く」とかという言葉だけを取り出して、教育に使えるか使えないか判断できるものでしょうか。勅語全体として判断するべきではないでしょうか。

少しややこしいけれども、「教育勅語」の官房長官が指摘した部分は、原文の文章はこのようになっています。

爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)己(こ)レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。

難しい文章ですが、現代の言葉にすると、「父母に孝に」以下の徳目はすべて「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。」という文章にかかっているのです。早い話、文章全体の意味は「天地とともに続く天皇制」を支えるために、「親孝行をせよ」「兄弟仲良くせよ」等々という天皇の命令なのです。

大事なことがあります。「勅語」とは何かということです。広辞苑によれば「勅語は明治憲法下で、天皇が大権に基づき、国務大臣の副署を要さず、親しく臣民に対して発表した意思表示」です。天皇が絶対だった明治憲法の下でだされた天皇の命令なのです。法律よりも強い絶対命令なのです。これは国民主権の下、民主的な日本国憲法と両立するはずがありません。

「教育勅語」はこのような性格のものですから、昭和23年に衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」が、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が決議されました。

衆議院の決議では次のように言っています(抜粋)

これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる」「よつて憲法第九十八條の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。」

一方参議院の決議ではこのように言っています(抜粋)。

われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、(中略)、既に廃止せられその効力を失つている。
しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。

ここに引用した二つの決議は、「教育勅語」が日本国憲法と相いれないものであることを明瞭に指摘しています。

また、参議院決議の文章の後半は、「教育勅語」を復活させようとする現在の政府自身の動きをさしているように見えます。

今になって「教育勅語」を復活させようとすることを許すわけにはいきません。

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