心配である。参院選で大勝し、かつてない巨大権力を手に入れた自民党が、だ。これまでも強引な政治手法は批判されてきたが、さらに党のホームページ(HP)上で「政治的中立を逸脱した学校の先生がいたら名前などを教えて」という趣旨の「調査」に乗り出し、「まるで戦前」と波紋を広げているのだ。歴史をひもときながら取材すると、「中立」とは言い難い、彼らの本音も浮かび上がる……。【吉井理記】
長野県「教員赤化事件」そっくり? 自民こそ「政治的中立」を逸脱
おさらいしよう。「調査」は、党文部科学部会(部会長・木原稔衆院議員)が実施した。18歳選挙権のスタートに伴い、教育現場で「政治的に中立ではない」と思う教員の指導や授業があれば、HP上の特設サイトから学校・教員名、授業内容などを党に送信する仕組みだ。
インターネット上で「密告サイト」と呼ばれた「調査」は6月25日に始まり、7月18日に「事例が集まった」として終了。サイトを閉鎖した。党部会で内容を精査し、場合によっては文部科学省に対応を促すという。「調査」サイトは一時、政治的中立の逸脱例として、教師が「子供たちを戦場に送るな」などと主張することを挙げていたが、後にこの文言は削除された。
経緯は後で木原さんに聞くとして、これでは「教育は不当な支配に服することなく……」と教育基本法16条がうたう教育現場に政党が介入するようで、ブキミではある。教員が「生徒に密告させたいのか」「現場が萎縮する」(10日付本紙朝刊)と困惑するのも確かにうなずけるのだ。
そういえば、東京都知事選では、自民党都連が党所属の国会・地方議員に「議員の親族が党推薦候補ではない人物を応援すれば議員本人を処分する」との“お触れ”を出したばかり。その自民党が行う「調査」を額面通りに受け取っていいものだろうか。
「治安維持法下の戦前も、まさに『調査』名目の教員の監視や弾圧があったのですが……」と眉をひそめるのは戦前の教育行政に詳しい小樽商科大教授の荻野富士夫さんだ。1925年施行の治安維持法は「国体変革」などを目的にした運動・団体の摘発が狙いだったが、28年の改正でこれに関わる一切の行為も取り締まりが可能になり、政府批判すら弾圧対象になった。
「特に31年の満州事変後に弾圧が激化し、ついに起きたのが『長野県2・4教員赤化事件』です」と荻野さん。33年2月4日から半年あまりで138人の小学校教員が「赤化(共産主義化)した」との理由で検挙された事件だ。「この時、文部省や長野県学務当局は『調査』名目で児童らが書いた作文やノート、答案を調べあげて弾圧を進め、教員の『矯正教育』も実施したのです」
ところが実態は「赤化」とはほど遠かった。「長野は生糸の生産が盛んでしたが、昭和恐慌で不況にあえいでいた。生糸農家の子も多く、教師が不況の構造を教えたり、家の生活状況を考えさせたり。その程度だったのです」
だが、同様の「調査」や教員弾圧は全国に広がり、やがて政府・軍部の意に沿わない憲法解釈を唱えた美濃部達吉ら憲法学者に波及する。「戦争遂行のため、政府に異を唱える国民を育てたくないとの思惑が背景にあったのでしょう。政府が教育を監視・統制したがるのは、今も昔も同じです」と荻野さん。
教育界などから政府批判の声が消えたこの国が、その後どうなったかは言うまでもないだろう。今回の「調査」をしたのは政府ではないが、自民党は与党なのだ。
「だから教員が『萎縮しない』と考えるほうがおかしい。今ですら教育現場では、憲法を教え、平和という言葉を使うことを『政治的』と誤解し、避ける風潮が生じているんです」と憤るのは、日本弁護士連合会憲法問題対策本部の副本部長で教育関連法にも詳しい伊藤真弁護士だ。
「誤解の最たるものが特定政党の政策、例えば安保関連法や憲法改正を批判的に検討することを『偏向教育』と捉えること。批評は認められています」と伊藤さん。教育基本法は「学校は、特定政党を支持・反対するための政治教育や政治的活動をしてはならない」と定めているが、同法制定時(47年)の国会で、政府は「(一党一派の支持・排斥が目的でなければ)ある党派の政策を批判することは差し支えない。自由な批判検討は許されるべきだ」との見解を示し、2006年の同法改正後も文科省はこれを踏襲している。
伊藤さんは「一つの考えや、特定政党の支持・反対の押し付けはいけませんが……」と前置きして続けた。
「民主社会の主権者に最も必要なのは、自分たちが選んだ代表者(権力)に迎合せず、監視し続けて批判できる能力であり、これを身につけさせるのが教育現場の務めです。教育基本法の前文には『日本国憲法の精神にのっとり、教育の基本を確立する』とある。先生は萎縮せず、生徒が批判的に政策を見る目を養い、憲法の精神を考えさせる授業をどんどんやっていい」
さて、木原さんに「調査」の真意を聞こう。「18歳以上に選挙権年齢を引き下げたのは政治です。だから今回の参院選で学校に混乱がないか、把握する責任が政治にある。他の意図はないし『密告』なんてとんでもない。萎縮というが、萎縮する何かを教育現場はしているのでしょうか」
「調査」サイトの「文言削除」も「『子供たちを戦場に送るな』なんて当たり前です。でも『子供たちを−−』を安保関連法に結びつけ、『これは戦争法だ』と教えることは偏向だと言いたかった。でも文案を作成した党職員が、この部分を省略して載せてしまった」かららしい。
しかし、である。木原さんは党文科部会長になる前の14年10月、動画サイトで18歳も参加する憲法改正の国民投票に触れ、こんな本音をのぞかせた発言をしていたのだ。
「学校教育の中でいかに現行憲法のあり方を理解してもらうか。これは決して護憲という形ではなく、今の憲法がどういう歴史的経緯で成立したか、どうして改正しなければならないか、自主憲法を日本人の手で作り上げねばならないか。これは学校で教えてもらうしかない。これは文部科学省にも指導して、やっていかなければなりません」
これは政治的中立を逸脱してはいないか。「まあ、そうとも取れますが、これは青年局長の時の発言です。立場が変われば言うことも変わります」との答えであった。
その木原さんの事務所には「教育勅語」全文を記した額が掲げられていた。教育勅語は「軍人勅諭」とともに48年、衆参両院で排除・失効が決議されている。やはり「まるで戦前」のように感じてしまう。
伊藤さんがこう指摘した。「批判をされない、あるいは許さない政府や権力は必ず腐敗する。『国益』『愛国心』『誇り』と言い募る人ほど、教育現場を含め、自分たちの政策への批判を受け入れ、多様な見解を尊重する態度が求められている。そうでないと国は滅ぶ。70年余り前に私たちはそれを学んだではありませんか」
閉鎖された「調査」サイトにはこんな一文があった。「特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております」。そう主張する今の自民党の姿勢にこそ、多くの人が危惧を覚えているのだ。