日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

東京大空襲と私の思い

2014-02-28 22:30:14 | 日記

こんやはNHKの番組「特報首都圏」を見ました。東京大空襲を扱った番組でした。そう、東京大空襲のあった3月10日が近付いたのです。解説は早乙女勝元さんでした。昭和20年3月10日東京の下町はアメリカのB29 がまき散らす焼夷弾によって焼き払われました。10万人がなくなったと言います。当時12歳だった早乙女さんも逃げまどったといいます。

死者の中には子供が多かったということです。これは初めて聞くことでした。小学校3年から6年生は集団疎開した時代です。何故犠牲者の中に子供が多かったのか。番組は語り進めます。お金がなくて疎開に行けなかった子もいたというのです。また陸軍記念日(3月10日)と日曜日が続き二連休で東京に帰っていた子供が多かったというのです。

また、死者が多かった避難先に明治座があったという話もはじめて聞いた話でした。まだまだ掘り出されていない事実が沢山あるように思えました。

早乙女さんは「キリがいいから一口に10万人の人がなくなったというけど、一人一人に人生があったのです」といって死者を数としてみないでくれと言います。重い言葉です。

テレビを見ながら、涙が出るのを止められませんでした。私は東京育ちではないので直接的には東京大空襲に思い入れはありません。しかし。同じ戦争を経験しているのです。十歳のとき敗戦がありました。私は遠い満洲(中国東北部)にいましたが、敗戦によって難民の中の一人になりました。そうして日本への引揚げでした。引揚げ先の長崎の町は原爆で焼けていました。爆心地近くに住んでいた祖母と兄は即死したそうです。

あの戦争は、日本のどこにいた人にもつらい悲しい記憶です。何かにつけて苦く思い出されます。二度と経験したくない思い出として。

いま突然思い出しました。東京大空襲を指揮したアメリカの将軍カーチス・ルメイは、戦後日本政府から勲章を授与さえました。なぜそこまで卑屈になるのでしょう。

今日の私は感傷的に過ぎるかもしれません。しかし戦争の話題になると涙がでる年寄りがいることを知っていてください。理解したり、共感したりすることはできないかもしれませんが。

 

 

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アベノミクスの一年、アベノミクスは成功したか

2014-02-25 14:12:39 | 日記

安倍首相が就任して1年余り、鳴り物入りで掲げられた経済政策、アベノミクスもその結果がだれの目にも明らかになりつつあります。

まず国民生活はどのように変わってきたのでしょうか。いろいろな世論調査で出てくるのは「景気が良くなったとは実感できない」という答です。国民生活は変わっていないのでしょうか。直観的な印象を確かめるために統計を見てみましょう。国民の家計でどれくらい買い物をしたのか、アベノミクス前の2012年と比べて2013年の家計支出は、物価の変動を除くとわずか0.5%増えただけです。消費税増税前に駆け込み消費が増えると予想されていたのに予想が外れました。

消費がふえないのは労働者の所得が増えないためのようです。家計の判断で使用できる可処分所得をみると、5か月連続で実質減少しています。
この数字には表れませんがアベノミクスのおかげで円安が進行し、輸入品に始まった物価の上昇も家計を苦しめています。

それでは、日本経済全体としての経済はどうなんでしょう。お国のためにしばらく我慢するとよいのでしょうか。

政府と日銀は輸出を増やすために、金融緩和で円安を加速しました。結果はどうでしょう。確かにこの1年で円安は進行しましたが、輸出は伸びませんでした。2013年には輸出額も2012年に比べ9.5%増えました。しかし金額ではなく、輸出したものの量で見る数値に輸出数量指数がありますが、この輸出数量指数をみると2013年は12年に比べ1.5%へっています。輸出は減っているのに、円安のために、ドルで受け取った代金を円に換算すると、円安の分だけ金額が膨らんでいるのです。

しかし、大企業はもうかっているのではないかという疑問がわきます。たとえばトヨタ。輸出産業なのに輸出が減っても空前の利益をあげています。トヨタは日本からの輸出を前年に比べ4万台を減らしましたが、海外生産を29万台以上増やしました。

大企業がいくら儲かっても、国に生産が増えないために仕事が増えず、雇用も増えず、賃金も増えません。アベノミクスでは企業の海外進出を促進しています。これでは国民の生活を良くする役には立ちません。

この1年間で大企業は大もうけを挙げています。東証一部上場企業の4-12月の純利益の合計額はリーマン・ショック前、2007年4-12月を上回っています。円安、株高を背景に輸出関連企業を中心に業績が回復したからです。

こうしてみてくると、アベノミクスは大企業には大もうけをもたらしましたが、働く私たちには何の利益も持ってきませんでした。今日の標題「アベノミクスは成功したか」に対する答えは、二通りでしょう。大企業からみれば「成功した」、大多数の国民からみれば「不成功」でしょう。

 

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医療・介護のサービス削減を目指す「総合確保推進」法案が国会に提出された

2014-02-23 11:47:59 | 日記

政府が医療・介護「総合確保推進」法案を国会に提出しました。

内容を検討してみましょう。まず「医療」関係です。

一番の問題は病院の入院ベッドの削減です。平成25年度には202万床が必要といわれていますが、これを43万床切りつめて159万床にしようとしています。また今年の診療報酬改定では、重症の患者のが入院する、いわゆる「7対1病棟」(患者7人当たり看護師1人配置の病棟)を「高度急性期病棟」に再編成し、現在ある36万床から約半分の18万床に絞り込もうとしています。
その結果、重度の患者が、看護配置の少ない病床や在宅に移らざるをえなくなると考えられます。

介護」ではどうでしょう。ここでもサービスの削減が進められます。

要支援認定を受けた人に対する訪問介護とデイサービスを介護保険の給付から外そうとしています。そうして要支援の人に対してはボランティアなど市町村の事業に移そうとしています。

介護保険の利用料を1割から2割に引き上げます。(単身者の場合年金収入280万円以上の人)

特別養護老人ホームの入所条件も厳しくなります。これまで要介護1以上が条件でしたが、今後要介護3以上でないと入所できなくなります。

介護施設の低所得者向け給付一定以上の資産があると対象外になります(単身者の場合預貯金1千万円以上)。

厚労省は、この改革で2025年度の介護施設入所者数を161万人から131万人に減らすと言っています。

政府は「消費税を増税して、社会保障に使う」といってきましたが、現実には社会保障は削減されることになります。


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図書館における「アンネの日記」毀損事件

2014-02-22 23:15:48 | 日記

都内の図書館で「アンネの日記」が破られた事が、昨日の新聞、テレビで一斉に報道されました。

都内西部の公立図書館で「アンネの日記」が破られているというのです。報道によると都内で200分以上に上るということです。図書館では被害届を出したということです。

「アンネの日記」は第二次大戦中、ユダヤ人だったアンネ・フランクとその一家が、ドイツの秘密警察の迫害をのがれて、オランダのアムステルダムの隠れ家で過ごした期間の日記です。アンネ一家は逮捕後、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で、発疹チフスにより死亡したとされています。

日記は戦後生還した父オットー・フランクによって出版され各国語に翻訳されまっした。日本語の翻訳も出版されています。

この日記は2009年ユネスコの「記憶遺産」に登録されました。

今回の報道では触れられていませんが、「アンネの日記」に関して、その価値を落とそうと努力するネオナチなどの動きがありました。しかしオランダで裁判が行われた結果、アンネ一家がナチによって被害を受けたこと、日記の内容が事実であること、アンネ・フランクが実在の人物であること、そうして日記がアンネの書いたものであることーーーなどが明らかになりました。

今回の東京の公共図書館での出来事は、ナチスのユダヤ人大虐殺、ホロコーストの記憶を日本人の記憶から消し去ろうとする許しがたい行為だと考えます。

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予科練のこと

2014-02-15 21:27:00 | 日記

予科練(海軍飛行予科練習生)といえば私たち太平洋戦争中の小学生にとってあこがれの的でした。七つボタンの制服を着た凛々しい姿にあこがれました。東宝映画「決戦の大空へ」はいやがうえにも小学生の憧れを膨らませました。この映画の主題歌「若鷲の歌」は私たちの愛唱歌の一つでした。「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨、今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃでっかい希望の雲がわく・・・・・・」という歌詞は今も諳んじることが出来る。

小学生ばかりではない、中学生もあこがれました。私のすぐ近所の中学生は、社長の息子さんでしたが、毎日野球の練習をばかりしている少年でしたが、中学在学中に予科練に入隊しました。隣組では壮行会をして見送りました。先年その中学生の弟さん、私の同級生で仲良しでしたが、”秀ちゃん”に会いました。60数年ぶりの再会でした。その秀ちゃんの話によると、お兄さんは敗戦後無事に復員したそうです。それを聞いて、60年あまりも気になっていたことがわかってほっとする気持ちでした。

予科練については、これまで断片的には読んでいたが、最近高野邦夫氏の書かれた「特攻隊と『学徒出陣』」(「前衛」2014年月号)を読みあらためてその無残な姿に驚きました。この論文は表題通りの内容ですが、予科練に関する部分だけ紹介しましょう。

予科練は1930年(昭和5年)から45年(昭和20年)まで15年間募集されました。15年間の入隊者は241,500人、終戦時の在隊者約22万人余だということです。戦死者数については、詳しいことは分からないそうですが、19,000人から20,000人と推定されているそうです。

予科練には「甲飛」「乙飛」「丙飛」があり、入隊前の学歴によって区別されていました。

「乙飛」は、最も早く出来、小学校高等科卒(14歳)以上で入隊し、3年間の中学校程度の普通学教育の後、10年かかって下士官最上位の飛行兵曹長になり、さらに特務士官になりました。中学校に進学できない少年たちには勉強ができる場所として魅力的なところでした。特に英語を学べることが魅力だったそうです。また士官(将校)への昇進の道があることも魅力的だったそうです。

「乙飛」には15年間に87,000人が入隊し、戦没者は約5,000人といわれています。

「甲飛」は、1937年(昭和12年)に新設されました。中学校4年1学期程度以上で入隊しました。普通学教育を短縮するために設けられたそうです。8年間に14万人が入隊し、6,800人が戦没しました。

「丙飛」は、一般の志願兵から選抜されました。7,300人が入隊し、5,500人が戦死しました。戦死率は何と75.4%だったと言うことです。期によっては戦死率が88%に達したということです。

筆者の高野邦夫氏によると、この少年兵たちの戦死はほとんど特攻隊として出撃したためだということです。飛行機に爆弾を積み、敵の軍艦や飛行機に体当たりをさせたのです。10代の少年たちに自殺を強制したのです。

戦死しないで敗戦時に22万人もの隊員が残ったのは、このころ訓練用の飛行機もガソリンもなないのに大量募集をしたためだということです。この人たちは本土決戦に備えて土木工事(壕掘り)に駆り出され、”土科練”と自嘲していたそうです。また戦後は価値観の大転換についていけず、自暴自棄になり、”予科練崩れ”、”予科練帰り”とさげずまれることになりました。

この国は少年兵たちを使い捨てにしたのです。無慚なことです。繰り返してはならないことです。

 

 

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