こんやはNHKの番組「特報首都圏」を見ました。東京大空襲を扱った番組でした。そう、東京大空襲のあった3月10日が近付いたのです。解説は早乙女勝元さんでした。昭和20年3月10日東京の下町はアメリカのB29 がまき散らす焼夷弾によって焼き払われました。10万人がなくなったと言います。当時12歳だった早乙女さんも逃げまどったといいます。
死者の中には子供が多かったということです。これは初めて聞くことでした。小学校3年から6年生は集団疎開した時代です。何故犠牲者の中に子供が多かったのか。番組は語り進めます。お金がなくて疎開に行けなかった子もいたというのです。また陸軍記念日(3月10日)と日曜日が続き二連休で東京に帰っていた子供が多かったというのです。
また、死者が多かった避難先に明治座があったという話もはじめて聞いた話でした。まだまだ掘り出されていない事実が沢山あるように思えました。
早乙女さんは「キリがいいから一口に10万人の人がなくなったというけど、一人一人に人生があったのです」といって死者を数としてみないでくれと言います。重い言葉です。
テレビを見ながら、涙が出るのを止められませんでした。私は東京育ちではないので直接的には東京大空襲に思い入れはありません。しかし。同じ戦争を経験しているのです。十歳のとき敗戦がありました。私は遠い満洲(中国東北部)にいましたが、敗戦によって難民の中の一人になりました。そうして日本への引揚げでした。引揚げ先の長崎の町は原爆で焼けていました。爆心地近くに住んでいた祖母と兄は即死したそうです。
あの戦争は、日本のどこにいた人にもつらい悲しい記憶です。何かにつけて苦く思い出されます。二度と経験したくない思い出として。
いま突然思い出しました。東京大空襲を指揮したアメリカの将軍カーチス・ルメイは、戦後日本政府から勲章を授与さえました。なぜそこまで卑屈になるのでしょう。
今日の私は感傷的に過ぎるかもしれません。しかし戦争の話題になると涙がでる年寄りがいることを知っていてください。理解したり、共感したりすることはできないかもしれませんが。