日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

学校教師の暴力 戦時中の小学校の記憶と帝国陸軍

2013-02-25 17:27:18 | 日記

最近の教師による暴力の記事を見て小学生のころを思い出した。

太平洋戦争中、小学校の先生はよく殴った
何かにつけなぐる
今でも覚えているが小学校3年生、4年生に足をかけて平手打ちをする。
子供はひっくり返る 
教室で毎日見られる光景だった 

当時の同級生が集まると、当時の殴られた話が出る
級長(今でいえば学級委員長)だった友人はよく殴られた
理由は覚えていないが、全員を代表して殴られたこともあったようだ
彼は「学校に行くのが嫌だった」という。もちろん不登校になる自由もなかった。
私はおびえていたようだ。

先生は満蒙開拓のために作られた内原訓練所の出身だったことを戦後何十年もたってから知った。
日本の満州(中国東北部)支配のために作られた訓練所だ。
ここには日本帝国陸軍の伝統がそのまま伝わっていたのだろう
帝国陸軍では古参兵が新兵に暴力を加えるのは当たり前だったというから。

帝国陸軍の伝統は日本の学校とスポーツ界に脈々と伝わっている
暴力をふるうのは、ごく少数の先生の事だと信じたいが、それにしても恐ろしいことだ。 


 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者施設の火事と職員の数

2013-02-24 16:40:59 | 日記

先日長崎市で認知症高齢者グループホームの火事があった。死者4人を出す痛ましい火事だった。

この火事をめぐっては、防火壁の不備スプリンクラーの不備など施設面の問題が指摘されている。
これは非常に大事な問題ではあるが、今日はこれ以上触れないことにする。

施設以外に、もう一つの問題がある。人員の問題である。私の知り合いの高齢者施設では、火事や地震を想定して毎年防災訓練を行っている。その時に大きな問題に突き当った。
夜間の火事を想定するとどうしても避難の方法が分からないという。消防署にも相談したがいい方法が見つからない。

具体的に聞くと、19人の入所者に、法令通りの看護・介護職員を配置しているが、どう配置しても夜勤は2人しか置けない。実際に防災訓練をしてみて分かったことだが、寝たきりの高齢者を避難させるためには、担架を使ってもシーツなどを使っても入所者1人を運ぶのに通常4-6人の職員が必要になる。手足が硬直し、本人に協力する意思がない人が多いので、職員2人で1人を運ぶのは困難だという。もし屈強な男性の職員がそろっていれば一人ずつ背負うことも考えられるかもしれないが、普通の介護業務ができるという当たり前の条件が加われば、そんな職員をそろえるというのは、現実性がないと言ってよいだろう。これでは火の回りがよほど遅くない限り全員を避難させることはできない。管理者は長崎の火事の記事を見て他人事でなく感じたという。幸い今までのところ火災に見舞われたことはないが、火事を出さないように、気をつける以外に方策がないという。

このような矛盾が起こるのはなぜか。お金の問題である。法令による職員定数は今の介護報酬の額で置けるギリギリの数である。これ以上の職員を置けば経営が成り立たないという。職員を増やそうにも一施設の力ではどうにもならないという。
 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本は時代遅れのファックスなどというものを使うガラパゴス?

2013-02-21 09:28:20 | 日記

ニューヨークタイムズに面白い記事を見つけた。(By   February 13, 2013)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日本はロボットや弾丸列車、世界で最も早いインターネットなどの技術で有名である。しかし日本ではこれらの最新技術とともに、インターネット以前の技術であるファックスが使われている。多くの先進国では、ファックスは、留守番電話やカセットテープと同じように、時代遅れの技術です。日本では昨年1年だけで、1700万ドル(約20億円)分の家庭用ファックスが売れた。アメリカでは、スミソニアン博物館がファックスの機械を2台購入しましたが、それは文化遺産として購入したものでした。

NTTコミュニケーションズの人は、「日本ではファックスが成功を収め他のものでは変えられなくなっています。ファックスは日本社会に非常に深く根を張っています。」と言っています。

内閣府によると、2011年現在、すべての営業所がファックスを持っています。また一般家庭でも45%の家がファックスを持っています。

スガワラ・ユウイチロウさんは日本人がどんなに深くファックスと結びついているか思い知らされたといいます。10年前、彼は自分が経営する弁当屋、タマゴヤを近代化しようとして、注文をオンラインで受け付けることにしました。その結果売り上げは急速におちるという経験をしました。

今ではタマゴヤでは毎朝ファックスの機械がにぎやかな音を立てながら注文を吐きだしています。そこには「固ゆでの卵を一個追加」などと手書きの細かな注文が書いてあります。

日本人には手書きの文字の中にある温かい、人間的な感覚を大事にするものが日本文化の中にあるのです。―――43歳のスガワラさんはこのように語るのです。

日本がファックスを捨てようとしないのを見ると、日本以外の世界の国々がたとえとうの昔にファックスを捨て去っても、試されずみのやり方に執着する古い国の姿が見えてくるようだ。日本のファックス中毒をみると、一時は電卓、ウォークマン、ファックス、などを作り家電の革命をすすめてきた日本がなぜ、デジタル時代に後れをとったか、さらに素早い競争者である韓国や中国に先を越されたのかがよく分かる。

機械の盛衰に関する本を書いている技術史家ジョナサン・クーパースミスさんはこう言います。「日本には慣れたものに執着するというガラパゴス効果があります。」「他の国ではファックスはすっかり時代遅れです。」

日本では、インターネットを良く知る企業家や国際的な感覚を持った製造業者を除いて、ファックスは仕事のための必需品です。専門家の話によると、官庁ではファックスが好まれます。というのもファックスを使えば紙の書類が出てくるので、そこに決裁印を押すことができるからです。多くの会社は発注や出荷の記録をすぐに消えてしまうEメールではなく、ファックスに頼っています。顧客がインターネットで個人情報が漏れるのを怖れるからです。

警察によると、日本最大のやくざ組織、山口組でも、除名の通知はファックスで行われるということです。

2011年に起こった東日本大震災の後、ファックス販売の小さなブームがありました。流されたファックスの買い替えでした。一番良く売れたのは電池駆動型のモデルでした。自然災害で停電になっても動くからです。

さきに紹介したタマゴヤで、スガワラさんはファックスと普通の電話を芸術的に連携させています。毎朝62,000食分の注文が入ります。その半分はファックスです。注文のあった弁当は注文締め切りの前から調理され、トラックに載せられます。ファックスと電話のオペレーター100人の部隊は、配達を注意深く調整します。その結果無駄になる弁当はわずか0.1%、60食にすぎません。(後略)

―――――――――――――――――――――――――――――

記事はまだ続くけれども、趣旨はよく理解できたので、これで引用をやめておく。

読めばわかる記事だけど、ファックスのことを「時代遅れ」と決めつける感覚が奇妙に思えた。しかしスミソニアンが展示しているとなると、これがアメリカ人の普通の感覚なのだろう。つい20年ぐらい前にはアメリカ人もファックスを使っていたという記憶がある。インターネット時代になって急速に変化したということだろうか。
この記事に関して読者のコメントが 119通ある。「受信のためにファックスの機会が必要だから、紙やインクの管理が大変だろう」といった素朴な意見もある。「日本語の入力が大変だからE-メールを使わないのだろう」「いや、日本語入力は簡単だ。日本の若者はアメリカ人と同じ速度で日本語を入力している」などという意見が飛び交っている。

 

 

 
 
 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「プロメテウスの罠」をよんで

2013-02-17 17:21:50 | 日記

「プロメテウスの罠」(学研パブリッシング)を読んだ。
朝日新聞に連載されたルポルタージュだ。第一冊になる本書は2011年10月から2012年2月連載分だ。連載されていることは知っていたが、全然目を通していなかった。最近次々と出版されて評判がいいのを知って読む気になった。読んでみて面白いのでここに書き残すことにした。

まず第一に感じたのはルポルタージュの迫力である。これまで「民間事故調」「国会事故調」の報告にも目を通したが、この本には調査報告書にはない迫力がある。著者らは「主観を省き」「事実にこだわり」「分かりやすく」「普通の国民の視線で」「連続テレビ小説方式」で書くことを心がけたと「おわりに」で述べているが、意図したとおりに成功していると言ってよいだろう。


巻頭の第一章に、浪江町の北西部で、情報を知らされないまま逃げまどう人たちの様子が描かれている。この地区は高い放射物質いよる高い汚染があることが後に知らされたが、事故後数日は全く情報が提供されなかった。測定に入った人々も「かん口令」に縛られて、測定値を住民から隠した。

事故後二年を過ぎた今読んでも新しい事実が沢山ある。
たとえば、気象研究所はこれまで数十年にわたって空気中、水中の放射性物質の測定を続けてきて、世界的にも高い評価を得てきた。それが福島原発の事故直後に、上級官庁から中止するよう指示されたという。研究者の努力で中断されなかったが政府による情報操作の一端がうかがえる。

事故対応の中心であるべき首相官邸の混乱ぶりもよく描かれている。
その極致は、放射性物質の拡散をシミュレーションを行うためのコンピューターシステム、SPEEDI(スピーディ )うをめぐる問題である。事故当時原子力災害対策本部はSPEEDIの存在を知らなかった。したがってSPEEDIは正しい結果を出していたにもかかわらず、そのデータは住民の避難に全く生かされなかった。原子力安全・保安院はSPEEDIのデータにもとづいて避難案を作りかけていたが、政府が同心円状の避難を指示したために計画づくりを中断している。この話には後日談があり、菅総理は地震後7か月以上たった2011年10月31日に、この連載「プロメテウスの罠」を読みこのことを知ったという。―――この話は小説の中の描写ならば面白く読めただろうが、危急の時期の日本政府中枢の話だと知ると寒気を覚え、怒りがこみ上げてくる。日本政府が「安全神話」にどっぷりとつかり、事故時の対応を真剣に考えてこなかったことを示すものだろう。
SPEEDIに関してはもう一つ重大な事実が書かれている。1時間ごとのデータがアメリカに提供されていたことである。

紹介したいことはこの他にもいくらもあるが、内容をいくら紹介しても所詮原文の千分の一も伝えることができない。多くの人に本書を読んでほしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の大気汚染―――日本の公害闘争の歴史をふりかえって

2013-02-14 08:31:20 | 日記

大分休んでしまいました
その間にいろいろなことが起こり、何から書いたらよいかわからないほどです

中国の空気汚染が話題になっています。PM2.5というそうです。
中国主要都市の汚染度はリアルタイムで検索することができます http://www.aqicn.info/?&lang=jp 
日本から考えると非常に高い値です。気象条件にもよるようですが、午後から夜間の値が高いようです 

中国の汚染に関連して、公害対策先進国、日本の技術を輸出すべきだという議論がよく見られます
中国のためにも、日本の輸出産業のためにも結構なことだと思います。 

しかし、少し気になることがあります
日本の公害とは何だったのでしょうか。歴史を振り返ってみましょう。昭和1960-70年代、高度成長と言われた時代、日本にはいろんな種類の公害が起こりました。

一つの例をあげましょう。水俣病問題です。 今日では水俣病の原因が新日本窒素の排水にあることが確認されていますが、新日本窒素と国、県の責任が認められるようになるためには、被害者の長い間の苦しみと、裁判闘争が必要でした。補償をめぐっては今でもまだ裁判が続いています。

昭和電工の排水による新潟水俣病、神岡鉱業所を原因企業とするイタイイタイ病のばあいも、原因企業が責任を認めず困難な運動が必要でした。

四日市コンビナートを原因企業とする四日市ぜんそくの場合には、1967年から72年にかけた裁判と住民運動が必要でした。

こうした公害に対する住民運動、裁判の歴史を通じて日本の公害対策は進歩してきました。法律としては「大気汚染防止法」の1972年改正、水質汚濁防止法などもその成果の一つでしょう。また今問題になっている公害防止技術の発達も歴史的な成果と言えるでしょう。

中国への公害防止技術の輸出は賛成です。しかし日本の技術がどのような歴史の上につくられたか、その歴史を真の意味で理解してもらうことが、中国の公害防止に役に立つのではないでしょうか。隣の国に対して失礼かもしれませんが、日本の公害闘争の歴史なしの技術輸入は「仏作って魂入れず」になるのではないかと心配です。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする