日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

「勝ちぬく僕ら少国民」   太平洋戦争中の小学校教育

2013-08-23 18:15:40 | 日記

「勝ちぬく僕ら少国民」  上村数馬作詞、橋本邦彦作曲

勝ち抜く僕ら少国民、

天皇陛下の御為に

死ねと教えた父母の赤い血潮を受け継いで

心に決死の白襷かけて

勇んで突撃だ

何の歌だと思われる方が多いでしょう。昭和19年ごろの歌です。小学生向けに作られた歌です。

言葉の解説をしましょう。「少国民」というのは小学生と思ってよいでしょう。

「勝ちぬく」とは太平洋戦争に勝つよう頑張るという意味です。当時大人はともかく小学生は勝利を疑いませんでした。天皇陛下のために戦って死ぬことは最高の名誉でした。親たちも「戦争に負ける」とか「兵隊に行っても生きて帰れ」とは言えませんでした。子供たちは「決死の白襷」をかけて「名誉の戦死」をもとめたものでした。

この歌はリズミカルな行進曲で、歌いやすく、多くの子供たちがよく歌いました。私も歌いました。恐らく毎日何度も歌いました。記憶が定かではありませんが、学校でも音楽の時間に教えてもらったと思います。

この時代を知らない人には到底信じられないでしょう。しかし「天皇のための死」を美化して教育し、子供たちがそれを信じた時代が現実にあったのです。私がどのように信じたかは、8月1日のブログを見てください。

私は教育が特定の考え、「天皇崇拝」で統一されることの怖さを思います。今の政治の動きにもそのような恐怖を感じます。

コメント (3)
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原水爆禁止世界大会世界大会の宣言ーー拡散

2013-08-10 15:09:04 | 日記
ブログがしばらくお休みになってしまい申し訳ありません。夏休みをとってヨーロッパにいます。
広島と長崎からのメッセージを拡散します。原水爆禁止世界大会の宣言です。

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【2013年世界大会】国際会議宣言

 広島と長崎の被爆から68年目をむかえた。原子爆弾は一瞬にして二つの都
市を破壊しつくし、その年のうちに20万余の市民の命を奪いさった。それは人間として死ぬことも、生きることも許さない「この世の地獄」であった。生き延びた被爆者たちも、長年にわたって病と心の傷に苦しんできた。このような悲劇を世界のいかなる地にも決して繰り返してはならない。
 核兵器は最悪の大量殺戮兵器であり、その使用は人道に対する重大な犯罪である。核兵器は、ただちに違法化されなければならない。
 いまなお世界には2万発近くの核兵器が存在している。一発が使われただけでも、耐え難い惨劇がもたらされ、その一部が使用されれば大規模な気候変動と世界的飢餓が引き起こされる。核兵器の全面禁止・廃絶は全人類にとっての緊急課題となっている。
 原水爆禁止2013年世界大会‐国際会議に参加した我々は、被爆者とともに、そしてもはや帰らぬ死者たちにかわって訴える。「核兵器のない世界」の実現にむけ、すべての政府が直ちに行動を開始することを。

 「核兵器のない世界」を求める声は、ゆるぎない国際的な流れへと発展している。
 国連総会は毎年、核兵器廃絶を求める決議を圧倒的多数の賛成で採択している。2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、核保有国も含む全会一致で「核兵器のない世界」を実現することを決定し、これを実現する「枠組み」を作るための「特別の努力」をすべての国に求めた。
 しかし、とりわけ核保有国の抵抗により、目に見える前進は未だない。我々は、この停滞をうち破るため、全力をあげるよう国際社会によびかける。
 政府レベルでも核兵器の残虐性、非人道性を告発し、その禁止を求める流れが急速にひろがっている。これは我々の運動の原点であり、長年にわたって被爆者とともに訴えてきたものである。世界の平和運動が要求している核兵器禁止条約の交渉開始については、いまや国連加盟国の70%を超える135カ国が、国際司法裁判所の勧告的意見に沿うものとして、要求している。
こうした流れをさらに大きく発展させるならば、「核兵器のない世界」の実現は可能である。そのカギを握るのは、世界の市民の運動と世論である。
 我々は、核保有国をはじめとするすべての政府に対して、「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」との合意をすみやかに実行し、そのための「枠組み」として、核兵器禁止条約の交渉にただちに踏みだすことを強く要求する。
被爆70年であり、2010年の合意の履行を問うNPT再検討会議が開催される2015年にむけ、核保有国をはじめそれぞれの国で運動を飛躍的に発展させよう。そして、世界の市民の世論と運動をニューヨークへと結集し、核兵器廃絶を求める巨大なうねりをつくりだそう。

 核兵器で相手を威嚇する「核抑止」政策は、武力の不行使と紛争の外交的・平和的解決をめざす国連憲章の基本原則に真っ向から反するものである。それは、新たな核兵器の保有を誘発する要因ともなっている。「核兵器のない世界」と「核抑止力」論とは決して両立しない。「核抑止」政策は、ただちに放棄されなければならない。
 北朝鮮の核兵器問題は、六カ国協議をはじめこれまでの国際合意にもとづいて、平和的に解決されなければならない。NPT再検討会議で合意された、中東における非大量破壊兵器地帯をめざす国際会議の開催が求められている。核兵器全面禁止にむけた前進は、これらの問題を解決するための新たな条件を創りだすだろう。
紛争は外交的・平和的な方法によってこそ解決できる。武力による威嚇とその行使は、緊張と事態悪化の悪循環を生みだすだけである。東南アジア、中南米などにひろがる平和の枠組みと努力に注目する。軍拡と軍事同盟の強化に反対し、武力の不行使と紛争の平和的解決をつよく訴える。

 「核兵器のない世界」を実現するうえで、核兵器の残虐性を自らの体験として訴えることができる被爆国・日本の役割はきわめて大きい。ところが日本政府は、核兵器禁止条約の交渉開始や核兵器の使用禁止を求める決議、非同盟諸国提案の核軍縮決議など核兵器廃絶につながる国連決議に棄権しつづけている。核兵器の非人道性を告発し、その禁止を訴えた共同声明(80カ国が支持)への賛同を政府が拒否したことは、大きな失望と批判をよんでいる。
 日本の運動は、被爆国にふさわしい役割の発揮を政府に求め、非核三原則の厳守とアメリカの「核の傘」からの離脱を要求している。我々はこの運動がはたすべき重要な役割に注目し、非核平和の日本を求める運動に連帯する。国家補償による援護と、原爆症認定制度の抜本的改善を求める被爆者の運動を支持する。
 戦争放棄と戦力不保持をかかげる日本国憲法第9条には、ヒロシマ・ナガサキの再現を許さぬ、不戦への固い決意が込められている。憲法を守り生かす運動、沖縄をはじめとする米軍基地の縮小・撤去を求める運動、日米軍事同盟の強化に反対するたたかいに連帯を表明する。
 福島第一原発事故はいまだ、危機的事態の真っただ中にある。事故の収束と廃炉、再生可能エネルギーへの抜本的転換が強く求められている。核兵器と原発との危険な関係に留意してきた我々は、核燃料サイクルがもたらすあらゆる核被害の根絶を求めるとともに、使用済み核燃料の再処理とプルトニウムの蓄積、原子力の軍事利用に反対する。

 我々は、以下の行動を世界の人々に訴える。
―2015年にむけ、核保有国をはじめすべての政府に対して、「核兵器のない世界」への合意の実行を強く求めよう。核兵器の残虐性、非人道性をすべての国で広範な人々に知らせ、核兵器廃絶を求める世論をさらに強めよう。「原爆展」、被爆者証言活動など、ヒロシマ・ナガサキの実相をひろげながら、「核兵器全面禁止のアピール」国際署名など、核兵器禁止条約の交渉開始を求める活動をすすめよう。平和行進など多くの人々が参加できる多様な行動を、ソーシャルメディアなども活用し、草の根から組織しよう。国連をはじめとする国際機関、諸国政府、平和市長会議を含む自治体との共同をいっそう強めよう。
―被爆者への援護・連帯を強化し、あらゆる核被害者への支援と連帯をすすめよう。枯葉剤、劣化ウラン弾などの戦争被害者を支援しよう。
―「核の被害者をつくらせない」との願いをひとつに、原発からの脱却を求める運動との連帯を発展させよう。軍事費の削減、生活と雇用の改善、福祉の向上、自由と民主主義、人権の擁護、地球環境の保護、性差別の克服、社会的不正義の解決などを求めるすべての人々と手をたずさえ、「核兵器のない平和で公正な世界」への広大な共同と連帯をつくりだそう。

 若い世代とともに、いま一度、被爆者の訴えに耳を傾け、核兵器がもたらした「地獄」に目をむけよう。そして、幾千万の人々の心をゆりうごかし、「核兵器のない世界」への扉をひらく広大な世論を築きあげよう。

 ノーモア・ヒロシマ! ノーモア・ナガサキ! ノーモア・ヒバクシャ!

2013年8月3日
原水爆禁止2013年世界大会-国際会議
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「海ゆかば」という歌を知っていますか

2013-08-01 12:46:32 | 日記

昨夜、夜中に目を覚ますと、急に「海ゆかば」という歌を思い出しました。このうたからいろいろなことを連想していると、「これをブログに書こう」と思いました。

「海ゆかば」という歌を知っていますか。歌詞は次のような詩です

大伴家持作詞、 信時潔作曲

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

(現代語訳)

海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、大君(天皇)のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない

日本政府が国民精神強調週間を制定した際のテーマ曲。信時潔がNHKの嘱託を受けて1937年(昭和12年)に作曲しました。その年の11月22日に国民歌謡で初放送されました。
国民一般の印象を決定したのは、太平洋戦争期、ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕(日本軍の全滅)
伝える際に、冒頭曲として流されたことでした。

太平洋戦争中、どこに行っても聞かれた曲で、小学校でも繰り返し習いました。70年近くたった今でも、私は何の苦労もなく歌うことができます。それくらい刷り込まれた歌でした。

この曲の意味を今になっていろいろという人がいます。「大伴家持の歌は違う意味だった」という人もいます。もちろん家持が後世の太平洋戦争を予期して歌を詠むはずはありません。
この歌が「国民精神高揚」を目的として作られ、「玉砕」のテーマ曲になったことが「軍歌 海ゆかば」 の意味なのです。「天皇のために死ぬ」ことを教育することが、この曲の目的でした。

「天皇のために死ぬ」という教育は、なにも「海ゆかば」も限ったことではありませんでした。国民学校(小学校)の国語、修身、音楽などあらゆる科目で叩き込まれました。このことは入江曜子さんの著書「日本が神の国だった時代ーー国民学校の教科書を読む」(岩波新書、2001年)によく描かれています。

このような教育のもとで、私たち太平洋戦争中の小学生は、「天皇のために死のう」と本気で思っていたのです。
私は昭和20年満洲(中国・東北部)にいました。小学校4年生でした。8月9日ソ連が参戦し、私たちの町にも市街戦の危機が迫っていました。幸い、この時同級生とかわした会話を鮮明に覚えています。「ソ連の戦車が来たら地雷を手に持って戦車の下にとびこもう 」と真面目に誓い合いました。さいわい数日後に日本の敗戦のため、市街戦はなく命は助かりました。60年あまりたって再会した時、その友人に小学生の時の誓いを話すと、彼は覚えていませんでした
「そんな恐ろしいことを」と絶句しました。

自民党の憲法改定案をみると、このような過去がよみがえります。改定案の中には「天皇を元首とする」「国防軍を作る」などの項目が並んでいます。恐ろしいことです。

 

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