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読んだ本から抜粋『夜と霧 新版』

2012-09-02 18:41:12 | 日記


こんばんは。今日は遅くなってしまいました。

V・E・フランクル『夜と霧 新版』
 (池田香代子 訳;みすず書房;169頁;2002年初版、2011年第16刷)

【補足】長い間、『夜と霧』といえば、霜山徳爾訳のものが著名でした。しかし、今回は新版を読みました。読んだのは、昨年(2011年)6月、ちょうど私が入院中だったときです。『それでも人生にイエスと言う』を読んだので、以前に読んだ『夜と霧』を再度手にとったわけです。
 また、最近テレビ番組(「100分 de 名著」)でも取り上げられていました。私は最終回の残り10分だけみました。

【抜粋】
(P.123)人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる。これは人間ならではのことだ。
(P.125)しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。
(P.128)「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きるころにも耐える」したがって、被収容者には、彼らが生きる「なぜ」を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない。
(P.132-133)わたしたちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは避けられなかった。気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気を持っていることの証だからだ。しかし、このことをわかっている人はごく少なく、号泣したことがあると折りにふれて告白するとき、人は決まってばつが悪そうなのだ。
(P.134)自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。
(P.145)わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

 今日も来てくださってありがとうございました。


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