1983 か 1984年の冬の初めのころの写真だと思います( 昭和58・59年の年末近く )。
そのころの北下浦地区の住居表示は「○丁目」というものではなかったけれど、現在の「長沢6丁目」です。母と二人で長沢の奥地の里山を散歩するのが好きでした。
自分で月見団子を作っていた母に頼まれて、「十五夜」「十三夜」のススキを採りに来たのも 田んぼの畦でした。
この写真に写っている田んぼは、現在 カモなどの鳥がプカプカ浮かんでいる「貯水池」になっています。
そして上の方に写っている細い道は、YRPにあるホテルと蕎麦懐石のお店のほうへ上っていく階段へつづく道に造り替えられています。
( ※注※ 蕎麦懐石のお店は、2022年に閉店 )
この写真の頃の あの細い道は、当時どこへ続いていたかといいますと・・・
上の方にあった貯水池です。
さきほどの写真の細い道を上ってきた所です。
個人的に、この写真を気に入っています♡ 良い写真だと思いませんか?
母と 農家の奥さんがお話しています。金網の切込みから ひしゃくで農業用水を汲んでいます。( この奥さんが作るカボチャ🎃は美味しかったな・・・、もう二度とないなぁ )
立っている母の頭の位置のむこうに、枯れすすき みたいな「ぼさっかぶ」← ときどき変な単語を出してごめんなさいませ(笑) 草がぼさぼさしている所が見えますよね? あそこの上には、春になると 菜の花など、いろんな花が色とりどりに咲き誇る「花園」がありました。今、あちこちに大々的に作られて人気を呼んでいる「地域の花畑」の先駆的存在だったと私は認識しています!
農家さんが意図して作ったわけではないかもしれませんが、冬の間休ませてあった畑が 春に花畑になっちゃってたのでしょう。花越しの景色は、「横須賀市ハイランド」の団地がはるかに望めて、東京湾も少し見えて、とっても晴れ晴れしたものでした。忘れられません(*´ω`)
その貯水池のすぐ隣の田んぼでは・・・
旦那さまが火を燃やしていました。
この時のことをよく憶えているお良しです(*^-^*)
この後、向かいの山はすっかり木が伐採されて、はっきり確認しに行ったわけではありませんが、YRPを貫く大通り か ホテルの敷地になっているのではないかな?と思います。
写真を撮っている私の右側には、小さな赤い鳥居の「お稲荷様」の祠がありました。そこにはとーーーっても背の高い目印の木(ご神木みたいなもの)がありました。「お稲荷様」は今、YRPを貫く道路の粟田側の脇に移設されていますね。ご神木は早くに伐採されてしまいました。YRP建設が決まった時、今にも雨が降り出しそうな風の強い日に お稲荷様にお別れのお詣りに来ましたっけ。なつかしくて、また泣きそうです~
とっても良いところでした。昔の住民がお供えとかしていたのだろう雰囲気が伝わってくる、小さな小さなお稲荷様でした。
貯水池と両親、1984年( 昭和59年 )4月、桜が咲いている頃の記念写真 (#^.^#)♡
農家の奥さんが水を汲んでいたこの池も、今や ありません。
かわってこちらは2000年代に入ってからの写真です。ここはまだこのまま存在していると思います。右端の古い家屋がまだ現役でお住まいだったころ( 昭和40年代 )から知っていますが、ここも高い所にありまして「まるで桃源郷」のようなきれいな里山の風景です。
現在でも 地域の方々がお散歩で歩いていらっしゃるコースではないでしょうか?ご存知の方も多いと思われます。
私は、暗く見えている左のダート道を、奥のYRPの方向からこちらへ 愛車 マウンテンバイクの「サンシャイン号」でヨタヨタ下って遊んだりしていました(笑) あの家の裏に、フクロウでも棲んでいそうな「うろ」がある とーっても大きな木がありました。今もあるのかな?
写真を撮っている私の背中側に道があって、そこを東の方へ下っていくと「京浜急行バスの島田バス停」の方へ抜けていけます。
私たち家族が昭和46年に西浦賀から引っ越してきたとき、父が「これから暮らす土地の周辺を散策に行こうや!」と言い出して、 母と3人で とにかくどこへ行けるのかわかりもせずに どんどん どんどん どしどし どしどし ひたすら歩いて行かされた思い出があります。幼かった私の背丈よりもはるかに高く茂った草の間から、父の「お良し、見てみな、沼だ、沼があるよ♪」という言葉で、深緑色に濁った水を見た記憶が鮮明に残っています。さっきの貯水池だったのかどうか?????
それで、母も私もさんざん歩かされて、「あぁ~!ここへ出るのかぁ!」と ビックリしながら街場にポッと躍り出た場所が野比の「島田」でした
前回の記事にした「野比海岸」へも、打ち上がった海の恵みを採りに、さんざん歩かされました。90代になっても健在の父とは、今や立場が逆転して 私が父にハッパをかけております(*`Д´)ノ!!! アッハッハ~
この時代の風景の中で子ども時代を過ごせたことを、幸せだったと、心から感謝しています。
次回は、頂上のイチョウの木がまだ小さかった頃の「三浦富士」の春夏秋冬の姿をご覧いただきたいとおもいます(*^-^*)/