淡路島では家の周りがみんな田んぼだったのに、
我が家には米が廻って来ず、芋入りの麦飯ばかり
だったので、大阪に出て来て、純米の白いご飯が
食べられるのに狂喜しました。
米屋に行けば、配給手帳無しに、自由に米が買える。
この頃1升の米が270円ぐらいだったような気が。
バイトのカネで米1升を買って、大学の食堂に
持参すると、「一合」と書いた券を10枚綴った
ものをくれる。
その券1枚に炊き賃3円を添えて、どんぶり一杯
のご飯と沢庵2切れを貰う。
余裕があったら味噌汁10円。
いよいよピンチの時、これだけは最優先で購入する
定期券で大学食堂に行き、バイト仲間の顔を探し
「1円くれ」。
3人から1円もらって、なんてこともありました。
同じ食堂で50円のカレーライスや、焼きそばを
食べている連中が、心底羨ましかった。
当時の大阪市内の下宿代が一畳千円といわれた。
朝晩二食の賄いつきで、六畳なら六千円という
次第。これが四畳半だったら四千五百円になる。
日本育英会の奨学金が月額二千円。
ボクには賄いつき下宿は高嶺の花でした。
パパゲーノ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます