Powder Blue Sky

興味を惹かれること様々。心ときめくこと様々。マイペースで残す雑記ブログ。

3試合出場停止?!

2006-09-18 22:54:17 | ミヒャエル・バラック(Michael Ballck)
9月17日に行われたチェルシー×リヴァプール戦は
1-0でチェルシーの勝利。
それはよかったのですけど、51分にバラック選手は、
Mohamed Sissoko選手の足を踏みつけたとして
レッドカードを受け、退場となってしまったそうです。
そして3試合は出場停止だそう。。。とても残念です。

ここ2試合のファンによる評価も、チャールトン戦が7.86点、
ブレーメン戦が7.68点でチーム最高点、
Man of the Matchもそれぞれ20.02%、20.25%で
トップの得票率でしたのに。
因みにリヴァプール戦の評価は現在のところ、6.02点、
Man of the Match はダントツでドログバ選手。

チェルシー公式サイトに『バラック、全面謝罪』という記事がありました。

試合後、バラック選手、後悔していることを表わそうと
リヴァプールの選手達の更衣室の前でSissoko選手を待っていて
謝罪したそうです。人柄がにじみ出ている行動です。

『私の方が悪かった。私が足を出したのが、少し遅かった。
彼を傷つけようなどとは思ってなかった。たった今、彼に会って
謝ってきた。』と言ってから、こう付け加えたそうです。

It was my first straight red card in my career.

今まで、一発退場を経験したことがなかったんですね。

『彼に、悪かった、と謝った。だから大丈夫。彼の試合振りは好きだ。
前半に、彼が2枚目のイエローをもらいそうなファウルを犯したとき
彼には、押さえて、押さえて、と言ったんだ。』

『後半にこんなことが起き、悪かったのは自分なんだ。
チームは、あの後、厳しいゲームを強いられて、結果勝利した。
大変だったと思う。チームの皆にも謝った。大切な試合だったし、
Man Uと首位を狙っているのでね。
TVを見直して分かった。悪いのは自分だって。
出来るのは謝ることだけだ。』

と自分の非を、潔く認めているのでした。

モウリーニョ監督も、バラック選手のあのプレーはレッドカードでも
仕方ないだろうと語り、さらに前半の、Sissoko選手のファウルが
2枚目のイエローを受けていたら、
(監督の判断では、イエローに値するプレーだそう)
事態は違っていただろう、とつけ加えてました。

脇腹を痛めたのも、コミュニテイ・シールド、リヴァプール戦でした。
相性が悪いのでしょうか。
しばらく出場の機会がないのは、本当に残念ですけど
また元気に復活する日を、待つことにいたします。
Comments (2)
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9.11 テロ~イラク戦争 人々の記録

2006-09-18 00:01:48 | 学習メモ (English Learning Notes)
9・15にNHK BSで再放送された『9・11 人々の記録』を見た。
昨年3月に放送されたものだったが、見逃していたらしい。
今回初めて見て、とてもよかった。

同時多発テロ後、テロとの戦争の名のもとの報復攻撃に反対する
9・11の犠牲者家族の会、Peaceful Tomorrowsの活動を中心にした
レポートだった。彼らの訴えは

『私たちの悲しみを戦争に利用しないでください』

なかでも一番、印象に残ったのは、弟エイブさんを9・11で失った
リタ・ラサールさんという女性。
エイブさんは肢体不自由な友人に付き添い犠牲となったそうだ。
ブッシュはこの行動をスピーチの中で次のように称えた。

『素晴らしい行動をとって犠牲になった人もいました。
自分は助かったかもしれないのに、肢体不自由な友人に付き添ったのです。
アメリカが攻撃されたのは、自由の祖国だからです。
今、行動するのは、我々の義務なのです。』

リタさんはこれを聞いて、異を唱える投書をNY Timesに送った。
以下にその投書を記します。

To the Editor

My brother, Abe Zelmanowits, was on the 27th floor of
1 World Trade Center when the first plane hit.

Although he could have gotten out of the building,
he chose instead to stay with his friend,
a quadriplegic who could not get out.

President Bush mentioned his heroism in his speech
at the National Cathedral on Friday.

It is in my brother's name and mine that I pray that we,
this country that has been so deeply hurt,
not do something that will unleash forces
we will not have the power to call back.

Rita Lasar, New York
September 17, 2001

『私はこの国が弟の名において、武力行使し
取り返しがつかない事態を起こさないように祈ります。』

テロ後6日目の投書なのですね。この方は、その後
アメリカの攻撃を受けた後のアフガニスタン、カブールを訪れてます。

爆撃を受けた民家で、20歳の息子をその爆撃で失った母親と話します。
そこには爆撃のショックで、話すことも立つことも出来なくなった
6歳の男の子がいて、その姿に絶句して、
Oh, my god. He's six years old. How could this happen?
と顔を覆い、嗚咽するリタさん。悲惨な光景でした。

Peaceful Tomorrowsの人たちが訴えていたのは、犠牲になった者達が
望んでいるのは、決して報復のための殺し合いではない、ということでした。

リタさんの言葉:
私の国が、弟の名前を使って何千マイルも離れたところにいる、
何の罪もない人々を殺そうとしているのだ。弟は決して
そんなことを望んでいなかった。

ペンタゴン犠牲者の妻の言葉:
夫は仇を討つことを望んではいない筈だ。
武力行使から良い結果が生まれるとは思えない。
夫の死が、果てしない殺し合いの輪の中に、
連なってしまわないように私は願う。
犠牲者のことを思うなら、
何の罪もない人々も殺したテロリストと
同じことをしてはならないのです。

兄を亡くしたデイビット・ポトーティー氏の言葉:
母が身をたたむようにして訴えた。
今、自分が感じている痛みを、他のだれにも体験してほしくない、と。

5年経った今また、アフガニスタンでは
タリバンが勢力を盛り返していると聞くし
イラクは内戦のような様相を呈している。
力でねじ伏せる、というやり方はもう限界に思えます。
暗澹たる思いで見ました。

今日の単語:
quadriplegic friend 肢体不自由な友人
redneck 偏狭な、頑固な=とびきり保守的な人々、と訳されていた




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