おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「どう伝わったら、買いたくなるか」 藤田康人著 

2011年06月10日 | は行の作家

「どう伝わったら、買いたくなるか」 藤田康人著  ダイヤモンド社 

 

 サブタイトルは「絶対スルーされないマーケティングメッセージのつくりかた」

 

天の邪鬼な私は、「絶対なんて、ありえないでしょ~!私は、そんなの騙されないからねっ!!」と心の中で啖呵を切りたくなってしまった。

 

 著者はインテグレートCEO。ガムのデファクトスタンダードとなっているキシリトールを日本に持ち込み、厚労省を説得し、消費者に浸透させた人として、マーケティングの世界ではあがめ奉られている人だそうです。「インテグレート」という会社は、日本初のIntegrated Marketing Communication のプランニングブティックだそうです。う~ん、まぁ、要するに、広告代理店ってことですよね。

 

 インターネット、SNSが普及して、伝える側が一方的に商品情報を反復的に流し続けるマス広告の時代は終わった―という。広告も報道と同じ壁に直面しているのだ。情報の伝わり方が一方向から、双方向へ、そして、いまや、全方位へとなり、消費者は単なる「受け手」ではなくなった。消費者は情報の媒介者でもあり、「共感」することによって動くのだという。

 

 なるほど。納得。

 

 だから、これからの広告代理店の仕事は「共感」を演出する舞台装置を作ることだというわけですな。マスメディアだけではなく、情報番組、フェイスブックのファンページなどSNSも使って消費者自身が新しい価値の創造、遡及に参加する形こそが新しいマーケティングなのだそうだ。その成功事例として紹介されていたのが、「美魔女」やワコールの「ちゃんと測って正しいブラでずっときれいなおっぱいキャンペーン」。

 

 でも、その手口にも、消費者はそろそろ気付いているよね。企業のファンサイトが、決して自然発生的に生まれているわけではないことも。情報番組の裏側で代理店が絵を描いていることも。ブログで「○○の使い心地がよくて感動~」と絶賛している人が企業の仕込みであることも。読者モデルがタレント事務所に所属するプロであることも。そして、消費者である自分自身もマーケティングのコマにされていることも。

 

 もちろん、それを承知の上でブームに乗って楽しむという手もあるけれど、いずれにしても、消費者は騙されっぱなしではないんじゃないの?

 

 しかも、たまたまかもしれませんが「美魔女」も「タレそうなオッパイをキレイに維持したいのも」アラフォー~アラフィフがターゲット。つまり、バブル華やかなりし頃を謳歌した世代。浪費癖のある人を、もう一度、浪費の罠に陥れるという手口って、別に新しくもなんともないような気がするのは私の気のせい?

 

 スマホとDSさえあれ1日楽しく過ごせる。車なんて興味ないし、服はユニクロで十分。牛丼とマックとコンビニで食事は事足りる。それより、失業した時のためにお金を貯めとかなきゃ―などと言っている若者の財布を開かせたら「さすがっ!」と思うけれど、バブル世代は、そもそも、お金使うきっかけがほしくてしょうがないだけなんじゃないの?

 

 個人消費は経済の柱の1つであり、否定するつもりは毛頭ありません。でも、なんとなく「贅沢はステキ」「浪費って楽しい」という時代は終わりを迎えているような気がする。代理店の手口に乗らず、自分にとって本当に必要な、長く大切にできるものを、必要な分だけ買う―そういう人が増えつつある時に、「これが最先端のマーケティングなのかなぁ?」という疑問が残った。

 


「長屋の富」  立川談四楼

2011年06月10日 | た行の作家

「長屋の富」 立川談四楼著 筑摩書房 2011/6/9読了 

 

 美しい日本語の響きに酔いしれた。

 「よっ! 名調子!」と声を掛けたくなるような気持ち良いリズムが活字から聞こえてくる。

 

 長屋噺を下敷きにした、町人時代小説。

 

貧乏長屋で暮らす次郎兵衛は博打で儲けた金で富くじを1枚買う。 博打のあぶく銭はすっかり使い果たし、再び、借金漬けの極貧生活に逆戻りしたところで、すっかり忘れていた富くじの一番札が当たり、1000両を手にすることになる。

 

 今でいう「年末ジャンボの1等が当たっちゃった♪」という設定だ。お気楽次郎兵衛は、周囲の心配をよそに、1000両を当てたことを町内で触れ回り、長屋の住人たちには大盤振る舞い。鉄火場に入り浸り、散々貧乏して苦労もしてきたくせに、次郎兵衛は世間しらず。まんまと騙されてどんどんたかられていく。お金をめぐる人間悲喜劇は、今の時代にもそのまま通じることだろうなぁ。人間はかくもユウワクに弱く、そして、人間はかくも誰かを喜ばせたくて仕方のない存在である―という談四楼師の温かな思いがストーリー全体に行き渡っている。

 

 それにしても、国権の最高機関では、毎日のように聞くに堪えない美しくない日本語(内容も含めて!)が飛び交っている。永田町の戯言は国民の心には響かず、むしろ、政治から心が離れるばかり。政治家の皆さんもたまには談四楼先生の本を読んで、心にすっと沁み込んでいくような日本語をお勉強して下さい!

 

 今日の教訓! 私は、もしもBIG6億円当たっても、動揺せず、誰にも言わず、平静を保ちたい。