おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「すいかの匂い」 江國香織

2012年03月11日 | あ行の作家

「すいかの匂い」 江國香織著 新潮文庫 

  ああ、この人、私と同世代の人なんだ―と強く実感する作品。多分、昭和30年代、40年代生まれの人であれば、「あの頃、そんなことがあった」「私の夏休みもこんなふうだったな」と必ず感じてしまうようなフレーズに溢れている。すっかり忘れていた幼稚園時代のちょっとした日常の光景がフラッシュバックしてくる。

  音楽で言えば、シューマンの「子供の情景」のような作品。当たり前の日常を切り取りながら、そこには、当たり前ではない切なさとか、悲しさとか、残酷さが潜んでいる。

  この人の一瞬を切り取る才能って、スゴイと思う。

  でも、小説としては、私の好みでないな。一瞬、一瞬の光景が強烈すぎて、ストーリーが印象に残らなかった。


「なぜ、絵版師に頼まなかったのか」 北森鴻

2012年03月09日 | か行の作家

「なぜ、絵版師に頼まなかったのか」 北森鴻著 光文社文庫

  明治初期、文明開化の頃の東京・横浜を舞台にしたオムニバス形式のミステリー。松山から親類のツテを頼って上京してきた冬馬少年が、日本政府から招聘され東京大学で西洋医学を教えていたドイツ人・ベルツの給仕として働き始める。好奇心旺盛なベルツに引きずり込まれるように、2人で事件解決のための推理をするという運び。

  表題作でもある「なぜ、絵版師に頼まなかったのか」は、とにかくタイトルが秀逸。タイトルの意味を悟った時の「!!!」という感じは、なかなか爽快。行間からなんともいえない時代の雰囲気が漂ってくるのも、上手いなぁ…と思う。そして、ベルツ先生にしろ、冬馬少年にしろ、キャラクターとしての魅力も存分にある。

 しかし、ミステリーとして秀逸かと問われると、いまひとつ、切れ味鋭くないように思える。トリックはパッとしないというよりも、無理があるんじゃないか…。そんな感じ。

  解説を読むと、なるほど、とても凝った作品のようです。ベルツ先生はじめ、物語の登場人物は実在の人物が多く、しかも史実を下敷きにして創作している部分も多いらしい。そして表題作以外のタイトルも、海外の有名なミステリーのタイトルをもじるなどの工夫がこらされているなどなどなどなど。

  というわけで、歴史ファンとか、ミステリーオタクにはたまらない作品なのだろう。教養のある人にとっては、遊び心いっぱいで、作者と「ね、わかる人にはわかるんだよね~」とヒミツの会話を楽しむ悦びがあるんだと思います。ただ、教養もなく、単純に、ミステリーとしてのワクワク感に引きずり込まれたい私には、やや物足りなかった。


「銀河ヒッチハイクガイド」 ダグラス・アダムス

2012年02月09日 | た行の作家

「銀河ヒッチハイクガイド」 ダグラス・アダムス著 河出文庫

 

 最近は、基本的に日本人作家の本しか読まない。フランソワとかリチャードとかいう小洒落た名前の登場人物に感情移入できないし、故に、登場人物の名前をなかなか覚えられない。それに、やっばり、翻訳の限界があるような気がします(原文で読むことができない私自身の限界は、とりあえず棚上げ♪)

 

 というわけで、とっても久し振りの海外作品。友人のススメで、あんまり面白そうだったので、話を聞いたその日のうちにネットで注文しました。

 

 もともとは1978年にBBCが放送したラジオドラマのノベライズ版。ラジオドラマも書籍も大ヒットしてその後シリーズ化されたようですが、この第1作が一番面白いようです。「ナンセンスSFの金字塔」「ブリティッシュジョーク満載で抱腹絶倒」―らしいのですが、抱腹絶倒というよりも、シュールすぎて引きつる笑いかも。

 

イギリスの郊外に住む一人暮らしの男の物語。朝、歯磨きしながら、鏡に映る窓の外の黄色のブルドーザーが目に入る。いったい、なぜ、家にブルドーザーがやってくるのか? そう、その男の家は、バイパス建設のために取り壊されることになっていたのだ。 男は「そんな話は聞いていない! 横暴だ!」と怒るものの、立ち退き地域は何年も前から役場で縦覧されていた。(簡単にはたどりつけない役場の地下の、カギのかかったキャビネットの中だけど

 

 男はブルドーザーの進路に身を投げ出し、必死に、取り壊し阻止をしようとするのだが… そんなことは全くの無駄。なにしろ、12分後には地球が銀河バイパスの建設のために取り壊しされることに決まっていたのだから。(男が自宅の立ち退きを知らなかったように、地球人のほとんどは地球消滅を知らない)

 

 タイトルの「銀河ヒッチハイクガイド」は、物語に登場する書籍の名前。電子書籍スタイルの「地球の歩き方」の宇宙バージョンみたいなもの。私は、ここに、一番、感銘を受けました。今の時代なら、電子書籍の旅行ガイドと聞いても全く驚くこともないけれど、1978年の作品なのだから、まだ、パソコンはほとんど普及していない時代。90年代のノートパソコンだって、今と比べると、相当に分厚く重たかったことを思えば、70年代のコンピューターはコンパクトからはほど遠いいし、もちろん、ネットにも繋がっていないわけで、そういう時代に電子本を発想しているのはすごい。しかも、その形状が、ちょっとiPadを野暮ったくしたみたいに表現されている。

 

ちなみに、その電子ブックの中で地球に関する記述は、たった一言「無害」だけ!その後、宇宙船ヒッチハイクに失敗して15年も地球に滞在することになった宇宙人によって「ほとんど無害」に改訂される。いいなぁ。宇宙の中でずっと「ほとんど無害」の存在でありたい。

 

確かに面白かったけれど…でも、やっぱり、「翻訳の限界」を感じました。原文で読めたら、さらに面白いのかものしれないけれど、そこが私の限界です


「おまえさん」 上・下巻 宮部みゆき

2012年02月06日 | ま行の作家

「おまえさん」上・下  宮部みゆき著 講談社文庫 

 

 江戸の町で起こった連続殺人事件の謎解きをベースとして、それに関わる人々の人間ドラマ。ネットで読書ブログや書評サイトなどいくつか見てみたけれど、おしなべて絶賛モードですな。独特の空気感があって、私自身も「これは固定ファンがいるんだろうなぁ」と思いながら読んでいました。

 

 でも、個人的にはかなり苦手な部類。上巻読み終えたあたりでドロップアウトの誘惑に駆られましたが、気力で頑張りました。

 

 決して、つまらないというわけではないのですが…。ふと頭に浮かんだのは、自転車で長い急坂を上る時に、なるべく斜面と水平になるように大きくジグザグを描くように上っていく光景。もちろん、最短距離の進路を取ることだけが最善の方法とは限らない。けれど、あまりにも細かくジグザグをとっていると、総走行距離がどんどん長くなって、結局は急坂を最後まで登りきらないうちに力尽きてしまうような感じ。

 

大きく蛇行しながら、あちらの斜面の花を愛で、こちらの斜面から眼下の街並みを眺めて…なんてことをしていると、注意力散漫な私は、目的が頂上に登ることだってことを忘れてしまいそう。この小説も、最短距離である直線コースからはずれて、ゆったりと蛇行しながら上っていく感じで、たびたび、サイドストーリーに気を取られているうちに、ストーリーの幹の部分を見失っていることがありました。

 

しかし、物語というのは、本来そういうもので、無味乾燥な最短距離の物語では、逆に面白みがないのかもしれない。要はバランスの問題なんだろうけれど、せっかちな私には、あちらの花を愛で、こちらの風景に見とれているよりも、もうちょっと蛇行が少ないコースでさっさと登りきってしまいたいのです。


「誰にも書ける一冊の本」 萩原浩著 

2012年01月28日 | は行の作家

「誰にも書ける一冊の本」 萩原浩著 光文社 12/01/24読了

 

 6人の作家が「死に様」をテーマに競作した光文社のシリーズ本のうちの一冊。

 

 もともとは光文社の小説誌「宝石」の企画であり、中編という長さ制限があったものと思われますが…。にしても、なんか、あまりにもオーソドックスというか、ストレートど真ん中な感じの作品でした。

 

 東京で小さな広告会社を経営する「私」は、父の危篤で故郷の函館に急遽、呼び戻される。父親は80歳を過ぎ、大往生といっていい年齢だが、いざ、今際のきわとなればおろおろとうろたえる家族たち。

 

 そんな中で、母親から、父が密かに書きためていたという「自伝的小説」を手渡される。意識が戻る見込みすらない父が眠るベッドの脇で「私」はその小説を読み始める。函館がイヤで大学進学と同時に上京し、その後、年に数度、帰京するだけ。大人になってから、父親とじっくりと話をしたこともない「私」は、父が書いた小説を通じて初めて父の人生に触れる。当たり前なんだけど、そのストーリーの中では、凡庸な人にしか見えなかった父が、主役を張っているのだ。その人の人生の中では、その人が主人公である、そんな当たり前のことに気付かされる「私」。

 

 親と真正面から向き合わなかった ― というのは、誰でも身に覚えのあること。そして、年老いていく親の姿を目の当たりにして、「もうちょっと親の話を聞いておいてあげればよかったかなぁ」と思いつつも、いまさら気恥ずかしくて実行できずにいる人も少なからずいる。そういう読者の痛いところを突いてくる王道の作品なんだけど、萩原浩だったら、もうひとひねりを効かせてもいいんじゃないかなと思いたくなってしまいます。

 

 ところで、この本を一冊1200円で売るって、なかなか、勇気ある値付け。6作品とも、既に、小説「宝石」で発表済み。小説「宝石」は税込み780円で、何十もの連載小説・エッセイによって構成されている。そこから、一作品を切り分けて1200円というのは、消費者の感覚としては高すぎっ!もちろん、文芸誌から単行本化は珍しいことではないけれど、この本は、とっても大きな活字で、しかも、薄い。あきらかに、一作品で一冊の単行本にするのが無理無理なのです。 幕の内弁当780円で、そこにちょこっと入っている煮物だけを別の容器に入れてバラ売りしてもらったら1200円したのと同じことですよね。6作品シリーズで揃えたら7200円なんて…。

 

 とってもステキな装幀だし、流通コストがかかることも理解できるけれど…高速通信が普及して大容量のコンテンツも簡単にネットでやりとできる時代に、紙の書籍が、読者を甘くみたような値付けしていて大丈夫なんでしょうか? 

 

 と、偉そうに書きましたが、スミマセン、知人に借りて読んだので1200円払ったわけではありません。でも、これに1200円、やっぱり、払いたくないなぁ。 

 

 


「日本以外全部沈没」 筒井康隆

2012年01月16日 | た行の作家

「日本以外全部沈没」 筒井康隆著 角川文庫 12/01/13読了 

 

 年末から年初にかけて「日本沈没」を読んでいたところ、友人から「『日本以外全部沈没』がめちゃめちゃ面白い!」と勧められて購入。表題作を含む196276年の初期筒井作品を集めた短編集。

 

 「日本以外全部沈没」は、パロディであることが一目瞭然のタイトルですが、はっきり言って「ここまでやるか!?」というほどブラック。あまりの毒々しさに脱力しました。本家小松左京の「日本沈没」は、日本列島が沈没して日本人が彷徨える民になるかも…という設定でしたが、「日本以外全部沈没」では、次々と大陸が沈没し、唯一、残った日本列島に世界中の人が押し寄せるという設定。

 

 毛沢東、インディラ・ガンジー、キッシンジャー、フランク・シナトラにソフィア・ローレン、ビートルズ、蒋介石などなど世界の要人・著名人が軒並み西銀座のバーで生き残りをかけた交渉劇を展開する。(「日本沈没」の田所博士もこのバーに来ていました!)

 

さすがに40年前の作品とあって、今読むと、同時代感はないのですが…今風に言えば、オバマもサルコジもメルケルもジョニー・デップも、KARAもみんな日本にすがって生き残ろうとするという感じの設定でしょうか。1970年代前半といえば、日本が経済大国にはなっていない時代に、日本が世界の頂点を極めるという妄想を炸裂させているのがスゴイ。

 

どの作品も、大風呂敷を広げて、世の中をおちょくっている感じなのですが、特に痛烈だったのは「ヒノマル酒場」という掌篇。大阪の路地裏の一杯呑み屋・ヒノマル酒場に全身緑色の宇宙人がやってくる。世の中は、宇宙人が地球に(正確に言うと、通天閣のすぐそばに)降り立つ瞬間から大騒ぎで、テレビ中継車が何台も出て宇宙人の一挙手一投足に注目しているのだが、ヒノマル酒場に集う人々は「なんや、大掛かりなドラマの撮影か?」「ドッキリカメラちゃうんか」と宇宙人を意に介さない。というか、かなり、確信を持ってテレビや報道を疑ってかかっている。

 

 マスコミが信用されなくなったのって特にこの10年ぐらいが顕著なのかと思いきや…40年前から、ここまで報道がこき下ろされていたのかと思うとガックリきます。ちなみに、このストーリーに登場する宇宙人は、全身緑色の見かけはともかくとして、キャラ的には缶コーヒーBOSSのジョーンズ船長のモデルではないかと思いたくなるような感じで、なかなか憎めないヤツでした。

 

 時代の流れもあるのでしょうが、今の時代、なかなかここまで毒気に満ちた…というか、シュールなストーリーを雑誌に載せるって難しいような気がします。作家が書きたくて書いても、出版社がちょっと及び腰になりそうな…。そういう意味でも、興味深い一冊でしたが、書かれた時代背景が私にとってギリギリわかるかわからないかの境界線だったため、面白さが完全には理解できなかったのが残念。50歳代ぐらいの人なら、この毒の味がより楽しめるのだろうなと思います。

 

 

 

 


「あなたがピアノを続けるべき11の理由」 飯田有抄

2012年01月13日 | あ行の作家

「あなたがピアノを続けるべき11の理由」 飯田有抄構成・解説 ヤマハミュージックメディア 12/01/12読了 

 

 私は幼稚園に1年しか行っていない。少子化という言葉が存在せず、町のフツーの幼稚園が定員オーバーになっていた時代。入園するはずの年に、母親が見事、くじ引きでハズレを引いてしまった。近所の友だちがみんな幼稚園に通っているのに、私だけ行くところがないことを不憫に思って、親はかなり無理をしてピアノを購入し、教室に通わせてくれたらしい。

 

 でも、正直なところ、小さな頃は「ピアノのおけいこ」を楽しいと思ったことはなかった。そもそも、根気が無いので「毎日、継続的に」というのは苦手だし、テクニック向上のための練習曲でハイになれるほどの感性はなかった。

 

 自分から進んでピアノを練習するようになったのは、中学1年生の時にショパンの「革命」を聴いてから。激しく繊細な旋律に鳥肌が立つくらい感動して、猛烈に「この曲が弾きたい」と思った。ピアノの先生に頼み込んで、テキストにショパンのエチュードを加えてもらい、半年近くかかって「革命」を弾けるようになった。今でも、特別に大好きな曲の1つ。

 

 「あなたがピアノを続けるべき11の理由」を縷々説明されたところで、ピアノを続けたくない人の気持ちがどうにかなるわけではないような気がする。人を音楽に向かわせる力があるのは、結局のところ、音楽だけなのだと思う。「続けるべき理由」があっても、「続けたい」人にしか音楽は続けられない。

 

 ちなみに、この本はプロのピアニストや、趣味としてピアノを楽しんでいる哲学者、落語家、科学者など11人へのインタビューをもとに構成されているのだが、これがもう、なんとも単調きわまりない。話の内容はそれぞれ違うのに、文章のトーンが同じなので似たりよったりの話に思えてしまう。

 

 かつて愛読していた土屋先生の文春の連載コラムは思わず吹き出してしまうほど面白かった。ピアニストの秦万里子さんは何気ない日常をステキな音楽にしてしまう天才。この人たちがピアノについて語ったら、面白くないはずがないだろうに、なぜか、全然、面白みがない。落語家の柳家花緑は、さぞやテンポ良くインタビューに答えたであろうに、残念ながら活字からは落語家らしい調子の良さは伝わってこなかった。「ピアノを続ける理由」になるかどうかはともかくとして、ご本人たちに執筆を依頼した方がグッと個性的で楽しい読み物になったのではないか―と思うと、残念。

 

 以上、ピアノを続けなかったことを深く後悔している負け犬の遠吠えでした。

 


「ビブリア古書堂の事件手帖・2」 三上延

2012年01月12日 | ま行の作家

「ビブリア古書堂の事件手帖・2」 三上延著 メディアワークス文庫 12/01/11読了 

 

 物語の舞台が私にとってはあまりにもツボすぎて、ミステリーとして面白いのか面白くないのかも分からないまま読了。大船・鎌倉近辺在住の人に熱烈推薦したくなる一冊です。

 

 鎌倉・大船といっても有名な観光地はほとんど登場しない。サザンの歌詞にも出てこないオシャレ度0のジモティーしか知らないような交差点や坂の名前が随所に散りばめられている。例えば、「手広(てびろ)の交差点」とか、「建長寺前の信号で一時停止」とか、「柏尾川沿いの道路を南西に向かった」とか、「小動(こゆるぎ)峠を越えた向こうに…」「大船の駅ビルの中にある書店」とか、その11つの光景が目に浮かんで平常心ではいられなくなってしまう。予期せぬ、懐かしい友だちに出くわしたような、嬉しくて、ちょっと気恥ずかしいし気分。

 

 というわけで、ボーリングでいえば最初から50点のハンデをあげちゃっているようなものなので、正確な評価は不能。ただ、莫大な取材をして書いているであろうことが伝わってくるほどに、古書に関する情報が緻密で誠実で好感が持てる。古書オタクウルトラクイズ(仮称)の問題を何個か作れそうなぐらいのマニアック度でありながら、電車の中で気楽にページをめくれるぐらいなお気楽モードの文体になっていて誰でもすんなりと入っていける。

 

栞子さんと大輔くんのおままごとのような淡い恋は昭和の少女マンガチックだし、そもそも、栞子さんと大輔くんというメインキャラクターが「2010年代の若者」としてはいまいちリアリティに掛けるような気もするが…作者は私とほぼ同年代なので、まぁ、昭和っぽさから逃れられないのはなんとなくわかる。

 

ちなみにこの巻の最初の小話でとりあげている古書は「時計仕掛けのオレンジ」(アントニー・バージェス)。キューブリックの映画のタイトルとして有名になった作品だけど、ちゃんと原作があって、しかも映画の印象で世の中の人が描いているのとは全く違うストーリーだったという―ちょっと物知りになった気分が味わえます。


「日本沈没」 小松左京

2012年01月12日 | か行の作家

「日本沈没」上・下 小松左京著 小学館文庫  

 

  恥ずかしながら、1973年の作品(執筆開始はなんと1964年!)を今さら初読する。子どもの頃、この映画が話題になっていたことはかすかに覚えている。でも、さすがに、まだ、こんな恐ろしげな映画を見る年齢ではなかったので、なんとなく「タイトルだけ知っている作品」のまま過ごしてきてしまった。

 

しかし完成から39年経った今読んでも、まったく古くささは感じない。それどころか、もしかして、小松左京という人は2011年の日本を見てきて書いたのではないか―と疑いたくなるような薄気味悪いぐらいのリアリティ。東京が震災に襲われる場面を読んで、311日の揺れを思い出して足がすくむような思いがした。そして、39年前よりも過密化が進んだ今、本当に直下型の地震が来たら、この小説の中で描かれている程度の混乱では済まないであろうことは容易に想像できる。

 

日本のSF小説の金字塔と言われているが、全くの空想小説ではなく、予見というか、警告的小説だったのかもしれない。さすがに、簡単に日本列島が沈没するようなことはないにしても、所詮は、プレートの境界に乗っている島に過ぎないという心構えでいなければ、

 

ちなみに、日本人のほとんどは当たり前のように地震とプレートとの関係を知っているが、その知識が広がったのは「日本沈没」がきっかけだったらしい。物語としての力があればこそ、人の心に知識を刻むことができたのだろう。 

 

 


「ヒート」 堂場瞬一

2012年01月10日 | た行の作家

「ヒート」 堂場瞬一著 実業之日本社  

 

今年の箱根駅伝、正直、テレビ観戦者としてはイマイチ高揚感がなかった。

 

「柏原一人に全てを背負わせてはいけない、リードをもって柏原に襷を渡せ」-という東洋大監督の指導は圧倒的に正しいと思う。でも、昨年までの3年間、箱根駅伝が盛り上がったのは、間違いなく箱根の山での柏原クンが演じた大逆転劇があったからこそ。

 

なにしろ「天下の険」なのだ。車で走っていても、その傾斜のキツさは身体に伝わってくる。そこを細身の青年が風のごとく駆け抜け、何分も先行した走者に追いつき、追い越していく様は、ドラマとしての面白さもさることながら、人間の能力に対する畏敬の念さえ湧いてくる。

 

ま、つきつめていえば、初春に相応しい面白くて、元気が出るドラマとして柏原クンが箱根の山でライバルチームをごぼう抜きして往路を制する瞬間をテレビ観戦者は期待していたわけです。今年は3区、4区と東洋大が首位をキープしているところで、ドラマとしての面白みは半減。

 

というのは、視聴者のワガママだってことは、頭ではわかっているんです。

 

優勝後のインタビューで柏原クンが「マラソンを目指したい」と答えているのを見て、切ない気持ちになった。もちろん、彼がマラソンで活躍する姿を見たい。大きな大会で金メダルを獲得するとか、世界最高記録を出したら、日本中の多くの人が彼の箱根での激走ぶりを思い出して胸を熱くするだろう。しかし、彼は平地でも記録を出せるのだろうか。アップダウンの少ないマラソンコースでも超一流のランナーになれるのだろうか。

 

彼は、恐らく、大学4年間の競技者生活を「山登り」のために捧げてきたのだろう。もちろん、勝負の場が設定されれば、「勝ちたい」「記録を出したい」と考えるのが競技者としての本能かもしれないが…駅伝は正月三が日に2日間に渡っての生中継。スポーツ紙は軒並み一面トップで報じ、一般紙やテレビのニュースでも大きく取り上げられる。大学スポーツとしてはそこそこメジャーである六大学野球すら目じゃないぐらいの破格の扱いだ。大学には、強化費の何百倍、何千倍の宣伝効果をもたらす。柏原クンは無意識のうちに、山のスペシャリストとして大学4年間を走り抜けるしかないように進路を狭められていたのかもしれない。

 

―― という今の時期にこそ、オススメの一冊です!

 

 かつて箱根駅伝走者だった神奈川県知事の発案で、突然、「東海道マラソン」プロジェクトが動き出す。目的はただ1つ、日本人に世界最高記録を取らせること。そのために高速コースを設定し、最高のランナーを招聘し、最高のペースメーカーにレースを引っ張らせる。その実働舞台の責任者として指名された神奈川県教育局の職員。いずれも、箱根経験者だ。

 

日本人男子のマラソンの成績がふるわないのは、箱根駅伝がショウアップされすぎ、大学四年間が駅伝のために費やされていることに原因がある―「記録こそが日本陸上界を底上げする原動力になる」という神奈川県知事の仮説は、恐らく、作者である堂場瞬一の問題意識なのだろう。

 

突然、新しいマラソン大会を開催するという構想に、誰もが尻込みする。しかも日本人に世界記録を出させるというミッションなど、実現不可能としか思えない。しかし、箱根駅伝の経験者は、箱根の魅力からも、魔力からも逃れられないのだ。次第に知事の構想に巻き込まれ、登場人物の11人が「東海道マラソンで世界最高記録」という目標に向けて自分を追い詰めていく。

 

物語としては、若干、冗漫に感じるところや、唐突感が否めない部分もありましたが、新しい視点があり、問題提起もあり、グイグイと引き込まれていくページターナー。

 

特にペースメーカー役の二流ランナーと、大会事務局を引っ張る神奈川県教育局の職員の2人を2枚主人公にしたところがいい。スポーツの記録の裏側には、コーチや監督のみならず、もっともっと大勢の裏方たちの莫大な努力と舞台演出があることをさりげなく描き出している。

 

そしてネイティブ横浜市民である私にとっては、馴染みある地名がいっぱい出てくるのも嬉しい。六角橋商店街とか、鶴見橋に向かってゆるやかな坂道とか…その情景が目に浮かぶのは、読者の中でも横浜市民の特権です♪ 

 

但し、読者を生殺しにするようなフィナーレは勘弁! ニンジンぶら下げられて必死に走りきったのに、ゴールした瞬間にニンジンが消えてしまった…という感じ。正直、消化不良で夜中にのたうち回るような気分でした。文庫化の際の加筆を期待!

 

読み終えて、改めて、柏原クンの今後の活躍を期待せずにはいられません。2年後でも、3年後でも「箱根でも凄かったが、マラソン選手となって一段と輝きを増した」と言われるような選手になっているといいな。

 

ところで、この本は201111月初版。箱根駅伝前の絶妙なタイミングだけれど、バカ売れしたような気配はあまり感じなかったなぁ。年末に書店に平積みしたら、結構、売れたのではないか…と思ったりするのですが、でも、そんなことしたら日テレから圧力かかるか…。