(01)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(02)
括弧は、漢字のスコープ(管到)を明示する働きを持つ。管到(スコープ)は、「漢字の意味」が及ぶ範囲のことをいう。
といふ「言ひ方」も、可能である。
従って、
(02)により、
(03)
① 読(漢文)。
に於いて、
① 読 の意味は、(漢文)に及んでゐる。
(03)により、
(04)
② 読(漢文)学(漢字)。
に於いて、
② 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
② 学 の意味は、(漢字)に及んでゐる。
従って、
(04)により、
(05)
③ 欲〔読(漢文)学(漢字)〕。
に於いて、
に於いて、
③ 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
③ 学 の意味は、(漢字)に及んでゐて、
③ 欲 の意味は、〔読(漢文)学(漢字)〕に及んでゐる。
従って、
(05)により、
(06)
④ 不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]。
に於いて、
④ 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
④ 学 の意味は、(漢字)に及んでゐて、
④ 欲 の意味は、〔読(漢文)学(漢字)〕に及んでゐて、
④ 不 の意味は、[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]に及んでゐる。
従って、
(06)により、
(07)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に於いて、
⑤ 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
⑤ 学 の意味は、(漢字)に及んでゐて、
⑤ 欲 の意味は、〔読(漢文)学(漢字)〕に及んでゐて、
⑤ 不 の意味は、[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]に及んでゐて、
⑤ 非 の意味は、{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}に及んでゐる。
然るに、
(08)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
不[ ]⇒[ ]不
欲〔 〕⇒〔 〕欲
読( )⇒( )読
学( )⇒( )学
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}⇒
⑤ {[〔(漢文)読(漢字)学〕欲]不}非=
⑤ {[〔(漢文を)読み(漢字を)学ばんと〕欲せ]不る}非ず。
といふ「訓読の語順」になる。
然るに、
(09)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に於ける、
⑤{ [ 〔 ( )( ) 〕 ] }
といふ「括弧」は、
⑤ 非不欲読漢文学漢字。
といふ「漢文の補足構造」と、表すと「同時」に、
⑤ 漢文を読み漢字を学ばんと欲せ不る非ず。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(11)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に対する、
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於いて、
⑥ 我 は「主語」であり、
⑥ 必 は「連用修飾語」であり、
⑥ 者 は「被連体修飾語」であるため、
⑥ これらの3つは、「補足構造」とは、「関係」が無い。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑤ 非{ 不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕] }。
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於いて、
⑤ の「補足構造」と、
⑥ の「補足構造」は、「等しい」。
然るに、
(13)
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
不[ ]⇒[ ]不
欲〔 〕⇒〔 〕欲
読( )⇒( )読
学( )⇒( )学
といふ「移動」を行ふと、
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}⇒
⑥ 我は{必ずしも[〔(漢文)読(漢字)学〕欲]不者}非=
⑥ 我は{必ずしも[〔(漢文を)読み(漢字を)学ばんと〕欲せ]不る者も}非ず。
といふ「訓読の語順」になる。
従って、
(09)(13)により、
(14)
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於ける、
⑥{ [ 〔 ( )( ) 〕 ] }
といふ「括弧」は、
⑥ 我非必不欲読漢文学漢字者。
といふ「漢文の補足構造」を表すと「同時」に、
⑥ 我は必ずしも漢文を読み漢字を学ばんと欲せ不る者も非ず。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(15)
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
非〈 〉⇒〈 〉非
不{ }⇒{ }不
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
⑦ 我〈必{[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
⑦ 我は〈必ずしも{[〔(英文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ「訓読の語順」になる。
従って、
(03)(09)(15)により、
(16)
① 読(漢文)。
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
①( )
⑦〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、両方とも、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文の補足構造」を表すと「同時」に、
① 漢文を読む。
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(17)
① 読二漢文一。
⑦ 我非地必不レ求丙以下解二英文一法上解乙漢文甲者天也。
然るに、
(18)
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
① 漢文を読む。
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ風に、「訓読」出来ないのに、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」に対して、
① 二 一
⑦ 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」を付けることが出来る。
といふことは、有り得ない。
従って、
(02)(16)(17)(18)により、
(19)
ある人物が、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
① 漢文を読む。
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ風に、「訓読」出来ないにも拘らず、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」に対して、
① 二 一
⑦ 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」を付けることが出来るのであれば、その人には、
① 読(漢文)。
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也。
といふ「管到(スコープ)」が、「見えてゐる」といふ、ことになる。
然るに、
(20)
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を「(日本漢字音で)音読」するだけであるならば、「小学生の頃の私」でも、「可能」である。
然るに、
(21)
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、「一読」して、
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ風に、「訓読」することは、「大学受験生の頃の私」には、「不可能」である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
少なくとも、日本人にとって、「漢文が読める(理解できる)」といふことは、「訓読が出来る」ことに、等しい。
然るに、
(23)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
従って、
(02)(22)(23)により、
(24)
日本語が出来る、中国人にとっても、「漢文が読める(理解できる)」といふことは、「訓読が出来る」ことに、等しい。
然るに、
(25)
漢字は、実は、本場の中国においても、その読み方は地域の自由にまかせているのである。― 中略 ―その多様さはインド・ヨーロッパ語族の多様さに優に匹敵する。それゆえに、もし中国においてことばの表記を表音文字にきりかえたならば、同時に十三以上の外国語ができてしまうということになる(鈴木修次、漢語と日本人、1978年、134・5頁)。
従って、
(26)
⑦「日本漢字音」で、
⑦ ガヒフツキウイカイエイブンホウカイカンブンシャヤ。
と「音読」しようと、
⑦「北京語」で、
⑦ Wǒ fēi bì bù qiú yǐ jiě yīngwén fǎ jiě hànwén zhě yě.
と「音読」しようと、
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
であることには、「変り」が無いし、「漢字」とは、固より、「そういふもの」である。
然るに、その一方で、
(27)
「大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)。との、ことである。
然るに、その一方で、
(28)
専門家と称する人たちの大部分、九九.九パーセントは、(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、62頁)。との、ことである。
(01)
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は耳が長い。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は「妥当」である。
然るに、
(02)
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は鼻が長い。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は「妥当」ではない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は耳が長い。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は鼻ではなく、耳が長い。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「意味」で、なければならない。
従って、
(03)により、
(04)
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は耳が長い。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は耳が長い(兎の耳は鼻ではない)。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「意味」である。
然るに、
(05)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
2 6 (ア) ∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 58MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
1 6 (エ) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
1 6 (オ) ~鼻ba→~長b エUE
2 6 (カ) ∃y(耳ya&長y) ア&E
キ (キ) 耳ba&長b A
2 6 (ク) ∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ケ) ~耳ba→~長b&耳ba→~鼻ba クUE
2 6 (コ) 耳ba→~鼻ba ケ&E
キ (サ) 耳ba キ&E
2 6 キ (シ) ~鼻ba コサMPP
12 6 キ (ス) ~長b オシMPP
ウ (セ) 長b ウ&E
12 6ウキ (ソ) 長b&~長b シス&I
12 6ウ (タ) 長b&~長b カキソEE
12 6 (チ) 長b&~長b イウタEE
123 (ツ) 長b&~長b 36チEE
12 (テ)~∃x(象x&兎x) 3ツRAA
12 (ト)∀x~(象x&兎x) テ量化子の関係
12 (ナ) ~(象a&兎a) トUE
ニ (ニ) 象a A
ヌ(ヌ) 兎a A
ニヌ(ネ) 象a&兎a ニヌ&I
12 ニヌ(ノ) ~(象a&兎a)&(象a&兎a) ヌネ&I
12 ニ (ハ) ~兎a ヌノRAA
12 (ヒ) 象a→~兎a ニハCP
12 (フ)∀x(象x→~兎x) ヒUI
12 (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 ヒUI
12 (〃)兎は象ではない(Rabbits cannot be elephants)。 ヒUI
従って、
(05)により、
(06)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)}。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
② すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの耳であって長く、すべてのzについて、zがxの耳でないならば、zは長くなく、zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない}。
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は「妥当」である。
然るに、
(07)
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
② すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの耳であって長く、すべてのzについて、zがxの耳でないならば、zは長くなく、zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない}。
といふことは、
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
② 兎は耳は長く、耳以外は長くなく、兎の耳は鼻ではない。
といふ、「意味」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。然るに、
② 兎は耳は長く、耳以外は長くなく、兎の耳は鼻ではない。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は「妥当」である。
従って、
(04)(08)により、
(09)
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は耳が長い(兎の耳は鼻ではない)。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。然るに、
② 兎は耳は長く、耳以外は長くなく、兎の耳は鼻ではない。従って、
③ 兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は「妥当」である。
従って、
(09)により、
(10)
① 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふ「意味」で、なければならない。
従って、
(10)により、
(11)
① 鼻が長い。
② 鼻以外は長くない。
に於いて、
①=② である、
従って、
(11)により、
(12)
① 私が理事長です。
② 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
② 私以外は理事長ではない。
③ 理事長は私である。
に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「番号」を付け直すと、
① 私が理事長です。
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(15)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(14)(15)により、
(16)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、理事長は、私です。
③ タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(16)により、
(17)
① 象は、鼻が長い。
② 象は、長いのは、鼻である。
③ 象は、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(17)により、
(18)
① 象は、鼻が長い。
といふのであれば、
① 象は、鼻は長い。
従って、
(06)(07)(17)(18)により、
(19)
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻は長く、鼻以外は長くない。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(20)
(ⅰ)
1 (1)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&鼻xy→~長x)} A
1 (2) ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(~象y&鼻ay→~長a)} 1UE
3 (3) (鼻ab&象b→長a)&(~象b&鼻ab→~長a) A
3 (4) 鼻ab&象b→長a 3&E
3 (5) ~象b&鼻ab→~長a 3&E
6 (6) 長a A
6 (7) ~~長a 6DN
36 (8) ~(~象b&鼻ab) 57MTT
36 (9) 象b∨~鼻ab 8ド・モルガンの法則
ア (ア) 象b A
ア (イ) ~~象a アDN
ア (ウ) ~~象a∨~鼻ab イ∨I
エ (エ) ~鼻ab A
エ (オ) ~~象b∨~鼻ab エ∨I
36 (カ) ~~象b∨~鼻ab 9アウエオ∨E
36 (キ) ~象b→~鼻ab カ含意の定義
3 (ク) 長a→(~象b→~鼻ab) 6キCP
ケ(ケ) 長a& ~象b A
ケ(コ) 長a ケ&E
3 ケ(サ) ~象b→~鼻ab クコMPP
ケ(シ) ~象b ケ&E
3 ケ(ス) ~鼻ab サシMPP
3 (セ) 長a&~象b→~鼻ab ケスCP
3 (ソ) (鼻ab&象b→長a)&(長a&~象b→~鼻ab) 4セ&I
3 (タ) ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(長a&~象y→~鼻ay)} ソEI
1 (チ) ∃y{(鼻ay&象b→長a)&(長a&~象y→~鼻ay)} 23タEE
1 (ツ)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(長x&~象y→~鼻xy)} チUI
(ⅱ)
1 (1)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(長x&~象y→~鼻xy)} A
1 (2) ∃y{(鼻ay&象b→長a)&(長a&~象y→~鼻ay)} 1UE
3 (3) (鼻ab&象b→長a)&(長a&~象b→~鼻ab) A
3 (4) 鼻ab&象b→長a 3&E
3 (5) 長a&~象b→~鼻ab 3&E
6 (6) 鼻ab A
6 (7) ~~鼻ab 6DN
36 (8) ~(長a&~象b) 57MTT
36 (9) ~長a∨ 象b 8ド・モルガンの法則
36 (ア) 象a∨~長a 9交換法則
イ (イ) 象a A
イ (ウ) ~~象a イDN
イ (エ) ~~象a∨~長a ウ∨I
オ (オ) ~長a A
オ (カ) ~~象a∨~長a オ∨I
36 (キ) ~~象a∨~長a アイエオカ∨E
36 (ク) ~象a→~長a キ含意の定義
3 (ケ) 鼻ab→(~象a→~長a) 6クCP
コ(コ) ~象b&鼻ab A
コ(サ) 鼻ab コ&E
3 コ(シ) ~象a→~長a ケサMPP
コ(ス) ~象b コ&E
3 コ(セ) ~長a シスMPP
3 (ソ) ~象b&鼻ab→~長a コセCP
3 (タ) (鼻ab&象b→長a)&(~象b&鼻ab→~長a) 4ソ&I
3 (チ) ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(~象y&鼻ay→~長a)} タEI
1 (ツ) ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(~象y&鼻ay→~長a)} 23チEE
1 (テ)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&鼻xy→~長x)} ツUI
従って、
(20)により、
(21)
① ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&鼻xy→~長x)}
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(長x&~象y→~鼻xy)}
に於いて、すなはち、
① すべてのxとあるyについて、xがyの鼻であって、yが象ならば、xは長く、yが象ではなく、xがyの鼻ならば、xは長くない。
② すべてのxとあるyについて、xがyの鼻であって、yが象ならば、xは長く、xが長くて、yが象でないならば、xはyの鼻ではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(21)により、
(22)
① ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&鼻xy→~長x)}⇔
① すべてのxとあるyについて、xがyの鼻であって、yが象ならば、xは長く、yが象ではなく、xがyの鼻ならば、xは長くない。
といふことは、
① 鼻は象は長く、象以外の鼻は長くない。
といふ「意味」である。
(23)
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(長x&~象y→~鼻xy)}⇔
② すべてのxとあるyについて、xがyの鼻であって、yが象ならば、xは長く、xが長くて、yが象でないならば、xはyの鼻ではない。
といふことは、
② 鼻は象は長く、象以外の動物(例へば兎)で、ある部分が長いならば、鼻以外の、耳が長い。
② 鼻は象は長く、象以外の動物(例へば馬)で、ある部分が長いならば、鼻以外の、顔が長い。
といふ「意味」である。
然るに、
(24)
{象、兎、馬}を、{変域(ドメイン)}とすると、
① 鼻は象が長く、
② 耳は兎が長く、
③ 顔は馬が長い。
といふ「日本語」は、「正しい」。
従って、
(21)~(24)により、
(25)
① 鼻は、象が長い。
② 鼻は、象は長く、象以外は長くない。
③ ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&鼻xy→~長x)}。
④ すべてのxとあるyについて、xがyの鼻であって、yが象ならば、xは長く、yが象ではなく、xがyの鼻ならば、xは長くない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(15)(19)(25)により、
(26)
① 象は、鼻が長い=象は、鼻は長く鼻以外は長くない。
② 鼻は、象が長い=鼻は、象は長く象以外は長くない。
③ タゴール記念会は、私が理事長です=タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(27)
① 象は動物である=∀x(象x→動物x)。
に於いて、
① 動物=鼻が長い
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
従って、
(27)により、
(28)
「述語論理(Predicate logic)」といふ「観点」からすれば、
① 象は動物である。
② 象は鼻が長い。
に於ける、
①「象は」と、
②「象は」に、「区別」はない。
然るに、
(29)
三上章さん、ずいぶんなつかしい名前です。学生時分に文法も少しかじったものですから。
昔のことなので、細かいことは忘れてしまいました。もしかすると三上さんの論ではなかったかもしれません。ただ、文法をいろいろ勉強していたときに「日本語には欧米語で言うところの主語は存在しない」という文章を読んだことがあります(OKWAVEのベストアンサー:2002年1月19日)。
然るに、
(30)
例へば、「ラテン語」は欧米語ではあっても、「ラテン語」には、「英語のやうな主語」は無いし、「日本語」には「ラテン語のやうな主語」はない。
然るに、
(31)
Q.文頭の主格は主語とみてもよいのでしょうか?
A. 主格が文頭にあると「主語」と思い込む人が多いと思いますが、そうとはかぎりません。ラテン語は主語を省くことがよくあります。人称代名詞の場合、動詞の形を見れば主語が何かはわかるので、省略されることがとくに多いです。その場合、補語と動詞だけで構成される文の訳にてこずることがあります。例えば、Homō sum.という一文。sumは「私は~である」を意味します。homōは「人間」を意味します。「人間は・・・」と訳し始めてはいけないということです。正解は、「私は人間である」となります(山下太郎のラテン語入門)。
然るに、
(31)により、
(32)
「ラテン語の先生」は、「ラテン語には主語」は無い。とは、言はない。
従って、
(33)
「主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである。困ることが前提である。だから、まず困ってもらわないと困る。困ったことには、まず困るというところへ行かない人がかなり多いらしいのである(三上章、日本語の論理、1963年、148頁)。
とは言ふものの、私自身も、「そのやうなこと」で、「困った」ことは無い。
(34)
ありがとうございます。
いくら三上先生の論文を読んでも頭がぐちゃぐちゃするだけだったので、
助かりました(OKWAVEの質問者お礼コメント:2002年1月21日)。
(35)
「三上先生の論文を読んでも頭がぐちゃぐちゃするだけである。」といふ点に関しては、私自身も、「同様です」。
(36)
(ⅰ)
1 (1) ∀z(~鼻zx→~長z) A
1 (2) ~鼻cx→~長c 1UE
3(3) ~鼻cx& 長c A
3(4) ~鼻cx 3&E
13(5) ~長c 24MPP
3(6) 長c 3&E
13(7) ~長c&長c 56&I
1 (8) ~(~鼻cx& 長c) 37RAA
1 (9)∀z~(~鼻zx& 長z) 8UI
1 (ア)~∃z(~鼻zx& 長z) 9量化子の関係
1 (〃)xの鼻以外で、長いzは、存在しない。
(ⅱ)
1 (1)~∃z(~鼻zx& 長z) A
1 (2)∀z~(~鼻zx& 長z) 1量化子の関係
1 (3) ~(~鼻cx& 長c) 2UE
4 (4) ~鼻cx A
5(5) 長c A
45(6) ~鼻cx& 長c 45&I
145(7) ~(~鼻cx& 長c)&
(~鼻cx& 長c) 35&I
14 (8) ~長c 57RAA
1 (9) ~鼻cx→~長c 48CP
1 (ア) ∀z(~鼻zx→~長z) 9UI
従って、
(36)により、
(37)
① ∀z(~鼻zx→~長z)
② ~∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
①=② である。
従って、
(19)(37)により、
(38)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、xの鼻以外で、長いzは、存在しない}。
に於いて、
①=② である。