日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(146)今日を最後に、しばらくの間、「ブログ」は書かない。と思ひます。

2019-02-03 21:40:52 | お知らせ
(01)
あるいは、四十九日の法要が済む頃には、再開できると思ふのですが、今日を最後に、しばらくの間、「ブログ」は書かない。と思ひます。
(02)
一定の数、ゐて下さる、このブログを読んでくれてゐる方たちにとっては、興味の対象ではないといふことを、十分承知の上で、事の次第を、書かせてもらひますが、以下の内容は、「日本語・論理学・漢文」等とは全く関係のない、私個人の問題です。
従って、
(03)
そんなことには、どうでも良いとする方たちは、もちろん、これ以上は、読むべきではないのですが、何が言ひたいかを、最初に書くことにすると、「痛風」で入院した父が、退院した、数時間後に、意識を失ひ、その日の内に、「大腸の壊死(大腸梗塞)」によって亡くなったのは、「投薬のミス」であったと、私には思へてならず、そのことが悔しくて、悲しくて、今は相当へこんでゐるので、これまでのやうな内容の「ブログ」を書く気には、しばらくの間、なりそうもないといふことです。
(04)
「おくすり手帳」を見ると、
平成24年6月18日、とある総合病院の、M先生から、「ロキソニン錠60mg2錠(熱を下げ、痛みやわらげ炎症を抑える薬)」と、「ガスターD錠10mg2錠(胃・十二指腸潰瘍、胃炎のお薬)、7日分」を処方されてゐるので、今年の内に、93歳になるはずであった父が、初めて痛風になったのは、平成24年の6月でした。
(05)
平成24年6月26日、とある総合病院の、K先生から「ザイロリック錠100、1錠(痛風、高尿酸血症を治療する薬、2週間分)」を処方してもらい、わずか、3日後の、
平成24年6月29日、とある総合病院の、W先生から「フェブリク錠10mg 1錠(痛風、高尿酸血症を治療する薬、10日分)」と「カロナール錠200(後)2錠(熱を下げ、痛みをやわらげ炎症を抑える薬、10回分)」を処方されてゐます。
(06)
「ザイロリック錠100、1錠」を、「フェブリク錠10mg 1錠」に変へたのは、たしか、肝臓が腫れた(?)といふことだったと、思ふのですが、とにかく、この頃に、エコーの検査を受けたことを、記憶してゐます。
(07)
といふわけで、「ザイロリック錠100、1錠」は体に合はず、「フェブリク錠10mg 1錠」に変へたわけですが、その「フェブリク錠10mg 1錠」でも、4日後に、瞼が腫れたので、
平成24年7月04日、同じ病院の、H先生から「クラビット点眼液0.5% 5ml、フルメトロン点眼薬0.1%、5ml、エコリシン眼軟膏 3.5g」を処方されてゐます。
(08)
ところが、その次の日の、
平成24年7月05日、再び、K先生から、「ザイロリック錠100、1錠、2週間分」を処方されてゐます。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
10日の間に、
「ザイロリック錠100 1錠」を、初めに処方され、
「フェブリク錠10mg 1錠」を、次に、処方され
「フェブリク錠10mg 1錠」を、初めに処方された、
「ザイロリック錠100 1錠」に、戻した。
といふことに、なります。
従って、
(09)により、
(10)
「ザイロリック錠100」も、「フェブリク錠10mg」も、両方とも、父の体には、合はず、
「ザイロリック錠100」と、「フェブリク錠10mg」を「比較」すれば、
「フェブリク錠10mg」の方が、「ザイロリック錠100」よりも、猶のこと、父の体には、合はなかったことに、なりますし、
平成24年7月05日から、平成31年1月05日までの、7年間は、「ザイロリック」も、「フェブリク」も、その他の「高尿酸血症を下げる薬」も、一度も、飲まずに、過ごしたのですが、このことが、「重要なポイント」です。
(11)
「おくすり手帳」を見ると、
平成24年7月05日から、20か月が過ぎた、
平成26年3月17日に、M先生から、「カロナール錠300(後)2錠(熱を下げ、痛みやわらげ炎症を抑える薬)」と、「ゼポラスパップ40mg24枚(痛みと炎症を抑える張り薬)」を処方され、その10日後の、
平成26年3月27日に、M先生から、「ロキソニン錠60mg2錠(熱を下げ、痛みやわらげ炎症を抑える薬)」と、「ムコスタ錠100mg2錠(胃潰瘍、胃炎の薬)」を処方されてゐるので、このときも、「痛風」であったことが、分かります。
(12)
ここで、話は前後するのですが、平成8年の頃に、父は、胃癌で、胃を全摘し、それ以降、とある総合病院の、外科の外来で、3か月に一度、「メチコバール(ビタミンB12)」の注射を受けて来ました。
そのため、
(04)~(12)により、
(13)
①「胃癌」の手術をした、 とある総合病院の「外科」で、3か月に一度、「メチコバール(ビタミンB12)」の注射を受け続けてゐる間に、
②「痛風」になり、最初は、とある総合病院の「整形外科」を受診し、
③「痛風の薬(ザイロリックとフェブリク)」を飲んだときに、3か月に一度の「メチコバール(ビタミンB12)」の注射は、とある総合病院の「内科」で打つようになったものの、
平成24年7月05日以降は、内科は、K先生(呼吸器内科)が、父の主治医でした。
ところが、
(14)
平成30年12月13日に、「痛風」が再発して、K先生に、
「カロラール錠300(300mg)3錠、一日3回、朝・昼・夕食後、7日分」を、処方してもらひつつも、もちろん、「痛み止め」では、「痛風」は良くならないため、
平成30年12月21日に、救急車で、病院に搬送された際に、その日は、K先生の「診察日」ではなかったこともあって、
平成30年12月21日(入院)から
平成31年01月29日(退院)までは、K先生(呼吸器内)ではなく、S先生(消化器内科)が、主治医でした。
(15)
「検査結果照会」を見ると、
「検査結果(12月21日)」の「尿酸値」は、10.3であって、
「検査結果(12月26日)」の「尿酸値」は、 7.7であって、
「検査結果(01月04日)」の「尿酸値」は、 7.0であって、
「3.4~7.8」であれば、「尿酸値」は「正常」です。
ところが、
(16)
S先生(入院時の主治医)の話(1月16日か、1月27日のどちらか)によると、
「01月04日」の「尿酸値」が、「正常値(7.0)」であったにも拘はらず、翌日の、
「01月05日」から、「フェブリク錠(10mg)」の「投与」を始めています。
従って、
(10)(11)(16)により、
(17)
「フェブリク錠10mg」の方が、「ザイロリック錠100」よりも、猶のこと、父の体には、合はなかったが故に、平成24年7月05日以降は、一度も、処方されてこなかった、
「フェブリク錠10mg」を、S先生(入院時の主治医で、消化器内科が専門)は、「投与」を始めてゐるのですが、
「検査結果照会」を見ると、
「検査結果(12月21日)」の「尿酸値」は、10.3であって、
「検査結果(12月26日)」の「尿酸値」は、 7.7であって、
「検査結果(01月04日)」の「尿酸値」は、 7.0であって、
「検査結果(01月11日)」の「尿酸値」は、 5.8であって、
「検査結果(01月18日)」の「尿酸値」は、 5.4であって、
「検査結果(01月25日)」の「尿酸値」は、 7.4です。
(18)
「腎臓の状態」を表す、Cre に関しては、
「検査結果(12月21日)」の「Cre」は、2.09であって、
「検査結果(12月26日)」の「Cre」は、1.53であって、
「検査結果(01月04日)」の「Cre」は、1.44であって、
「検査結果(01月11日)」の「Cre」は、1.59であって、
「検査結果(01月18日)」の「Cre」は、1.54であって、
「検査結果(01月25日)」の「Cre」は、2.57です。
従って、
(17)(18)により、
(19)
「12月21日」の「尿酸値」は、10.3であって、「Cre」は、2.09であって、
「01月04日」の「尿酸値」は、 7.0であって、「Cre」は、1.44であって、
「01月18日」の「尿酸値」は、 5.4であって、「Cre」は、1.54であって、
「01月25日」の「尿酸値」は、 7.4であって、「Cre」は、2.57です。
従って、
(19)により、
(20)
「01月04日」の「尿酸値」が、「正常値(7.0)」であったにも拘はらず、翌日の、
「01月05日」から、「フェブリク錠(10mg)」の「投与」を始め、
「01月18日」の「尿酸値」は、「正常値(5.4)」であって、
「01月25日」の「尿酸値」は、「正常値(7.4)」であるものの、「尿酸値」は、「5.4」から「7.4」に、上がってゐる(悪くなってゐる)。
といふことになります。
(21)
重要なのは、
「12月26日」の「Cre」は、1.53であって、
「01月04日」の「Cre」は、1.44であって、
「01月18日」の「Cre」は、1.54であって、
「01月25日」の「Cre」は、2.57である。
といふことから、
「フェブリク錠10mg」の方が、「ザイロリック錠100」よりも、猶のこと、父の体には、合はなかったが故に、平成24年7月05日以降は、一度も、処方されてこなかった、
「フェブリク錠10mg」の「投与(01月05日以降)」が、結果的に、「腎臓病」を、「悪化」させた。といふ風に、「推定」できる。といふことです。
(22)
「01月16日」には、インフルエンザが蔓延中であったため、「見舞ひ」が出来なくなってゐたにも拘はらず、本人を交えて、リハビリのK先生から話をうかがったところ、「リハビリは、少しづつ進んでゐる」し、父親本人も、リハビリを続けたいと言ってゐました。
ところが、
(23)
にも拘はらず、6日後の、
「01月22日」に、看護師さんに、病室に「新聞」を届けてもらった際に、たまたま、エレベータの中で、リハビリのK先生から話をうかがったところ、「リハビリは、全然、うまく行っていないので、このままでは、悪くはなっても、良くはならない。」との、ことでした。
(24)
「平成31年01月28日」には、介護の「認定調査センター」の調査員のMさんと、病室で、本人と、家族が、インタビューを受けることになってゐたので、
「平成31年01月29日」に、「退院」したいとの旨を、伝へて、
「平成31年01月29日の10時30分ぐらひ」に、Wさんが運転する、介護タクシーで、自宅にもどり、書いた、
(25)
「Y(父親の名前)の介護ノート」によると、
11時18分:マシュマロ2個。
12時18分~24分:カロリーメート200cc、3色饅頭(53キロカロリー)2個。
14時42分:ウンチを2回たれて、おむつを2枚汚して、トイレで、ウンチを促すも、その時は、ウンチは出ずに、息をハアハアしてゐて、
14時□□分:意識を無くしたので、救急車で、退院したばかりの病院にもどって、そのまま、
22時21分:S先生(消化器内科)ではない、K先生(消化器内科)によって「腸梗塞(大腸の壊死)」を原因とする、死亡が告げられます。
従って、
(17)~(25)により、
(26)
「フェブリク錠10mg」の方が、「ザイロリック錠100」よりも、猶のこと、父の体には、合はなかったが故に、平成24年7月05日以降は、一度も、処方されて来なかった、
「フェブリク錠10mg」を、S先生(入院時の主治医で、消化器内科が専門)が「投与」を始めなかったならば、このやうな「結果」にならなかったのではないか、といふ風に、私には、思へてなりません。
(27)
「退院時リハビリテーション指導書 兼 退院時療養指導書(平成31年1月27日作成)」には、
「内服薬は正しく服用し、継続してください」となってゐて、病院からは、「フェブリク錠20mg 1日0.5錠」が4日分、渡されてゐます。
従って、
(17)により、
(28)
「01月04日」の「尿酸値」は、 7.0であって、「Cre」は、1.44であって、
「01月18日」の「尿酸値」は、 5.4であって、「Cre」は、1.54であって、
「01月25日」の「尿酸値」は、 7.4であって、「Cre」は、2.57であったとしても、
S先生(入院時の、主治医で、消化器内科)は、「フェブリク錠10mg」の方が、「ザイロリック錠100」よりも、猶のこと、父の体には、合はなかったが故に、平成24年7月05日以降は、一度も、処方されてこなかった。といふことを、知ってか、知らずか、「フェブリク錠10mg」の「投与」は始めて、少なくとも、もうしばらくは、「投与」を続けることにしてゐたことに、なります。
(29)
「02月05日」には、K先生(呼吸器内科で、平成24年以来の、本来の主治医)による、診察が「予定」されてゐました。
(30)
「おくすり手帳」は、入院中は、病院が管理してゐたので、
平成24年の、6月26日から、7月5日の間に、
「ザイロリック錠100 1錠」を、初めに処方され、
「フェブリク錠10mg 1錠」を、次に、処方され
「フェブリク錠10mg 1錠」を、初めに処方された、
「ザイロリック錠100 1錠」に、戻した。
といふことは、知りませんでした。
(21)
「入院時」には、「入院予定の方へ」といふ「書類」のアレルギーの欄には、
アレルギー:( )(有り)
(薬品名 痛風の薬
(食品名 タラの芽)
(その他 マグロ)
といふ風に、私が書いた、はずです。