(01)
① P→(Q →R)
③(P→ Q)→R
に於いて、
P=偽
Q=偽
R=偽
であるとすると、
① 偽→(偽 →偽)≡ 偽→(真)≡真
③(偽→ 偽)→偽 ≡(真)→偽 ≡偽
であるため、
① は「真」であるが、
③ は「偽」である。
従って、
(01)により、
(02)
① P→(Q →R)
③(P→ Q)→R
に於いて、
①=③ ではない。
従って、
(02)により、
(03)
それぞれの「意味」が変はってしまふため、
① P→(Q→R)
③(P→Q)→R
から、「括弧」を除くことは、出来ない。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1) P→(Q→R) A
2(2) P& Q A
2(3) P 2&E
12(4) Q→R 13MPP
2(5) Q 2&E
12(6) R 45MPP
1 (7)(P&Q)→R 26CP
(ⅱ)
1 (1)(P&Q)→R A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5) R 14MPP
12 (6) Q→ R 35CP
1 (7) P→(Q→R) 26CP
(ⅲ)
1 (1) (P→ Q)→R A
2 (2)~(P&~Q) A
3 (3) P A
4(4) ~Q A
34(5) P&~Q 34&I
234(6)~(P&~Q)&
(P&~Q) 25&I
23 (7) ~~Q 46RAA
23 (8) Q 7DN
2 (9) P→ Q 38CP
12 (ア) R 19MPP
1 (イ)~(P&~Q)→R 2ア
(ⅳ)
1 (1)~(P&~Q)→R A
2 (2) P→ Q A
3 (3) P&~Q A
3 (4) P 3&E
23 (5) Q 24MPP
3 (6) ~Q 3&E
23 (7) Q&~Q 56&I
2 (8)~(P&~Q) 37RAA
12 (9) R 18MPP
1 (ア) (P→ Q)→R 29CP
従って、
(04)により、
(05)
① P→(Q →R)
② (P& Q)→R
③ (P→ Q)→R
④ ~(P&~Q)→R
に於いて、
①=② であって、
③=④ であるが、
①=③ ではなく、それ故、
②=④ ではない。
従って、
(05)により、
(06)
② (P& Q)→R
④ ~(P&~Q)→R
といふ「論理式」に於いて、
②=④ ではない。
然るに、
(07)
「日本語の語順」に従ふのであれば、
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」に於いて、
②=④ ではない。
然るに、
(08)
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」は、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「日本語」に、相当する。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」と、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「日本語」に於いて、
②=④ ではない。
然るに、
(10)
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
ではなくて、
④ Pであって(Qでない、ではない)ならばRである。
であると、する。
然るに、
(11)
④(Qでない、ではない)
といふことは、「二重否定律(DN)」により、
④(Qである)
に、他ならない。
従って、
(10)(11)により、
(12)
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
ではなくて、
④ Pであって(Qでない、ではない)ならばRである。
であると、するならば、
④ Pであって(Qである)ならばRである。
といふ「意味」になる。
然るに、
(13)
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④ Pであって(Qである)ならばRである。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(09)(13)により、
(14)
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」と、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「日本語」に於いて、
②=④ ではない。
にも拘はらず、その一方で、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④ Pであって(Qである)ならばRである。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(14)により、
(15)
④(P&Q~)~→R
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「論理式」と「日本語」から、「括弧」を除くことは、出来ない。
然るに、
(16)
任意の表述の否定は、その表述を、~( )という空所にいれて書くことにしよう。:しかし丸括弧はその内部が連言でないかぎり削除しよう
(W.O.クワイン 著、杖下隆英 訳、現代論理入門、1972年、15頁)。
従って、
(06)(16)により、
(17)
任意の表述の否定は、その表述を、必ず、~( )という空所、または、~{ }という空所にいれて書くことにするならば、
④ ~(P&~Q)→R
といふ「論理式」は、
④ ~{P&~(Q)}→R
といふ風に、書くことになる。
然るに、
(18)
④ ~{P&~(Q)}→R
に於いて、
~{ }→{ }~
~( )→( )~
といふ「移動」を行ふと、
④ ~{P&~(Q)}→R⇒
④{P&(Q)~} ~→R=
④{Pであって(Qで)でない}ではないならばRである。
といふ「命題論理訓読」が、成立する。
然るに、
(19)
④ 無ニ生而不一レ知則聖人也=
④ 無{生而不(知)}則聖人也。
に於いて、
無{ }→{ }無
不( )→( )不
といふ「移動」を行ふと、
④ 無{生而不(知)}則聖人也⇒
④ {生而(知)不}無則聖人也=
④ {生れながらにして(知ら)不ること}無くんば則ち聖人なり。
といふ「漢文訓読(は作例)」が、成立する。
然るに、
(20)
しかし、正確さに欠けることはあるにしても、われわれの直観は健全であった。つまり。むやみに括弧が多くなることは我慢できないのである。
採用してもよい自然で実際的な規則は、最も外側の括弧を省略することである。そしていまひとつ、括弧を減らす有効で実際的な方法がある。
結合記号に一定のランクをつけることにしよう(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、59頁)。
従って、
(20)により、
(21)
「論理式」であっても、「理論上、あるべき括弧」の、そのすべてを、「省略」せずに書いてゐる。といふわけではない。
従って、
(18)~(21)により、
(22)
例へば、
④ 無生而不知則聖人也。
といふ「漢文」に対して、
④ 無ニ生而不一レ知則聖人也。
といふ「返り点」を、加へることは、
例へば、
④ ~P&~Q→R
といふ「論理式」に対して、
④ ~{P&~(Q)}→R
といふ「括弧」を付けることに、相当する。
然るに、
(23)
「論理式」には、予め、「必要最低限の括弧」が付いてゐるが、「漢文の原文(白文)」には、「返り点(括弧)」が「全く付いてゐない」。
然るに、
(24)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
従って、
(23)(24)により、
(25)
「漢文の原文(白文)」には、「返り点(括弧)」が「全く付いてゐない」からと言って、「漢文の原文(白文)」に、「管到(括弧)」が無い。
といふことには、ならない。
然るに、
(26)
しばしばとりあげられる〈語順〉の問題、元来はまっすぐに書かれた漢文に返り点をつけた、転倒しながら読むのは不自然だという考え方、などは、むしろ些少なことにすぎないかもしれない。かえって、語と語との修飾や支配の関係を、まったく構造を異にする日本語という言語と対比させることによって、はっきりとうかびあがらせる効用があるというべきである。
是以、大学始教、必使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
そこで大学での始めの教えは、学習者が天下の物すべてについて、彼がすでに知っている理を手がかりとしてますますこれをきわめ、そしてその極点にまで到達することを求めるようにせしめる(原文では、「求めないことはいっさいないように、ぜともせしめる」)のである。
このよう複雑な文章でも、返り点があることによって、簡明直截に文字のかかり方を知ることができる(平凡社、日本語の歴史2、2007年、155・156頁改)。
(27)
例へば、
是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、
是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
是以、大学始教、必〈学者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
是を以て、大学の始教は、必ず〈学者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ風に、「訓読」したとしても、
是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
是以、大学始教、必〈学者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使。
に於ける、
〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「補足構造」は、「不変」であって、尚且つ、「括弧・返り点」があることによって、
是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
のやうな「複雑な文章」でも、
是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
のやうに「簡明直截」に「文字のかかり方」を知ることができるが故に、「転倒しながら読む」のは不自然だという考え方、などは、むしろ「些少なこと」にすぎない。
(01)
1(1)∀x(Fx) A
1(2) Fa 1UE
1(3)∃x(Fx) 1UI
といふ「計算」は、
(1)すべてのxがFである。 ならば、
(2)任意のaは、Fであり、
(〃)任意のaが、Fである。 ならば、
(3) あるxは、Fである。
といふ「意味」であって、この「計算」は「正しい」。
然るに、
(02)
1 (1)∃x(Fx) A
2(2) Fa A
2(3)∀x(Fx) 2UI
1 (4)∀x(Fx) 123EE
といふ「計算」は、
(1)あるxが、Fである。 ならば、
(2)あるaは、Fであり、
(〃)あるaが、Fである。 ならば、
(3)すべてのxがFである。
といふ「意味」であって、この「計算」は、明らかに、「間違ひ」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x(Fx)⇒ ∃x(Fx)
(ⅱ)∃x(Fx)⇒ ∀x(Fx)
といふ「量記号の変換」に於いて、 に於いて、
(ⅰ)は、「正しく」、
(ⅱ)は、「間違ひ」である。
然るに、
(04)
① ∀x∀y(Fxy)
② ∃y∀x(Fxy)
といふ、「二項述語」は、「括弧」を「省略」しない場合は、
① ∀x{∀y(Fxy)}
② ∃y{∀x(Fxy)}
といふ「形」をしてゐる。
従って、
(03)(04)により、
(05)
(ⅰ)∀x(Fx)⇒ ∃x(Fx)
といふ「量記号の変換」が「正しい」のであれば、
(ⅰ)∀x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}
(ⅱ)∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∃y(Fxy)}
といふ「量記号の変換」も、当然、「正しい」。
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)
1(1)∀x{∀y(Fxy)} A
1(2) ∀y(Fay) 1UE
1(3)∃x{∀y(Fxy)} 2EI
といふ「述語計算」は、「正しく」、
(ⅱ)
1 (1)∃x{∀y(Fxy)} A
2(2) ∀y(Fay) A(代表的選言項)
2(3) Fab 2UE
2(4) ∃y(Fay) 3EI
2(5)∃x{∃y(Fxy)} 5EI
1 (6)∃x{∃y(Fxy)} 125EE
といふ「述語計算」も、「正しい」。
従って、
(05)(06)により、
(07)
(ⅰ)∀x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}
(ⅱ)∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∃y(Fxy)}
であるため、「推移律」により、
(ⅲ)∀x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∃y(Fxy)}
といふ「量記号の変換」は、「正しい」。
然るに、
(08)
1 (1)∀x{∀y(Fxy)} A
1 (2) ∀y(Fay) 1UE
1 (3)∃x{∀y(Fxy)} 2EI
4 (4) ∀y(Fay) A(3の代表的選言項で、それ自体は連言。Fayであって、Fxbではない点に、注意せよ。)
4 (5) Fab 4UE(4を&E)
4 (6) ∃x(Fxb) 5EI(5に∨I)
4 (7)∀y{∃x(Fxy)} 6UI
1 (8)∀y{∃x(Fxy)} 347EE
1 (9) ∃x(Fxb)} 8UE
ア(ア) Fab A
ア(イ) ∃y(Fay) アEI
1 (ウ) ∃y(Fay) 9アイEE
1 (エ)∃x{∃y(Fxy)} ウEI
従って、
(08)により、
(09)
1 (1)∀x{∀y(Fxy)} A
1 (3)∃x{∀y(Fxy)} 2EI
1 (8)∀y{∃x(Fxy)} 347EE
1 (エ)∃x{∃y(Fxy)} ウEI
であって、それ故、
(ⅳ)∀x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∀y{∃x(Fxy)}⇒ ∃x{∃y(Fxy)}
といふ「量記号の変換」は、「正しい」。
従って、
(07)(09)により、
(10)
すぐに、思ひ付くところの、
(ⅲ)∀x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∃y(Fxy)}
といふ「量記号の変換」に加へて、
(ⅳ)∀x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∀y{∃x(Fxy)}⇒ ∃x{∃y(Fxy)}
といふ「量記号の変換」も、「正しい」。
然るに、
(11)
「沢田允、現代論理学入門、1962年、146頁」によると、
① ∀x{∀y(Fxy)}
② ∀y{∀x(Fxy)}
③ ∃x{∃y(Fxy)}
④ ∃y{∃x(Fxy)}
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(12)
① ∀x{∀y(愛xy)}
② ∀y{∀x(愛xy)}
③ ∃x{∃y(愛xy)}
④ ∃y{∃x(愛xy)}
であるならば、例へば、
① ∀x{∀y(愛xy)}≡すべての人は、すべての人を愛す。
② ∀y{∀x(愛xy)}≡すべての人は、すべての人に愛される。
③ ∃x{∃y(愛xy)}≡ある人は、ある人を愛す。
④ ∃y{∃x(愛xy)}≡ある人は、ある人に愛される。
である。
然るに、
(13)
① すべての人は、すべての人を愛す。
といふことは、
② すべての人は、すべての人に愛される。
といふことに、他ならない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① ∀x{∀y(愛xy)}≡すべての人は、すべての人を愛す。
② ∀y{∀x(愛xy)}≡すべての人は、すべての人に愛される。
③ ∃x{∃y(愛xy)}≡ある人は、ある人を愛す。
④ ∃y{∃x(愛xy)}≡ある人は、ある人に愛される。
であるならば、確かに、「命題」としては、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(10)~(14)により、
(15)
「二項述語における、量記号の変換規則」とは、
∀x{∀y(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∀y{∃x(Fxy)}⇒ ∃x{∃y(Fxy)}
∀y{∀x(Fxy)}⇒ ∃x{∀y(Fxy)}⇒ ∀y{∃x(Fxy)}⇒ ∃y{∃x(Fxy)}
といふ「規則」を、いふ。
― HSさんへ(写真について)。―
(01)
原様、私のブログへの温かいコメント、大変、有り難うございます。
(02)
2018年3月に、gooブログを始めてから、3年が過ぎ、さき程、確認したところ、2021年3月28日までの、「観覧数は、72693PV」、「訪問者数は、53411UU」に過ぎませんし、「フォロワー数」に至っては、「0人」という「結果」に終わっています。
(03)
そのため、よもや、「私の(、ブログというには、いささか変わった)ブログ」を評価されている方は、ほとんどいないであろうと、思っていたのですが、原様より、望外の評価を頂いて、舞い上がり気味になっています。
(04)
しかしながら、その一方で、
>(失礼な表現ではありますが)可愛らしいプロフィール写真が、我がお気に入りでもあります!
とのことですが、実を言うと、このような「おほめ」には、とまどいを覚えます。
(05)
のような「プロフィール写真」は、何と言っても、「小さ過ぎ」ですし、あの「写真」は、「当時の私」には「あまり似ていません」。
(06)
あの「写真」は、高2の、修学旅行の際に、某駅のプラットフォームで、友人に撮ってもらった「写真」であって、同じく、修学旅行の際に、宿泊先の旅館の庭で撮ってもらったのが、次の「写真」です。
(07)
といふわけで、「高2」のときの私は、「写真」に写っている通り、少なくとも、「可愛らしくはない」と思うのですが、その一方で、私自身も、いろいろな方の「ブログ」を読むにつけて、一体、どのような「見目形」の方が、書かれているのだろうかと思うことが、無いわけでは、ありません。
(08)
しかしながら、「ネットにおける(顔写真を含む)個人情報(有名人のそれではない)」の公開は、ある面、危険を伴うので、躊躇もするのですが、(06)のような、「大昔の(フイルム)写真(をデジカメで撮りなおしたもの)」であれば、それを見た人が、私に会うことがあっても、私であると、気づくことはない、ということになります。
(09)
ところで、もはや初老である今の私の「容貌」ですが、高2の頃と、「身長」は固より、「体重」も、ほぼ同じですし、幸いなことに、「頭髪」に関しては、「白髪」にはなっていても、「高2の時と変わらないボリュームであって、生え際も、後退していません」し、「前歯が1本、差し歯」になった点を除けば、「顔は、整形無し」です。
(10)
そのため、「アプリ」を用いて、「写真(06)」に「メガネ」をかけた上で、「17歳の私」を、「60代半ばの私」に「設定」にしてみれば、「その写真」は、「今の私に、当たらずとも、遠からず」なのかも知れないのですが、今、「検索」を掛けたところ、そうした「アプリ」にも、危険があるとのことです。
(11)
「森達也」さんをググって、「画像」の「文字」をクリックして、
「自ら念ひ因りて君を念ふ、倶に老の逼る所と爲る。」ということを、実感しています。
(12)
ネットにアップロードされている「森達也」さんの「画像」は、「ほとんどが最近の写真」のようで、「私の見た目」も、「年齢的」には、「森さんのような感じ」か、もしかしたら、「少しは若く見える(?)」かも知れないのですが、実を言いうと、「二十歳の頃の私が、TKさんに振られた」時期に、「二十歳の頃の森さんは、AKさんに振られた」ことや、「森さんが住んでいたアパートの隣の部屋」には、「元プロボクサーで、銀座のとんかつ屋さん」がいて、その隣には、「E君」がいて、その隣には、「M君」がいたことを覚えています。
(13)
「森達也」さんが、「子猫」を拾って来たら、「ノミ」が「アパート」に蔓延して、「とんかつ屋さん」が、「バルサン」を焚くことになった、などということがあったことや、その他、もろもろを思い出すことが出来るので、「二十歳の頃の、森君」の「容貌」も思い出すことが、出来ます。
(14)
当時は、「メガネ」をかけていなかった「森君」の「容貌」を思い出しつつ、私と同様に、「初老」を迎えた「森さん」の「画像」を見ていると、「人間の表情」が、「年」を取ると、(良い意味で)変わって行くものである。ということを、知ることが出来ます。
従って、
(04)(05)(09)(14)により、
(15)
「17の頃の私」の「写真」から「想像」される通りに、「私自身が老けた」のか、どうかは、別にしても、少なくとも、
>(失礼な表現ではありますが)可愛らしいプロフィール写真が、我がお気に入りでもあります!
とのことですが、実を言うと、このような「おほめ」には、とまどいを覚えた。という、次第です。
(16)
原様には、これからも、「楽しくて、ためになる、ブログ」を書かれていかれることを、期待しています。
(01)
122 ∃x∀y(Fxy)├ ∀y∃x(Fxy)
1 (1)∃x∀y(Fxy) A
2(2) ∀y(Fay) A
2(3) Fab 1UE
2(4) ∃x(Fxb) 3EI
2(5)∀y∃x(Fxy) 4UI
1 (6)∀y∃x(Fxy) 125EE
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、165頁)
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x∀y(Fxy)
② ∀y∃x(Fxy)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(03)
{xとy}は{人間}であって、
{人間}は、{a、b、c}の{3人}であるとする。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)愛aa≡aはa自身を愛す。
(ⅱ)愛ab≡aはb を愛す。
(ⅲ)愛ac≡aはc を愛す。
とするならば、
① ある人(a)は、すべての人(a、b、c)を愛す。
然るに、
(05)
(ⅰ)愛aa≡aはa自身を愛す。
(ⅱ)愛ab≡aはb を愛す。
(ⅲ)愛ac≡aはc を愛す。
とするならば、
(ⅰ)aは、a自身によって、愛され、
(ⅱ)bは、aによって、 愛され、
(ⅲ)cは、aによって、 愛される。
然るに、
(06)
(ⅰ)aは、a自身によって、愛され、
(ⅱ)bは、aによって、 愛され、
(ⅲ)cは、aによって、 愛される。
といふのであれば、
② すべての人(a、b、c)は、ある人(a)に愛される。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
① ある人(a)は、すべての人(a、b、c)を愛す。
② すべての人(a、b、c)は、ある人(a)に愛される。
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(08)
(ⅰ)愛ca≡cが、aを愛し、
(ⅱ)愛bb≡bが、bを愛し、
(ⅲ)愛ac≡aが、cを愛す。
といふのであれば、
② すべての人(a、b、c)は、別々の、ある人(c、b、a)に愛される。
といふことになるものの、この場合は、
① ある人(a)は、 ある人(c)だけを愛し、
② ある人(b)は、自分自身(b)だけを愛し、
③ ある人(c)は、 ある人(a)だけを愛す。
といふことに、過ぎない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① ∃x∀y(愛xy)≡ある人はすべての人を愛す。
② ∀y∃x(愛xy)≡すべての人はある人に愛される。
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
従って、
(01)(02)(09)
(10)
① ∃x∀y(Fxy)
② ∀y∃x(Fxy)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(11)
{a,b,c}が{変域}であるとして、
1(1)∀x(Fx) A
1(2) Fa 1UE
1(3)∃x(Fx) 2EI
といふ「計算」は、
1(1)Fa&Fb&Fc A
1(2)Fa 1&E
1(3)Fa∨Fb 2∨I
1(4)Fa∨Fb∨Fc 3∨I
といふ「計算」と「同じ」であって、この「計算」は、「正しい」。
然るに、
(12)
{a,b,c}が{変域}であるとして、
1 (1)∃x(Fx) A
2(2) Fa A
2(3)∀x(Fx) 2UI
1 (4)∀x(Fx) 123EE
といふ「計算」は、
1 (1)Fa∨Fb∨Fc A
2(2)Fa A
2(3)Fa&Fb 2#&I (はデタラメである。)
2(4)Fa&Fb&Fc 3#&I (はデタラメである。)
1 (5)Fa&Fb&Fc 124EE(はマチガイである。)
といふ「計算」と「同じ」であって、この「計算」は、「マチガイ」である。
(13)
(ⅰ)すべてのx(∀x)がFであるならば、 あるx(∃x)はFであるが、
(ⅱ)あるx(∃x)がFであるとしても、すべてのx(∀x)はFである。といふわけではない。
といふことから、
1 (1)∃x(Fx) A
2(2) Fa A
2(3)∀x(Fx) 2UI
1 (4)∀x(Fx) 123EE
といふ「計算」は、「マチガイ」であるものの、
1 (1)∀y∃x(Fxy) A
1 (2) ∃x(Fxa) 1UE
3(3) Fba A
3(4) ∀y(Fby) 3UI?
3(5)∃x∀y(Fxy) 4EI
1 (6)∃x∀y(Fxy) 235EE
といふ「計算」も、
1 (2) ∃x(Fxa) 1UE
3(3) Fba A
3(4) ∀y(Fby) 3UI?
に於いて、「同じマチガイ」を犯してゐる。
すなはち、
(14)
1 (1)∀y∃x(Fxy) A
1 (2) ∃x(Fxa) 1UE
3(3) Fba A
3(4) ∀y(Fby) 3UI?
3(5)∃x∀y(Fxy) 4EI
1 (6)∃x∀y(Fxy) 235EE
に於ける、ただひとつの誤った段階は(4)のそれである。―(3)は「a」を含み、その結果UIの制限(eigenvariable 条件)が破られる点に誤りがある。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、165頁改)
従って、
(01)(09)(14)により、
(15)
① ∃x∀y(愛xy)≡ある人はすべての人を愛す。
② ∀y∃x(愛xy)≡すべての人はある人に愛される。
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
といふ、ことになる。
(01)
12.∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
(沢田允、現代論理学入門、1962年、139頁)
従って、
(01)により、
(02)
沢田允先生が書いてゐることが、「本当」であるならば、
① ∀x(Fx∨Gx)
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(03)
(ⅰ)
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3 (3) Fa A(2の選言項・左)
3 (4)∀x(Fx) 3UI(は、マチガイ?)
3 (5)∀x(Fx)∨∃x(Gx) 4∨I
6(6) Ga A(2の選言項・右)
6(7) ∃x(Gx) 6EI(であって、UIではないので、正しい。)
6(8)∀x(Fx)∨∃x(Gx) 7∨I
1 (9)∀x(Fx)∨∃x(Gx) 23568∨E
(ⅱ)
1 (1)∀x(Fx)∨∃x(Gx) A
2 (2)∀x(Fx) A
2 (3) Fa 2UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6 (6) ∃x(Gx) A
7(7) Ga A
7(8) Fa∨Ga 7∨I
7(9) ∀x(Fx∨Gx) 8UI(は、完全なマチガイ。)
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12579∨E
従って、
(03)により、
(04)
1 (9)∀x(Fx)∨∃x(Gx) 23568∨E
といふ「∨Eによる結論」を得る際の、
3 (3) Fa A(2の選言項・左)
3 (4)∀x(Fx) 3UI(は、マチガイ?)
といふ、「(2度ではなく)1度だけ」の「UI」であっても、「eigenvariable 条件」を「満たしてゐない」するならば、
沢田允先生が書いてゐることは、「本当」ではなく、
① ∀x(Fx∨Gx)
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
に於いて、
① ならば、② ではないし、
② ならば、① でもない。
といふことに、ならざるを得ない。
然るに、
(05)
{すべてのx}={a,b,c}
であるとして、
② Ga
が「真」であるならば、それだけで、
② ∃x(Gx)≡Ga∨Gb∨Gc
は、「真」である。
然るに、
(06)
② ∃x(Gx)
が「真」であるならば、それだけで、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は、「真」である。
然るに、
(07)
① Ga
が「真」であるとしても、その上、
① Gb&Gc
が「真」であることによって、
① Ga&Gb&Gc
が「真」であるか、または、
① Fa&Fb&Fc
が「真」でなければ、
① ∀x(Fx∨Gx)
は、「真」であるとは、限りない。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
沢田允先生が書いてゐる通り、確かに、
① ∀x(Fx∨Gx)
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
に於いて、
② ならば、① ではない。
といふことは、「正しい」。
然るに、
― 以下の説明は、述語論理に慣れてゐない方にとっては、いくぶん、ややこしくなります。―
(09)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① Fa&Fb&Fc
が「真」であれば、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∀x(Fx)
は「真」であり、
② ∀x(Fx)
が「真」であれば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
(10)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① Fa&Fb
が「真」であれば、
① Gc
が「真」になり、このとき、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∃x(Gx)
は「真」であり、
② ∃x(Gx)
が「真」であるならば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
(11)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① Fa
が「真」であれば、
① Gb&Gc
が「真」になり、このとき、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∃x(Gx)
は「真」であり、
② ∃x(Gx)
が「真」であるならば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
(12)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① F#
が「3つ」とも「偽」であれば、
① Fa&Fb&Fc
は「偽」であるとしても、
① Ga&Gb&Gc
が「真」になり、このとき、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∃x(Gx)
は「真」であり、
② ∃x(Gx)
が「真」であるならば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
然るに、
(13)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① Ga&Gb&Gc
が「真」であれば、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∃x(Gx)
は「真」であり、
② ∃x(Fx)
が「真」であれば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
(14)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① Ga&Gb
が「真」であれば、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∃x(Gx)
は「真」であり、
② ∃x(Fx)
が「真」であれば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
(15)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① Ga
が「真」であれば、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∃x(Gx)
は「真」であり、
② ∃x(Fx)
が「真」であれば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
(16)
① ∀x(Fx∨Gx)
が「真」であるとして、
① G#
が「3つ」とも「偽」であれば、
① Ga&Gb&Gc
は「偽」であるとしても、
① Fa&Fb&Fc
が「真」になり、このとき、
① ∀x(Fx∨Gx)
に加へて、
② ∀x(Fx)
は「真」であり、
② ∀x(Fx)
が「真」であるならば、
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
は「真」である。
従って、
(05)(09)~(16)により、
(17)
{すべてのx}={a,b,c}
であるとして、沢田允先生が書いてゐる通り、確かに、
① ∀x(Fx∨Gx)
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
に於いて、
① ならば、② である。
といふことは、「正しい」。
従って、
(01)(08)(17)により、
(18)
沢田允先生が書いてゐる通り、確かに、
① ∀x(Fx∨Gx)
② ∀x(Fx)∨∃x(Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
従って、
(18)により、
(19)
(ⅰ)
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3 (3) Fa A(2の選言項・左)
3 (4)∀x(Fx) 3UI(は、1回目であるため、マチガイではない。)
3 (5)∀x(Fx)∨∃x(Gx) 4∨I
6(6) Ga A(2の選言項・右)
6(7) ∃x(Gx) 6EI(であって、UIではないので、正しい。)
6(8)∀x(Fx)∨∃x(Gx) 7∨I
1 (9)∀x(Fx)∨∃x(Gx) 23568∨E
といふ「計算」は、「正しい」と、せざるを得ない。
(01)
112 ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
1 (1)∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2)∀x(Fx) A
2 (3) Fa 1UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6(6) ∀x(Gx) A
6(7) Ga 6UE
6(8) Fa∨Ga 7∨I
6(9) ∀x(Fx∨Gx) 8UI
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12569∨E
「すべてのものがFをもつか、あるいはすべてのものがGをもつ。」ならば、「すべてのものはFあるいはGをもつ。」
証明は ∨E による。(5)と(9)の行において、UIを用いる際に、仮定された選言(1)のいずれの選言項にも「a」が含まれず、
従って、制限が満たされていることに注意する。
逆の連式、∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx) は妥当ではない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、155頁改)
従って、
(01)により、
(02)
E.J.レモンが述べてゐるやうに、「結論」として、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(03)
{すべてのもの}={a,b,c}
であるとする。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)∀x(Fx)≡「すべてのもの(a,b,c)が性質Fを持つ。」といふことは、
(〃)∀x(Fx)≡「aはFを持ち、bもFを持ち、cもFを持つ。」といふことである。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅱ)「aは性質Fを持たない(aはFでない)。」
とするならば、それだけで、
(ⅱ)~∀x(Fx)≡「すべてのもの(a,b,c)が、性質Fを持つ。」といふわけではない。
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)「すべてのもの(a,b,c)は、性質Fを持つ。」か、あるいは「すべてのもの(a,b,c)は、性質Gを持つ。」 然るに、
(ⅱ)「aは性質Fを持たない。」 従って、
(ⅲ)「すべてのもの(a,b,c)が、性質Gを持つ。」
といふ「推論(選言三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(07)
(ⅲ)「すべてのもの(a,b,c)が、性質Gを持つ。」といふのであれば、必然的に、
(ⅳ)「aは性質Gを持つ。」
従って、
(06)(07)により、
(08)
(ⅰ)「すべてのもの(a,b,c)は、性質Fを持つ。」か、あるいは「すべてのもの(a,b,c)は、性質Gを持つ。」 然るに、
(ⅱ)「aは性質Fを持たない。」 従って、「選言三段論法」により、
(ⅲ)「すべてのもの(a,b,c)が、性質Gを持つ。」が故に、「aは性質Gを持つ。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)「すべてのもの(b,a,c)は、性質Fを持つ。」か、あるいは「すべてのもの(b,a,c)は、性質Gを持つ。」 然るに、
(ⅱ)「bは性質Fを持たない。」 従って、「選言三段論法」により、
(ⅲ)「すべてのもの(b,a,c)が、性質Gを持つ。」が故に、「bは性質Gを持つ。」
といふ「推論(選言三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
(ⅰ)「すべてのもの(c,a,b)は、性質Fを持つ。」か、あるいは「すべてのもの(c,a,b)は、性質Gを持つ。」 然るに、
(ⅱ)「cは性質Fを持たない。」 従って、「選言三段論法」により、
(ⅲ)「すべてのもの(c,a,b)が、性質Gを持つ。」が故に、「cは性質Gを持つ。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
(ⅰ)「すべてのもの(a,b,c)は、性質Fを持つ。」か、あるいは「すべてのもの(a,b,c)は、性質Gを持つ。」 然るに、
(ⅱ)「aか、bか、cの、いづれかが、性質Fを持たない。」 が故に、
(ⅲ)「すべてのもの(a,b,c)が、性質Gを持つ。」
といふ「推論(選言三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(11)により、
(12)
①「すべてのもの(a,b,c)は、性質Fを持つ。」か、あるいは「すべてのもの(a,b,c)は、性質Gを持つ。」
②「aか、bか、cの、いづれかが、性質Fを持たない。」ならば、「すべてのもの(a,b,c)は、性質Gを持つ。」
に於いて、
① ならば、② である。
従って、
(02)(12)により、
(13)
「記号」で書くと、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(14)
1 (1) ∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2) ∀x(Fx) A
2 (3)~~∀x(Fx) 2DN
2 (4)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 3∨I
5 (5) ∀x(Gx) A
5 (6)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 5∨I
1 (7)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 12456∨E
1 (8) ~∀x(Fx)→∀x(Gx) 7含意の定義
9 (9) ∃x(~Fx) A
9 (ア) ~∀x(Fx) 9量化子の関係
1 9 (イ) ∀x(Gx) 8アMPP
1 (ウ) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) 9イCP
エ(オ) ~Fa A
エ(カ) ∃x(~Fx) オEI
1 エ(キ) ∀x(Gx) ウカMPP
1 エ(ク) Ga キUE
1 (ケ) ~Fa→Ga エクCP
1 (コ) ∀x(~Fx→Gx) ケUI
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、すなはち、
①「すべてのもの(a,b,c)は、性質Fを持つ。」か、あるいは「すべてのもの(a,b,c)は、性質Gを持つ。」
②「aか、bか、cの、いづれかが、性質Fを持たない。」ならば、「すべてのもの(a,b,c)は、性質Gを持つ。」
に於いて、
① ならば、② である。
といふことは、「述語計算(Predicate calculus)」としても、「正しい」。
然るに、
(16)
(ⅰ)
1 (1)∀x(~Fx→Gx) A
1 (2) ~Fa→Ga 1UE
3 (3) ~(Fa∨Ga) A
4 (4) Fa A
4 (5) Fa∨Ga 4∨I
34 (6) ~(Fa∨Ga)&
(Fa∨Ga) 35&I
3 (7) ~Fa 46RAA
13 (8) Ga 27MPP
13 (9) Fa∨Ga 8∨I
13 (ア) ~(Fa∨Ga)&
(Fa∨Ga) 39&I
1 (イ) ~~(Fa∨Ga) 3アRAA
1 (ウ) (Fa∨Ga) イDN
1 (オ) ∀x(Fx∨Gx) ウUI
(ⅱ)
1 (1)∀x(Fx∨ Gx) A
1 (2) Fa∨ Ga 1UE
3 (3) ~Fa&~Ga A
4 (4) Fa A
3 (5) ~Fa 3&E
34 (6) Fa&~Ga 45&I
4 (7)~(~Fa&~Ga) 36RAA
8 (8) Ga A
3 (9) ~Ga 3&E
3 8 (ア) Ga&~Ga 89&I
8 (イ)~(~Fa&~Ga) 3アRAA
1 (ウ)~(~Fa&~Ga) 2478イ∨E
エ (エ) ~Fa A
オ(オ) ~Ga A
エオ(カ) ~Fa&~Ga エオ&I
1 エオ(キ)~(~Fa&~Ga)&
(~Fa&~Ga) ウカ&I
1 エ (ク) ~~Ga オキRAA
1 エ (ケ) Ga クDN
1 (コ) ~Fa→Ga エケCP
1 (サ)∀x(~Fx→Gx) コUI
従って、
(16)により、
(17)
① ∀x(~Fx→Gx)
② ∀x( Fx∨Gx)
に於いて、
①=② である(含意の定義)。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② である。
といふことは、「述語計算(Predicate calculus)」としても、「正しい」。
然るに、
(19)
② ∀x(Fx∨Gx)
といふことは、
② すべてのもの(x)は、Fであるか、または、Gである。
といふ、ことである。
従って、
(03)(19)により、
(20)
② ∀x(Fx∨Gx)
②「すべてのもの(x)は、Fであるか、または、Gである。」
といふのであれば、例へば、
① aはFではあるが、Gではなく、
① bはFではあるが、Gではなく、
① cはFではあるが、Gではない。
といふ場合には、「真(本当)」である。
然るに、
(21)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
①「すべてのもの(x)は、Fである。」か、または「すべてのもの(x)は、Gである。」
といふのであれば、この場合も、
① aはFではあるが、Gではなく、
① bはFではあるが、Gではなく、
① cはFではあるが、Gではない。
といふ場合には、「真(本当)」である。
然るに、
(22)
② aはFではあるが、Gではなく、
② bはGではあるが、Fではなく、
② cはGではあるが、Fではない。
であるならば、
② ∀x(Fx∨Gx)
②「すべてのもの(a,b,c)は、Fであるか、または、Gである。」
としては、「真(本当)」であるが、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
①「すべてのもの(a,b,c)は、Fである。」か、または「すべてのもの(a,b,c)は、Gである。」
としては、「偽(ウソ)」である。
従って、
(18)~(21)により、
(22)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
従って、
(01)(02)(22)により、
(23)
E.J.レモンが述べてゐるやうに、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(24)
112 ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
1 (1)∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2)∀x(Fx) A
2 (3) Fa 1UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6(6) ∀x(Gx) A
6(7) Ga 6UE
6(8) Fa∨Ga 7∨I
6(9) ∀x(Fx∨Gx) 8UI
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12569∨E
「すべてのものがFをもつか、あるいはすべてのものがGをもつ。」ならば、「すべてのものはFあるいはGをもつ。」
証明は ∨E による。(5)と(9)の行において、UIを用いる際に、仮定された選言(1)のいずれの選言項にも「a」が含まれず、
従って制限が満たされていることに注意する。
逆の連式、∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx) は妥当ではない。
なぜなら、
「すべての正の整数は、偶数であるか、または、奇数である」が、
「すべての正の整数が偶数であるか、または、すべての正の整数が奇数である」というわけではない。
この場合には、
この連式、∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx)を証明しようとする自然な試みをさしとめるのは、UIに対する制限である。
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3(3) Fa A
Fa∨Gaを(1)から結論し、そして第1の選言項 Fa を(3)の行に仮定する。しかし(3)は a を含む故、ここで、
∀x(Fx)を結論することをさしとめられる。この段階が許されるとするならば、
∀x(Fx)∨∀x(Gx)を ∨I によって結論し、つぎに Ga からも同じことを結論することができるであろう。
そして ∨E によって不当な連式が作り出されるであろう。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、155・156頁改)
従って、
(24)により、
(25)
E.J.レモンも、述べてゐる通り、
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3 (3) Fa A
3 (4)∀x(Fx) 3UI
3 (5)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 4∨I
6(6) Ga A
6(7) ∀x(Gx) 6UI
6(8)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 7∨I
1 (9)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 23568∨E
といふ「計算(11)」は、実際には、「 マチガイ」である。
従って、
(01)~(25)により、
(26)
(a)
1 (1)∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2)∀x(Fx) A
2 (3) Fa 1UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6(6) ∀x(Gx) A
6(7) Ga 6UE
6(8) Fa∨Ga 7∨I
6(9) ∀x(Fx∨Gx) 8UI
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12569∨E
(b)
1 (1) ∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2) ∀x(Fx) A
2 (3)~~∀x(Fx) 2DN
2 (4)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 3∨I
5 (5) ∀x(Gx) A
5 (6)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 5∨I
1 (7)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 12456∨E
1 (8) ~∀x(Fx)→∀x(Gx) 7含意の定義
9 (9) ∃x(~Fx) A
9 (ア) ~∀x(Fx) 9量化子の関係
1 9 (イ) ∀x(Gx) 8アMPP
1 (ウ) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) 9イCP
エ(オ) ~Fa A
エ(カ) ∃x(~Fx) オEI
1 エ(キ) ∀x(Gx) ウカMPP
1 エ(ク) Ga キUE
1 (ケ) ~Fa→Ga エクCP
1 (コ) ∀x(~Fx→Gx) ケUI
(c)
1 (1)∀x(~Fx→Gx) A
1 (2) ~Fa→Ga 1UE
3 (3) ~(Fa∨Ga) A
4 (4) Fa A
4 (5) Fa∨Ga 4∨I
34 (6) ~(Fa∨Ga)&
(Fa∨Ga) 35&I
3 (7) ~Fa 46RAA
13 (8) Ga 27MPP
13 (9) Fa∨Ga 8∨I
13 (ア) ~(Fa∨Ga)&
(Fa∨Ga) 39&I
1 (イ) ~~(Fa∨Ga) 3アRAA
1 (ウ) (Fa∨Ga) イDN
1 (オ) ∀x(Fx∨Gx) ウUI
(d)
1 (1)∀x(Fx∨ Gx) A
1 (2) Fa∨ Ga 1UE
3 (3) ~Fa&~Ga A
4 (4) Fa A
3 (5) ~Fa 3&E
34 (6) Fa&~Ga 45&I
4 (7)~(~Fa&~Ga) 36RAA
8 (8) Ga A
3 (9) ~Ga 3&E
3 8 (ア) Ga&~Ga 89&I
8 (イ)~(~Fa&~Ga) 3アRAA
1 (ウ)~(~Fa&~Ga) 2478イ∨E
エ (エ) ~Fa A
オ(オ) ~Ga A
エオ(カ) ~Fa&~Ga エオ&I
1 エオ(キ)~(~Fa&~Ga)&
(~Fa&~Ga) ウカ&I
1 エ (ク) ~~Ga オキRAA
1 エ (ケ) Ga クDN
1 (コ) ~Fa→Ga エケCP
1 (サ)∀x(~Fx→Gx) コUI
といふ「計算」が「正しい」。といふことと、
(e)
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3 (3) Fa A
3 (4)∀x(Fx) 3UI
3 (5)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 4∨I
6(6) Ga A
6(7) ∀x(Gx) 6UI
6(8)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 7∨I
1 (9)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 23568∨E
といふ「計算」が「マチガイ」である。
といふこととに関しては、今の私は、「少しの疑ひ」も、持ってはゐない。
(01)
112 ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
1 (1)∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2)∀x(Fx) A
2 (3) Fa 1UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6(6) ∀x(Gx) A
6(7) Ga 6UE
6(8) Fa∨Ga 7∨I
6(9) ∀x(Fx∨Gx) 8UI
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12569∨E
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、155頁)
然るに、
(02)
(ⅰ)
1 (1)∀x(Fx∨ Gx) A
1 (2) Fa∨ Ga 1UE
3 (3) ~Fa&~Ga A
4 (4) Fa A
3 (5) ~Fa 3&E
34 (6) Fa&~Ga 45&I
4 (7)~(~Fa&~Ga) 36RAA
8 (8) Ga A
3 (9) ~Ga 3&E
3 8 (ア) Ga&~Ga 89&I
8 (イ)~(~Fa&~Ga) 3アRAA
1 (ウ)~(~Fa&~Ga) 2478イ∨E
エ (エ) ~Fa A
オ(オ) ~Ga A
エオ(カ) ~Fa&~Ga エオ&I
1 エオ(キ)~(~Fa&~Ga)&
(~Fa&~Ga) ウカ&I
1 エ (ク) ~~Ga オキRAA
1 エ (ケ) Ga クDN
1 (コ) ~Fa→Ga エケCP
1 (サ)∀x(~Fx→Gx) コUI
(ⅱ)
1 (1)∀x(~Fx→Gx) A
1 (2) ~Fa→Ga 1UE
3 (3) ~(Fa∨Ga) A
4 (4) Fa A
4 (5) Fa∨Ga 4∨I
34 (6) ~(Fa∨Ga)&
(Fa∨Ga) 35&I
3 (7) ~Fa 46RAA
13 (8) Ga 27MPP
13 (9) Fa∨Ga 8∨I
13 (ア) ~(Fa∨Ga)&
(Fa∨Ga) 39&I
1 (イ) ~~(Fa∨Ga) 3アRAA
1 (ウ) (Fa∨Ga) イDN
1 (オ) ∀x(Fx∨Gx) ウUI
従って、
(02)により、
(03)
① ∀x( Fx∨Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
①=② である(含意の定義)。
(01)(02)(03)により、
(04)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x( Fx∨Gx)
② ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
①=② である。
従って、
(04)により、
(05)
② ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
といふ「連式」が「妥当」であるため、次の「計算」は、「妥当」である。
1 (1) ∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2) ∀x(Fx) A
2 (3)~~∀x(Fx) 2DN
2 (4)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 3∨I
5 (5) ∀x(Gx) A
5 (6)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 5∨I
1 (7)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 12456∨E
1 (8) ~∀x(Fx)→∀x(Gx) 7含意の定義
9 (9) ∃x(~Fx) A
9 (ア) ~∀x(Fx) 9量化子の関係
1 9 (イ) ∀x(Gx) 8アMPP
1 (ウ) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) 9イCP
エ(オ) ~Fa A
エ(カ) ∃x(~Fx) オEI
1 エ(キ) ∀x(Gx) ウカMPP
1 エ(ク) Ga キUE
1 (ケ) ~Fa→Ga エクCP
1 (コ) ∀x(~Fx→Gx) ケUI
従って、
(05)により、
(06)
1 (ウ) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) 9イCP
エ(オ) ~Fa A
エ(カ) ∃x(~Fx) オEI
1 エ(キ) ∀x(Gx) ウカMPP
1 エ(ク) Ga キUE
1 (ケ) ~Fa→Ga エクCP
1 (コ) ∀x(~Fx→Gx) ケUI
といふ「計算」は、「妥当」である。
従って、
(06)により、
(07)
1 (1) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) A
2(2) ~Fa A
2(3) ∃x(~Fx) 2EI
12(4) ∀x(Gx) 13MPP
12(5) Ga 4UE
1 (6) ~Fa→Ga 25CP
1 (7)∀x(~Fx→Gx) 6UI
といふ「計算」は、「妥当」である。
従って、
(07)により、
(08)
1 (1) ∃x(~偶数x)→∀x(奇数x) A
2(2) ~偶数a A
2(3) ∃x(~偶数x) 2EI
12(4) ∀x(奇数x) 13MPP
12(5) 奇数a 4UE
1 (6) ~偶数a→奇数a 25CP
1 (7)∀x(~偶数x→奇数x) 6UI
といふ「計算」は、「妥当」である。
然るに、
(09)
2(2) ~偶数a A
2(3)∃x(~偶数x) 2EI
といふ「2行」は、
(2)「任意の数a」が「偶数」ではないので、
(3)「偶数ではない数x」が存在する。
といふことを、述べてゐる。
然るに、
(10)
12(4)∀x(奇数x) 13MPP
12(5) 奇数a 4UE
といふ「2行」は、
(4)「すべての数」は「奇数」であるため、
(5)「任意の数a」は「奇数」である。
といふことを、述べてゐる。
従って、
(09)(10)により、
(11)
2(2) ~偶数a A
2(3)∃x(~偶数x) 2EI
12(4)∀x( 奇数x) 13MPP
12(5) 奇数a 4UE
といふ「4行」は、
(a)「任意の数a」が「偶数」ではないので、「偶数ではない数x」が存在する。
(b)「すべての数」は「奇数」であるため、 「任意の数a」も「奇数」である。
といふことを、述べてゐる。
然るに、
(12)
(a)「任意の数a」が「偶数」ではないので、「偶数ではない数x」が存在する。
(b)「すべての数」は「奇数」であるため、 「任意の数a」も「奇数」である。
といふ「命題」は、明らかに、「真」である。
然るに、
(13)
(b)「すべての数」は「奇数」であるため、「任意の数a」も「奇数」である。
といふ「命題」に対して、
(c) 「ある数」は「奇数」であるため、「任意の数a」も「奇数」である。
といふ「命題」は、「真」では、有り得ない。
然るに、
(14)
(c)「ある数」は「奇数」であるため、「任意の数a」も「奇数」である。
といふ「命題」は、「真」では、有り得ないが、仮に、
(c)「ある数」は「奇数」であるため、「任意の数a」も「奇数」である。
といふ「命題」が、「真」であるならば、
1 (1) ∃x(~偶数x)→∃x(奇数x) A
2(2) ~偶数a A
2(3) ∃x(~偶数x) 2EI
12(4) ∃x(奇数x) 13MPP
12(5) 奇数a A
1 (6) ~偶数a→奇数a 25CP
1 (7)∀x(~偶数x→奇数x) 6UI
といふ「計算」は、「妥当」である。
といふことに、ならざるを得ない。
従って、
(13)(14)により、
(15)
1 (1) ∃x(~偶数x)→∃x(奇数x) A
2(2) ~偶数a A
2(3) ∃x(~偶数x) 2EI
12(4) ∃x(奇数x) 13MPP
12(5) 奇数a 4UE
1 (6) ~偶数a→奇数a 25CP
1 (7)∀x(~偶数x→奇数x) 6UI
といふ「計算」は、「妥当」ではない。
然るに、
(16)
1 (1) ∃x(~偶数x)→∃x(奇数x) A
2(2) ~偶数a A
2(3) ∃x(~偶数x) 2EI
12(4) ∃x(奇数x) 13MPP
12(5) 奇数a A
1 (6) ~偶数a→奇数a 25CP
1 (7)∀x(~偶数x→奇数x) 6UI
といふ「計算(マチガイ)」は、「eigenvariable 条件」に対する「違反の、具体例」である。
然るに、
(17)
矢田部俊介先生曰く:
「UIに対する制限(eigenvariable 条件)」は、「述語論理最大の難所」であって、これ本当にねぇ、わけわかんないですよね。僕は、初めてこれを習ったとき、見たとき、何のことか、全く理解できなかったんですよ。
との、ことである。
(01)
矢田部俊介先生曰く:
「UIに対する制限(eigenvariable 条件)」は、「述語論理最大の難所」であって、これ本当にねぇ、わけわかんないですよね。僕は、初めてこれを習ったとき、見たとき、何のことか、全く理解できなかったんですよ。
然るに、
(02)
1 (1) ∀x(偶x)∨∀x(奇x) A
2 (2) ∀x(偶x) A
2 (3)~~∀x(偶x) 2DN
2 (4)~~∀x(偶x)∨∀x(奇x) 3∨I
5 (5) ∀x(奇x) A
5 (6)~~∀x(偶x)∨∀x(奇x) 5∨I
1 (7)~~∀x(偶x)∨∀x(奇x) 12456∨E
1 (8) ~∀x(偶x)→∀x(奇x) 7含意の定義
9 (9) ∃x(~偶x) A
9 (ア) ~∀x(偶x) 9量化子の関係
1 9 (イ) ∀x(奇x) 8アMPP
1 (ウ) ∃x(~偶x)→∀x(奇x) 9イCP
エ(オ) ~偶a A
エ(カ) ∃x(~偶x) オEI
1 エ(キ) ∀x(奇x) ウカMPP
1 エ(ク) 奇a キUE
1 (ケ) ~偶a→奇a エクCP
1 (コ) ∀x(~偶x→奇x) ケUI
従って、
(02)により、
(03)
① ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)
② ∀x(~偶数x→奇数x)
に於いて、
① ならば、② である。
従って、
(03)により、
(04)
「日本語」で言ふと、
①「すべての数は偶数である。」か、または「すべての数は奇数である。」
②「すべての数は、偶数でないならば、奇数である。」
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(05)
①「すべての数は偶数である。」
②「ある数xは、偶数でない。」
に於いて、
① と ② は、「矛盾」する。
従って、
(05)により、
(06)
①「すべての数は偶数である。」
②「ある数xは、偶数でない。」
に於いて、
② であるならば、① ではない。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
①「すべての数は偶数である。」か、または「すべての数は奇数である。」
であるとして、
②「任意の数が、偶数でない。」ならば、 「すべての数は奇数である。」
cf.
「選言三段論法(Disjunctive syllogism)」
然るに、
(08)
②「すべての数が奇数である。」ならば、 「任意の数は、奇数である。」
従って、
(07)(08)により、
(09)
①「すべての数は偶数である。」か、または「すべての数は奇数である。」
であるとして、
②「任意の数が、偶数でない。」ならば、 「任意の数は、奇数である。」
従って、
(09)により、
(10)
①「すべての数は偶数である。」か、または「すべての数は奇数である。」
であるとして、
②「すべての数(任意の数)は、偶数でないならば、奇数である。」
従って、
(02)~(10)により、
(11)
①「すべての数は偶数である。」か、または「すべての数は奇数である。」
②「すべての数(任意の数)は、偶数でないならば、奇数である。」
に於いて、
① ならば、② である。
といふことは、「日本語」で考へたとしても、「妥当」である。
cf.
① は、当然、「普通の数学」としては、「偽(ウソ)」であるが、
② は、当然、「普通の数学」としても、「真(本当)」であるが、
然るに、
(12)
① ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)
③ ∀x(偶数x)∨∃x(奇数x)
に於いて、
① ではなく、
③ であるため、「次の計算(13)」は、「マチガイ」である。
(13)
1 (1) ∀x(偶x)∨∃x(奇x) A
2 (2) ∀x(偶x) A
2 (3)~~∀x(偶x) 2DN
2 (4)~~∀x(偶x)∨∃x(奇x) 3∨I
5 (5) ∃x(奇x) A
5 (6)~~∀x(偶x)∨∃x(奇x) 5∨I
1 (7)~~∀x(偶x)∨∃x(奇x) 12456∨E
1 (8) ~∀x(偶x)→∃x(奇x) 7含意の定義
9 (9) ∃x(~偶x) A
9 (ア) ~∀x(偶x) 9量化子の関係
1 9 (イ) ∃x(奇x) 8アMPP
1 (ウ) ∃x(~偶x)→∃x(奇x) 9イCP
エ (エ) ~偶a A
エ (オ) ∃x(~偶x) エEI
1 エ (カ) ∃x(奇x) ウオMPP
エ (キ) 奇a A
1 (ク) ~偶a→奇a エキCP
1 (ケ) ∀x(~偶x→奇x) クUI(は、マチガイである。)
(14)
(ⅰ)
{a,b,c}の{3つ}が{すべての数}であるとして、
A君は、{a}だけしか持ってゐなくて、
B君は、{a,b,c}のすべてを持ってゐるとする。
(ⅱ)
A君は、{a}を、テーブルの上に置いたとして、
それ見て、
B君も、{a}を、テーブルの上に置いたとして、このときは、
(ⅲ)
{a}={a}
なので、「セーフ」である。
といふ、「ルール」があるとする。
(15)
(ⅳ)
{a,b,c}の{3つ}が{すべての数}であるとして、
A君は、{a}だけしか持ってゐなくて、
B君は、{b}だけしか持ってゐないとする。
(ⅴ)
A君は、{a}を、テーブルの上に置いたとして、
それ見た、
B君は、止むを得ず、
{b}を、テーブルの上に置いたとして、このときは、
{a}≠{b}
なので、「アウト」とする。
といふ、「ルール」があるとする。
然るに、
(02)(13)(14)(15)により、
(16)
(13)に於ける、
エ (エ) ~偶a A
エ (キ) 奇a A
といふ「行」を、
エ (エ) ~偶a A
エ (キ) 奇b A
といふ風に、書き直すならば、
(ⅴ)
A君は、{a}を、テーブルの上に置いたとして、
それ見た、
B君は、止むを得ず、
{b}を、テーブルの上に置いたとして、このときは、
{a}={b}
ではないので、「アウト」である。
といふ「比喩」を、用ひることが、出来る。
従って、
(02)(11)~(16)により、
(17)
① ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)├ ∀x(~偶数x→奇数x)
② ∀x(偶数x)∨∃x(奇数x)├ ∀x(~偶数x→奇数x)
といふ「連式(Sequents)」に於いて、
① は、「ルール(eigenvariable 条件)」を満たしてゐるが、
② は、「ルール(eigenvariable 条件)」を満たしてゐない。
―「昨日(令和03年03月22日)の記事」を、書き直します。―
(01)
(ⅰ)「すべての数は偶数である。」か、または「すべての数は奇数である。」然るに、
(ⅱ)「すべての数は偶数である。」ではない。従って、
(ⅲ)「すべての数は奇数である。」
といふ「推論」は、「選言三段論法(Disjunctive syllogism)」である。
従って、
(01)により、
(02)
「記号」で書くと、
(ⅰ) ∀x(Fx)∨∀x(Gx)。然るに、
(ⅱ)~∀x(Fx)。従って、
(ⅲ) ∀x(Gx)。
といふ「推論」は、「選言三段論法(Disjunctive syllogism)」である。
然るに、
(03)
演繹定理(Deduction theorem)は次のように表現される。
定理2.2 A と B は論理式で、Γ は論理式の有限の列であるとする。もし、
Γ,A├ B
ならば、
Γ├ A→B
である(長尾真・淵一博、論理と意味、1983年、40頁)。
従って、
(02)(03)により、
(03)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx), ~∀x(Fx)├ ∀x(Gx)
② ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ~∀x(Fx)→ ∀x(Gx)
といふ「連式(Sequents)」に於いて、
① は、「三段論法」として「妥当」であり、
② は、「演繹定理」として「妥当」である。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1 (1) ~∀x(Fx)→∀x(Gx) A
2 (2) ∃x(~Fx) A
2 (3) ~∀x(Fx) 2量化子の関係
12 (4) ∀x(Gx) 13MPP
1 (5) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) 24CP
6 (6) ∃x(~Fx&~Gx) A
7 (7) ~Fa&~Ga A
7 (8) ~Fa 7&E
7 (9) ∃x(~Fx) 8EI
6 (ア) ∃x(~Fx) 679EE
1 6 (イ) ∀x(Gx) 5アMPP
1 6 (ウ) Ga イUI
7 (エ) ~Ga 7&E
1 67 (オ) Ga&~Ga ウエ&I
1 6 (カ) Ga&~Ga 67オEE
1 (キ)~∃x(~Fx&~Gx) 6カRAA
1 (ク)∀x~(~Fx&~Gx) キ量化子の関係
1 (ケ) ~(~Fa&~Ga) クUE
1 (コ) Fa∨ Ga ケ、ド・モルガンの法則
1 (サ) ∀x(Fx∨ Gx) コUI
従って、
(04)により、
(05)
③ ~∀x(Fx)→∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
従って、
(03)(05)
(06)
② ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ~∀x(Fx)→∀x(Gx)
③ ~∀x(Fx)→∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
といふ「連式(Sequents)」は、「妥当」である。
従って、
(06)により、
(07)
④ ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ~∀x(Fx)→ ∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」であり、それ故、「推移律」により、
④ ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
(ⅰ) ∀x(Fx)∨∀x(Gx)。然るに、
(ⅱ)~∀x(Fx)。従って、
(ⅲ) ∀x(Gx)。
といふ「推論(選言三段論法)」が「妥当」である。が故に、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
然るに、
(09)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
に対して、その「逆の連式」に関しては、
逆の連式、∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx) は妥当ではない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、155頁)
従って、
(09)により、
(10)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
② ∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
に於いて、
① は「妥当」であるが、
② は「妥当」ではない。
従って、
(10)により、
(11)
1 (1)∀x(偶x∨奇x) A
1 (2) 偶a∨奇a 1UE
3 (3) 偶a A
3 (4)∀x(偶x) 3UI
3 (5)∀x(偶x)∨∀x(奇x) 4∨I
6(6) 奇a A
6(7) ∀x(奇x) 6UI
6(8)∀x(偶x)∨∀x(奇x) 7∨I
1 (9)∀x(偶x)∨∀x(奇x) 23568∨E
といふ「計算(11)」は、実際には、「 マチガイ」である。
すなはち、
(12)
「すべての正の整数は、偶数であるか、または、奇数である」が、
「すべての正の整数が偶数であるか、または、すべての正の整数が奇数である」というわけではない。
この場合には、
この連式、∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx)を証明しようとする自然な試みをさしとめるのは、UIに対する制限である。
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3(3) Fa A
Fa∨Gaを(1)から結論し、そして第1の選言項 Fa を(3)の行に仮定する。しかし(3)は a を含む故、ここで、
∀x(Fx)を結論することをさしとめられる。この段階が許されるとするならば、
∀x(Fx)∨∀x(Gx)を ∨I によって結論し、つぎに Ga からも同じことを結論することができるであろう。
そして ∨E によって不当な連式が作り出されるであろう。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、155・156頁)
然るに、
(13)
京都大学文学部・矢田部俊介先生は、ユーチューブの中で、「UIに対する制限(eigenvariable 条件)」は、「述語論理最大の難所」であって、「これ本当にねぇ、わけわかんないですよね。僕は、初めてこれを習ったとき、見たとき、何のことか、全く理解できなかったんですよねこれ。」といふ風に、言はれてゐる。
尚且つ、
(14)
1 (1)∀x(偶x∨奇x) A
1 (2) 偶a∨奇a 1UE
3 (3) 偶a A
3 (4)∀x(偶x) 3UI
の場合は、「UIに対する制限(eigenvariable 条件)」は、「∨E(選言除去の規則)」との「合はせ技」なので、「猶のこと、難しい」。
(15)
「E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英、論理学初歩」の「書評」を見ると、「難解です。」と書かれてゐる方がゐるものの、「E.J.レモン 著、論理学初歩」は、「それなりに難解」である上に、「惜しむらく」は、「練習問題」に対する「解答」が無いことである。
(01)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx) ├ ∃x(Fx&Gx)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式(Sequents)」を、見ていくことにする。
(02)
x=人
F=フランス人である。
G=寛大である。
とするならば、
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式」は、
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「意味」になる。
然るに、
(03)
① ∃x(Fx)≡ある人はフランス人であって、
① ∃x(Gx)≡ある人は寛大である。としても、
①「ある人xと、ある人x」が、「同一人物」である「必然性」は無い。
然るに、
(04)
この連式を証明しようとする自然な試みが、EEの制限に照らして、どのように失敗するかを見ておくことは有益である。わらわれはつぎのように証明をはじめるであろう。
1 (1)∃x(Fx)&∃x(Gx) A
1 (2)∃x(Fx) 1&E
1 (3) ∃x(Gx) 1&E
4 (4) Fa A
5 (5) Ga A
45 (6) Fa&Ga 45&I
45 (7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(2)および(3)に対して、われわれは代表的選言項(4)および(5)を仮定して、それらから、
∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない。
45 (7)∃x(Fx&Gx) 6EI
の行の結論は(4)と(5)に依存し、そのいずれにも「a」が現れているからである。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、154頁)
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない。
然るに、
(06)
1 (1)∃x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
3 (3) Fa→Ga A
4(4) Fa A
34(5) Ga 34MPP
34(6) Fa&Ga 45&I
34(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(1)および(2)に対して、われわれは代表的選言項(3)および(4)を仮定して、それらから、
∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない。
34(6) Fa&Ga 45&I
の行の結論は(3)と(4)に依存し、そのいずれにも「a」が現れているからである。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」と「同じ理由」により、
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない。
然るに、
(08)
「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
② ∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
② ∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。しかし、
② ∃x(Fx→Gx)は、
それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在することを主張するのであって、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。しかるに、
「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、124頁改)
然るに、
(09)
(ⅱ)
1 (1) ∃x(Fx→Gx) A
2 (2) Fa→Ga A
2 (3) ~Fa∨Ga 2含意の定義
4 (4) ~Fa A
4 (5)∃x(~Fx) 4EI
4 (6)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 5∨I
7(7) Ga A
7(8) ∃x(Gx) 7EI
7(9)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 8∨I
2 (ア)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 34679∨E
1 (イ)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 12アEE
(ⅲ)
1 (1)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) A
2 (2)∃x(~Fx) A
3 (3) ~Fa A
3 (4) ~Fa∨Ga 3∨I
3 (5) Fa→Ga 4含意の定義
3 (6) ∃x(Fx→Gx) 5EI
2 (7) ∃x(Fx→Gx) 236EE
8 (8) ∃x(Gx) A
9(9) Ga A
9(ア) ~Fa∨Ga 9∨I
9(イ) Fa→Ga ア含意の定義
9(ウ) ∃x(Fx→Gx) イEI
8 (エ) ∃x(Fx→Gx) 89ウEE
1 (オ) ∃x(Fx→Gx) 1278エ∨E
従って、
(09)により、
(10)
② ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
③ ∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。。 に於いて、
②=③ である。
然るに、
(11)
② ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
③ ∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。。 に於いて、
②=③ である。
といふのであれば、
>「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
といふことは、「当然」である。
(12)
1 (1)∀x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
1 (3) Fa→Ga A
4(4) Fa A
1 4(5) Ga 34MPP
1 4(6) Fa&Ga 45&I
1 4(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
12 (8)∃x(Fx&Gx) 247EE
従って、
(12)により、
(13)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるxはフランス人は寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(07)(11)(13)により、
(14)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではなく、その一方で、
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるxはフランス人は寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(14)により、
(15)
② あるフランス人は寛大である。
③ すべてのフランス人は寛大である。
といふ「日本語」は、
② ∃x(Fx&Gx)
③ ∀x(Fx→Gx)
といふ「述語論理式」に、相当する。
然るに、
(16)
③ ∀x(Fx→Gx)≡すべてのフランス人は寛大である。
といふのであれば、
② ∃x(Fx→Gx)≡ あるフランス人は寛大である。
であるはずであると、思はれがちであって、それ故、
>「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
② ∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
② ∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。
といふ、ことになる。
(01)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx) ├ ∃x(Fx&Gx)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式(Sequents)」を、見ていくことにする。
(02)
x=人
F=フランス人である。
G=寛大である。
とするならば、
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式」は、
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「意味」になる。
然るに、
(03)
① ∃x(Fx)≡ある人はフランス人であって、
① ∃x(Gx)≡ある人は寛大である。としても、
①「ある人xと、ある人x」が、「同一人物」である「必然性」は無い。
然るに、
(04)
この連式を証明しようとする自然な試みが、EEの制限に照らして、どのように失敗するかを見ておくことは有益である。わらわれはつぎのように証明をはじめるであろう。
1 (1)∃x(Fx)&∃x(Gx) A
1 (2)∃x(Fx) 1&E
1 (3) ∃x(Gx) 1&E
4 (4) Fa A
5 (5) Ga A
45 (6) Fa&Ga 45&I
45 (7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(2)および(3)に対して、われわれは代表的選言項(4)および(5)を仮定して、それらから、
∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない。
45 (7)∃x(Fx&Gx) 6EI
の行の結論は(4)と(5)に依存し、そのいずれにも「a」が現れているからである。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、154頁)
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない。
然るに、
(06)
1 (1)∃x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
3 (3) Fa→Ga A
4(4) Fa A
34(5) Ga 34MPP
34(6) Fa&Ga 45&I
34(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(1)および(2)に対して、われわれは代表的選言項(3)および(4)を仮定して、それらから、
∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない。
34(6) Fa&Ga 45&I
の行の結論は(3)と(4)に依存し、そのいずれにも「a」が現れているからである。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」と「同じ理由」により、
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない。
然るに、
(08)
「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
② ∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
② ∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。しかし、
② ∃x(Fx→Gx)は、
それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在することを主張するのであって、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。しかるに、
「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、124頁改)
然るに、
(09)
(ⅱ)
1 (1) ∃x(Fx→Gx) A
2 (2) Fa→Ga A
2 (3) ~Fa∨Ga 2含意の定義
4 (4) ~Fa A
4 (5)∃x(~Fx) 4EI
4 (6)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 5∨I
7(7) Ga A
7(8) ∃x(Gx) 7EI
7(9)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 8∨I
2 (ア)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 34679∨E
1 (イ)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 12アEE
(ⅲ)
1 (1)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) A
2 (2)∃x(~Fx) A
3 (3) ~Fa A
3 (4) ~Fa∨Ga 3∨I
3 (5) Fa→Ga 4含意の定義
3 (6) ∃x(Fx→Gx) 5EI
2 (7) ∃x(Fx→Gx) 236EE
8 (8) ∃x(Gx) A
9(9) Ga A
9(ア) ~Fa∨Ga 9∨I
9(イ) Fa→Ga ア含意の定義
9(ウ) ∃x(Fx→Gx) イEI
8 (エ) ∃x(Fx→Gx) 89ウEE
1 (オ) ∃x(Fx→Gx) 1278エ∨E
従って、
(09)により、
(10)
② ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
③ ∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(11)
② ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
③ ∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。
に於いて、
②=③ である。
といふのであれば、
>「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
といふことは、「当然」である。
然るに、
(12)
1 (1)∀x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
1 (3) Fa→Ga A
4(4) Fa A
1 4(5) Ga 34MPP
1 4(6) Fa&Ga 45&I
1 4(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
12 (8)∃x(Fx&Gx) 247EE
従って、
(12)により、
(13)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人xは寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(07)(11)(13)により、
(14)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではなく、その一方で、
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるxはフランス人は寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(14)により、
(15)
② あるフランス人は寛大である。
③ すべてのフランス人は寛大である。
といふ「日本語」は、
② ∃x(Fx&Gx)
③ ∀x(Fx→Gx)
といふ「述語論理式」に、相当する。
然るに、
(16)
③ ∀x(Fx→Gx)≡すべてのフランス人は寛大である。
といふのであれば、
② ∃x(Fx→Gx)≡ あるフランス人は寛大である。
であるはずであると、思はれがちであって、それ故、
>「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
② ∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
② ∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。
といふ、ことになる。
―「昨日(令和03年03月19日)の記事」を書き直します。―
(01)
(ⅰ)
1 (1)∀x(~偶数x→奇数x) A
1 (2) ~偶数a→奇数a 1UE
1 (3) ~~偶数a∨奇数a 2含意の定義
4 (4) ~~偶数a A
4 (5) 偶数a 4DN
4 (6) 偶数a∨奇数a 5∨I
7(7) 奇数a A
7(8) 偶数a∨奇数a 7∨I
1 (9) 偶数a∨奇数a 34678∨E
1 (ア) ∀x(偶数x∨奇数x) 9UI
(ⅱ)
1 (1) ∀x(偶数x∨奇数x) A
1 (2) 偶数a∨奇数a 1UE
3 (3) 偶数a A
3 (4) ~~偶数a 3DN
3 (5) ~~偶数a∨奇数a 4∨I
6(6) 奇数a A
6(7) ~~偶数a∨奇数a 6∨I
1 (8) ~~偶数a∨奇数a 23567∨E
1 (9) ~偶数a→奇数a 8含意の定義
1 (ア)∀x(~偶数x→奇数x) 9UI
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x(~偶数x→奇数x)
② ∀x( 偶数x∨奇数x)
に於いて、すなはち、
① すべての自然数は、偶数でないならば、奇数である。
② すべての自然数は、偶数であるか、 奇数である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
② ∀x(偶数x∨奇数x)
② すべての自然数は、偶数であるか、奇数である。
といふことは、
②「1、2、3、4、5、6、7、8、9、・・・・・」
といふ「普通の状態」を言ふ。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ∀x(~偶数x→奇数x)
① すべての自然数は、偶数でないならば、奇数である。
といふことも、
①「1、2、3、4、5、6、7、8、9、・・・・・」
といふ「普通の状態」を言ふ。
然るに、
(05)
② ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)
② すべての自然数は偶数であるか、または、すべての自然数は奇数である。
といふことは、
②「2、4、6、8、・・・」または「1、3、5、7、・・・」
といふ「異常な状態」を言ふ。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① ∀x(~偶数x→奇数x) ≡すべての自然数は、偶数でないならば、奇数である。
② ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)≡すべての自然数は偶数であるか、または、すべての自然数は奇数である。
に於いて、
① ならば、② である。
といふことには、ならず、それ故、
① ∀x(~偶数x→奇数x)├ ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない。
然るに、
(07)
(ⅰ)「Aか、または、Bである。」然るに、
(ⅱ)「Aでない。」故に、
(ⅲ)「Bである。」
といふ「推論(選言三段論法)」は「妥当」である。
然るに、
(08)
演繹定理(Deduction theorem)は次のように表現される。
定理2.2 A と B は論理式で、Γ は論理式の有限の列であるとする。もし、
Γ,A├ B
ならば、
Γ├ A→B
である(長尾真・淵一博、論理と意味、1983年、40頁)。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① A∨B,~A├ B
② A∨B├ ~A→B
に於いて、
① は、「三段論法」として、「妥当」であり、
② は、「演繹定理」として、「妥当」である。
従って、
(09)により、
(10)
① ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x), ~∀x(偶数x)├ ∀x(奇数x)
② ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)├ ~∀x(偶数x)→ ∀x(奇数x)
に於いて、
① は、「三段論法」として、「妥当」であり、
② は、「演繹定理」として、「妥当」である。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1) ~∀x(偶数x)→∀x(奇数x) A
1 (2)~~∀x(偶数x)∨∀x(奇数x) 1含意の定義
3 (3)~~∀x(偶数x) A
3 (4) ∀x(偶数x) 3DN
3 (5) 偶数a 3UE
3 (6) ~~偶数a 5DN
3 (7) ~~偶数a∨奇数a 6∨I
3 (8) ~偶数a→奇数a 7含意の定義
3 (9) ∀x(~偶数x→奇数x) 8UI
ア(ア) ∀x(奇数x) A
ア(イ) 奇数a アUE
ア(ウ) ~~偶数a∨奇数a イ∨I
ア(エ) ~偶数a→奇数a ウ含意の定義
ア(オ) ∀x(~偶数x→奇数x) エUI
1 (カ) ∀x(~偶数x→奇数x) 139アオ∨E
(ⅱ)
1 (1) ∀x(~偶数x→奇数x) A
1 (2) ~偶数a→奇数a 1UE
1 (3) ~~偶数a∨奇数a 2含意の定義
4 (4) ~~偶数a A
4 (5) 偶数a 4DN
4 (6) ∀x(偶数x) 5UI(はマチガイである。)
4 (7)~~∀x(偶数x) 6DN
4 (8)~~∀x(偶数x)∨∀x(奇数x) 7∨I
9(9) 奇数a A
9(ア) ∀x(奇数x) 9UI(はマチガイである。)
1 (イ)~~∀x(偶数x)∨∀x(奇数x) 3489イ∨E
1 (ウ) ~∀x(偶数x)→∀x(奇数x) イ含意の定義
従って、
(11)により、
(12)
③ ~∀x(偶数x)→∀x(奇数x)├ ∀x(~偶数x→奇数x)
といふ「連式(推論)」は、「妥当」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
② ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)├ ~∀x(偶数x)→∀x(奇数x)
③ ~∀x(偶数x)→∀x(奇数x)├ ∀x(~偶数x→奇数x)
といふ「連式(推論)」は、「妥当」である。
従って、
(13)により、
(14)
「推移律」により、
④ ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)├ ∀x(~偶数x→奇数x)
といふ「連式(推論)」は、「妥当」である。
従って、
(14)により、
(15)
④ ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)├ ∀x(~偶数x→奇数x)
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)「すべての自然数は偶数であるか、または、すべての自然数は奇数である。」従って、
(ⅱ)「すべての自然数は偶数でないならば、 奇数である。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(16)
(ⅰ)「すべての自然数は偶数であるか、または、すべての自然数は奇数である。」として、
(ⅱ)「a=3 である。」とする。
然るに、
(17)
(ⅱ)「a=3」は「奇数」である。
従って、
(16)(17)により、
(18)
(ⅰ)「すべての自然数は偶数であるか、または、すべての自然数は奇数である。」として、
(ⅱ)「a=3(奇数)である。」ならば、 「すべての自然数は偶数である。」ではなく、
(ⅲ)「すべての自然数は奇数である。」
然るに、
(19)
(ⅲ)「すべての自然数が奇数である。」ならば、必然的に、
(ⅳ)「a=3 は奇数であって、偶数ではない。」
従って、
(15)~(19)により、
(20)
(ⅰ)「すべての自然数は偶数であるか、または、すべての自然数は奇数である。」従って、
(ⅱ)「 任意の自然数は偶数でないならば、 奇数である。」
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(06)(15)(20)により、
(21)
① ∀x(~偶数x→奇数x)├ ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)
④ ∀x(偶数x)∨∀x(奇数x)├ ∀x(~偶数x→奇数x)
に於いて、
① は、「妥当」ではないが、それとは「逆」の、
④ は、「妥当」である。
―(14)以後に、「昨日(令和03年03月18日)の記事」の「続き」を書きます。―
従って、
(01)~(10)により、
(11)
果たして、
① ∀x( Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x( Fx∨Gx)
② ∃x(~Fx)→∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
①=② である。
従って、
(01)(11)により、
(12)
① ∀x( Fx)∨∀x(Gx)≡すべての整数は偶数であるか、または、すべての整数が奇数である。
② ∃x(~Fx)→∀x(Gx)≡ある整数が偶数でないならば、 すべての整数は奇数である。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
① ∀x( Fx∨Gx)≡すべての整数は、偶数であるか、または、奇数である。
② ∀x(~Fx→Gx)≡すべての整数は、偶数でないならば、 奇数である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
① ∀x( Fx∨Gx)≡すべての整数は、偶数であるか、または、奇数である。
② ∀x(~Fx→Gx)≡すべての整数は、偶数でないならば、 奇数である。
といふ「命題」は、「真(本当)」であるが、言ふ迄もなく、
① ∀x( Fx)∨∀x(Gx)≡すべての整数は偶数であるか、または、すべての整数が奇数である。
② ∃x(~Fx)→∀x(Gx)≡ある正数が偶数でないならば、 すべての整数は奇数である。
といふ「命題」は、「偽(ウソ)」である。
―「以後」が「続き」です。―
然るに、
(14)
① ∀x( Fx)∨∀x(Gx),~∀x( Fx)├ ∀x(Gx)
② ∃x(~Fx)→∀x(Gx), ∃x(~Fx)├ ∀x(Gx)
に於いて、
① は、「選言三段論法」であって、「選言三段論法」は「妥当」である。
② は、「 肯定肯定式 」であって、「 肯定肯定式 」は「妥当」である。
cf.
① Aか、あるいは、Bである。然るに、Aでない。故に、Bである(選言三段論法)。
② Aであるならば、Bである。然るに、Aである。故に、Bである( 肯定肯定式 )。
然るに、
(15)
そこで演繹定理(Deduction theorem)は次のように表現される。
定理2.2 A と B は論理式で、Γ は論理式の有限の列であるとする。もし、
Γ,A├ B
ならば、
Γ├ A→B
である(長尾真・淵一博、論理と意味、1983年、40頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
「演繹定理」により、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx), ~∀x(Fx)├ ∀x(Gx)
② ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ~∀x(Fx)→ ∀x(Gx)
に於いて、
①=② である。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
② ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ~∀x(Fx)→ ∀x(Gx)
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(18)
1 (1) ~∀x(Fx)→∀x(Gx) A
1 (2)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 1含意の定義
3 (3)~~∀x(Fx) A
3 (4) ∀x(Fx) 3DN
3 (5) Fa 3UE
3 (6) ~~Fa 5DN
3 (7) ~~Fa∨Ga 6∨I
3 (8) ~Fa→Ga 7含意の定義
3 (9) ∀x(~Fx→Gx) 8UI
ア(ア) ∀x(Gx) A
ア(イ) Ga アUE
ア(ウ) ~~Fa∨Ga イ∨I
ア(エ) ~Fa→Ga ウ含意の定義
ア(オ) ∀x(~Fx→Gx) エUI
1 (カ) ∀x(~Fx→Gx) 139アオ∨E
(ⅱ)
1 (1) ∀x(~Fx→Gx) A
1 (2) ~Fa→Ga 1UE
1 (3) ~~Fa∨Ga 2含意の定義
4 (4) ~~Fa A
4 (5) Fa 4DN
4 (6) ∀x(Fx) 5UI(はマチガイである。)
4 (7)~~∀x(Fx) 6DN
4 (8)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 7∨I
9(9) Ga A
9(ア) ∀x(Gx) 9UI(はマチガイである。)
1 (イ)~~∀x(Fx)∨∀x(Gx) 3489イ∨E
1 (ウ) ~∀x(Fx)→∀x(Gx) イ含意の定義
従って、
(18)により、
(19)
③ ~∀x(Fx)→∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
といふ「推論」は、「妥当」であるが、逆に、
③ ∀x(~Fx→Gx)├ ~∀x(Fx)→∀x(Gx)
といふ「推論」は、「妥当」ではない。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
② ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ~∀x(Fx)→∀x(Gx)
③ ~∀x(Fx)→∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
といふ「2つの推論」は、「妥当」である。
従って、
(20)により、
(21)
「推移律」により、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(12)(13)(21)により、
(22)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)「すべての整数は偶数であるか、または、すべての整数が奇数である。」従って、
(ⅱ)「すべての整数は偶数でないならば、 奇数である。」
(〃)「すべての整数は奇数でないならば、 偶数である。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(23)
「実際の数学(の世界)」であるならば、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)≡すべての整数は偶数であるか、または、すべての整数が奇数である。
② ∀x(Fx∨Gx) ≡すべての整数は偶数であるか、または、奇数である。
に於いて、
① は「偽(ウソ)」あって、
② が「真(本当)」である。
然るに、
(24)
(ⅱ)
1 (1) ∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3 (3) Fa A
3 (4) ~~Fa 3DN
3 (5) ~~Fa∨Ga 4∨I
6(6) Ga A
6(7) ~~Fa∨Ga 6∨I
1 (8) ~~Fa∨Ga 23567∨E
1 (9) ~Fa→Ga 8含意の定義
1 (ア)∀x(~Fx→Gx) 9UI
(ⅲ)
1 (1)∀x(~Fx→Gx) A
1 (2) ~Fa→Ga 1UE
1 (3) ~~Fa∨Ga 2含意の定義
4 (4) ~~Fa A
4 (5) Fa 4DN
4 (6) Fa∨Ga 5∨I
7(7) Ga A
7(8) Fa∨Ga 7∨I
1 (9) Fa∨Ga 34678∨E
1 (ア) ∀x(Fx∨Gx) 9UI
従って、
(24)により、
(25)
② ∀x( Fx∨Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
といふ「推論」は、「妥当」であって、その上、
③ ∀x(~Fx→Gx)├ ∀x( Fx∨Gx)
といふ「推論」も、「妥当」である。
従って、
(25)により、
(26)
② ∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)「すべての整数は偶数であるか、または、奇数である。」従って、
(ⅱ)「すべての整数は偶数でないならば、 奇数である。」
(〃)「すべての整数は奇数でないならば、 偶数である。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(27)
「実際の数学(の世界)」であっても、
② ∀x( Fx∨Gx)≡すべての整数は偶数であるか、または、奇数である。
③ ∀x(~Fx→Gx)≡すべての整数は偶数でないならば、 奇数である。
に於いて、
② は「真(本当)」あって、
③ は「真(本当)」である。
従って、
(22)(23)(26)(27)により、
(28)
「実際の数学(の世界)」であれば、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)≡すべての整数は偶数であるか、または、すべての整数が奇数である。
② ∀x( Fx∨Gx) ≡すべての整数は偶数であるか、または、奇数である。
③ ∀x(~Fx→Gx) ≡すべての整数は偶数でないならば、 奇数である。
に於いて、
① は「偽(ウソ)」であって、
② は「真(本当)」であって、
③ も「真(本当)」であるものの、
「述語論理」としては、
① ならば、③ であって、
② ならば、③ である。
(01)
112 ∀x(Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x(Fx∨Gx)
1 (1)∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
2 (2)∀x(Fx) A
2 (3) Fa 1UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6(6) ∀x(Gx) A
6(7) Ga 6UE
6(8) Fa∨Ga 7∨I
6(9) ∀x(Fx∨Gx) 8UI
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12569∨E
― 中略、―
逆の連式、∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx)は妥当ではない。
― 中略、―、例へば、
「すべての正の整数は、偶数であるか、または、奇数である」が、 「すべての正の整数が偶数であるか、または、すべての正の整数が奇数である」というわけではない。
この場合には、
この連式、∀x(Fx∨Gx)├ ∀x(Fx)∨∀x(Gx)を証明しようとする自然な試みをさしとめるのは、UIに対する制限である。
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3(3) Fa A
Fa∨Gaを(1)から結論し、そして第1の選言項 Fa を(3)の行に仮定する。しかし(3)は a を含む故、ここで、
∀x(Fx)を結論することをさしとめられる。この段階が許されるとするならば、
∀x(Fx)∨∀x(Gx)を ∨I によって結論し、つぎに Ga からも同じことを結論することができるであろう。
そして ∨E によって不当な連式が作り出されるであろう。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、155・156頁)
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
従って、
(02)により、
(03)
「二重否定律」により、
① ~~∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(~~Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
従って、
(03)により、
(04)
「含意の定義」により、
① ~∀x(Fx)→∀x(Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
従って、
(04)により、
(05)
「量化子の関係」により、
① ∃x(~Fx)→∀x(Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(06)
(ⅰ)
1 (1) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) A
1 (2)~∃x(~Fx)∨∀x(Gx) 1含意の定義
3 (3)~∃x(~Fx) A
3 (4)∀x~(~Fx) 3量化子の関係
3 (5) ~~Fa 4UE
3 (6) ~~Fa∨Ga 5∨I
3 (7) ~Fa→Ga 6含意の定義
3 (8) ∀x(~Fx→Gx) 7UI
9(9) ∀x(Gx) A
9(ア) Ga 9UE
9(イ) ~~Fa∨Ga ア∨I
9(ウ) ~Fa→Ga イ含意の定義
9(エ) ∀x(~Fx→Gx) ウUI
1 (オ) ∀x(~Fx→Gx) 2389エ∨E
従って、
(06)により、
(07)
① ∃x(~Fx)→∀x(Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、果たして、
① ならば、② である。
然るに、
(08)
(ⅱ)
1 (1) ∀x(~Fx→Gx) A
1 (2) ~Fa→Ga 1UE
1 (3) ~~Fa∨Ga 2含意の定義
4 (4) ~~Fa A
4 (5)∀x(~~Fx) 4UI(はマチガイである。)
4 (6)~∃x(~Fx) 5量化子の関係
4 (7)~∃x(~Fx)∨∀x(Gx) 6∨I
8(8) Ga A
8(9) ∀x(Gx) 8UI(はマチガイである。)
8(ア)~∃x(~Fx)∨∀x(Gx) 9∨I
1 (イ)~∃x(~Fx)∨∀x(Gx) 1478ア∨E
1 (ウ) ∃x(~Fx)→∀x(Gx) イ含意の定義
従って、
(08)により、
(09)
① ∃x(~Fx)→∀x(Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、果たして、
② ならば、① ではない。
従って、
(05)(07)(09)により、
(10)
① ∃x(~Fx)→∀x(Gx)
② ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
従って、
(01)~(10)により、
(11)
果たして、
(a)∀x( Fx)∨∀x(Gx)├ ∀x( Fx∨Gx)
(b)∃x(~Fx)→∀x(Gx)├ ∀x(~Fx→Gx)
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(01)(11)により、
(12)
(a)∀x( Fx)∨∀x(Gx)≡すべての正の整数は偶数であるか、または、すべての正の整数が奇数である。
(b)∃x(~Fx)→∀x(Gx)≡ある正の数が偶数でないならば、 すべての正の整数は奇数である。
に於いて、
(a)=(b) であって、尚且つ、
(a)∀x( Fx∨Gx)≡すべての正の整数は、偶数であるか、または、奇数である。
(b)∀x(~Fx→Gx)≡すべての正の整数は、偶数でないならば、 奇数である。
に於いて、
(a)=(b) である。
然るに、
(13)
(a)∀x( Fx∨Gx)≡すべての正の整数は、偶数であるか、または、奇数である。
(b)∀x(~Fx→Gx)≡すべての正の整数は、偶数でないならば、 奇数である。
といふ「命題」は、「真(本当)」であるが、言ふ迄もなく、
(a)∀x( Fx)∨∀x(Gx)≡すべての正の整数は偶数であるか、または、すべての正の整数が奇数である。
(b)∃x(~Fx)→∀x(Gx)≡ある正の数が偶数でないならば、 すべての正の整数は奇数である。
といふ「命題」は、「偽(ウソ)」である。
(01)
―「含意の定義」の「証明」。―
(ⅰ)
1 (1) P→Q A
2 (2) ~(~P∨Q) A
3(3) ~P A
3(4) ~P∨Q 3∨I
23(5) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P 3RAA
2 (7) P 6DN
12 (8) Q 17MPP
12 (9) ~P∨Q 8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 29&I
1 (イ)~~(~P∨Q) 2アRAA
1 (ウ) ~P∨Q イDN
(ⅱ)
1 (1) ~P∨Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
3 (6)~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア)~(P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q ウエ&I
1 ウエ(カ)~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q エカRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
従って、
(01)により、
(02)
① P→Q
② ~P∨Q
に於いて、
①=② である(含意の定義)。
然るに、
(02)
1 (1) 犯人a∨ 犯人b∨犯人c A
1 (2)~~犯人a∨ 犯人b∨犯人c 1DN
1 (3)~~犯人a∨ ~~犯人b∨犯人c 2DN
1 (4)~~犯人a∨(~~犯人b∨犯人c) 2結合法則
1 (5) ~犯人a→(~~犯人b∨犯人c) 4含意の定義
6(6) ~犯人a&~犯人b A
6(7) ~犯人a 6&E
16(8) ~~犯人b∨犯人c 57MPP
16(9) ~犯人b→犯人c 8含意の定義
6(ア) ~犯人b 6&E
16(イ) 犯人c 9アMPP
1 (ウ)(~犯人a&~犯人b)→ 犯人c 6イCP
(03)
(ⅰ)
―「ド・モルガンの法則」の「証明」。―
1 (1) ~( P& Q) A
2 (2) ~(~P∨~Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨~Q 3∨I
23 (5) ~(~P∨~Q)&
(~P∨~Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) ~Q A
8(9) ~P∨~Q 8∨I
2 8(ア) ~(~P∨~Q)&
~P∨~Q 29&I
2 (イ) ~~Q 8アRAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P& Q 7ウ&I
12 (オ) ~( P& Q)&
( P& Q) 1エ&I
1 (カ)~~(~P∨~Q) 2オRAA
1 (キ) ~P∨~Q カDN
(ⅱ)
1 (1) ~P∨~Q A
2 (2) P& Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
3 (6) ~( P& Q) 25RAA
7(7) ~Q A
2 (8) Q 2&E
2 7(9) ~Q&Q 78&I
7(ア) ~( P& Q) 29RAA
1 (イ) ~( P& Q) 1367ア∨E
従って、
(03)により、
(04)
① ~(P& Q)
② ~P∨~Q
に於いて、
①=② である(ド・モルガンの法則)。
然るに、
(05)
1 (1) (~犯人a&~犯人b)→犯人c A
1 (2)~(~犯人a&~犯人b)∨犯人c 1含意の定義
2 (3)~(~犯人a&~犯人b) A
2 (4) 犯人a∨ 犯人b 2ド・モルガンの法則
2 (5) 犯人a∨ 犯人b∨ 犯人c 4∨I
6(6) 犯人c A
6(7) 犯人b∨ 犯人c 6∨I
6(8) 犯人a∨ 犯人b∨ 犯人c 7∨I
1 (9) 犯人a∨ 犯人b∨ 犯人c 23568∨E
従って、
(02)(05)により、
(06)
(ⅰ)
1 (1) 犯人a∨ 犯人b∨犯人c A
1 (2)~~犯人a∨ 犯人b∨犯人c 1DN
1 (3)~~犯人a∨ ~~犯人b∨犯人c 2DN
1 (4)~~犯人a∨(~~犯人b∨犯人c) 2結合法則
1 (5) ~犯人a→(~~犯人b∨犯人c) 4含意の定義
6(6) ~犯人a&~犯人b A
6(7) ~犯人a 6&E
16(8) ~~犯人b∨犯人c 57MPP
16(9) ~犯人b→犯人c 8含意の定義
6(ア) ~犯人b 6&E
16(イ) 犯人c 9アMPP
1 (ウ)(~犯人a&~犯人b)→ 犯人c 6イCP
(ⅱ)
1 (1) (~犯人a&~犯人b)→犯人c A
1 (2)~(~犯人a&~犯人b)∨犯人c 1含意の定義
2 (3)~(~犯人a&~犯人b) A
2 (4) 犯人a∨ 犯人b 2ド・モルガンの法則
2 (5) 犯人a∨ 犯人b∨ 犯人c 4∨I
6(6) 犯人c A
6(7) 犯人b∨ 犯人c 6∨I
6(8) 犯人a∨ 犯人b∨ 犯人c 7∨I
1 (9) 犯人a∨ 犯人b∨ 犯人c 23568∨E
従って、
(06)により、
(07)
① 犯人a∨ 犯人b∨ 犯人c
②(~犯人a&~犯人b)→犯人c
に於いて、
①=② である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
「含意の定義」と「ド・モルガンの法則」が「正しい」のであれば、そのときに限って、
①「犯人は、aであるか、bであるか、cである。」然るに、
②「犯人は、aではなく、bでもない。」従って、
③「犯人は、cである。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(09)
「含意の定義」や「ド・モルガンの法則」などを、知らないとしても、
①「犯人は、aであるか、bであるか、cである。」然るに、
②「犯人は、aではなく、bでもない。」従って、
③「犯人は、cである。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
といふことは、何処の国の、幼児であっても、知ってゐる。
従って、
(08)(09)により、
(10)
あるいは、我々は、自覚の有る無しに拘はらず、「含意の定義、ド・モルガンの法則」等の「論理法則」を、「生得的に知ってゐる」のかも、知れない。