(01)
「マイクロソフトのAI」に「質問(兎は象ですか?)」をしたところ、「AI」は「パニック」を起こしたのか??
という「回答」の「1回目」は、右のやうな「日本語(申し訳ありません)」ではなく、「英語(I apologize)」であった。
然るに、
(02)
さて、統計的な手法が登場する以前、自然言語処理の技術を使う自動翻訳や質疑応答の分野では、研究者たちはAIに文法などの言葉のルールを憶えさせ、論理的、演繹的な手法で精度を上げようとしました(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、124頁)。
然るに、
(03)
Prologの文は「述語論理」にならって節(Clause)と呼ぶことが多いのでここでも節と呼ぶことににします。一つの節は、一つの述語が、どういう場合に真になるかを記述しています。もっとも単純な例として、
father(mary,henry).
という節は、fatherという述語がmary,henryという引数に対して成立するということを表しています(淵一博 監修、第五世代コンピューター入門、1987年、11頁)。
然るに、
(04)
第五世代コンピュータ(だいごせだいコンピュータ)計画とは、1982年から1992年にかけて日本の通商産業省(現経済産業省)所管の新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)が進めた国家プロジェクトで、いわゆる人工知能コンピュータの開発を目的に総額540億円の国家予算が投入された(ウィキペディア)。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
「(統計的な手法が登場する以前の、)第五世代コンピュータ計画」の「時代」には、
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2) ∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)} A
3 (3) ∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃z(耳za&~鼻za&長z) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 象a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
1 6 (ア) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
1 6 (イ) ~鼻ba→~長b アUE
2 6 (ウ) ∃z(耳za&~鼻za&長z) 58MPP
エ (エ) 耳ba&~鼻ba&長b A
エ (オ) ~鼻ba エ&E
エ (カ) 長b エ&E
1 6エ (キ) ~長b イオMPP
1 6エ (ク) 長b&~長b カキ&I
12 6 (ケ) 長b&~長b ウエクEE
123 (コ) 長b&~長b 36ケEE
12 (サ)~∃x(象x& 兎x) 3コRAA
シ (シ) ~(象a→~兎a) A
シ (ス) ~(~象a∨~兎a) シ含意の定義
シ (セ) 象a& 兎a ス、ド・モルガンの法則
シ (ソ) ∃x(象x& 兎x) セEI
12 シ (タ)~∃x(象x& 兎x)&∃x(象x& 兎x) サソ&I
12 (チ) ~~(象a→~兎a) シタRAA
12 (ツ) (象a→~兎a) チDN
テ(テ) 兎a A
テ(ト) ~~兎a テDN
12 テ(ナ) ~象a ツトMTT
12 (ニ) 兎a→~象a テナCP
12 (ヌ) ∀x(兎x→~象x) ニUI
といふ「述語計算」を用ひて、「コンピューター」に対して、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」をさせようとしてゐた。
然るに、
(05)により、
(06)
2(2) ∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)} A
から、 「~鼻zx(耳は鼻でない)」を「除いた」場合は、
12(ヌ) ∀x(兎x→~象x) ニUI
12(〃) 兎は象ではない。 ニUI
といふ「結論」を得ることは、出来ない。
従って、
(05)(06)により、
(07)
(ⅱ)兎の耳は鼻ではない。
といふ「条件」が示されてはゐない。
といふ「理由」により、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」は、「述語論理」としては、「間違ひ」である。
然るに、
(08)
(ⅱ)兎の耳は鼻ではない。
(〃)王様の耳はロバの耳である。
(〃)パンの耳は食べられる。
といふことは、「(一々、断らなくとも)、常識」である。
従って、
(08)~(08)により、
(09)
「人間」にではなく、
「第五世代コンピュータ」に対して、次に、
(ⅰ)ロバは耳が長い。然るに、
(ⅱ)王様は耳が短い。従って、
(ⅲ)王様はロバではない。
といふ「推論(演繹)」を行わせようとするならば、
(ⅱ)(童話の中では)王様の耳は長いこともあるが、
(〃)(童話の中でも)パンの耳は、王様の耳ではない。
といふこと、「その他」を、予め、「記述」をしておく「必要」が有る。
従って、
(02)(07)(08)(09)により、
(10)
「述語論理」を用ひて、
「第五世代コンピュータ」に対して、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」を行はせようとすると、
「文法などの言葉のルール」の他に、「大量の常識」を、
「第五世代コンピュータ」に対して、「教へなければ、ならない」。
然るに、
(11)
国語はどう考えても正攻法でなんとかできるとは思えません。そこで国語チームが試みたのは、センター国語試験で最も配点の大きい傍線部分の問題に対し、文字の重複などごく表面的なことから選択肢を選ぶという「荒業」でした。単純に言うと、傍線のついている部分とその前の段落の文を取って来て、「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、いちばん重複の多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。文の意味どころか、単語の意味も調べません(AI vs. 教科書が読めない子供たち、 新井紀子、2018年、124頁)。
然るに、
(12)
「グーグルのAI」に「質問(兎は象ですか?)」をしたところ、 然るに、
(13)
論理式にはこれまで述べたように、厳密な(形式的な)意味論が与えられるから、自然言語文も、翻訳を介して意味論に法っとった解釈が与えられ、したがって、間接的であるが、自然言語に意味論が与えられることになる(長尾真・淵一博、論理と意味、1983年、167頁)。
然るに、
(14)
他方、アメリカの企業は日本の失敗を学びました。論理的な手法で自動翻訳などのAIを開発することに見切りをつけ、統計的手法に梶を切り、グーグル翻訳やワトソンなどで成果を上げたのです(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、90頁)。
然るに、
(15)
さて、統計的な手法が登場する以前、自然言語処理の技術を使う自動翻訳や質疑応答の分野では、研究者たちはAIに文法などの言葉のルールを覚えさせ、論理的、演繹的な手法で精度を上げようとしました。けれど、その手法は何度試みても失敗を繰り返しました(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、124頁)。
従って、
(02)(12)~(15)により、
(16)
①「論理」と「意味」による「AI技術」と、
②「統計的な手法」による、「AI技術」とが有って、
① では、「難しかった」、または、「成功」しなかった所の、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論」は、
② では、「容易」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(17)
言ふ迄も無く、「我々(人間)」は、「論理と意味」だけを用ひて、「推論(演繹)」をする。
従って、
(18)
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」する際に、「我々(人間)」は、「統計的な手法」など、「用ひない」。
従って、
(19)
「AI」は、「我々(人間)のやうに、考へはしない」し、と言ふよりも、固より、 「AI」は、「何も考えてはいない!!」
然るに、
(20)
最近は、その努力を怠っているものの、私は、以前から、曾祖父のやうに、「漢文か書ける」ようになりたかったものの、その一方で、「AIが発達すれば、人間が書かなくとも、AIが漢文を書くようになる」のではと、思ってゐた。
然るに、
(21)
「漢文」には、「ネイティブ・ライター」はゐない上に、「(「東大合格を目指すAI」にとって)さらに過酷な状況にあるのは古文や漢文です(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、84頁)」といふこともあって、「もう一度、漢文の勉強を、趣味にしよう」と、思ってゐるが、このところ、「私も、いくらか、忙しい」。
然るに、
(02)
さて、統計的な手法が登場する以前、自然言語処理の技術を使う自動翻訳や質疑応答の分野では、研究者たちはAIに文法などの言葉のルールを憶えさせ、論理的、演繹的な手法で精度を上げようとしました(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、124頁)。
然るに、
(03)
Prologの文は「述語論理」にならって節(Clause)と呼ぶことが多いのでここでも節と呼ぶことににします。一つの節は、一つの述語が、どういう場合に真になるかを記述しています。もっとも単純な例として、
father(mary,henry).
という節は、fatherという述語がmary,henryという引数に対して成立するということを表しています(淵一博 監修、第五世代コンピューター入門、1987年、11頁)。
然るに、
(04)
第五世代コンピュータ(だいごせだいコンピュータ)計画とは、1982年から1992年にかけて日本の通商産業省(現経済産業省)所管の新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)が進めた国家プロジェクトで、いわゆる人工知能コンピュータの開発を目的に総額540億円の国家予算が投入された(ウィキペディア)。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
「(統計的な手法が登場する以前の、)第五世代コンピュータ計画」の「時代」には、
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2) ∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)} A
3 (3) ∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃z(耳za&~鼻za&長z) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 象a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
1 6 (ア) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
1 6 (イ) ~鼻ba→~長b アUE
2 6 (ウ) ∃z(耳za&~鼻za&長z) 58MPP
エ (エ) 耳ba&~鼻ba&長b A
エ (オ) ~鼻ba エ&E
エ (カ) 長b エ&E
1 6エ (キ) ~長b イオMPP
1 6エ (ク) 長b&~長b カキ&I
12 6 (ケ) 長b&~長b ウエクEE
123 (コ) 長b&~長b 36ケEE
12 (サ)~∃x(象x& 兎x) 3コRAA
シ (シ) ~(象a→~兎a) A
シ (ス) ~(~象a∨~兎a) シ含意の定義
シ (セ) 象a& 兎a ス、ド・モルガンの法則
シ (ソ) ∃x(象x& 兎x) セEI
12 シ (タ)~∃x(象x& 兎x)&∃x(象x& 兎x) サソ&I
12 (チ) ~~(象a→~兎a) シタRAA
12 (ツ) (象a→~兎a) チDN
テ(テ) 兎a A
テ(ト) ~~兎a テDN
12 テ(ナ) ~象a ツトMTT
12 (ニ) 兎a→~象a テナCP
12 (ヌ) ∀x(兎x→~象x) ニUI
といふ「述語計算」を用ひて、「コンピューター」に対して、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」をさせようとしてゐた。
然るに、
(05)により、
(06)
2(2) ∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)} A
から、 「~鼻zx(耳は鼻でない)」を「除いた」場合は、
12(ヌ) ∀x(兎x→~象x) ニUI
12(〃) 兎は象ではない。 ニUI
といふ「結論」を得ることは、出来ない。
従って、
(05)(06)により、
(07)
(ⅱ)兎の耳は鼻ではない。
といふ「条件」が示されてはゐない。
といふ「理由」により、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」は、「述語論理」としては、「間違ひ」である。
然るに、
(08)
(ⅱ)兎の耳は鼻ではない。
(〃)王様の耳はロバの耳である。
(〃)パンの耳は食べられる。
といふことは、「(一々、断らなくとも)、常識」である。
従って、
(08)~(08)により、
(09)
「人間」にではなく、
「第五世代コンピュータ」に対して、次に、
(ⅰ)ロバは耳が長い。然るに、
(ⅱ)王様は耳が短い。従って、
(ⅲ)王様はロバではない。
といふ「推論(演繹)」を行わせようとするならば、
(ⅱ)(童話の中では)王様の耳は長いこともあるが、
(〃)(童話の中でも)パンの耳は、王様の耳ではない。
といふこと、「その他」を、予め、「記述」をしておく「必要」が有る。
従って、
(02)(07)(08)(09)により、
(10)
「述語論理」を用ひて、
「第五世代コンピュータ」に対して、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」を行はせようとすると、
「文法などの言葉のルール」の他に、「大量の常識」を、
「第五世代コンピュータ」に対して、「教へなければ、ならない」。
然るに、
(11)
国語はどう考えても正攻法でなんとかできるとは思えません。そこで国語チームが試みたのは、センター国語試験で最も配点の大きい傍線部分の問題に対し、文字の重複などごく表面的なことから選択肢を選ぶという「荒業」でした。単純に言うと、傍線のついている部分とその前の段落の文を取って来て、「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、いちばん重複の多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。文の意味どころか、単語の意味も調べません(AI vs. 教科書が読めない子供たち、 新井紀子、2018年、124頁)。
然るに、
(12)
「グーグルのAI」に「質問(兎は象ですか?)」をしたところ、 然るに、
(13)
論理式にはこれまで述べたように、厳密な(形式的な)意味論が与えられるから、自然言語文も、翻訳を介して意味論に法っとった解釈が与えられ、したがって、間接的であるが、自然言語に意味論が与えられることになる(長尾真・淵一博、論理と意味、1983年、167頁)。
然るに、
(14)
他方、アメリカの企業は日本の失敗を学びました。論理的な手法で自動翻訳などのAIを開発することに見切りをつけ、統計的手法に梶を切り、グーグル翻訳やワトソンなどで成果を上げたのです(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、90頁)。
然るに、
(15)
さて、統計的な手法が登場する以前、自然言語処理の技術を使う自動翻訳や質疑応答の分野では、研究者たちはAIに文法などの言葉のルールを覚えさせ、論理的、演繹的な手法で精度を上げようとしました。けれど、その手法は何度試みても失敗を繰り返しました(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、124頁)。
従って、
(02)(12)~(15)により、
(16)
①「論理」と「意味」による「AI技術」と、
②「統計的な手法」による、「AI技術」とが有って、
① では、「難しかった」、または、「成功」しなかった所の、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論」は、
② では、「容易」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(17)
言ふ迄も無く、「我々(人間)」は、「論理と意味」だけを用ひて、「推論(演繹)」をする。
従って、
(18)
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(演繹)」する際に、「我々(人間)」は、「統計的な手法」など、「用ひない」。
従って、
(19)
「AI」は、「我々(人間)のやうに、考へはしない」し、と言ふよりも、固より、 「AI」は、「何も考えてはいない!!」
然るに、
(20)
最近は、その努力を怠っているものの、私は、以前から、曾祖父のやうに、「漢文か書ける」ようになりたかったものの、その一方で、「AIが発達すれば、人間が書かなくとも、AIが漢文を書くようになる」のではと、思ってゐた。
然るに、
(21)
「漢文」には、「ネイティブ・ライター」はゐない上に、「(「東大合格を目指すAI」にとって)さらに過酷な状況にあるのは古文や漢文です(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、84頁)」といふこともあって、「もう一度、漢文の勉強を、趣味にしよう」と、思ってゐるが、このところ、「私も、いくらか、忙しい」。
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