―「昨日(令和02年02月09日)の記事」は「散漫」なので、「昨日の記事」を要約します。―
(01)
(34) すべての少年はある少女を愛す。
(34) Every boy loves a certain girl
この文は多義性が含まれていることが知られている。これは、
We detect here an ambiguity: this may mean that
(ⅰ)すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。という意味かも知れないし、あるいは、
(ⅱ)すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。という意味かも知れない。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、127頁と原文)
然るに、
(02)
① すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。
② すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。
対して、「述語論理」であれば、
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)}
である。
(03)
① すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。
② すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。
対して、「漢文」であれば、
① 一人少女為〔全少年所(愛)〕。
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① Every boy loves a certain girl.
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
② ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)}
に於いて、
① 「英語」の「意味」は「曖昧」であるが、
② 「漢文」の「意味」は「明確」であり、
②「述語論理」の「意味」は「明確」である。
然るに、
(05)
(ⅱ)
② 少年皆有其所愛少女=
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕⇒
② 少年皆〔其(愛)所少女〕有=
② 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
② 全ての少年に、自分が愛する所の少女がゐる。
(ⅲ)
③ 無少年不愛其少女=
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕]⇒
③ [少年〔(其少女)愛〕不]無=
③ [少年にして〔(其の少女を)愛せ〕ざる]は無し=
③ 少年であって、自分の彼女を愛さない者は存在しない。
然るに、
(06)
(ⅱ)
1 (1)∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)} A
1 (2) 少年a→∃y(少女y& 愛ay) 1UE
1 (3) ∀y(少女y→~愛ay) A
3 (4) 少女b→~愛ab 3UE
3 (5) ~少女b∨~愛ab 含意の定義(Ⅱ)
3 (6) ~(少女b& 愛ab) 5ド・モルガンの法則
3 (7) ∀y~(少女y& 愛ay) 6UI
3 (8) ~∃y(少女y& 愛ay) 7量化子の関係
13 (9) ~少年a 28MTT
1 (ア) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 39CP
1 (イ) (少女b→~愛ab)→~少年a アUE
ウ (ウ) ∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
エ(エ) 少年a&∀y(少女y→~愛ay) A
エ(オ) 少年a エ&E
エ(カ) ~~少年a カDN
1 エ(キ) ~(少女b→~愛ab) イカMTT
エ(ク) ∀y(少女y→~愛ay) エ&E
エ(ケ) (少女b→~愛ab) クUE
1 エ(コ) ~(少女b→~愛ab)&
(少女b→~愛ab) キケ&I
1 ウ (サ) ~(少女b→~愛ab)&
(少女b→~愛ab) ウエコEE
1 (シ)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} ウサRAA
1 (〃){いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年は}存在しない。
(ⅲ)
1 (1)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
1 (2)∀x~{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 1量化子の関係
1 (3) ~{少年a&∀y(少女y→~愛ay)} 2UE
1 (4) ~少年a∨~∀y(少女y→~愛ay) 3ド・モルガンの法則
1 (5) ~∀y(少女y→~愛ay)∨~少年a 4交換法則
1 (6) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 5含意の定義(Ⅱ)
7 (7) 少年a A
7 (8) ~~少年a 7DN
17 (9) ~∀y(少女y→~愛ay) 68MTT
17 (ア) ∃y~(少女y→~愛ay) 9量化子の関係
イ (イ) ~(少女b→~愛ab) A
ウ(ウ) ~少女b∨~愛ab A
ウ(エ) 少女b→~愛ab ウ含意の定義(Ⅱ)
イウ(オ) ~(少女b→~愛ab)&
(少女b→~愛ab) イエ&I
イ (カ) ~(~少女b∨~愛ab) ウオRAA
イ (キ) 少女b& 愛ab カ、ド・モルガンの法則
イ (ク) ∃y(少女y& 愛ay) キEI
17 (ケ) ∃y(少女y& 愛ay) アイクEE
1 (コ) 少年a→∃y(少女y& 愛ay) 7ケCP
1 (サ)∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)} コUI
1 (〃){少年であるならば、彼によって愛される所の少女が存在する}。
(07)
③{少年であって、自分の彼女さえ、愛さない者}は、
③{いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年}に違ひない。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕 ={少年であるならば、彼によって愛される所の少女が存在する}。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕] ={いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年}は存在しない。
といふ「漢文」と、
② ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}={少年であるならば、彼によって愛される所の少女が存在する}。
③ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}={いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年}は存在しない。
といふ「述語論理」に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕= ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕= ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「漢文=述語論理」に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(10)
③ 無少年不愛其少女。
といふ「漢文」の「英語への逐語訳」は、
③ No boy doesn't love his girl.
である。
然るに、
(11)
③ No boy doesn't love his girl.
を、「グーグル翻訳」に掛けると、
③ 少年は少女を愛していない。
となって、「二重否定」には、ならない。
然るに、
(12)
しかし18世紀にきわめて人工的・作為的性質の強い規範文法が整備された際、否定呼応という言語現象に無理解な学者たちは、論理学規範を言語という特殊条件を考慮せずに適応し、「否定語を2回使うということは否定の否定を意味し、論理的に肯定である」と主張し、英語の否定呼応を抹殺した(ウィキペディア:二重否定)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕 = ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」に対して、
③ No boy doesn't love his girl= ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」は、成立しない。
従って、
従って、
(04)(09)(13)により、
(14)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕= ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕= ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」に対して、
② Every boy loves a certain girl= ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}。
③ No boy doesn't love his girl = ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」は、2つとも、成立しない。
従って、
(14)により、
(15)
② ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}
③ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}
といふ「述語論理」を「基準」とする限り、
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕。
といふ「漢文」は、「論理的」であるが、
② Every boy loves a certain girl.
③ No boy doesn't love his girl.
といふ「英語」は、「非論理的」であると、言はざるを得ない。
(01)
(34) すべての少年はある少女を愛す(Every boy loves a certain girl)。
この文は多義性(ambiguity)が含まれていることが知られている。
(ⅰ)すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。という意味かも知れないし、あるいは、
(ⅱ)すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。という意味かも知れない。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、127頁)
然るに、
(02)
① ∃x{Gx&∀y(By→Lyx)}≡あるxは少女であって、すべてのyについて、yが少年であるならば、yはxを愛す。
② ∀x{Bx→∃y(Gy&Lxy)}≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、128頁を参照)
然るに、
(03)
① ∃x{Gx&∀y(By→Lyx)}≡あるxは少女であって、すべてのyについて、yが少年であるならば、yはxを愛す。
であれば、
① A certain girl is loved by every boy.
である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① Every boy loves a certain girl.
といふ「英語」は、
① A certain girl is loved by every boy.
といふ「意味」であるかも知れないし、そうではないかも知れない。
といふことになり、それ故、
① Every boy loves a certain girl.
といふ文には、多義性(ambiguity)が含まれている。
(05)
① 一人少女為全少年所愛=
① 一人少女為〔全少年所(愛)〕⇒
① 一人少女〔全少年(愛)所〕為=
① 一人の少女〔全少年の(愛する)所と〕為る=
① 一人の少女は、全ての少年によって、愛される=
① A certain girl is loved by every boy.
(06)
② 少年皆有其所愛少女=
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕⇒
② 少年皆〔其(愛)所少女〕有=
② 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
然るに、
(07)
其 そノ そレ
① 連体修飾語
(ⅱ)〈人を指し、主語と一致する場合〉「自分の」
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、75頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
② 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り=
② 少年は皆、自分が愛する所の少女がゐる。
然るに、
(09)
② 少年は皆、自分が愛する所の少女がゐる。
といふのであれば、
② すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。
という「意味」であって、
① すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。
という「意味」ではない。
従って、
(02)(09)により、
(10)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕≡少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
といふ「漢文訓読」は、
② ∀x{Bx→∃y(Gy&Lxy)}≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(04)(10)により、
(11)
① Every boy loves a certain girl.
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
といふ「①英語」と「②漢文」に於いて、
① の「意味」は「曖昧」であるが、
② の「意味」は「明確」である。
然るに、
(12)
(ⅲ)
1 (1)∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)} A
1 (2) 少年a→∃y(少女y& 愛ay) 1UE
1 (3) ∀y(少女y→~愛ay) A
3(4) 少女b→~愛ab 3UE
3(5) ~少女b∨~愛ab 含意の定義(Ⅱ)
3(6) ~(少女b& 愛ab) 5ド・モルガンの法則
3(7) ∀y~(少女y& 愛ay) 6UI
3(8) ~∃y(少女y& 愛ay) 7量化子の関係
13(9) ~少年a 28MTT
1 (ア) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 39CP
1 (イ)∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} アUI
従って、
(11)(12)により、
(13)
② ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)} ≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
③ ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x}≡すべてのxと、すべてのyについて、yが少女であるならば、xがyを愛さないならば、xは少年ではない。
に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(14)
③ すべてのxと、すべてのyについて、yが少女であるならば、xがyを愛さないならば、xは少年ではない。
といふことは、
③ いかなる少女であっても愛さないのであれば、そのやうなxは少年ではない。
といふことである。
然るに、
(15)
③ いかなる少女であっても愛さないのであれば、そのやうなxは少年ではない。
といふことは、
③ いかなる少女であっても愛さない少年は、存在しない。
といふことである。
然るに、
(16)
(ⅲ)
1 (1) ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} A
1 (2) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 1UE
1 (3) (少女b→~愛ab)→~少年a 2UE
4 (4) ∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
5(5) 少年a&∀y(少女y→~愛ay) A
5(6) 少年a 5&E
5(7) ~~少年a 6DN
5(8) ∀y(少女y→~愛ay) 5&E
5(9) (少女b→~愛ab) 8UE
1 5(ア) ~(少女b→~愛ab) 37MTT
1 5(イ) (少女b→~愛ab)&
~(少女b→~愛ab) 9ア&I
14 (ウ) ~(少女b→~愛ab) 45イEE
1 (エ)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 4ウRAA
(ⅳ)
1(1)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
1(2)∀x~{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 1量化子の関係
1(3) ~{少年a&∀y(少女y→~愛ay)} 2UE
1(4) ~少年a∨~∀y(少女y→~愛ay) 3ド・モルガンの法則
1(5) ~∀y(少女y→~愛ay)∨~少年a 4交換法則
1(6) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 5含意の定義(Ⅱ)
1(7)∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} 6UI
従って、
(16)により、
(17)
③ ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x}
④ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}
に於いて、
③=④ である。
従って、
(13)(17)により、
(18)
「番号」を付け直すと、
① ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)}
② ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x}
③ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(18)により、
(19)
① すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
② すべてのxと、すべてのyについて、yが少女であるならば、xはyを愛さないならば、xは少年ではない。
③ xが少年であって、すべてのyについて、yが少女であるならば、xはyを愛さない。といふ、そのやうなxは存在しない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに。
(20)
③ xが少年であって、すべてのyについて、yが少女であるならば、xはyを愛さない。といふ、そのやうなxは存在しない。
といふ「命題」は、
③ 無少年不愛其少女者=
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕者]⇒
③ [少年〔(其少女)愛〕不者]無=
③ [少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し=
③ 少年であって、自分の彼女を愛さない者はゐない。
といふ「意味」である。
従って、
(10)(20)により、
(21)
「番号」を付け直すと、
① 少年皆有〔其所(愛)少女〕 ≡少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
② 無[少年不〔愛(其少女)〕者]≡[少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し。
といふ「漢文訓読」は、
① ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
② ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}≡xが少年であって、いかなるyであっても、yが少女であるならば、xはyを愛さない。といふ、そのやうなxは存在しない。
といふ「述語論理」に相当し、
①=② である。
然るに、
(22)
「他の記事(3日前)」でも書いたやうに、
② 無不我好者=
② 無〔不(我好)者〕⇒
② 〔(我を好か)ざる者〕無し=
② 誰もが皆、我のことを好きである(Everybody likes me)。
並びに、
② 我無事不知=
② 我無〔事不(知)〕⇒
② 我〔事(知)不〕無=
② 我に〔事として(知ら)ざるは〕無し=
② 私には、知らない事が無い(どんな事でも知ってゐる)。
に対して、
② Nobody don't like me=誰もが皆、我のことを好きではない。
② I don't know nothing=僕は何も知らない。
といふ「英語」は、何故か、「二重否定(double negative)」にはならない。
従って、
(22)により、
(23)
② 無[少年不〔愛(其少女)〕]。
といふ「漢文」に対する、
② No boy doesn't love his girl.
といふ「英文」も、「二重否定」にはならない。
従って、
(11)(23)により、
(24)
① 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
② 無[少年不〔愛(其少女)〕]。
といふ「漢文」と、
① Every boy loves a certain girl.
② No boy doesn't love his girl.
といふ「英語」に於いて、
①「漢文」の「意味」は「明確」であるが、
①「英語」の「意味」は「曖昧」であり、
②「漢文」では、正しく、 「二重否定」になるが、
②「英語」では、間違って、「二重否定」にならない。
従って、
(24)により、
(25)
是に由りて之を観れば(以上の例から考へてみると)、「英語」は、「漢文訓読」よりも「非論理的な言語」であると、言はざるを得ない。
然るに、
(26)
漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在しない。― 中略 ―、文法的に正しい漢文を習得することは、中国人にとっても簡単ではなかった。「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人の外国人も平等である(加藤徹、白文攻略 漢文法ひとり学び、2013年、8頁・9)。
然るに、
(27)
「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人の外国人も平等である。
といふことは、「現代中国語(普通話)」を知ってゐても、そのことが、「漢文」を理解する上での、「アドバンテージ」にはならない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(28)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。
従って、
(27)(28)により、
(29)
「加藤先生の言説」と「倉石先生の言説」は、「矛盾」する。
然るに、
(30)
私自身は、「現代中国語」は、全く分からないため、「英語」は、「漢文訓読」よりも「非論理的な言語」であるとしても、「現代中国語」と比較した際にどうなのか。
といふことは、私には分からない。
(31)
「語順が異なれば、シンタックスも異なる」が故に、「大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)
然るに、
(32)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(32)により、
(33)
例へば、
① 無少年不愛其少女者=
① 無下少年不レ愛二其少女一者上=
① 無[少年不〔愛(其少女)〕者]⇒
② [少年〔(其少女)愛〕不者]無=
② [少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し。
といふ「漢文訓読」が「可能」であるといふ「事実」は、
① 無[少年不〔愛(其少女)〕者]。
といふ「漢文の補足構造」と、
② [少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し。
といふ「国語の補足構造」とに於いて、両者のそれが、両方とも、
①[ 〔 ( ) 〕 ]
②[ 〔 ( ) 〕 ]
といふ風に、「共通」である。
といふことを、示してゐる。
従って、
(31)(32)(33)により、
(34)
「語順が異なれば、シンタックスも異なる」といふのは、「誤解」に過ぎない。
加へて、
(35)
(ⅲ)
1 (1) ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} A
1 (2) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 1UE
1 (3) (少女b→~愛ab)→~少年a 2UE
4 (4) ∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
5(5) 少年a&∀y(少女y→~愛ay) A
5(6) 少年a 5&E
5(7) ~~少年a 6DN
5(8) ∀y(少女y→~愛ay) 5&E
5(9) (少女b→~愛ab) 8UE
1 5(ア) ~(少女b→~愛ab) 37MTT
1 5(イ) (少女b→~愛ab)&
~(少女b→~愛ab) 9ア&I
14 (ウ) ~(少女b→~愛ab) 45イEE
1 (エ)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 4ウRAA
といふ「計算」に於いて、
③ ~愛xy≡xはyを愛さない。
といふ風に、「読む」といふことは、
③ ~愛xy=
③ ~レ愛二xy一=
③ ~〔愛(xy)〕⇒
③ 〔(xy)愛〕~=
③ 〔(xはyを)愛さ〕ない。
といふ風に、「訓読」をしてゐる。
然るに、
(26)により、
(36)
「述語論理」だけでなく、固より、「漢文」も「人工言語」である。
従って、
(28)(34)(35)(36)により、
(37)
「アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである。」
とは言ふものの、私自身は、「漢文」を独学する上で、その前に、「現代中国語」を学ぶ必要があるとは、全く、思ってはゐない。