(01)
(ⅰ)
1 (1)~(P&Q) A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5)~(P&Q)&
(P&Q) 14&I
12 (6) ~Q 35RAA
1 (7) P→~Q 26CP
(ⅱ)
1 (1) P→~Q A
2 (2) P& Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) ~Q 13MPP
2 (5) Q 2&E
12 (6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&Q) 26RAA
従って、
(01)により、
(02)
① ~(P& Q)≡(PであってQである)といふことはない。
② P→~Q ≡ Pならば、Qでない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
① ~(P& Q)≡(PであってQである)といふことはない。
② P→~Q ≡ Pならば、Qでない。
に於いて、
~=不
P=読レ書
&=而
Q=習レ字
であるならば、
① 不二読レ書而習一レ字=書を読み字を習はず。
② 読レ書而不レ習レ字=書を読みて字を習はず。
に於いて、すなはち、
①(書を読んで、字を習ふ)といふことはない。
② 書を読むならば、字を習はない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)により、
(04)
「命題論理」的には、
① 不二読レ書而習一レ=書を読み字を習はず。
② 読レ書而不レ習レ字=書を読み字を習はず。
右は国文として読む場合は①と②は同じであるが、意味は大いに違っている。
① は代数式の -(P+Q)=-P-Q と同じで PとQ の二つとも否定する。
② は代数式の P-Q =+P-Q と同じで Qだけを否定する。
(多久弘一・瀬戸口武夫、漢文解釈辞典、108頁改)
といふことには、ならない。
(01)
① P→(Q →R)
③(P→ Q)→R
に於いて、
P=偽
Q=偽
R=偽
であるとすると、
① 偽→(偽 →偽)≡ 偽→(真)≡真
③(偽→ 偽)→偽 ≡(真)→偽 ≡偽
であるため、
① は「真」であるが、
③ は「偽」である。
従って、
(01)により、
(02)
① P→(Q →R)
③(P→ Q)→R
に於いて、
①=③ ではない。
従って、
(02)により、
(03)
それぞれの「意味」が変はってしまふため、
① P→(Q→R)
③(P→Q)→R
から、「括弧」を除くことは、出来ない。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1) P→(Q→R) A
2(2) P& Q A
2(3) P 2&E
12(4) Q→R 13MPP
2(5) Q 2&E
12(6) R 45MPP
1 (7)(P&Q)→R 26CP
(ⅱ)
1 (1)(P&Q)→R A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5) R 14MPP
12 (6) Q→ R 35CP
1 (7) P→(Q→R) 26CP
(ⅲ)
1 (1) (P→ Q)→R A
2 (2)~(P&~Q) A
3 (3) P A
4(4) ~Q A
34(5) P&~Q 34&I
234(6)~(P&~Q)&
(P&~Q) 25&I
23 (7) ~~Q 46RAA
23 (8) Q 7DN
2 (9) P→ Q 38CP
12 (ア) R 19MPP
1 (イ)~(P&~Q)→R 2ア
(ⅳ)
1 (1)~(P&~Q)→R A
2 (2) P→ Q A
3 (3) P&~Q A
3 (4) P 3&E
23 (5) Q 24MPP
3 (6) ~Q 3&E
23 (7) Q&~Q 56&I
2 (8)~(P&~Q) 37RAA
12 (9) R 18MPP
1 (ア) (P→ Q)→R 29CP
従って、
(04)により、
(05)
① P→(Q →R)
② (P& Q)→R
③ (P→ Q)→R
④ ~(P&~Q)→R
に於いて、
①=② であって、
③=④ であるが、
①=③ ではなく、それ故、
②=④ ではない。
従って、
(05)により、
(06)
② (P& Q)→R
④ ~(P&~Q)→R
といふ「論理式」に於いて、
②=④ ではない。
然るに、
(07)
「日本語の語順」に従ふのであれば、
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」に於いて、
②=④ ではない。
然るに、
(08)
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」は、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「日本語」に、相当する。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」と、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「日本語」に於いて、
②=④ ではない。
然るに、
(10)
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
ではなくて、
④ Pであって(Qでない、ではない)ならばRである。
であると、する。
然るに、
(11)
④(Qでない、ではない)
といふことは、「二重否定律(DN)」により、
④(Qである)
に、他ならない。
従って、
(10)(11)により、
(12)
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
ではなくて、
④ Pであって(Qでない、ではない)ならばRである。
であると、するならば、
④ Pであって(Qである)ならばRである。
といふ「意味」になる。
然るに、
(13)
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④ Pであって(Qである)ならばRである。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(09)(13)により、
(14)
②(P&Q )→ R
④(P&Q~)~→R
といふ「論理式」と、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「日本語」に於いて、
②=④ ではない。
にも拘はらず、その一方で、
②(Pであって、Qである)ならばRである。
④ Pであって(Qである)ならばRである。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(14)により、
(15)
④(P&Q~)~→R
④(Pであって、Qでない)ではないならばRである。
といふ「論理式」と「日本語」から、「括弧」を除くことは、出来ない。
然るに、
(16)
任意の表述の否定は、その表述を、~( )という空所にいれて書くことにしよう。:しかし丸括弧はその内部が連言でないかぎり削除しよう
(W.O.クワイン 著、杖下隆英 訳、現代論理入門、1972年、15頁)。
従って、
(06)(16)により、
(17)
任意の表述の否定は、その表述を、必ず、~( )という空所、または、~{ }という空所にいれて書くことにするならば、
④ ~(P&~Q)→R
といふ「論理式」は、
④ ~{P&~(Q)}→R
といふ風に、書くことになる。
然るに、
(18)
④ ~{P&~(Q)}→R
に於いて、
~{ }→{ }~
~( )→( )~
といふ「移動」を行ふと、
④ ~{P&~(Q)}→R⇒
④{P&(Q)~} ~→R=
④{Pであって(Qで)でない}ではないならばRである。
といふ「命題論理訓読」が、成立する。
然るに、
(19)
④ 無ニ生而不一レ知則聖人也=
④ 無{生而不(知)}則聖人也。
に於いて、
無{ }→{ }無
不( )→( )不
といふ「移動」を行ふと、
④ 無{生而不(知)}則聖人也⇒
④ {生而(知)不}無則聖人也=
④ {生れながらにして(知ら)不ること}無くんば則ち聖人なり。
といふ「漢文訓読(は作例)」が、成立する。
然るに、
(20)
しかし、正確さに欠けることはあるにしても、われわれの直観は健全であった。つまり。むやみに括弧が多くなることは我慢できないのである。
採用してもよい自然で実際的な規則は、最も外側の括弧を省略することである。そしていまひとつ、括弧を減らす有効で実際的な方法がある。
結合記号に一定のランクをつけることにしよう(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、59頁)。
従って、
(20)により、
(21)
「論理式」であっても、「理論上、あるべき括弧」の、そのすべてを、「省略」せずに書いてゐる。といふわけではない。
従って、
(18)~(21)により、
(22)
例へば、
④ 無生而不知則聖人也。
といふ「漢文」に対して、
④ 無ニ生而不一レ知則聖人也。
といふ「返り点」を、加へることは、
例へば、
④ ~P&~Q→R
といふ「論理式」に対して、
④ ~{P&~(Q)}→R
といふ「括弧」を付けることに、相当する。
然るに、
(23)
「論理式」には、予め、「必要最低限の括弧」が付いてゐるが、「漢文の原文(白文)」には、「返り点(括弧)」が「全く付いてゐない」。
然るに、
(24)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
従って、
(23)(24)により、
(25)
「漢文の原文(白文)」には、「返り点(括弧)」が「全く付いてゐない」からと言って、「漢文の原文(白文)」に、「管到(括弧)」が無い。
といふことには、ならない。
然るに、
(26)
しばしばとりあげられる〈語順〉の問題、元来はまっすぐに書かれた漢文に返り点をつけた、転倒しながら読むのは不自然だという考え方、などは、むしろ些少なことにすぎないかもしれない。かえって、語と語との修飾や支配の関係を、まったく構造を異にする日本語という言語と対比させることによって、はっきりとうかびあがらせる効用があるというべきである。
是以、大学始教、必使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
そこで大学での始めの教えは、学習者が天下の物すべてについて、彼がすでに知っている理を手がかりとしてますますこれをきわめ、そしてその極点にまで到達することを求めるようにせしめる(原文では、「求めないことはいっさいないように、ぜともせしめる」)のである。
このよう複雑な文章でも、返り点があることによって、簡明直截に文字のかかり方を知ることができる(平凡社、日本語の歴史2、2007年、155・156頁改)。
(27)
例へば、
是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、
是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
是以、大学始教、必〈学者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
是を以て、大学の始教は、必ず〈学者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ風に、「訓読」したとしても、
是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
是以、大学始教、必〈学者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使。
に於ける、
〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「補足構造」は、「不変」であって、尚且つ、「括弧・返り点」があることによって、
是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
のやうな「複雑な文章」でも、
是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
のやうに「簡明直截」に「文字のかかり方」を知ることができるが故に、「転倒しながら読む」のは不自然だという考え方、などは、むしろ「些少なこと」にすぎない。
(01)
(ⅰ)
1 (1) ~P→~Q A
2 (2) Q A
3(3) ~P A
1 3(4) ~Q 13MPP
123(5) Q&~Q 24&I
12 (6)~~P 3RAA
12 (7) P 6DN
1 (8) Q→ P 27CP
(ⅱ)
1 (1) Q→ P A
2 (2) ~P A
3(3) Q A
1 3(4) P 13MPP
123(5) ~P&P 24&I
12 (6) ~~P 25RAA
12 (7) P 6DN
1 (8) Q→ P 27CP
従って、
(01)により、
(02)
① ~P→~Q≡Pでないならば、Qでない。
② Q→ P≡Qであるならば、Pである。
に於いて、
①=② である(対偶)。
然るに、
(03)
② Q→ P≡Qであるならば、Pである。
③ P→ Q≡Pであるならば、Qである。
に於いて、
②=③ ではない。
cf.
「順が真であるとして、その逆も真であるとは、限らない。」
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ~P→~Q≡Pでないならば、Qでない。
② Q→ P≡Qであるならば、Pである。
③ P→ Q≡Pであるならば、Qである。
に於いて、
①=② であるが、
①=③ ではない。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)Pでないならば、Qでない。然るに、Pでない。故に、Qでない。
(ⅱ)Pであるならば、Qである。然るに、Pでない。故に、Qでない。
に於いて、
(ⅰ)は、「推論」として「正しい」ものの、
(ⅱ)は、「推論」として「間違ひ」であって、このとき、
(〃)を、「前件否定の誤謬」といふ。
従って、
(05)により、
(06)
「記号」で書くと、
(ⅰ)~P→~Q,~P├ ~Q
(ⅱ) P→ Q,~P├ ~Q
に於いて、
(ⅱ)は、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(07)
(ⅰ)~P→~Q,~P├ ~Q
(ⅱ) P→ Q,~P├ ~Q
に於いて、
P=~P
Q= R
といふ「代入」を行ふと、
(ⅰ)~~P→~R,~~P├ ~R
(ⅱ) ~P→ R,~~P├ ~R
然るに、
(08)
「二重否定律」により、
~~P=P
従って、
(07)(08)により、
(09)
(ⅰ)~~P→~R,~~P├ ~R
(ⅱ) ~P→ R,~~P├ ~R
といふ「連式」は、
(ⅰ) P→~R,P├ ~R
(ⅱ)~P→ R,P├ ~R
といふ「連式」に、「等しい」。
従って、
(06)~(09)により、
(10)
(ⅰ) P→~R,P├ ~R
(ⅱ)~P→ R,P├ ~R
に於いて、
(ⅱ)は、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(11)
P=弁舌がある (祝鮀のやうな弁舌が有る)。
Q=ハンサムである(宋朝のやうな美貌が有る)。
R=やっていけない(今の時世を無事に送ることは、難しい)。
~R=やっていける (今の時世を無事に送ることは、易しい)。
とするならば、
① ~P&Q→R
といふ「論理式(命題)」は、
① 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣⇒
① 〔(祝鮀之佞)有〕不、而(宋朝之美)有、難乎、(於今之世)免矣=
① 〔(祝鮀の佞)有ら〕ずして、而も(宋朝の美)有らば、難いかな、(今に世に)免るること=
① 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有る〕のではなく、而も(宋朝のやうな美貌が)有るだけならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
といふ「漢文訓読」に、相当する。
然るに、
(11)により、
(12)
(ⅰ)(Q&~P→R),(Q&P)├ ~R
といふ「連式」は、
(ⅰ)(ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない。)然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
といふ「意味」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
(ⅰ)(ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない。)然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
といふ「推論」は、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(14)
(ⅰ)弁舌がなければ、やってゆけない。
といふことは、
(ⅰ)弁舌があることは、「やってゆく」ための「必要条件」である。
といふことである。
然るに、
(ⅱ)弁舌を兼ね備えてこそ、はじめてやってゆける。
といふのであれば、この場合も、
(ⅱ)弁舌があることは、「やってゆく」ための「必要条件」である。
といふことである。
従って、
(13)(14)により、
(15)
(ⅰ)(ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない。) 然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
(ⅱ)(ハンサムの上に弁舌を兼ねそなえてこそ、はじめてやってゆける。)然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
といふ「言ひ方」は、両方とも、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(16)
そこで話をもとにもどしてみる。 ① の場合、-a+bであると訳すと「弁舌はなくて、ハンサムというのは、あぶない(ハンサムの上に弁舌を兼ねそなえてこそ、はじめてやってゆける)」ということになる。 (二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、325頁)。
従って、
(01)~(16)により、
(17)
(16)で引用した、 「漢文法基礎(二畳庵主人)、P325」は、
(ⅰ)(ハンサムであるとしても)弁舌がなければ、やってゆけない。然るに、弁舌がない。故に。やってゆけない。
(ⅱ)(ハンサムであるとしても)弁舌がなければ、やってゆけない。然るに、弁舌がある。故に。やってゆける。
に於ける、
(ⅰ)ではなく、
(ⅱ)であるが故に、「前件否定の誤謬」である。
(01)
(α)
1 (1) P∨ Q A
2 (2) ~P&~Q A
3 (3) P A
2 (4) ~P 2&E
23 (5) P&~P 34&I
3 (6)~(~P&~Q) 25RAA
(β)
7(7) Q A
2 (8) ~Q 2&I
2 7(9) Q&~Q 78&I
7(ア)~(~P&~Q) 25RAA
(γ)
1 (イ)~(~P&~Q) 1367ア∨E
従って、
(01)により、
(02)
(α)「Pである」ならば「~(~P&~Q)」であり、尚且つ、
(β)「Qである」ならば「~(~P&~Q)」である。が故に、
(γ)いづれにせよ、 「~(~P&~Q)」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「命題論理」に於ける、
(α)P∨Q≡「Pであるか、または、Qである。」
といふ「論理式(弱選言)」は、
(α)P∨Q≡「Pであるか、または、Qであるか(、または、PであってQである)。」
といふ「意味」である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)Pであるか、または、Qである。 然るに、
(ⅱ)Pである。 故に、
(ⅲ)Qでない。
といふ「推論(三段論法)」は、「命題論理」に於いては、「妥当」ではない。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1) P∨ Q A
2 (2) ~P&~Q A
3 (3) P A
2 (4) ~P 2&E
23 (5) P&~P 34&I
3 (6) ~(~P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&I
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア) ~(~P&~Q) 25RAA
1 (イ) ~(~P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) ~P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) ~P&~Q ウエ&I
1 ウエ(カ) ~(~P&~Q)&
(~P&~Q) 6オ&I
1 ウ (キ) ~~Q エカRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) ~P→ Q ウクCP
(ⅱ)
1 (1) ~P→ Q A
2 (2) ~P&~Q A
2 (3) ~P 2&E
12 (4) Q 13MPP
2 (5) ~Q 2&E
12 (6) Q&~Q 45&I
1 (7) ~(~P&~Q) 26RAA
8 (8) ~( P∨ Q) A
9 (9) P A
9 (ア) P∨ Q 9∨I
89 (イ) ~( P∨ Q)&
( P∨ Q) 8ア&I
8 (ウ) ~P 9イRAA
エ (エ) Q A
エ (オ) P∨ Q エ
8 エ (カ) ~( P∨ Q)&
( P∨ Q) 8オ&I
8 (キ) ~Q エカRAA
8 (ク) ~P&~Q ウキ&I
1 8 (ケ) ~(~P&~Q)&
(~P&~Q) 7ク&I
1 (コ)~~( P∨ Q) 8ケRAA
1 (サ) ( P∨ Q) コDN
従って、
(05)により、
(06)
① P∨Q≡「Pであるか、または、Qであるか(、または、PであってQである)。」
② ~P→Q≡「Pでないならば、Qである。」
に於いて、
①=② である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)Pであるか、または、Qであるか(、または、PであってQである)。 然るに、
(ⅱ)Pでない。 故に、
(ⅲ)Qである。
といふ「推論(選言三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(04)(07)により、
(08)
「記号」で書くとして、
(a)P∨Q, P├ ~Q
(b)P∨Q,~P├ Q
に於いて、
(a)は、「推論」として、「妥当」ではなく、
(b)は、「推論」として、「妥当」である。
然るに、
(06)により、
(09)
① P∨Q
② ~P→Q
に於いて、
P=~P
といふ「代入」を行ふと、
① ~P∨Q
② ~~P→Q
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)により、
(10)
「二重否定律」により、
① ~P∨Q
② P→Q
に於いて、
①=② である(含意の定義)。
然るに、
(11)
―「ド・モルガンの法則」の「証明」―
(ⅰ)
1 (1) ~(~P&~Q) A
2 (2) ~( P∨ Q) A
3 (3) P A
3 (4) P∨ Q 3∨I
23 (5) ~( P∨ Q)&
( P∨ Q) 24&I
2 (6) ~P 35RAA
7(7) Q A
7(8) P∨ Q 7∨I
2 7(9) ~( P∨ Q)&
( P∨ Q) 28&I
2 (ア) ~Q 7RAA
2 (イ) ~P&~Q 6イ&I
12 (ウ) ~(~P&~Q)&
(~P&~Q) 1ウ&I
1 (エ)~~( P∨ Q) 2エRAA
1 (オ) P∨ Q オDN
(ⅱ)
1 (1) P∨ Q A
2 (2) ~P&~Q A
3 (3) P A
2 (4) ~P 2&E
23 (5) P&~P 34&I
3 (6)~(~P&~Q) 25RAA
7(7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
2 7(9) Q&~Q 78&I
7(ア)~(~P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(~P&~Q) 1367ア∨E
従って、
(10)(11)により、
(12)
「含意の定義」と「ド・モルガンの法則」と「二重否定律」により、
① ~P&Q →R
② ~(P&Q)→R
といふ「論理式」は、
① ~(~P&Q)∨R
② ~~(P&Q)∨R
といふ「論理式」に、更には、
① (P∨~Q)∨R
② (P& Q)∨R
といふ「論理式」に、「等しい」。
従って、
(12)により、
(13)
① {~P&Q →R}⇔{(P∨~Q)∨R}
②{~(P&Q)→R}⇔{(P& Q)∨R}
といふ「2つの等式」が、成立する。
従って、
(08)(13)により、
(14)
①{(P∨~Q)∨R},~(P∨~Q)├ R
②{(P& Q)∨R},~(P& Q)├ R
といふ「推論」、すなはち、
① {~P&Q →R},~(P∨~Q)├ R
②{~(P&Q)→R},~(P& Q)├ R
といふ「推論」は「妥当」であるが、
①{(P∨~Q)∨R}, (P∨~Q)├ ~R
②{(P& Q)∨R}, (P& Q)├ ~R
といふ「推論」、すなはち、
① {~P&Q →R}, (P∨~Q)├ ~R
②{~(P&Q)→R}, (P& Q)├ ~R
といふ「推論」は「妥当」ではない。
然るに、
(15)
(ⅰ)
① 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣⇒
① 〔(祝鮀之佞)有〕不、而(宋朝之美)有、難乎、(於今之世)免矣=
① 〔(祝鮀の佞)有ら〕ずして、而も(宋朝の美)有らば、難いかな、(今に世に)免るること=
① 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有る〕のではなく、而も(宋朝のやうな美貌が)有るだけならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
(ⅱ)
② 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣⇒
② 〔(祝鮀之佞)有、而(宋朝之美)有〕不、難乎、(於今之世)免矣=
② 〔(祝鮀の佞)有りて、而も(宋朝の美)有ら〕ずんば、難いかな、(今の世矣)免るること=
② 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有って、而も(宋朝のやうな美貌が)有る〕といふ、ことではないならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
然るに、
(16)
実はどちらも意味が通じるのである。
① のほうは、古注といって、伝統的な解釈であるが、
② のほうは、新注といって、朱熹(朱子)の解釈なのである。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、325・326頁)
然るに、
(17)
P=祝鮀のやうな弁舌が有る。
Q=宋朝のやうな美貌が有る。
R=今の時世を無事に送ることは、難しい。
とするならば、
① ~P&Q →R
② ~(P&Q)→R
といふ「論理式」は、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣。
といふ「漢文」に「等しい」。
従って、
(14)(17)により、
(18)
① ~P&Q→R
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
に関して言へば、
① {~P&Q→R},~(P∨~Q)├ R
といふ「推論」は、「正しい」。
然るに、
(19)
「ド・モルガンの法則」により、
① ~(P∨~Q) は、
① ~P& Q に「等しい」。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① {~P&Q→R},~(P∨~Q)├ R
といふ「推論」、すなはち、
① {~P&Q→R},~P&Q├ R
といふ「推論(MPP)」は、当然、「正しい」。
然るに、
(14)(17)により、
(21)
①{~P&Q→R}, (P∨~Q)├ ~R
といふ「推論」、すなはち、
①{(P∨~Q)∨R},(P∨~Q)├ ~R
といふ「推論」は、「正しくない」。
然るに、
(22)
「連言除去(&E)」と「選言導入(∨I)」により、
(ⅰ) P& Q
(ⅱ) P&~Q
(ⅲ)~P& Q
(ⅳ)~P&~Q
に於いて、
(ⅰ)ならば、(P∨~Q)である。
(ⅱ)ならば、(P∨~Q)である。
(ⅲ)ならば、(P∨~Q)でない。
(ⅳ)ならば、(P∨~Q)である。
従って、
(21)(22)により、
(23)
(1){~P&Q→R},(P∨~Q)├ ~R
といふ「推論」は、「正しくない」が故に、
(ⅰ){~P&Q→R},( P& Q)├ ~R
(ⅱ){~P&Q→R},( P&~Q)├ ~R(ⅲ){~P&Q→R},(~P& Q)├ ~R
(ⅳ){~P&Q→R},( P&~Q)├ ~R
といふ「3つの推論」は、「正しくない」。
従って、
(23)により、
(24)
(ⅰ){~P&Q→R},( P& Q)├ ~R
といふ「推論」は、「正しくない」。
然るに、
(25)
「交換法則」により、
① ~P&Q
① P&Q
といふ「連言」は、それぞれ、
① Q&~P
① Q& P
といふ「連言」に「等しい」。
従って、
(24)(25)により、
(26)
(ⅰ){~P&Q→R},(P&Q)├ ~R
(〃){Q&~P→R},(Q&P)├ ~R
といふ「推論」は、「正しくない」。
然るに、
(17)により、
(27)
P=弁舌がある (祝鮀のやうな弁舌が有る)。
Q=ハンサムである(宋朝のやうな美貌が有る)。
R=やっていけない(今の時世を無事に送ることは、難しい)。
~R=やっていける (今の時世を無事に送ることは、易しい)。
とするならば、
① ~P&Q→R
といふ「論理式(命題)」は、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
といふ「漢文」に「等しい」。
(25)(26)(27)により、
(28)
① ~P&Q→R
① Q&~P→R
といふ「論理式(命題)」は、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
といふ「漢文」に「等しい」。
従って、
(21)~(28)により、
(29)
①{(P∨~Q)∨R},(P∨~Q)├ ~R
といふ「推論」、すなはち、
① {Q&~P→R},(Q& P)├ ~R
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ){ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない}。 (ハンサムであって、弁舌がある)。従って、やっていける。
(〃){ハンサムの上に弁舌を兼ね備えてこそ、はじめてやってゆける}。(ハンサムであって、弁舌がある)。従って、やっていける。
といふ「推論(前件否定の誤謬)」は、「正しくない」。
cf.
①{Q&~P→R},(Q&P)├ ~R
であれば、
①{Q&~P→R},(Q&~~P)├ ~R
であって、
①{Q&~P→R},(Q&~~P)├ ~R
から、Q を「除く」と、
①{~P→R},(~~P)├ ~R
は、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(30)
「次(31)」に示す通り、「二畳庵主人(加地伸行 先生)」は、
(ⅰ){ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない}。 (ハンサムであって、弁舌がある)。従って、やっていける。
(〃){ハンサムの上に弁舌を兼ね備えてこそ、はじめてやってゆける}。(ハンサムであって、弁舌がある)。従って、やっていける。
といふ「推論(前件否定の誤謬)」は、「正しい」と、されてゐる。
(31)
そこで話をもとにもどしてみる。
① の場合、-a+bであると訳すと「弁舌はなくて、ハンサムというのは、あぶない(ハンサムの上に弁舌を兼ねそなえてこそ、はじめてやってゆける)」ということになる。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、325・326頁)
然るに、
(32)
①{~P&Q→R}≡{Pでなくて、Qであるならば、Rである。}
ではなく、
①{~P&Q⇔R}≡{Pでなくて、Qであるならば、そのときに限って、Rである。}
であるならば、「前件否定の誤謬」には、ならない。
然るに、
(17)により、
(33)
① 自非無祝鮀之佞而有宋朝之美者、易乎、免於今之世矣=
① 自[非〔無(祝鮀之佞)而有(宋朝之美)者〕]、易乎、免(於今之世)矣⇒
① [〔(祝鮀之佞)無而(宋朝之美)有者〕非]自、易乎、(於今之世)免矣=
① [〔(祝鮀の佞)無くして(宋朝の美)有る者に〕非ざる]自りは、易きかな、(今の世に)免るること。
であるならば、
①{~P&Q⇔R}≡{Pでなくて、Qであるならば、そのときに限って、Rである。}
であり得る、はずであるが、(15)により、「原文(論語・雍也 一六)」は、そのやうには、なってゐない。
―「昨日(令和02年09月02日)の記事」は削除をした上で、「明日以降」に、書き直します。―
(01)
(ⅰ)~(否定)
(ⅱ)&(連言)
(ⅲ)∨(選言)
(ⅳ)→( 条件法)
(ⅴ)⇔(双条件法)
といふ「5つの記号」は、「命題論理」に於ける、「論理結合子」である。
然るに、
(02)
① P⇔Q
②(P→Q)&(Q→P)
に於いて、
① は、② に対する、「略号(abbreviation)」である。
従って、
(02)により、
(03)
① ~(P⇔Q)
② ~{(P→Q)&(Q→P)}
に於いて、
① は、② に対する、「略号(abbreviation)」である。
然るに、
(04)
―「ド・モルガンの法則」の「証明」―
(ⅰ)
1 (1) ~(~P&~Q) A
2 (2) ~( P∨ Q) A
3 (3) P A
3 (4) P∨ Q 3∨I
23 (5) ~( P∨ Q)&
( P∨ Q) 24&I
2 (6) ~P 35RAA
7(7) Q A
7(8) P∨ Q 7∨I
2 7(9) ~( P∨ Q)&
( P∨ Q) 28&I
2 (ア) ~Q 7RAA
2 (イ) ~P&~Q 6イ&I
12 (ウ) ~(~P&~Q)&
(~P&~Q) 1ウ&I
1 (エ)~~( P∨ Q) 2エRAA
1 (オ) P∨ Q オDN
(ⅱ)
1 (1) P∨ Q A
2 (2) ~P&~Q A
3 (3) P A
2 (4) ~P 2&E
23 (5) P&~P 34&I
3 (6)~(~P&~Q) 25RAA
7(7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
2 7(9) Q&~Q 78&I
7(ア)~(~P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(~P&~Q) 1367ア∨E
(05)
―「含意の定義」の「証明」―
(ⅰ)
1 (1) P→ Q A
2 (2) P&~Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) Q 13MPP
2 (5) ~Q 2&E
12 (6) Q&~Q 45&I
1 (7) ~(P&~Q) 26RAA
8 (8) ~(~P∨ Q) A
9 (9) ~P A
9 (ア) ~P∨ Q 9∨I
89 (イ) ~(~P∨ Q)&
(~P∨ Q) 8ア&I
8 (ウ) ~~P 9イRAA
8 (エ) P ウDN
オ(オ) Q A
オ(カ) ~P∨ Q オ&I
8 オ(キ) ~(~P∨ Q)&
(~P∨ Q) 8カ&I
8 (ク) ~Q オキRAA
8 (ケ) P&~Q エク&I
1 8 (コ) ~(P&~Q)&
(P&~Q) 7ケ&I
1 (サ)~~(~P∨ Q) 8コRAA
1 (シ) ~P∨ Q サDN
(ⅱ)
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
3 (6) ~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア) ~(P&~Q) 29RAA
1 (イ) ~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q ウエ&I
1 ウエ(カ) ~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q エカRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
然るに、
(06)
(ⅰ)
1 (1) ~(P⇔Q) A
1 (2)~{(P→Q)& (Q→P)} 1Df.⇔
1 (3) ~(P→Q)∨~(Q→P) 2ド・モルガンの法則
4 (4) ~(P→Q) A
4 (5)~(~P∨Q) 4含意の定義
4 (6) P&~Q 5ド・モルガンの法則
4 (7) (P&~Q)∨(~P&Q) 6∨I
8(8) ~(Q→P) A
8(9) ~(~Q∨P) 8含意の定義
8(ア) Q∨~P 8ド・モルガンの法則
8(イ) ~P∨Q ア交換法則
8(ウ) (P&~Q)∨(~P&Q) イ∨I
1 (エ) (P&~Q)∨(~P&Q) 1478ウ∨E
(ⅱ)
1 (1) (P&~Q)∨(~P&Q) A
2 (2) (P&~Q) A
2 (3)~(~P∨Q) 2ド・モルガンの法則
2 (4) ~(P→Q) 3含意の定義
2 (5) ~(P→Q)∨~(Q→P) 4∨I
6(6) (~P&Q) A
6(7) (Q&~P) 6交換法則
6(8) ~(~Q∨P) 7ド・モルガンの法則
6(9) ~(Q→P) 8含意の定義
6(ア) ~(P→Q)∨~(Q→P) 9∨I
1 (イ) ~(P→Q)∨~(Q→P) 1256ア∨E
1 (ウ)~{(P→Q)& (Q→P)} イ、ド・モルガンの法則
1 (エ) ~(P⇔Q) ウDf.⇔
従って、
(06)により、
(07)
① ~(P⇔Q)
② (P&~Q)∨(~P&Q)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
§4 選言命題は不十分である。選言に2種類あることが看過されているからである。
(a)弱選言(Week disjunction)
両立的(inclusive)選言ともいう。―中略―、
(b)強選言(Strong disjunction)
不両立(imcompatible)選言とか相反的(exclusive)選言といい、伝統的論理学のいう選言はこの種のものである。
(岩波全書、論理学入門、1979年、30・31頁改)
然るに、
(09)
(a)弱選言(Week disjunction) といふのは、
(〃)(Pであるか)、または、(Qであるか)、または、(Pであって、Qである)。
といふ「場合」を、言ふ。
(10)
(b)強選言(Strong disjunction) といふのは、
(〃)(Pであるか)、または、(Qである)。
といふ「場合」を、言ふ。
然るに、
(01)(02)(07)(08)により、
(11)
②(P&~Q)∨(~P&Q)
③(Pであって、Qでない)か、または、(Pでなくて、Qである)か、または、(Pであって、Qでなく、Pでなくて、Qである)。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(12)
③(Pであって、Qでなく、Pでなくて、Qである)。
といふことは「矛盾」であるため、
②(Pであって、Qでなく、Pでなくて、Qである)。
といふことは「有り得ない」。
従って、
(11)(12)により、
(13)
②(P&~Q)∨(~P&Q)
③(Pであって、Qでない)か、または、(Pでなくて、Qである)。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(14)
③(Pであって、Qでない)か、または、(Pでなくて、Qである)。
といふことは、
④(Pであるか)、または、(Qである)。
といふ、ことである。
従って、
(07)(10)(13)(14)により、
(15)
① ~(P⇔Q)
② (P&~Q)∨(~P&Q)
③ (Pであって、Qでない)か、または、(Pでなくて、Qである)。
に於いて、
①=②=③ であって、それ故、
① ~(P⇔Q)
といふ「論理式」は、
(b)強選言(Strong disjunction) である。
従って、
(01)(09)(10)(15)により、
(16)
(ⅰ) ~P
(ⅱ) P&Q
(ⅲ) P∨Q
(ⅳ) P→Q
(ⅴ) P⇔Q
(ⅵ)~(P⇔Q)
といふ「論理式」は、上から順に、
(ⅰ)否定
(ⅱ)連言
(ⅲ)弱選言
(ⅳ)条件法
(ⅴ)双条件法
(ⅵ)強選言
である。
従って、
(09)(10)(16)により、
(17)
(ⅲ) P∨Q ≡(Pであるか)、または、(Qであるか)、または、(Pであって、Qである)。
(ⅵ)~(P⇔Q)≡(Pであるか)、または、(Qであるか)、どちらか、一方である。
に於いて、
(ⅲ)は「弱選言」であって、
(ⅵ)は「強選言」である。
然るに、
(18)
(ⅲ)(Pであるか)、または、(Qであるか)、または、(Pであって、Qである)。
(ⅵ)(Pであるか)、または、(Qであるか)、どちらか、一方である。
に於いて、尚且つ、
(ⅲ) Pでない。
(ⅵ) Pでない。
とするならば、それぞれ、
(ⅲ) Qである。
(ⅵ) Qである。
従って、
(17)(18)により、
(19)
③ P∨Q ,~P├ Q
⑥ ~(P⇔Q),~P├ Q
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(20)
(ⅲ)(Pであるか)、または、(Qであるか)、または、(Pであって、Qである)。
(ⅵ)(Pであるか)、または、(Qであるか)、どちらか、一方である。
に於いて、尚且つ、
(ⅲ) Pである。
(ⅵ) Pである。
とするならば、
(ⅲ)には、(Pであって、Qである。)といふことが「真」である「可能性」と、
(〃)には、(Pであって、Qである。)といふことが「偽」である「可能性」が有る。
ものの。その一方で、
(ⅵ)には、(Pであって、Qである。)といふことが「偽」である「可能性」しかない。
従って、
(17)(20)により、
(21)
③ P∨Q ,P├ ~Q
⑥ ~(P⇔Q),P├ ~Q
といふ「推論(三段論法)」に於いて、
③ は、「妥当」ではないが、
⑥ は、「妥当」である。
従って、
(19)(21)により、
(22)
⑦(Pであるか、または、Qである。)然るに、Pでない。故に、Qである。
⑧(Pであるか、または、Qである。)然るに、Pである。故に、Qでない。
に於いて、
⑦ であれば、
⑦(Pであるか、または、Qである。)が、「弱選言」であっても、「強選言」であっても、いづれにせよ、「推論」は「妥当」であるが、
⑧ であれば、
⑧(Pであるか、または、Qである。)が、「弱選言」であっても、「強選言」であっても、いづれにせよ、「推論」は「妥当」である。
といふことには、ならない。
従って、
(18)~(22)により、
(23)
通常、「選言」という名称で呼ばれているものは、「弱選言」と呼ぶものである。
これは「PまたはQ」としたときに、「Pが真」であっても、「必ずしも、Qが偽にならない」ような「選言」のことである(数学Wiki改)。
といふ、ことになる。
(01)
(ⅰ)
① 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣⇒
① 〔(祝鮀之佞)有〕不、而(宋朝之美)有、難乎、(於今之世)免矣=
① 〔(祝鮀の佞)有ら〕ずして、而も(宋朝の美)有らば、難いかな、(今に世に)免るること=
① 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有る〕のではなく、而も(宋朝のやうな美貌が)有るだけならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
(ⅱ)
② 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣⇒
② 〔(祝鮀之佞)有、而(宋朝之美)有〕不、難乎、(於今之世)免矣=
② 〔(祝鮀の佞)有りて、而も(宋朝の美)有ら〕ずんば、難いかな、(今の世矣)免るること=
② 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有って、而も(宋朝のやうな美貌が)有る〕といふ、ことではないならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
然るに、
(02)
実はどちらも意味が通じるのである。
① のほうは、古注といって、伝統的な解釈であるが、
② のほうは、新注といって、朱熹(朱子)の解釈なのである。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、325・326頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
P=祝鮀のやうな弁舌が有る。
Q=宋朝のやうな美貌が有る。
R=今の時世を無事に送ることは、難しい。
とするならば、
① ~P&Q →R
② ~(P&Q)→R
といふ「論理式」は、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣。
といふ「漢文」に「等しい」。
然るに、
(04)
(ⅲ)
1 (1) P→ Q A
2 (2) P&~Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) Q 13MPP
2 (5) ~Q 2&E
12 (6) Q&~Q 45&I
1 (7) ~(P&~Q) 26RAA
8 (8) ~(~P∨ Q) A
9 (9) ~P A
9 (ア) ~P∨ Q 9∨I
89 (イ) ~(~P∨ Q)&
(~P∨ Q) 8ア&I
8 (ウ) ~~P 9イRAA
8 (エ) P ウDN
オ(オ) Q A
オ(カ) ~P∨ Q オ&I
8 オ(キ) ~(~P∨ Q)&
(~P∨ Q) 8カ&I
8 (ク) ~Q オキRAA
8 (ケ) P&~Q エク&I
1 8 (コ) ~(P&~Q)&
(P&~Q) 7ケ&I
1 (サ)~~(~P∨ Q) 8コRAA
1 (シ) ~P∨ Q サDN
(ⅳ)
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
3 (6) ~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア) ~(P&~Q) 29RAA
1 (イ) ~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q ウエ&I
1 ウエ(カ) ~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q エカRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
従って、
(04)により、
(05)
③ P→Q
④ ~P∨Q
に於いて、
③=④ である(含意の定義)。
然るに、
(06)
(ⅴ)
1 (1) ~(~P&Q) A
2 (2) ~(P∨~Q) A
3 (3) P A
3 (4) P∨~Q 3∨I
23 (5) ~(P∨~Q)&
(P∨~Q) 24&I
2 (6) ~P 35RAA
7(7) ~Q A
7(8) P∨~Q 7∨I
2 7(9) ~(P∨~Q)&
(P∨~Q) 28&I
2 (ア) ~~Q 7RAA
2 (イ) Q アDN
2 (ウ) ~P&Q 6イ&I
12 (エ) ~(~P&Q)&
(~P&Q) 1ウ&I
1 (オ)~~(P∨~Q) 2エRAA
1 (カ) P∨~Q オDN
(ⅵ)
1 (1) P∨~Q A
2 (2) ~P& Q A
3 (3) P A
2 (4) ~P 2&E
23 (5) P&~P 34&I
3 (6)~(~P& Q) 25RAA
7(7) ~Q A
2 (8) Q 2&E
2 7(9) ~Q&Q 78&I
7(ア)~(~P& Q) 29RAA
1 (イ)~(~P& Q) 1367アRAA
従って、
(06)により、
(07)
⑤ ~(~P&Q)
⑥ P∨~Q
に於いて、
⑤=⑥ である(ド・モルガンの法則)。
従って、
(03)(05)(07)により、
(08)
「含意の定義」と「ド・モルガンの法則」と「二重否定律」により、
① ~P&Q →R
② ~(P&Q)→R
といふ「論理式」は、
① ~(~P&Q)∨R
② ~~(P&Q)∨R
といふ「論理式」に、更には、
① (P∨~Q)∨R
② (P& Q)∨R
といふ「論理式」に、「等しい」。
然るに、
(09)
①(P∨~Q)∨R
②(P& Q)∨R
に於いて、
① R が「必ず、真である」場合。
② R が「必ず、真である」場合。
とは、それぞれ、
①(P∨~Q)が「偽」である場合。
②(P& Q)が「偽」である場合。
である。
然るに、
(10)
①(P∨~Q)が「偽」である場合。
とは、
①(~P&Q)≡(祝鮀之佞が無くて、宋朝之美が有る)場合。
といふ「1通り」である。
である。
(11)
②(P& Q)が「偽」である場合。
とは、
②(~P& Q)≡(祝鮀之佞が無くて、宋朝之美が有る)場合。
②( P&~Q)≡(祝鮀之佞が有って、宋朝之美が無い)場合。
②(~P&~Q)≡(祝鮀之佞が無くて、宋朝之美も無い)場合。
といふ「3通り」である。
従って、
(03)(08)~(11)により、
(12)
① ~P&Q →R
② ~(P&Q)→R
に於いて、すなはち、
①(P∨~Q)∨R
②(P& Q)∨R
に於いて、
① の場合は、
①(祝鮀之佞が無くて、宋朝之美が有る)ならば、そのときに限って、今の時世を無事に送ることは、難しい。
といふことになり、
② の場合は、
②(祝鮀之佞が有って、宋朝之美が有る)ならば、そのときに限って、今の時世を無事に送ることは、難しくはない(のかも知れない)。
といふことになる。
(13)
② ~(P&Q)→R
といふ「論理式」からは、「分かり難い」が、これと「同値」である所の、
② (P&Q)∨R
といふ「論理式」からは、
②(祝鮀之佞が有って、宋朝之美が有る)ならば、その場合は、
② 今の時世を無事に送ることは、難しくとも、難しくなくとも、「どちらでも良い」。
といふことが、「明確」である。
従って、
(01)(13)により、
(14)
② 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣⇒
② 〔(祝鮀之佞)有、而(宋朝之美)有〕不、難乎、(於今之世)免矣=
② 〔(祝鮀の佞)有りて、而も(宋朝の美)有ら〕ずんば、難いかな、(今の世矣)免るること=
② 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有って、而も(宋朝のやうな美貌が)有る〕といふ、ことではないならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
といふ「漢文訓読」からは、
② 〔(祝鮀の佞)が有って、しかも(宋朝の美)有る〕ならば、容易なことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
といふことには、ならない。
―「昨日(令和02年08月29日)の記事」を書き直します。―
(01)
(a)
1 (1) A→ B A
2 (2) A A
3(3) ~B A
12 (4) B 12MPP
123(5) ~B&B 34&I
1 3(6)~A 25RAA
1 (7)~B→~A 36CP
(b)
1 (1) ~B→~A A
2 (2) ~B A
3(3) A A
12 (4) ~A 12MPP
123(5) A&~A 34&I
1 3(6)~~B 25RAA
1 3(7) B 6DN
1 (8) A→ B 37CP
従って、
(01)により、
(02)
(a) A→ B
(b)~B→~A
に於いて、
(a)=(b)
であって、それ故、「対偶(Contrapositions)」は、「互いに、等しい」。
従って、
(02)により、
(03)
(a)「Aであるならば、Bである( A→ B)。」
(b)「Bでないならば、Aでない(~B→~A)。」
に於いて、
(a)=(b)
であって、それ故、「対偶(Contrapositions)」は、「互いに、等しい」。
然るに、
(04)
(a)「Aであるならば、Bである( A→ B)。」
(b)「Bでないならば、Aでない(~B→~A)。」
に於いて、
(a)=(b)
である。といふことは、
(c)「(Bでないならば、Aでない、が故に、)Aであるためには、Bでなければ、ならない。」
(d)「(Aであるならば、Bである、が故に、)Bでないためには、Aであっては、ならない。」
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(04)により、
(05)
(a)「Aであるならば、Bである( A→ B)。」
(b)「Bでないならば、Aでない(~B→~A)。」
に於いて、
(a)=(b)
であるが故に、
(c)「Aであるためには、Bであること」が、「必要」である。
(d)「Bでないためには、Aでないこと」が、「必要」である。
従って、
(05)により、
(06)
(a)「Aであるならば、Bである( A→ B)。」
(b)「Bでないならば、Aでない(~B→~A)。」
に於いて、
(a)=(b)
であるが故に、
(c)「Bであることは、Aであるため」の、「必要条件」である。
(d)「Aでないことは、Bでないため」の、「必要条件」である。
然るに、
(07)
(ⅰ)
① 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣⇒
① 〔(祝鮀之佞)有〕不、而(宋朝之美)有、難乎、(於今之世)免矣=
① 〔(祝鮀の佞)有ら〕ずして、而も(宋朝の美)有らば、難いかな、(今に世に)免るること=
① 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有る〕のではなく、而も(宋朝のやうな美貌が)有るだけならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
(ⅱ)
② 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣⇒
② 〔(祝鮀之佞)有、而(宋朝之美)有〕不、難乎、(於今之世)免矣=
② 〔(祝鮀の佞)有りて、而も(宋朝の美)有ら〕ずんば、難いかな、(今の世矣)免るること=
② 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有って、而も(宋朝のやうな美貌が)有る〕といふ、ことではないならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
然るに、
(08)
① の場合、-a+bであると訳すと「弁舌はなくて、ハンサムというのは、あぶない(ハンサムの上に弁舌を兼ねそなえてこそ、はじめてやってゆける)」ということになる。
② の場合、すなわち -(a+b)であると「弁舌があり、その上にハンサムでないかぎり、やってゆけない」ということになる。どちらが正しいか。
実はどちらも意味が通じるのである。
① のほうは、古注といって、伝統的な解釈であるが、
② のほうは、新注といって、朱熹(朱子)の解釈なのである。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、325・326頁)
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣。
に於いて、
① は「古注」であって、
② は「新注」である。
従って、
(09)により、
(10)
A=祝鮀のやうな弁舌が有る。
B=宋朝のやうな美貌が有る。
C=今の時世を無事に送ることは、難しい。
とするならば、
① ~A&B →C
② ~(A&B)→C
といふ「論理式」は、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣。
といふ「漢文」に「等しい」。
然るに、
(10)により、
(11)
① ~A&B→C
の「対偶」は、
① ~C→~(~A&B)
である。
然るに、
(12)
(ⅰ)
1 (1)~C→~(~A&B) A
2 (2)~C A
12 (3) ~(~A&B) 12MPP
12 (4) A∨~B 3ド・モルガンの法則
12 (5) ~B∨A 4交換法則
12 (6) B→A 5含意の定義
1 (7)~C→ (B→A) 26CP
3(8)~C&B A
3(9)~C 8&E
1 3(ア) B→A 79MPP
3(イ) B 8&I
1 3(ウ) A アイMPP
1 (エ)~C&B→A 3ウCP
(〃)
1 (1)~C&B→A 3ウCP
2 (2)~C A
3(3) B A
23(4)~C&B 23&I
123(5) A 14MPP
12 (6) B→A 35CP
12 (7) ~B∨A 6含意の定義
12 (8) A∨~B 7交換法則
12 (9)~(~A&B) 8ド・モルガンの法則
1 (ア)~C→~(~A&B) 29CP
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ~A&B→C
の「対偶」である、
① ~C→~(~A&B)
といふ「論理式」は、
① ~C&B→A
といふ「論理式」に「等しい」。
然るに、
(14)
② ~(A&B)→C
の「対偶」は、
② ~C→~~(A&B)
といふ「論理式」であるが、
② ~C→~~(A&B)
といふ「論理式」は、「二重否定律(DN)」により、
② ~C→A&B
といふ「論理式」に、「等しい」。
従って、
(03)(13)(14)により、
(15)
① ~A&B→ C
② ~(A&B)→C
といふ「論理式」は、それぞれ、
① ~C&B→A
② ~C→A&B
といふ「論理式」に、「等しい」。
従って、
(06)(10)(15)により、
(16)
① ~C&B→A
② ~C→A&B
に於いて、それぞれ、
①「今の時世で無事でゐることを易しくし、美貌があること」の「必要条件」は、「弁舌があること」である。
②「今の時世で無事でゐることを易しくすること」の「必要条件」は、「弁舌があることと、美貌があること」である。
従って、
(10)(16)により、
(17)
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣。
といふ「漢文」は、それぞれ、
①「(既に、美貌を備てゐる)宋朝が、今の時世で無事でゐることを易しくしたい」と思ふのであれば、「宋朝は、(祝鮀のやうな)弁舌を身に着ける、必要が有る。」
②「今の時世で無事でゐることを易しくしたいと、ある人が」思ふのであれば、「そのひとは、(祝鮀のやうな)弁舌と、(宋朝のような)美貌の、両方を、必用とする。」
といふ「意味」である。
従って、
(16)(17)により、
(18)
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣。
② 不〔有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)〕、難乎、免(於今之世)矣。
といふ「漢文」は、両方とも、「結論」としては、
①「弁舌も、美貌も、必要である。」
②「弁舌も、美貌も、必要である。」
といふ風に、述べてゐる。
(01)
(ⅰ)
1 (1) ~( A& B) A
2 (2) ~(~A∨~B) A
3 (3) ~A A
3 (4) ~A∨~B 3∨I
23 (5) ~(~A∨~B)&
(~A∨~B) 24&I
2 (6) ~~A 35RAA
2 (7) A 6DN
8(8) ~B A
8(9) ~A∨~B 8∨I
2 8(ア) ~(~A∨~B)&
(~A∨~B) 29&I
2 (イ) ~~B 8アRAA
2 (ウ) B イDN
2 (エ) A& B 7ウ&I
12 (オ) ~( A& B)&
( A& B) 1エ&I
1 (カ)~~(~A∨~B) 2オRAA
1 (キ) ~A∨~B カDN
(ⅱ)
1 (1) ~( A& B) A
2 (2) ~(~A∨~B) A
3 (3) ~A A
3 (4) ~A∨~B 3∨I
23 (5) ~(~A∨~B)&
(~A∨~B) 24&I
2 (6) ~~A 35RAA
2 (7) A 6DN
8(8) ~B A
8(9) ~A∨~B 8∨I
2 8(ア) ~(~A∨~B)&
(~A∨~B) 29&I
2 (イ) ~~B 8アRAA
2 (ウ) B イDN
2 (エ) A& B 7ウ&I
12 (オ) ~( A& B)&
( A& B) 1エ&I
2 (カ)~~( A& B) 1オRAA
2 (キ) A& B カDN
従って、
(01)により、
(02)
① ~( A& B)
② ~A∨~B
に於いて、
①=② である(ド・モルガンの法則)。
然るに、
(03)
(ⅰ)
1 (1) ~(A& B)→C A
2 (2) ~A A
2 (3) ~A∨~B 2∨I
2 (4) ~(A& B) 3ド・モルガンの法則
12 (5) C 14MPP
(ⅱ)
1 (1) ~(A& B)→C A
2 (2) ~B A
2 (3) ~A∨~B 2∨I
2 (4) ~(A& B) 3ド・モルガンの法則
12 (5) C 14MPP
(ⅲ)
1 (1) ~(A& B)→C A
2 (2) ~A&~B A
2 (3) ~A 2&E
2 (4) ~A∨~B 3∨I
2 (5) ~(A& B) 4ド・モルガンの法則
12 (6) C 15MPP
従って、
(03)により、
(04)
① ~(A&B)→C,~A ├ C
② ~(A&B)→C, ~B├ C
③ ~(A&B)→C,~A&~B├ C
といふ「連式(Sequents)」は、「3つ」とも「妥当」である。
然るに、
(05)
① ~(A&B)⇔C は、
① {~(A&B)→C}&{C→~(A&B} に、「等しい」。
従って、
(05)により、
(06)
① ~(A&B)⇔C
といふ「論理式(双条件法)」は、
① ~(A&B)→C
といふ「論理式(条件法)」を「含んでゐる」。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① ~(A&B)⇔C,~A ├ C
② ~(A&B)⇔C, ~B├ C
③ ~(A&B)⇔C,~A&~B├ C
といふ「連式(Sequents)」は、「3つ」とも「妥当」である。
然るに、
(08)
(ⅳ)
1 (1) ~(A&B)⇔C A
1 (2){~(A&B)→C}&{C→~(A&B} 1Df.⇔
1 (3) C→~(A&B) 2&E
2(4) A&B A
2(5) ~~(A&B) 4DN
12(6) ~C 35MTT
従って、
(08)により、
(09)
④ ~(A&B)→C, A& B├ ~C
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
従って、
(07)(09)により、
(10)
① ~(A&B)⇔C,~A ├ C
② ~(A&B)⇔C, ~B├ C
③ ~(A&B)⇔C,~A&~B├ C
④ ~(A&B)⇔C, A& B├ ~C
といふ「連式(Sequents)」は、「4つ」とも「妥当」である。
従って、
(10)により、
(11)
①「(Aであって、Bである)といふことでないならば、そのときに限って、Cである。」として、「Aでない。 」のであれば、Cである。
②「(Aであって、Bである)といふことでないならば、そのときに限って、Cである。」として、「 Bでない。」のであれば、Cである。
③「(Aであって、Bである)といふことでないならば、そのときに限って、Cである。」として、「Aでなくて、Bでない。」のであれば、Cである。
④「(Aであって、Bである)といふことでないならば、そのときに限って、Cである。」として、「Aであって、Bである。」のであれば、Cではない。
といふ「推論」は、「4つ」とも「正しい」。
然るに、
(12)
A=弁舌がある。
B=ハンサムである。
C=やってゆけない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
①「(弁舌があって、ハンサムである)といふことでないならば、そのときに限って、やってゆけない。」として、「弁舌がない。 」のであれば、やってゆけない。
②「(弁舌があって、ハンサムである)といふことでないならば、そのときに限って、やってゆけない。」として、「 ハンサムでない。」のであれば、やってゆけない。
③「(弁舌があって、ハンサムである)といふことでないならば、そのときに限って、やってゆけない。」として、「弁舌がなくて、ハンサムでない。」のであれば、やってゆけない。
④「(弁舌があって、ハンサムである)といふことでないならば、そのときに限って、やってゆけない。」として、「弁舌があって、ハンサムである。」のであれば、はじめて、やってゆける。
然るに、
(14)
そこで話をもとにもどしてみる。
① の場合、-a+bであると訳すと「弁舌はなくて、ハンサムというのは、あぶない(ハンサムの上に弁舌を兼ねそなえてこそ、はじめてやってゆける)」ということになる。
② の場合、すなわち -(a+b)であると「弁舌があり、その上にハンサムでないかぎり、やってゆけない」ということになる。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、325頁)
然るに、
(15)
「二畳庵主人(加地伸行 先生)」が言ふ所の、
① -a+b
② -(a+b)
といふのは、
① ~A&B
② ~(A&B)
といふ「論理式」のことを、言ふ。
従って、
(10)~(15)により、
(16)
「二畳庵主人(加地伸行 先生)」は、
④ ~A&B⇔C,A&B├ ~C
といふ「連式」が「妥当」であると、述べてゐて、
「私の場合」は、
④ ~(A&B)⇔C,A&B├ ~C
といふ「連式」こそが「妥当」であると、言ってゐる。
然るに、
(17)
(ⅳ)
1 (1) ~A&B⇔C A
1 (2){~A&B→C}&{C→~A&B} 1Df.⇔
1 (3) C→~A&B 2&E
4(4) A&B A
4(5) ~~(A&B) 4DN
14(6) ~C 24MTT
といふ「計算(?)」は。もちろん、「マチガイ」である。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「二畳庵主人(加地伸行 先生)」は、
④ ~A&B⇔C,A&B├ ~C
といふ「連式」が「妥当」であると、述べてゐるが、
④ ~A&B⇔C,A&B├ ~C
といふ「連式」は、実際には、「妥当」ではない。
(01)
遂に出た!二畳庵主人『漢文法基礎』
まだ現物を見ていませんが、幻の書と言われた漢文の解説本が復刊されました。
2chの漢文参考書スレには必ずといっていいほど登場する本。
そして古本では必ず1万円以上する!!
というのも、いわゆる受験参考書だったために一般に流布せず、従って、国会図書館にも蔵書がなければ、地域や大学図書館などにもほぼ蔵書がないというものでした。扱いとしては図録と同じですね。でも、最近は図録は図書館でも見かけるようになりました。知る人ぞ知る、『漢文法基礎』です。久々に「買い」の本が出ましたよ。本は買わない宣言しちゃいましたが、今年はこの1冊だけ買って打ち止めにしようとすら思ってます。たぶんあまり数を刷っていないででしょうから、学術文庫版も早晩、品切れになるかと思われます。買うなら今です(古田島洋介、FC2ブログ、古代中国箚記)。
(02)
豈以為非是、而不貴也。
この傍線部分をどう読むかが問題である。
― 中略、―
そこで代数でいこう。「是」をa、「貴」をbとする。「豈」はどうなるかというと、これは反語表現マイナスで表せる。すると、
① -(-a)+(-b)、
② -(-a-b) の二つが考えられる。そこで括弧を解いてみよう。
① の場合、a-b となり、a・bにもとの意味を入れてみると「是、而不貴」である。訳してみると「(薄葬を)よろしいと考えるが、(薄葬を)尊重しない」というわけのわからないことになってしまって、アウト。
② の場合、-(-a-b)=a+b となるから「是、而貴」となる。訳してみると「(薄葬を)よろしいと考えて、尊重している」となって、墨家の立場をはっきりしめすことになる。
だからこの文章の場合、必ず②のように、「豈」(反語表現だから「不」は全体にかからねばならない。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、326・327頁改)
従って、
(02)により、
(03)
「二畳庵主人(加地信行 先生)」は、
① ~(~是&~貴)
② 是& 貴
に於いて、
①=② である。
と、されてゐる。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1) ~(~是&~貴) A
2 (2) ~( 是∨ 貴) A
3 (3) 是 A
3 (4) 是∨ 貴 3∨I
23 (5) ~( 是∨ 貴)&( 是∨ 貴) 24&I
2 (6) ~是 35RAA
7(7) 貴 A
7(8) 是∨ 貴 7∨I
2 7(9) ~( 是∨ 貴)&( 是∨ 貴) 27&I
2 (ア) ~貴 79RAA
2 (イ) ~是&~貴 7エ&I
12 (ウ) ~(~是&~貴)&(~是&~貴) 1イ&I
1 (エ)~~( 是∨ 貴) 2ウRAA
1 (オ) 是∨ 貴 1DN
(ⅱ)
1 (1) 是∨ 貴 A
2 (2) ~是&~貴 A
3 (3) 是 A
23 (4) ~是 2
23 (5) 是&~是 34&I
3 (6) ~(~是&~貴) 25RAA
7(7) 貴 A
2 (8) ~貴 2&E
2 7(9) 貴&貴 78
7(ア) ~(~是&~貴) 29RAA
1 (イ) ~(~是&~貴) 1367ア∨E
従って、
(04)により、
(05)
① ~(~是&~貴)
② 是∨ 貴
に於いて、
①=② である(ド・モルガンの法則)。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
「二畳庵主人(加地信行 先生)」は、
① ~(~是&~貴)
② 是& 貴
に於いて、
①=② である。
と、されてゐるが、「ド・モルガンの法則」としては、
① ~(~是&~貴)
② 是∨ 貴
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)(06)により、
(07)
「ド・モルガンの法則」に、「違反」してゐるが故に、
そこで代数でいこう。「是」をa、「貴」をbとする。「豈」はどうなるかというと、これは反語表現マイナスで表せる。すると、
① -(-a)+(-b)、
② -(-a-b) の二つが考えられる。そこで括弧を解いてみよう。
といふ、「二畳庵主人(加地信行 先生)」の「説明」は、「正しく」はない。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1 (1)~(~是&~貴) A
2 (2) ~是 A
3(3) ~貴 A
23(4) ~是&~貴 23&I
123(5)~(~是&~貴)&
(~是&~貴) 14&I
1 3(6) ~~是 25RAA
1 3(7) 是 6DN
1 (8) ~貴→ 是 37CP
(ⅲ)
1 (1) ~貴→ 是 A
2 (2) ~是&~貴 A
2 (3) ~貴 2&E
12 (4) 是 13MPP
2 (5) ~是 2&E
12 (6) ~是&是 45&E
1 (7)~(~是&~貴) 26RAA
従って、
(08)により、
(09)
① ~(~是&~貴)
③ ~貴→ 是
に於いて、
①=③ である。
従って、
(06)(08)(09)により、
(10)
① ~(~是&~貴)
② 是∨ 貴
③ ~貴→ 是
に於いて、
①=②=③ であるが、因みに、
②=③ は、「含意の定義」である。
従って、
(06)(10)により、
(11)
「ド・モルガンの法則」、並びに、「含意の定義」により、
① ~(~是&~貴)
② 是∨ 貴
③ ~貴→ 是
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(02)により、
(12)
③ ~貴→是
といふことは、
③(薄葬)を「尊重しない」ならば、(薄葬)を「ベスト(The best)」とする。
といふ、ことである。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ~(~是&~貴)
といふことは、
①(薄葬)を「尊重しない」のに、(薄葬)を「ベスト(The best)」とする。
といふ、ことであるが、もちろん、このことは、「矛盾」である。
といふ、ことである。
然るに、
(14)
「翻訳(小林勝人、孟子、1968年、224頁)」だけを示すと、「次(15)」のやうになる。
(15)
聞けば、夷子は墨翟の説を信じているそうだ。あの学派では、葬式をなるべく手薄(質素)にして倹約するのが主義だというが、夷子もやはりこの薄葬主義で、天下の風俗を改革しようと考えておるに相違ない。だから、どうしてこれ(薄葬)を正しくないのだからといって尊重せぬ筈があろうか。ところが、私の腑に落ちないのは、夷子が自分の親を葬ったときには、たいそう手厚くしたとのことだ。それでは、つまり自分のふだん賤しんでいるやり方(儒家の厚葬主義)で、親に仕えたことになる。〔なんと矛盾したおかしな話ではないか。〕
然るに、
従って、
(02)(11)~(15)により、
(16)
① ~(~是&~貴)≡豈以為非是、而不貴也。
といふことは、
① 夷子は、自分の親の葬儀では、(薄葬)を「尊重しなかった」のに、その夷子が、(薄葬)を「ベスト(The best)」とする。
といふことは、「矛盾」である。
といふ、ことである。
然るに、
(11)(16)により、
(17)
仮に、
① ~(~是&~貴)
② 是∨ 貴
③ ~貴→ 是
に於いて、
①=②=③ ではない、のであれば、
① ~(~是&~貴)≡豈以為非是、而不貴也。
といふことは、
① 夷子は、自分の親の葬儀では、(薄葬)を「尊重しなかった」のに、その夷子が、(薄葬)を「ベスト(The best)」とする。
といふことは、「矛盾」である。
といふ風には、言へない。
然るに、
(07)により、
(18)
もう一度、確認すると、
「二畳庵主人(加地信行 先生)」は、「ド・モルガンの法則」を、「理解」してゐない。
従って、
(01)(11)(16)(17)(18)により、
(19)
残念なことに、
① ~(~是&~貴)。⇔
① 豈以為非是、而不貴也。⇔
① 夷子は、自分の親の葬儀では、(薄葬)を「尊重しなかった」のに、その夷子が、(薄葬)を「ベスト(The best)」とする。といふことは、「矛盾」である。
といふことが、「漢文法基礎(幻の名著と言われた漢文の解説本)」には、書かれてはゐない。
(01)
①(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
といふことは、
②(PとQが、同時に「真(本当)」になる)といふことはない。
といふことである。
然るに、
(02)
②(PとQが、同時に「真(本当)」になる)といふことはない。
といふことは、
② Pでないか、または、Qでないか、または、Pでも、Qでもない。
といふことである。
然るに、
(03)
②(PとQが、同時に「真(本当)」になる)といふことはない。
といふことは、
③ Pが「真(本当)」であるならば、Qは「偽(ウソ)」であり、
④ Qが「真(本当)」であるならば、Pは「偽(ウソ)」である。
といふことである。
然るに、
(04)
③ Pが「真(本当)」であるならば、Qは「偽(ウソ)」であり、
④ Qが「真(本当)」であるならば、Pは「偽(ウソ)」である。
といふことは、
③ Pであるならば、Qではなく、
④ Qであるならば、Pではない。
といふことである。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
「日本語」で考へれば、「簡単に分る」通り、
①(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
② Pでないか、または、Qでないか、または、Pでも、Qでもない。
③ Pであるならば、Qでない。
④ Qであるならば、Pでない。
に於いて
①=②=③=④ である。
従って、
(05)により、
(06)
「命題計算」の「記号」で書くと、
① ~(P& Q)
② ~P∨~Q
③ P→~Q
④ Q→~P
に於いて
①=②=③=④ である。
然るに、
(07)
(ⅰ)
1 (1) ~( P& Q) A
2 (2) ~(~P∨~Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨~Q 3∨I
23 (5) ~(~P∨~Q)&(~P∨~Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) ~Q A
8(9) ~P∨~Q 8∨I
2 8(ア) ~(~P∨~Q)&(~P∨~Q) 28&I
2 (イ) ~~Q 8アRAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P& Q 7ウ&I
12 (オ) ~( P& Q)&( P& Q) 1エ&I
1 (カ)~~(~P∨~Q) 2オRAA
1 (キ) ~P∨~Q 1DN
(ⅱ)
1 (1) ~P∨~Q A
2 (2) P& Q A
3 (3) ~P A
23 (4) P 2
23 (5) ~P& P 34&I
3 (6) ~(P& Q) 25RAA
7(7) ~Q A
2 (8) Q 2&E
2 7(9) ~Q&Q 78
7(ア) ~(P& Q) 29RAA
1 (イ) ~(P& Q) 1367ア∨E
然るに、
(08)
(ⅰ)
1 (1)~(P& Q) A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P& Q 23&I
123(5)~(P& Q)&
(P& Q) 14&I
12 (6) ~Q 35RAA
1 (7) P→~Q 26CP
(ⅲ)
1 (1) P→~Q A
2 (2) P& Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) ~Q 13MPP
2 (5) Q 2&E
12 (6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P& Q) 26RAA
然るに、
(09)
(ⅰ)
1 (1)~(P& Q) A
2 (2) Q A
3(3) P A
23(4) P& Q 23&I
123(5)~〔P& Q〕&
〔P& Q〕 14&I
12 (6) ~P 35RAA
1 (7) Q→~P 26CP
(ⅳ)
1 (1) Q→~P A
2 (2) P& Q A
2 (3) Q 2&E
12 (4) ~P 13MPP
2 (5) P 2&E
12 (6) P&~P 45&I
1 (7)~(P& Q) 26RAA
従って、
(05)~(09)により、
(10)
① ~(P& Q)≡(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
② ~P∨~Q ≡ Pでないか、または、Qでないか、または、その両方である。
③ P→~Q ≡ Pであるならば、Qでない。
④ Q→~P ≡ Qであるならば、Pでない。
に於いて、
「日本語」で考へても、「命題論理」で計算しても、
①=②=③=④ である。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1)Q A
2(2)Q→~P A
12(3) ~P 12MPP
従って、
(11)により、
(12)
① Q,Q→~P├ ~P
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
然るに、
(10)により、
(13)
「番号」を付け直すと、
① Q→~P ≡ Qであるならば、Pでない。
② ~(P& Q)≡(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① Q, Q→~P ├ ~P
② Q,~(P& Q)├ ~P
といふ「連式(Sequents)」は、「妥当」である。
従って、
(14)により、
(15)
「~」=「不」
「&」=「而」
「Q」=「食馬(馬を養ふ)。」
「P」=「知其能千里(その能の千里なるを知る)。」
とするならば、
① 食馬、不(知其能千里而食)。故、不(知其能千里)。
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
然るに、
(16)
② 食レ馬者、不下知二其能千里一食上。
② 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はず。
② 馬の飼い主は、自分の馬が千里も走る能力があることを知って飼うことをしない。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、153・154頁改)
然るに、
(17)
言ふまでもなく、
②(馬を食ふ者は、馬を)食ふ。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
② 食馬者、不(知其能千里而食)。故に、不(知其能千里)。
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
② 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はず。故に、其の能の千里なるを知らず。
といふ「連式(Sequent)」は、「妥当」である。
従って、
(16)(19)により、
(20)
② 食レ馬者、不下知二其能千里一食上。
といふ「漢文」は、
② 馬を養ふ者は、其の能の千里なるを知らずに、馬を養ふ。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(21)
① 食レ馬者、不下知二其能千里一食上。
② 知ニ其能千里一而食レ食。
この ①・② の読み方を書き下し文になおすと、どちらも「その能の千里なるを知ってしかし食わず」であって同じである。だから書き下し文を見ただけでは、①か②か どちらかという判断はできない。
それでは、意味はどうなるかと、全く違うのである。すなわち、次のようになる。
①「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
②「その(馬の)働きが一日に千里も走れるほどであることを知っておりながら、〈それ相応に飼育しない〉」
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、390頁)
然るに、
(22)
①「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
②「其の能の千里なるを知らずに、馬を養ふ。」
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
① 食レ馬者、不下知二其能千里一食上。
といふ「漢文」は、
②「其の能の千里なるを知らずに、馬を養ふ。」
といふ「意味」であって、
①「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
といふ「意味」でない。
然るに、
(21)(23)により、
(24)
①「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
から、
①「それ相応に」といふ「副詞句」を除くと、
①「馬を飼育する者は、その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、飼育しない。」
といふことになる。
然るに、
(25)
①「馬を飼育する者は、馬を、飼育しない。」
といふのは、「矛盾」である。
従って、
(24)(25)により、
(26)
①「馬を飼育する者は、馬を、飼育しない。」
といふ「矛盾」を「糊塗する」する上で、
①「馬を飼育する者は、その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
といふ「訳文」から、
①「それ相応に」といふ「副詞句」を除くことは、出来ない。
(01)
「漢文」とはなにか
受験参考書をはるかに超え出たZ会伝説の名著、待望の新版! ― 中略 ―、
基礎とはなにか。二畳庵先生が考える基礎ということばは、基礎医学とか、基礎物理研究所といったことばで使われているような意味なんだ。(中略)基礎というのは、初歩的知識に対して、いったいそれはいかなる意味をもっているのか、ということ。つまりその本質を反省することなのである。初歩的知識を確認したり、初歩的知識を覚える、といったことではなく、その初歩的知識を材料にして、それのもっている本質を根本的に反省するということなのだ。――<本書より>
※本書は1984年10月に増進会出版社より刊行された『漢文法基礎』(新版)を大幅に改訂したものです。
(02)
(ⅰ)
1 (1)~〔P& Q〕 A
2 (2) Q A
3(3) P A
23(4) P& Q 23&I
123(5)~〔P& Q〕&
〔P& Q〕 14&I
12 (6) ~P 35RAA
1 (7) Q→~P 26CP
(ⅱ)
1 (1) Q→~P A
2 (2) P& Q A
2 (3) Q 2&E
12 (4) ~P 13MPP
2 (5) P 2&E
12 (6) P&~P 45&I
1 (7)~〔P& Q〕 26RAA
従って、
(02)により、
(03)
① ~〔P& Q〕≡〔Pであって、尚且つ、Qである〕といふことはない。
② 〔Q→~P〕≡〔Qであるならば、Pでない。〕
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
① ~〔P& Q〕≡(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
② Q→~P ≡ Qであるならば、Pでない。
に於いて、
「~」=「不」
「P」=「知(其能千里)」
「&」=「而」
「Q」=「食(養ふ)」
「→」=「ならば」
であるとする。
cf.
「食」は「養う」の「意味」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 不〔知(其能千里)而食〕。
② 食ならば不〔知(其能千里)〕。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
① 不〔知(其能千里)而食〕。
② 食ならば不〔知(其能千里)〕。
に於いて、
不〔 〕⇒〔 〕不
知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ひ、「平仮名」を加へると、
① 〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ず。
② 食ふならば〔(其の能の千里なるを)知ら〕ず。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(07)
① 食レ馬者、不下知二其能千里一食上。
① 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はず。
① 馬の飼い主は、自分の馬が千里も走る能力があることを知って飼うことをしない。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、153・154頁改)
然るに、
(08)
言ふまでもなく、
②(馬を食ふ者は、馬を)食ふ。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
① 食馬者、不知其能千里而食。
といふ「漢文」は、
② 馬を養ふ者は、其の能の千里なるを知らずに馬を養ふ。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(10)
① 食レ馬者、不下知二其能千里一食上。
② 知ニ其能千里一而食レ食。
この ①・② の読み方を書き下し文になおすと、どちらも「その能の千里なるを知ってしかし食わず」であって同じである。だから書き下し文を見ただけでは、①か②か どちらかという判断はできない。
それでは、意味はどうなるかと、全く違うのである。すなわち、次のようになる。
①「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
②「その(馬の)働きが一日に千里も走れるほどであることを知っておりながら、〈それ相応に飼育しない〉」
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、390頁)
然るに、
(11)
①「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
といふのであれば、
① 食馬者、不知其能千里而_食。
ではなく、
① 食馬者、不知其能千里而不食。
でなければ、ならない。
然るに、
(07)(10)により、
(12)
「原文」は、
① 食馬者、不知其能千里而不食。
ではなく、
① 食馬者、不知其能千里而_食。
である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 食レ馬者、不下知二其能千里一食上。
であれば、
①「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」
といふ「意味」になるといふ、「二畳庵主人(加地伸行 先生)」の「説明」は、「マチガイ」である。
(14)
(ⅲ)
1 (1)~(P∨Q) A
2 (2) P A
2 (3) P∨Q 2∨I
12 (4)~(P∨Q)&(P∨Q) 13&I
1 (5) ~P 24RAA
6(6) Q A
6(7) P∨Q 6∨I
1 6(8)~(P∨Q)&(P∨Q) 17&I
1 (9) ~Q 68RAA
1 (ア)~P&~Q 59&I
(ⅳ)
1 (1) ~P&~Q A
2 (2) P∨ Q A
1 (3) ~P 1&E
4 (4) P A
4 (6)~(~P&~Q) 15RAA
1 (7) ~Q 1&E
8(8) Q A
1 8(9) ~Q&Q 78&I
8(ア)~(~P&~Q) 19RAA
2 (イ)~(~P&~Q) 2468ア∨E
~(~P&~Q) 1イ&I
1 (エ) ~(P∨ Q) 2ウRAA
従って、
(14)により、
(15)
③ ~(P∨ Q)≡(Pであるか、または、Qである)といふことはない。
④ ~P&~Q ≡ Pでもないし、Qでもない。
に於いて、
③=④ である(ド・モルガンの法則)。
従って、
(15)により、
(16)
③(字を書くか、または、書を読まない)といふことはない。
④ 字も書かなければ、 書も読まない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(17)
④ 字も書かなければ、書も読まない。
といふのであれば、「漢文」は、
④ 不レ書レ字、不レ読レ書。
であって、
④ 不二書レ字読一レ書。
ではない。
然るに、
(18)
入門編で述べたもっと簡単な例でいうと、たとえば、
③ 書レ字不レ読レ書。
④ 不二書レ字読一レ書。
③ は「字は書くけれども、本は読まない。」
④ は「字も書かなければ、書も読まない。」ということで、ここでも「不」の管到のちがいがよくでている。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、390頁)
従って、
(17)(18)により、
(19)
「二畳庵主人(加地伸行 先生)」は、要するに、
④ 不レ書レ字、不レ読レ書。
といふ「漢文」と、
④ 不二書レ字読一レ書。
といふ「漢文」とを、「混同」していて、このことは、
③ ~(P& Q)≡(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
④ ~P&~Q ≡ Pでもないし、Qでもない。
に於いて、
③=④ である(「ド・モルガンの法則」ではない)。
と、見做してゐる。
といふことに、「等しい」。
然るに、
(20)
(ⅰ)
1 (1) ~( P& Q) A
2 (2) ~(~P∨~Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨~Q 3∨I
23 (5) ~(~P∨~Q)&(~P∨~Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) ~Q A
8(9) ~P∨~Q 8∨I
2 8(ア) ~(~P∨~Q)&(~P∨~Q) 28&I
2 (イ) ~~Q 8アRAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P& Q 7ウ&I
12 (オ) ~( P& Q)&( P& Q) 1エ&I
1 (カ)~~(~P∨~Q) 2オRAA
1 (キ) ~P∨~Q 1DN
(ⅱ)
1 (1) ~P∨~Q A
2 (2) P& Q A
3 (3) ~P A
23 (4) P 2
23 (5) ~P& P 34&I
3 (6) ~(P& Q) 25RAA
7(7) ~Q A
2 (8) Q 2&E
2 7(9) ~Q&Q 78
7(ア) ~(P& Q) 29RAA
1 (イ) ~(P& Q) 1367ア∨E
従って、
(20)により、
(21)
① ~(P& Q)≡(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
② ~P∨~Q ≡ Pでないか、または、Qでないか、または、その両方である。
に於いて、
①=② である(ド・モルガンの法則)。
従って、
(19)(21)により、
(22)
「番号」を付け直すと、
① ~(P& Q)≡(Pであって、尚且つ、Qである)といふことはない。
② ~P∨~Q ≡ Pでないか、または、Qでないか、または、その両方である。
③ ~P&~Q ≡ Pでもないし、Qでもない。
に於いて、「ド・モルガンの法則」としては、
①=② こそが「正しい」ものの、
「二畳庵主人(加地伸行 先生)」の場合は、
①=③ である。
といふ風に、「誤解」してゐる。
(01)
① 誰不愛其才而惜其命薄=
① 誰不下愛二其才一而惜中其命薄上=
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① 誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
は、「反語」である。
然るに、
(02)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
は、「反語」であるため、
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
② 不[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
P≡愛(其才) ≡賈島の才能を愛す。
Q≡惜(其命薄)≡賈島の薄命を惜しむ。
であって、尚且つ、
不=~
而=&
であるとする、
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
② 不[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
といふ「漢文」は、
① ~{~(P&Q)}
といふ「命題論理式」に、「等しい」。
然るに、
(06)
(ⅰ)
1 (1)~{~(P& Q)} A
3(2) P→~Q A
3(3) ~P∨~Q 2含意の定義
3(4) ~(P& Q) 3ド・モルガンの法則
13(5)~{~(P& Q)}&
{~(P& Q)} 14&I
1 (6) ~(P→~Q) 35RAA
(ⅱ)
1 (1) ~(P→~Q) A
2(2) ~P∨~Q A
2(3) P→~Q 2含意の定義
12(4) ~(P→~Q)&
(P→~Q) 13&I
1 (5) ~(~P∨~Q) 24RAA
1 (6) (P& Q) 5ド・モルガンの法則
1 (7)~{~(P& Q)} 6DN
従って、
(06)により、
(07)
① ~{~(P& Q)}
② ~(P→~Q)
に於いて、
①=② である。
従って、
(04)~(07)により、
(08)
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
② 不[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
といふ「漢文」は、
② ~(P→~Q)
といふ「命題論理式」に、「等しい」。
従って、
(01)(04)(08)により、
(09)
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
②(賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。)といふことない。
に於いて、
①=①=② である。
然るに、
(10)
②(賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。)といふことない。
といふことは、
②(賈島の才能を愛する者は、誰もが賈島の薄命を惜しむ)。
といふ、ことである。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
②(賈島の才能を愛する者は、誰もが賈島の薄命を惜しむ)。
② ~(P→~Q)。
に於いて、
①=②=② である。
然るに、
(12)
「漢文」の場合は、「現在形」と「過去形」の「区別」が無い。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
②(賈島の才能を愛した者は、誰もが賈島の薄命を惜しんだ)。
② ~(P→~Q)。
に於いて、
①=②=② である。
然るに、
(14)
③ 死に臨んだ日に、家に一銭の貯金なく、ただ病気にかかったロバと古琴だけがあった。その当時、
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を哀惜した。
(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、85頁を参照)
然るに、
(15)
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか。
であるならば、「不(ず・ない)」の「個数」が「2個」であることから、「漢文訓読」は、
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
ではなく、
③ 誰不[不〔愛(其才)〕而惜(其命薄)]⇒
③ 誰[〔(其才)愛〕不而(其命薄)惜]不=
③ 誰か[〔(其の才)愛さ〕ずして(其の命の薄きを)惜しま]ざらんや。
でなければ、ならないが、「原文」は、さうではない。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
に対する、
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を哀惜した。
といふ「訳」は、
③ 愛さず
の「部分」が、「誤訳」である。
然るに、
(17)
goo国語辞書
はく‐めい【薄命】 の解説
1 早死にすること。短命。「佳人薄命」
2 運に恵まれないこと。ふしあわせ。薄幸。「薄命の身を嘆く」
然るに、
(18)
大修館大漢和辞典(第9巻、940頁)を見ると、
「(漢文の)薄命」には、
2 運に恵まれないこと。ふしあわせ。薄幸。
といふ「意味」は有っても、
1 早死にすること。短命。
といふ「意味」は無い。
加へて、
(19)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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賈 島(か とう、779年(大暦14年)- 843年8月27日(会昌3年7月28日))は、中国・唐の詩人。字は浪仙、または閬仙。幽州范陽県(現在の河北省保定市涿州市)の出身である。
従って、
(19)により、
(20)
賈島は、「還暦」を過ぎてから亡くなってゐるため、当時としては、「短命」とは言へないはずである。
従って、
(16)(20)により、
(21)
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
に対する、
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を哀惜した。
といふ「訳」は、
③ 愛さず
といふ「部分」と、
③ 短命
といふ「部分」が、「誤訳」になってゐる。
(01)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
といふことは、
② Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
といふことである。
然るに、
(02)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
といふことは、
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
といふことである。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「日本語」で考へる限り、
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)により、
(04)
「命題計算(Propositional calculus)」の記号で書くと、
① ~(P& Q)
② P→~Q
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1)~(P&Q) A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5)~(P&Q)&
(P&Q) 14&I
12 (6) ~Q 35RAA
1 (7) P→~Q 26CP
(ⅱ)
1 (1) P→~Q A
2 (2) P& Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) ~Q 13MPP
12 (5) Q 2&E
12 (6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&Q) 26RAA
従って、
(05)により、
(06)
① ~(P& Q)
② P→~Q
に於いて、
①=② であって、この「等式」を、「含意の定義」といふ。
然るに、
(07)
(ⅰ)
1 (1) ~( P& Q) A
2 (2) ~(~P∨~Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨~Q 3∨I
23 (5) ~(~P∨~Q)&
(~P∨~Q) 14&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) ~Q A
8(9) ~P∨~Q 8∨I
2 8(ア) ~(~P∨~Q)&
(~P∨~Q) 29&I
2 (イ) ~~Q 8アRAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P& Q 7ウ&I
12 (オ) ~( P& Q)&
( P& Q) 2エ&I
1 (カ)~~(~P∨~Q) 2オRAA
1 (キ) ~P∨~Q カDN
(ⅲ)
1 (1) ~P∨~Q カDN
2 (2) P& Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
2 (6) ~(P& Q) 25RAA
7(7) ~Q A
2 (8) Q 2&E
2 7(9) ~Q&Q 78&I
7(ア) ~(P& Q) 29RAA
1 (イ) ~(P& Q) 1367ア∨E
従って、
(07)により、
(08)
① ~(P& Q)
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=③ である。
従って、
(09)
① ~(P& Q)
② P→~Q
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)(04)(09)により、
(10)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
といふことは、「日本語」で考へても、「命題計算」で計算しても、両方とも、「正しい」。
然るに、
(11)
① ~(P& Q)
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=③ であって、この「等式」を、「ド・モルガンの法則」といふ。
従って、
(03)(11)により、
(12)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
に於いて、
①=③ である。といふことを、「ド・モルガンの法則」といふ。
従って、
(12)により、
(13)
「命題論理」としての「ド・モルガンの法則」は、
「 集合論 」としての「ド・モルガンの法則」とは異なり、極めて、「当り前」である。
然るに、
(09)(10)により、
(14)
① ~(P& Q)=(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② P→~Q = Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(15)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
③ Q→~P=Qが真であるならば、Pは偽である。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(14)(15)により、
(16)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
③ Q→~P=Qが真であるならば、Pは偽である。
に於いて、
② と、
③ は、「同じこと」である。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
といふ「等式」は、
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
といふ「等式」と、「同じ」である。
従って、
(14)(17)により、
(18)
① ~(P& Q)=(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② P→~Q = Pが真であるならば、Qは偽である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(19)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② Pが真であるならば、Qは偽である。
といふことは、
①(PであってQである)といふことはない。
② Pであるならば、Qではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① ~(P& Q)=(PであってQである)といふことはない。
② P→~Q = Pであるならば、Qではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(21)
④ 學而不思則罔(論語、爲政、十五)。
④ 學&~思→罔(学びて思はざれば則ち罔し)。
がさうでやうに、
「而」は「&」であって、
「不」は「~」であって、
「則」は「→」である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
① 不(P而 Q)=(PであってQである)といふことはない。
② P則不Q = Pであるならば、Qではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(23)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の薄命を惜しむ。
とする。
従って、
(22)(23)により、
(24)
① 不(P而 Q)=(賈島の才能を愛して、 賈島の薄命を惜しむ。)といふことはない。
② P則不Q = 賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(25)
②〈反語〉誰カBセン [読み]誰カセンヤ〔ヤ〕
[訳]誰がBしようか、いや誰もBしない。
[例]誰不レ愛レ子乎。[読み]誰か子を愛せざらんや。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、226頁を参照)。
従って、
(24)(25)により、
(26)
① 誰不(P而 Q)=誰か(賈島の才能を愛して、 賈島の薄命を惜しむ。)といふことはない。
② 誰P則不Q =誰か賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。
といふのは、「反語」であって、
①=② である。
然るに、
(27)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)
従って、
(26)(27)により、
(28)
① 誰不(P而 Q)=誰か(賈島の才能を愛して、 賈島の薄命を惜しむ。) といふことはない。
② 誰P則不Q =(賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。)といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(29)
① 臨死之日、家無一銭、惟病驢古琴而已。当時、誰不愛其才而惜其命薄=
① 臨レ死之日、家無ニ一銭一、惟病驢古琴而已。当時、誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 臨(死)之日、家無(一銭)、惟病驢古琴而已。当時、誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① (死)臨之日、家(一銭)無、惟病驢古琴而已。当時、誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① (死に)臨むの日、家に(一銭)無く、惟だ病驢古琴のみ。当時、誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
従って、
(23)(28)(29)により、
(30)
誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① 誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
といふ「漢文・訓読」は、
② 誰P則不Q=(賈島の才能を愛するならば、誰もが、賈島の薄命を惜しまない。)といふことはない。
といふ「意味」になる。
従って、
(23)(30)により、
(31)
P=愛(其才) =賈島の才能を愛す。
Q=惜(其命薄)=賈島の薄命を惜しむ。
であるとして、
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
② 誰P則不Q=賈島の才能を愛する者は、誰もが、賈島の薄命を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(32)
賈 島(か とう、779年(大暦14年) - 843年8月27日(会昌3年7月28日))は、中国・唐の詩人。字は浪仙、または閬仙。幽州范陽県(現在の河北省保定市涿州市)の出身である。
(ウィキペディア)
従って、
(32)により、
(33)
賈 島 は、63歳か、64歳のときに、死んだので、当時としては、「短命」であるとは言へない。
然るに、
(34)
【薄命】天から與へられた命の薄いこと。宿命の拙いこと。ふしあわせ。不運。薄福。薄倖。
(大修館、大漢和辞典)
従って、
(33)(34)により、
(35)
賈島 は、「薄命」といふよりも、むしろ、「薄幸」である。
従って、
(29)~(35)により、
(36)
P=愛(其才) =賈島の才能を愛す。
Q=惜(其命薄)=賈島の薄命を惜しむ。
であるとして、
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
② 誰P則不Q=賈島の才能を愛する者は、誰もが、賈島の薄幸を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(37)
「最近の記事」にも書いた通り、例へば、「計算(07)」は、
(ⅰ)
1 (1) 不( P而 Q) A
2 (2) 不(不P如不Q) A
3 (3) 不P A
3 (4) 不P如不Q 3如I
23 (5) 不(不P如不Q)而
(不P如不Q) 14而I
2 (6) 不不P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) 不Q A
8(9) 不P如不Q 8如I
2 8(ア) 不(不P如不Q)而
(不P如不Q) 29而I
2 (イ) 不不Q 8アRAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P而 Q 7ウ而I
12 (オ) 不( P而 Q)而
( P而 Q) 2エ而I
1 (カ)不不(不P如不Q) 2オRAA
1 (キ) 不P如不Q カDN
(ⅲ)
1 (1) 不P如不Q カDN
2 (2) P而 Q A
3 (3) 不P A
2 (4) P 2而E
23 (5) 不P而P 34而I
2 (6) 不(P而 Q) 25RAA
7(7) 不Q A
2 (8) Q 2而E
2 7(9) 不Q而Q 78而I
7(ア) 不(P而 Q) 29RAA
1 (イ) 不(P而 Q) 1367ア如E
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(37)により、
(38)
「漢文」といふ「集合」は、その「部分集合」として、「命題論理(Propositional logic)」を含んでゐる。
従って、
(01)~(38)により、
(39)
「命題論理(Propositional logic)」は、「目に見える形」で、「漢文の文法」の「一部」である。
然るに、
(40)
ラテン語であっても、「命題論理(Propositional logic)の規則」に従はないわけには、行かない。
然るに、
(41)
「漢文」も「命題論理」も、「語順」は「自由」ではない。
然るに、
(42)
ラテン語は語順が自由
「ラテン語は語順が自由」と言われます。具体例をみてみましょう。
Cultūra animī philosophia.はどう訳すか?
(cultūra,-ae f.耕作、耕すこと animus,-ī m.精神 philosophia,-ae f.哲学)
動詞estが省かれていて、主格が2つ、属格が1つあります。「主格Aは主格Bである(est)」というのが文の骨組みです。英語でいえばSVCの構文です。「Cultūraはphilosophiaである」としても、その逆でも文法的にはどちらでも構いません。問題はむしろanimīをどちらの名詞にかけるか?です。文法的にはどちらにかけても間違いではありません。
(山下太郎のラテン語入門)
従って、
(41)(42)により、
(43)
「語順が自由でない」といふ点に於いて、 「漢文」 は「命題論理」の「仲間」であって、
「語順が自由である」といふ点に於いて、「ラテン語」は「命題論理」の「仲間」ではない。
―「先ほど(令和02年03月02日)」の記事は、「下書き」に戻します。―
(01)
1(1)~(P&~Q) A
1(2) ~P∨ Q 1ド・モルガンの法則
1(3) P→ Q 2含意の定義
(ⅱ)
1(1) P→ Q A
1(2) ~P∨ Q 含意の定義
1(3)~(P&~Q) 2ド・モルガンの法則
従って、
(01)により、
(02)
① ~(P&~Q)
② P→ Q
に於いて、
①=② であって、この「等式」を「含意の定義」といふ。
従って、
(02)により、
(03)
③ ~(~P&~Q)
④ ~P→ Q
に於いても、
③=④ であって、この「等式」も「含意の定義」といふ。
然るに、
(04)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の短命を惜しむ。
とする。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① ~(P&~Q)=(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)といふことはない。
② P→ Q = 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)(04)により、
(06)
③ ~(~P&~Q)=(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)といふことはない。
④ ~P→ Q = 賈島の才能を愛さないならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(07)
① 誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
③ 誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
に於いて、これは、「反語」である。
然るに、
(08)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① ~(P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
② P→ Q =賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
①=② であって、
③ ~(~P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
④ ~P→ Q =賈島の才能を愛さないならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(09)により、
(10)
② P→ Q =賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
といふのであれば、
③ ~(~P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
ではなく、
① ~(P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
でなければ、ならない。
然るに、
(11)
① 臨死之日、家無一銭、惟病驢古琴而已。当時、誰不愛其才而惜其命薄=
① 臨レ死之日、家無ニ一銭一、惟病驢古琴而已。当時、誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 臨(死)之日、家無(一銭)、惟病驢古琴而已。当時、誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① (死)臨之日、家(一銭)無、惟病驢古琴而已。当時、誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① (死に)臨むの日、家に(一銭)無く、惟だ病驢古琴のみ。当時、誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
然るに、
(12)
③ 死に臨んだ日に、家に一銭の貯金なく、ただ病気にかかったロバと古琴だけがあった。その当時、
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を哀惜した。
(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、85頁を参照)
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
② P→ Q =賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
といふのであれば、
③ ~(~P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
であってはならず、
① ~(P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
でなければ、ならないものの、その一方で、多久弘一先生の「訳」は、
③ ~(~P&~Q)=誰が{その(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない}ことがあろうか。
となってゐる。
従って、
(13)により、
(14)
③ ~(~P&~Q)=誰が{その(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない}ことがあろうか。
といふ、多久弘一先生の「訳」は、「誤訳」である。
然るに、
(04)により、
(15)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の短命を惜しむ。
であるため、
P=愛(其才)
Q=惜(其命薄)
であるし、加へて、
不=~
而=&
である。
従って、
(16)
① 不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
であるならば、
① ~(P&Q)
である。
然るに、
(17)
(ⅰ)
1 (1)~(P&Q) A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5)~(P&Q)&
(P&Q) 14&I
12 (6) ~Q 35RAA
1 (7) P→~Q 26CP
(ⅱ)
1 (1) P→~Q A
2 (2) P& Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) ~Q 13MPP
12 (5) Q 2&E
12 (6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&Q) 26RAA
従って、
(17)により、
(18)
① ~(P& Q)
② P→~Q
に於いて、
①=② である。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
① 不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
であるならば、
② P→~Q
である。
従って、
(19)により、
(20)
① 不[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
であるならば、
② ~(P→~Q)
である。
然るに、
(07)(08)により、
(21)
① 誰[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
は「反語」であるため、
① 誰[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
の場合は、
① 不[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
である。
従って、
(11)(20)(21)により、
(22)
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
① ~(P→~Q)
といふ「命題論理」に、相当する。
従って、
(15)(22)により、
(23)
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
① ~(P→~Q)=(賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない)といふことはない。
といふ「意味」である。
従って、
(05)(23)により、
(24)
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
① ~(P&~Q)=(賈島の才能を愛して、 賈島の短命を惜しまない)といふことはない。
ではなく、「正確」には、
① ~(P→~Q)=(賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない)といふことはない。
といふ「意味」になる。
従って、
(24)により、
(25)
① 誰不愛其才而惜其命薄=
① 誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① 誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
といふ「漢文・訓読」は、
① 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(12)により、
(26)
多久弘一先生は、
① その才能と短命を哀惜した。
してゐるため、
多久弘一先生の「解釈」では、
② 誰もが、 賈島の才能を愛し、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(27)
① 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
② 誰もが、 賈島の才能を愛し、 誰もが、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(11)(12)(27)により、
(28)
いづれにせよ、多久弘一先生による、
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を哀惜した。
による「訳」は、「誤訳」であると、言はざるを得ない。
(29)
「漢文」は、「ラテン語やギリシャ語」とは「対照的」に、「命題論理」のやうな「書き言葉」であるため、「命題論理」は、「漢文法の一部」である。
(01)
① 學而不思則罔=
① 學而不(思)則罔⇒
① 學而(思)不則罔=
① 学びて思はざれば則ち罔し=
① 学んでも、考へなければ、〔物事は〕ハッキリしない(論語、爲政、十五)。
然るに、
(02)
「而」は「&」であって、
「不」は「~」であって、
「則」は「→」であって、
① 學而不思則罔。といふ「 漢文 」は、まさに、
② 學&~思→罔。といふ「論理式」そのものである。
然るに、
(03)
「~」の「結合力」は、
「&」の「結合力」よりも強く、
「&」の「結合力」は、
「→」の「結合力」よりも強い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 學而不思則罔。
② 學&~思→罔。
に於いて、
①=② であるならば、
①(學而不思)則罔。
②(學&~思)→罔。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1) (學&~思)→罔 A
2 (2) ~罔 A
12 (3)~(學&~思) 12MTT
12 (4) ~學∨ 思 3ド・モルガンの法則
12 (5) 學→ 思 4含意の定義
1 (6)~罔→(學→思) 25CP
7(7)(學&~罔) 7A
7(8) ~罔 7&E
1 7(9) 學→思 78MPP
7(ア) 學 7&E
1 7(イ) 思 9アMPP
1 (ウ)(學&~罔)→思 7イCP
(ⅱ)
1 (1) (學&~罔)→思 A
2 (2) ~思 A
12 (3)~(學& 罔) 12MTT
12 (4) ~學∨ 罔 3ド・モルガンの法則
12 (5) 學→ 罔 4含意の定義
1 (6)~思→(學→ 罔) 25CP
7(7)(學&~思) A
7(8)~思 7&E
1 7(9) 學→ 罔 78MPP
7(ア) 學 7&E
1 7(イ) 罔 9アMPP
1 (ウ)(學&~思)→罔 7イCP
従って、
(05)により、
(06)
①(學&~思)→罔
②(學&~罔)→思
に於いて、
①=② である。
① 学びて思はざれば則ち罔し。
② 学びて罔かざれば、則ち思ふ。
従って、
(01)(06)により、
(07)
① 学んでも、考えなければ、(物事)はハッキリしない。
② 学んでゐて、その上、(物事)がハッキリするのであれば、考へてゐる。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
魯の人。孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子にその将来を嘱望されたが、孔子に先立って没した。顏回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという。このことから老荘思想発生の一源流とみなす説もある(ウィキペディア)。
従って、
(01)(07)(08)により、
(09)
② 顏回は、学んでゐて、その上、(物事)がハッキリしてゐるので、考へてゐる。
従って、
(04)~(09)により、
(10)
①(學而不思)則罔。
②(學&~思)→罔。
に於いて、
①=② である。
cf.
① 学びて思はざれば則ち罔し。
② 学びて思はざれば則ち罔し。
然るに、
(11)
「~」の「結合力」は、
「&」の「結合力」よりも強く、
「&」の「結合力」は、
「→」の「結合力」よりも強い。
と決めたのは、「むやみに括弧が多くなるのが、我慢できないからである(E.J.レモン)。」
従って、
(10)(11)により、
(12)
①(學而不思)則罔。
②(學&~思)→罔。
は、「普通」は、
① 學而不思則罔。
② 學&~思→罔。
といふ風に、書く。
従って、
(10)(12)により、
(13)
① 學而不思則罔。 といふ「 漢文 」は、
② 學&~思→罔。 といふ「論理式」そのものである。
然るに、
(14)
ジョ【如】[接続詞]
2もシクハ
A如シクハB [読み]AもシクハB : A・Bは体言 [訳]AあるいはB、AまたはB
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、206頁)
従って、
(14)により、
(15)
「∨(または)」=「如」である。
従って、
(05)(13)(15)により、
(16)
「計算(05)」は、
(ⅰ)
1 (1) 學而不思則罔 A
2 (2) 不罔 A
12 (3)不學而不思 12MTT
12 (4)不學如 思 3ド・モルガンの法則
12 (5) 學則 思 4含意の定義
1 (6)不罔則學則思 25CP
7(7)學而不罔 7A
7(8) 不罔 7而E
1 7(9) 學則思 8MPP
7(ア) 學 7而E
1 7(イ) 思 9アMPP
1 (ウ)學而不罔則思 7イCP
(ⅱ)
1 (1) 學而不罔則思 A
2 (2) 不思 A
12 (3)不學而 罔 12MTT
12 (4) 不學如 罔 3ド・モルガンの法則
12 (5) 學則 罔 4含意の定義
1 (6)不思則學則 罔 25CP
7(7)學而不思 A
7(8)不思 7而E
1 7(9) 學則 罔 78MPP
7(ア) 學 7而E
1 7(イ) 罔 9アMPP
1 (ウ)學而不思則罔 7イCP
といふ「計算(16)」と、「完全に、同じ」である。
然るに、
(17)
(ⅰ)
1 (1) P→Q A
2 (2) ~(~P∨Q) A
3(3) ~P A
3(4) ~P∨Q 3∨I
23(5) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
12 (8) Q 17MPP
12 (9) ~P∨Q 8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 29&I
1 (イ)~~(~P∨Q) 2アRAA
1 (ウ) ~P∨Q イDN
(ⅱ)
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
3 (6)~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
2 7 (9) Q&~Q 67&I
7 (ア)~(P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q ウエ&I
1 ウエ(カ)~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q エカRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
従って、
(17)により、
(18)
「計算(17)」は、
(ⅰ)
1 (1) 甲則乙 A
2 (2) 不(不甲如乙) A
3(3) 不甲 A
3(4) 不甲如乙 3如I
23(5) 不(不甲如乙)而
(不甲如乙) 24而I
2 (6) 不不甲 35RAA
2 (7) 甲 6DN
12 (8) 乙 17MPP
12 (9) 不甲如乙 8如I
12 (ア) 不(不甲如乙)而
(不甲如乙) 29而I
1 (イ)不不(不甲如乙) 2アRAA
1 (ウ) 不甲如乙 イDN
(ⅱ)
1 (1) 不甲如 乙 A
2 (2) 甲而不乙 A
3 (3) 不甲 A
2 (4) 甲 2而E
23 (5) 不甲而甲 34而I
3 (6)不(甲而不乙) 25RAA
7 (7) 乙 A
2 (8) 不乙 2而E
2 7 (9) 乙而不乙 67而I
7 (ア)不(甲而不乙) 29RAA
1 (イ)不(甲而不乙) 1367ア如E
ウ (ウ) 甲 A
エ(エ) 不乙 A
ウエ(オ) 甲而不乙 ウエ而I
1 ウエ(カ)不(甲而不乙)而
(甲而不乙) イオ而I
1 ウ (キ) 不不乙 エカRAA
1 ウ (ク) 乙 キDN
1 (ケ) 甲則 乙 ウクC甲
といふ「計算(18)」と、「完全に、同じ」である。
従って、
(17)(18)により、
(19)
① 甲則乙(甲ならば、乙である)。
② 不甲如乙(甲でないか乙である)。
に於いて、
①=② であって、この「等式」を「含意の定義」といふ。
従って、
(01)~(19)により、
(20)
「漢文」といふ「集合」は、「命題論理」を、その「部分集合」として、含んでゐる。
従って、
(21)
明治以前の日本人は、漢文を読むことで論理的な考えを身につけました。漢文は論理的な構文をたくさん含んでいるからです(山下正男、論理的に考えること、1985年、ⅲ)。
といふ「言ひ方」は、「正しい」。
従って、
(20)(21)により、
(22)
「中国語」は学んでも、「漢文」を学ぼうとしない、令和時代の日本人が、明治以前の日本人よりも、「論理的に考えること」が苦手であることは、「已むを得ない」。