日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1309)「(古典論理の)実質含意」について(Ⅱ)。

2024-02-03 12:03:26 | 「は」と「が」

(01)
(ⅰ)
1(1)~P   A
1(2)~P∨Q 1∨I
1(3) P→Q 1含意の定義
(ⅱ)
1(1)~P   A
1(2)~P∨~Q 1∨I
1(3) P→~Q 1含意の定義
(ⅲ)
1(1)   Q A
1(2)~P∨Q 1∨I
1(3) P→Q 2含意の定義
(ⅳ)
1(1)    Q A
1(2)~~P∨Q 1∨I
1(3) ~P→Q 2含意の定義
従って、
(01)により、
(02)
① ~P├  P→ Q
② ~P├  P→~Q
③  Q├  P→ Q
④  Q├ ~P→ Q
といふ「連式(sequents)」は、4つとも「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(a)「なる命題」は「任意の命題」を含意し
(b)「なる命題」は「任意の命題」から含意される
(大西拓郎、#24厳密含意の論理、ユーチューブ)
従って、
(02)(03)により、
(04)
①(偽)→(真)
②(偽)→(偽)
③(真)→(真)
④(偽)→(真)
といふ『仮言命題』は、4つとも「真」である。
然るに、
(05)
(徳四)=徳島は四国である。
(徳九)=徳島は九州である。
(高四)=高知は四国である。
(高九)=高知は九州である。
とする。
従って、
(04)(05)により、
(06)
①(偽)→(真)
②(偽)→(偽)
③(真)→(真)
④(偽)→(真)
といふ『仮言命題』は、4つとも「真」であるが故に、
① (高九)→(徳四)。
② (高九)→(徳九)。
③ (高四)→(徳四)。
④ (高九)→(徳四)。
といふ『仮言命題』は、4つとも「真」である。
然るに、
(07)
「事実」として、

従って、
(05)(07)により、
(08)
① (高九)。
② (高九)。
③ (高四)。
④ (高九)。
といふ「4つ」の内、「事実」として「真」であるのは、
① (高九)。
② (高九)。
④ (高九)。
といふ3つではなく、
③ (高四)。
といふ「1つだけ」である。
従って、
(06)(08)により、
(09)
① (高九)→(徳四)。
② (高九)→(徳九)。
③ (高四)→(徳四)。
④ (高九)→(徳四)。
といふ『仮言命題』は、4つとも「真」であるとしても、
① (高九)→
② (高九)→
③ (高四)→
④ (高九)→
といふ「4つ(の前件)」の内で「真」であるのは、
③ (高四)→
といふ「1つ(の前件)だけ」である。
従って、
(09)により、
(10)
① →(徳四)。
② →(徳九)。
③ →(徳四)。
④ →(徳四)。
といふ「4つ(の後件)」の内で「真」であるのは、
③ →(徳四)。
といふ「1つ(の後件)だけ」である。
従って、
(01)~(10)により、
(11)
① ~P├  P→ Q
② ~P├  P→~Q
③  Q├  P→ Q
④  Q├ ~P→ Q
といふ「連式(sequents)」が、4つとも「妥当」であるといふ「理由」により、
①(偽)→(真)
②(偽)→(偽)
③(真)→(真)
④(偽)→(真)
といふ『仮言命題』が、4つとも「真」であるといふことから、
① (高九)→(徳四)。
② (高九)→(徳九)。
③ (高四)→(徳四)。
④ (高九)→(徳四)。
といふ『仮言命題』が、4つとも「真」であるとしても、「実際(現実)」には、
② (徳九)=(徳島は九州である)。
といふ「命題」は「証明」されに、
③ (徳四)=(徳島は四国である)。
といふ「命題」が「証明」される、ことになる。
従って、
(02)(03)(11)により、
(12)
① ~P├  P→ Q
② ~P├  P→~Q
③  Q├  P→ Q
④  Q├ ~P→ Q
といふことであっても、すなはち、
(a)「なる命題」は「任意の命題」を含意し
(b)「なる命題」は「任意の命題」から含意される
といふことであったとしても、実際には、「何らの問題も無い」。
然るに、
(13)
(ⅰ)
1 (1) ~P      A
1 (2) ~P∨Q    1∨I
1 (3)  P→Q    2含意の定義
  (4) ~P→(P→Q)13CP
 5(5)  P&~P   A
 5(6)    ~P   5&E
 5(7)     P→Q 46MPP
 5(8)  P      5&E
 5(9)       Q 78MPP
  (ア)(P&~P)→Q 59CP
(ⅱ)
1(1)~{ (P&~P)→ Q} P
1(2)~{~(P&~P)∨ Q} 1含意の定義
1(3)   (P&~P)&~Q  2ド・モルガンの法則
1(4)    P&~P      3&E
 (5)   (P&~P)→Q   14RAA
従って、
(13)により、
(14)
①「条件法(CP)」 と、
②「背理法(RAA)」により、
①(P&~P)→Q
②(P&~P)→Q
といふ「命題」、すなはち、
①(矛盾)が真であるならば、(任意の命題)は真である。
②(矛盾)が真であるならば、(任意の命題)は真である。
といふ「命題」は、「恒真(トートロジー)」である。
然るに、
(15)
(ⅰ)
1 (1) ~P      A
1 (2) ~P∨Q    1∨I
1 (3)  P→Q    2含意の定義
  (4) ~P→(P→Q)13CP
 5(5)  P&~P   A
といふ「計算」は、むしろ、
(ⅰ)
1 (1) ~P      A
1 (2) ~P∨Q    1∨I
1 (3)  P→Q    2含意の定義
  (4) ~P→(P→Q)13CP
 5(5)  P&~P   A
  (6)~(P&~P)  55RAA
  (7) ~P∨ P   6含意の定義
といふ風に、「書くべき」である。
従って、
(14)(15)により、
(15)
①(矛盾)が真であるならば、(任意の命題)は真である。
といふ「命題」が、「恒真(トートロジー)」であるとしても、
①(矛盾)は真ではなく、偽である。
といふ「理由」により、
①(任意の命題)は真である。
といふことには、ならない。


(1298)「富岳は富士山である」の「述語論理」。

2024-01-16 10:29:40 | 「は」と「が」

(01)
1   (1)  ∀x{日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→z=y)]} A
 2  (2)∃z∀x(富岳z&日本の山x&最高峰zx)                    A
1   (3)     日本の山a→∃y[富士山y&最高峰ya&∀z(最高峰za→z=y)]  1UE
  4 (4)  ∀x(富岳c&日本の山x&最高峰cx)                    A
  4 (5)     富岳c&日本の山a&最高峰ca                     4UE
  4 (6)     富岳c                                 5&E
  4 (7)         日本の山a                           5&E
  4 (8)               最高峰ca                     5&E
1 4 (9)           ∃y[富士山y&最高峰ya&∀z(最高峰za→z=y)]  37MPP
   ア(ア)              富士山b&最高峰ba&∀z(最高峰za→z=b)   A
   ア(イ)              富士山b                       ア&E
   ア(ウ)                         ∀z(最高峰za→z=b)   ア&E
   ア(エ)                            最高峰ca→c=b    ウUE
  4ア(オ)                                  c=b    8エMPP
  4ア(カ)     富岳b                                 6オ=EE
  4ア(キ)     富岳b&富士山b                            イカ&I
  4ア(ク)  ∃y(富岳y&富士山y)                           キEI
1 4 (ケ)  ∃y(富岳y&富士山y)                           9アクEE
12  (コ)  ∃y(富岳y&富士山y)                           24ケEE
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)  ∀x{日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→z=y)]}。然るに、
(ⅱ)∃z∀x(富岳z&日本の山x&最高峰zx)。従って、
(ⅲ)  ∃y(富岳y&富士山y)。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)    すべてのxについて{xが日本の山ならば、あるyは[富士山であって、xの最高峰であって、すべてのzについて(zがxの最高峰であるならば、zとyは「同一」である)]}。
(ⅱ)あるzとすべてのxについて(zは富岳であって、xは日本の山であって、zはxの最高峰)である。従って、
(ⅲ)         あるyは(富岳であって、富士山である)。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)日本の山、富士山最高峰である。然るに、
(ⅱ)富岳は、日本の山の最高峰である。従って、
(ⅲ)富岳は、富士山(の別称)である。
といふ「推論」は「妥当」である。
然るに、
(04)
「昨日(令和6年1月15日)」に示したものの、
1     (1)∀x{日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→z=y)]} A
1     (2)   日本の山a→∃y[富士山y&最高峰ya&∀z(最高峰za→z=y)]  1UE
 3    (3)   日本の山a                               A
13    (4)         ∃y[富士山y&最高峰ya&∀z(最高峰za→z=y)]  23MPP
  5   (5)            富士山b&最高峰ba&∀z(最高峰za→z=b)   A
  5   (6)            富士山b&最高峰ba                 5&E
  5   (7)                       ∀z(最高峰za→z=b)   5&E
  5   (8)                          最高峰ca→c=b    7UE
   9  (9)   ∃z(高尾山z&~富士山z)                      A
    ア (ア)      高尾山c&~富士山c                       A
    ア (イ)      高尾山c                             ア&E
    ア (ウ)           ~富士山c                       ア&E
    エ(エ)             c=b                        A
    アエ(オ)           ~富士山b                       ウエ=E
  5   (カ)            富士山b                       6&E
  5 アエ(キ)           ~富士山b&富士山b                  オカ&I
  5 ア (ク)             c≠b                       エキRAA
  5 ア (ケ)                         ~最高峰ca        8クMTT
  5 ア (コ)        高尾山c&~最高峰ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(高尾山z&~最高峰za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(高尾山z&~最高峰za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(高尾山z&~最高峰za)                   45シEE
1  9  (セ)   日本の山a→∃z(高尾山z&~最高峰za)               3スCP
1  9  (ソ)∀x{日本の山x→∃z(高尾山z&~最高峰zx)}              セUI
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)日本の山、富士山最高峰である。然るに、
(ⅱ) 高尾山は、富士山ではない。従って、
(ⅲ)日本の山は、高尾山は最高峰ではない
といふ「推論」は「妥当」である。
然るに、
(06)
「漢字の意味」からしても、 「最高峰」は、「唯一」である。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
①    日本の山、富士山最高峰である。
② ∀x{日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→z=y)]}。
③ すべてのxについて{xが日本の山ならば、あるyは[富士山であって、xの最高峰であって、すべてのzについて(zがxの最高峰であるならば、zとyは「同一」である)]}。
といふ「命題」に於いて、
①=②=③ であると、せざるを得ない。
従って、
(07)により、
(08)
①    日本の山、富士山最高峰である。
② タゴール記念会、  私理事長である。
といふ「日本語」を「解釈」する際に、
① ∀x{    日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→z=y)]}。
② ∀x{タゴール記念会員x→∃y[私y  &理事長yx&∀z(理事長zx→z=y)]}。
といふ「論理式(数学語)」を「無視」すべきではない。


(1277)「象が象といふ動物である」の「述語論理」。

2023-11-12 13:36:50 | 「は」と「が」

(01)
『集合の記号』で書くと、
① 象⊂動物
② 象=象∩動物
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
(ⅲ)
1  (1)∀x(象x→動物x)    A
1  (2)   象a→動物a     1UE
 3 (3)   象a         A
13 (4)      動物b     23MPP
13 (5)   象a&動物b     34&I
1  (6)   象a→象a&動物a  35CP
  7(7)   象a&動物a     A
  7(8)   象a         7&E
   (9)   象a&動物a→象a  78CP
1  (ア)   象a→象a&動物a&
         象a&動物a→象a  69&I
1  (イ)   象a⇔象a&動物a  アDf.⇔
1  (ウ)∀x(象x⇔象x&動物x) イUI
(ⅳ)
1  (1)∀x(象x⇔象x&動物x) A
1  (2)   象a⇔象a&動物a  1UE
1  (3)   象a→象a&動物a&
         象a&動物a→象a  2Df.⇔
1  (4)   象a→象a&動物a  3&E
 5 (5)   象a         A
15 (6)      象a&動物a  45MPP
15 (7)         動物a  6&E
1  (8)   象a→動物a     57CP
1  (9)∀x(象x→動物x)    8UI
従って、
(02)により、
(03)
③ ∀x(象x→動物x)
④ ∀x(象x⇔象x&動物x)
に於いて、すなはち、
③ すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
④ すべてのxについて(xが象であるならば、そのときに限って、xは象であって、xは動物である)。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(03)により、
(04)
③ 象は、動物である。
④ 象は、象といふ動物であって、象以外は、象といふ動物ではない
に於いて、
③=④ である。
従って、
(04)により、
(05)
⑤ 象は、動物である。
⑥ 象、象といふ動物である。
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 象⊂動物
② 象=象∩動物
③ ∀x(象x→動物x)
④ ∀x(象x⇔象x&動物x)
⑤ 象は、動物である。
⑥ 象、象といふ動物である。
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。


(1315)「漢文の語法」と「二重主語」と「題述語」。

2023-06-09 15:44:49 | 「は」と「が」

―「昨日の記事(令和5年6月9日)」を書き換えます。―
(01)
① 象之鼻(漢文)
② 象の鼻(訓読)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
①  象鼻(漢文)
② 象の鼻(訓読)
であっても、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
① 象鼻長(漢文)。
② 象の鼻は長し(訓読)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
主語・述語の順序で並べた文章で、
述語の上に置かれる語が一つの主語ではなく、主語が重なっている場合がある。
(角川ソフィア文庫、漢文の語法、2023年、184頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 象鼻長(漢文)。
② 象鼻は長し(訓読)。
③ 象、鼻長し(訓読)。
に於いて、
①=② であるか、または、
①=③ である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 象鼻長(漢文)。
② 象の鼻は、長い(口語)。
③ 象は、鼻は長い(口語)。
④ 象は、鼻が長い(口語)。
に於いて、
①=② であるか、
①=③ であるか、
①=④ である。
然るに、
(07)
① 象者動物也。
② 象は動物である。
③ Elephants are animals.
④ ∀x(象x→動物x).
⑤ For all x,if 象x then 動物x.
⑥ すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物である。
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(08)
日本語で典型的な文(センテンス)は、「Ⅹは」で始まる題述べ関係の文です。公式で一括して、
 Ⅹハ、ウンヌン。
 題目 述 部
とかくことができます。題目の提示「Ⅹは」は、だいたい「Ⅹニツイテ言エバ」の心持ちです。 (三上章、象は鼻が長い、1960年、8頁)
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 象は
④ ∀x(象x→
すべてのxについて、xが象であるならば、
⑦ 三上先生が言ふ所の「Ⅹニツイテ言エバ」の心持ち。
に於いて、
②=④=⑥=⑦ である。


(1313)「コンニャクは(提示語)」と「述語論理」について。

2023-06-08 07:37:34 | 「は」と「が」

(01)
  第17節 大主語・提示語・副詞的修飾語
主語・述語の順序で並べられた文章で、述語の上に置かれる語が一つの主語ではなく、主語が重なっている場合がある。
また何かについて述べようとしてその語をまず先に掲げておいて、その次にそれについて具体的に説明する場合がある。
そのほか行為や事件のあった時や所を何の媒介する語もなしで述語より前に置くことがある。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、120頁)
従って、
(01)により、
(02)
①  天皇は、万世一系にして、日本国を統治す。
② 日本国は、万世一系の天皇、これを、統治す。
に於いて、
① 「天皇は」は、「主語」 であり、
②「日本国は」は、「提示語」であるとする。
従って、
(02)により、
(03)
① 寒天は、美味である。
② 寒天は、我、これを食さず。
に於いて、
①「寒天は」は、「主語」 であり、
②「寒天は」は、「提示語」である。
従って、
(03)により、
(04)
① 寒天は、食べません。
② 寒天は、我、これを食さず。
に於いて、
①「寒天は」は、「提示語」であり、
②「寒天は」も、「提示語」である。
然るに、
(05)
② 寒天我不食之=
② 寒天我不〔食(之)〕⇒
② 寒天我〔(之)食〕不=
② 寒天は、我、これを食さず。
といふ「(漢文由来の)日本語」は、「語順」から言っても、
② ∀x{蒟蒻x→∃y(我y&~食yx)}⇔
② すべてのxについて{xが蒟蒻であるならば、あるyは(我であって、yはxを食べない)}。
といふ「述語論理式」に「等しい」。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 寒天は、食べません。
② 寒天は、我、これを食さず。
といふ「日本語」が、「(述語)論理的」であるといふことはない。
従って、
(06)により、
(07)
① 寒天は、食べません。
② 寒天は、我、これを食さず。
といふ「日本語」に「相当」する『文型』が、「英語には無いからと言って、
① 寒天は、食べません。
② 寒天は、我、これを食さず。
といふ「日本語」自体が、「(述語)論理的な言い方」であるといふことには、ならない
cf.
先日、数人の大学の先生と話をしているときに、ある先生が「うちの学生が、英語ができるようになったら、数学ができるようになった」と言った。これは、暗に、英語ができるようになった、だから数学ができるようになったと言いたいのである。言い換えれば、日本語では論理的に考えられないから、数学ができない、と言いたいのである。私は「またか」と思った。日本人は、この大学の先生のように、日本語非論理的であり、論理的思考に向いていないと思い込んでいる人が多い。
(月本洋、日本語は論理的である、2009年、2頁)
然るに、
(08)
(ⅱ)
1   (1)~∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)} A
1   (2)∃x~{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)} 1量化子の関係
 3  (3)  ~{蒟蒻a→∃y(人y&食ya&~太y)} A
 3  (4) ~{~蒟蒻a∨∃y(人y&食ya&~太y)} 3含意の定義
 3  (5)   蒟蒻a&~∃y(人y&食ya&~太y)  4ド・モルガンの法則
 3  (6)   蒟蒻a                  5&E
 3  (7)       ~∃y(人y&食ya&~太y)  5&E
 3  (8)       ∀y~(人y&食ya&~太y)  7量化子の関係
 3  (9)         ~(人b&食ba&~太b)  8UE
 3  (ア)         ~人b∨~食ba∨ 太b   9ド・モルガンの法則
 3  (イ)        (~人b∨~食ba)∨太b   ア結合法則
  ウ (ウ)        (~人b∨~食ba)      A
  ウ (エ)         ~(人b&食ba)      ウ、ド・モルガンの法則
  ウ (オ)         ~(人b&食ba)∨太b   エ∨I
   カ(カ)                   太b   A
   カ(キ)         ~(人b&食ba)∨太b   カ∨I
 3  (ク)         ~(人b&食ba)∨太b   イウオカキ∨E
 3  (ケ)          (人b&食ba→太b)   ク含意の定義
 3  (コ)        ∀y(人y&食ya→太y)   ケUI
 3  (サ)    蒟蒻a&∀y(人y&食ya→太y)   6コ&I
 3  (シ) ∃x{蒟蒻x&∀y(人y&食yx→太y)}  サEI
1   (ス) ∃x{蒟蒻x&∀y(人y&食yx→太y)}  13シEE
(ⅲ)
1   (1) ∃x{蒟蒻x&∀y(人y&食yx→太y)}  A
 2  (2)    蒟蒻a&∀y(人y&食ya→太y)   A
 2  (3)    蒟蒻a                 2&E
 2  (4)        ∀y(人y&食ya→太y)   2&E
 2  (5)          (人b&食ba→太b)   4UE
 2  (6)         ~(人b&食ba)∨太b   5含意の定義
  7 (7)         ~(人b&食ba)      A
  7 (8)        (~人b∨~食ba)      7ド・モルガンの法則
  7 (9)        (~人b∨~食ba)∨太b   8∨I
   ア(ア)                   太b   A
   ア(イ)        (~人b∨~食ba)∨太b   ア∨I
 2  (ウ)        (~人b∨~食ba)∨太b   279アイ∨E
 2  (エ)         ~人b∨~食ba∨ 太b   ウ結合法則
 2  (オ)         ~(人b&食ba&~太b)  エ、ド・モルガンの法則
 2  (カ)       ∀y~(人y&食ya&~太y)  オUI
 2  (キ)       ~∃y(人y&食ya&~太y)  カ量化子の関係
 2  (ク)   蒟蒻a&~∃y(人y&食ya&~太y)  3キ&I
 2  (ケ) ~{~蒟蒻a∨∃y(人y&食ya&~太y)} ク、ド・モルガンの法則
 2  (コ)  ~{蒟蒻a→∃y(人y&食ya&~太y)} ケ含意の定義
 2  (サ)∃x~{蒟蒻a→∃y(人y&食ya&~太y)} コEI
1   (シ)∃x~{蒟蒻a→∃y(人y&食ya&~太y)} 12サEE
1   (ス)~∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)} サ量化子の関係
従って、
(08)により、
(09)
② ~∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}
③  ∃x{蒟蒻x&∀y(人y&食yx→ 太y)}
に於いて、
②=③ であるため、「両辺」を「否定」すると、「二重否定」により、
②  ∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}
③ ~∃x{蒟蒻x&∀y(人y&食yx→ 太y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(05)(07)(09)により、
(10)
① 蒟蒻は、太らない。⇔
②  ∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}⇔
③ ~∃x{蒟蒻x&∀y(人y&食yx→ 太y)}⇔
④ 食べた人が太る所の「コンニャク」は存在しない。
といふ「日本語」に「相当」する『文型』が、「英語には無いからと言って、
① 蒟蒻は、太らない。
④ 蒟蒻は、人、これを食して、太ること無し。
といふ「日本語」自体が、「(述語)論理的な言い方」であるといふことには、ならない
然るに、
(11)
日本語の文構造がどういうものなのかを説明するときに、問題になる例文がいくつかあります。たとえば「こんにゃく文」と呼ばれるものです。「こんにゃく太りません」という例文には主語があるでしょうか。主語があるとしたら何であるかが問題になります。
(my コンテンツ工房|業務コンサルタント 丸山有彦)
然るに、
(03)(10)(11)により、
(12)
① 蒟蒻は、美味である。
② 蒟蒻は、太らない。
に於ける、
①「蒟蒻は」は、「主語」 であり、
②「蒟蒻は」は、「提示語」である。
然るに、
(13)
② 蒟蒻は、太らない。
③ 蒟蒻は、人、これを食して、太ること無し。
に於いて、
②=③ である。
といふことは、
③ 蒟蒻は、「提示語」であると「同時」に、「目的語」である。
といふことになる。
従って、
(13)により、
(14)
② 蒟蒻は、太らない。⇔
③ 蒟蒻は、人、これを食して、太ること無し。
に於ける、
②「蒟蒻は(提示語)」は、「主語」のやうであり、実質的には、「目的語」である。


(1312)「日本語」の方が「英語」よりも「(述語)論理的」である。

2023-06-06 16:24:21 | 「は」と「が」

(01)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(02)
1         (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1         (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3        (3)   T会の会員a                             A
13        (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  23MPP
  5       (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5       (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5       (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5       (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9      (9)     ∃z(大倉z&理事長za&~私z)                A
    ア     (ア)        大倉c&理事長ca&~私c                 A
    ア     (イ)        大倉c                           ア&E
    ア     (ウ)            ~私c                       ア&E
     エ    (エ)               b=c                     A
    アエ    (オ)            ~私b                       ウエ=E
  5       (カ)             私b                       6&E
  5 アエ    (キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア     (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア     (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5       (コ)            理事長ca                     ア&E
  5 ア     (サ)            理事長ca&~理事長ca              ケコ&I
  59      (シ)            理事長ca&~理事長ca              9アサEE
  5       (ス)        ~∃z(大倉z&理事長za&~私z)            9シRAA
  5       (セ)        ∀z~(大倉z&理事長za&~私z)            ス量化子の関係
  5       (ソ)          ~(大倉c&理事長ca&~私c)            セUE
  5       (タ)          ~大倉c∨~理事長ca∨ 私c             ソ、ド・モルガンの法則
  5       (チ)         (~大倉c∨~理事長ca)∨私c             タ結合法則
      ツ   (ツ)         (~大倉c∨~理事長ca)                A
      ツ   (テ)         ~(大倉c& 理事長ca)                ツ、ド・モルガンの法則
      ツ   (ト)         ~(大倉c& 理事長ca)∨私c             テ∨I
       ナ  (ナ)                       私c             A
       ナ  (ニ)         ~(大倉c& 理事長ca)∨私c             ナ∨I
  5       (ヌ)         ~(大倉c& 理事長ca)∨私c             チツトナニ∨E
  5       (ネ)          (大倉c& 理事長ca)→私c             ヌ含意の定義
        ノ (ノ)∀x{T会の会員x→∃z(大倉z&理事長zx)}              A
        ノ (ハ)   T会の会員a→∃z(大倉z&理事長za)               ノUE
 3      ノ (ヒ)          ∃z(大倉z&理事長za)               3ハMPP
         フ(フ)             大倉c&理事長ca                A
 35      フ(ヘ)                       私c             ネフMPP
 35      フ(ホ)             私c&大倉c&理事長ca             フヘ&I
 35      フ(マ)          ∃z(私z&大倉z&理事長za)            ホEI
 35     ノ (ミ)          ∃z(私z&大倉z&理事長za)            ヒフマEE
1       ノ (メ)   T会の会員a→∃z(私z&大倉z&理事長za)            3ムCP
1       ノ (モ)∀x{T会の会員x→∃z(私z&大倉z&理事長zx)}           ノUI
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(ⅱ)∀x{T会の会員x→∃z(大倉z&   理事長zx)}。          従って、
(ⅲ)∀x{T会の会員x→∃z(私z&大倉z&理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=zである)]}。然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは(      大倉であって、zはxの理事長である)}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは(私であって、大倉であって、zはxの理事長である)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)タゴール記念会は、   私理事長です。然るに、
(ⅱ)タゴール記念会は、  大倉は理事長です。従って、
(ⅲ)タゴール記念会は、私、大倉理事長です。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
① タゴール記念会(の会員)は、私理事長です。
② 太陽系(の天体)は、地球、第三惑星である。
といふ「日本語」は、『同じ構造』をしてゐるため、両方とも、
① ∀x{T会の会員x →∃y[ 私y& 理事長yx&∀z( 理事長zx→y=z)]}。
② ∀x{太陽系の天体x→∃y[地球y&第三惑星yx&∀z(第三惑星zx→y=z)]}。
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(05)
1     (1)∀x{太陽系x→∃y[地球y&第三惑星yx&∀z(第三惑星zx→y=z)]} A
1     (2)   太陽系a→∃y[地球y&第三惑星ya&∀z(第三惑星za→y=z)]  1UE
 3    (3)   太陽系a                                A
13    (4)        ∃y[地球y&第三惑星ya&∀z(第三惑星za→y=z)]  23MPP
  5   (5)           地球b&第三惑星ba&∀z(第三惑星za→b=z)   A
  5   (6)           地球b&第三惑星ba                  5&E
  5   (7)                      ∀z(第三惑星za→b=z)   5&E
  5   (8)                         第三惑星ca→b=c    7UE
   9  (9)        ∃z(火星z&~地球z)                   A
    ア (ア)           火星c&~地球c                    A
    ア (イ)           火星c                         ア&E
    ア (ウ)               ~地球c                    ア&E
     エ(エ)                 b=c                    A
    アエ(オ)               ~地球b                    ウエ=E
  5   (カ)                地球b                    6&E
  5 アエ(キ)               ~地球b&地球b                オカ&I
  5 ア (ク)                b≠c                    エキRAA
  5 ア (ケ)               ~第三惑星ca                 8クMTT
  5 ア (コ)           火星c&~第三惑星ca                 イケ&I
  5 ア (サ)        ∃z(火星z&~第三惑星za)                コEI
  59  (シ)        ∃z(火星z&~第三惑星za)                9アサEE
13 9  (ス)        ∃z(火星z&~第三惑星za)                45シEE
1  9  (セ)   太陽系a→∃z(火星z&~第三惑星za)                3スCP
1  9  (ソ)∀x{太陽系x→∃z(火星z&~第三惑星zx)}               セUI
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)太陽系は、地球第三惑星である。然るに、
(ⅱ)火星は、 地球ではない。    従って、
(ⅲ)太陽系は、火星は第三惑星ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(07)
① 太陽系は、地球第三惑星である。
② 太陽系は、銀河系である。
に対して、
① ∀x{太陽系x→∃y[地球y&第三惑星yx&∀z(第三惑星zx→y=z)]}。
② ∀x{太陽系x→銀河系x}。
従って、
(08)
① 太陽系は、地球第三惑星である。
② 太陽系は、銀河系である。
に於ける、
① 太陽系
② 太陽系
は、両方とも、
① ∀x{太陽系x→
② ∀x{太陽系x→
であって、「区別が無い
然るに、
(09)
① 太陽系は、地球第三惑星である。
② 太陽系は、銀河系である。
に対する、「グーグル翻訳」は、
① In the solar system, the earth is the third planet.
② The solar system is a galaxy.
然るに、
(10)
① In the solar system, the earth is the third planet.
といふ「英語」は、
① 太陽系は、地球第三惑星である。
といふ風に、『訳してから』でないと、
① ∀x{太陽系x→∃y[地球y&第三惑星yx&∀z(第三惑星zx→y=z)]}。
といふ風に、「翻訳出来ない」。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① 太陽系、地球第三惑星である。⇔
① In the solar system, the earth is the third planet.⇔
① ∀x{太陽系x→∃y[地球y&第三惑星yx&∀z(第三惑星zx→y=z)]}。
で「比較」する限り、「(述語)論理的な言語」は、「日本語」ではなく、むしろ「英語」である。
cf.
 一、總主トハ如何ナル者ゾ
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「體大なり」ノ「」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲魚皆性あり」ノ「鳥獸蟲魚」、「仁者は命長し」ノ「仁者」、「賣藥は效能薄し」ノ「賣藥」、「慾は限無し」ノ「慾」、「酒は養生に害あり」ノ「酒」、「支那は人口多し」ノ「支那」ノ如キハ、皆、「體大なり」「力強し」等ノ一説話ニ對シテ更ニソノ主語タル性格ヲ有ス。何トナレバ「象は體大なり」「熊は力強し」等ヨリ「象」「熊」等ノ再度ノ主語ヲ取去ル時ハ、殘餘ハ「體大なり」「力強し」等トナリテ、文法上ノ文ノ形ハ完全ニ之ヲ具フルニモ拘ラズ、意義ニ不足ヲ生ジ、其事ノ主トアルベキ「象」「熊」等ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ意義ノ完全ナル一圓ノ説話ヲ成サントスル傾アルコト、ナホ普通ノ動詞、形容詞ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ一ノ完全ナル説話ヲ成サントスル傾アルト同趣味ノモノアレバナリ。殊ニ「性有り」「限無し」等ノ一種ノ説話ニ對シテハ、實用ノ際ニ再度ノ主語ノ必要アル事ハ頗ル顯著ナルニアラズヤ。コレハ「うら(心)やまし(疚)」「て(質)がたし(堅)」ナドノ一説話ノ轉シテ一ノ形容詞トナリ、然ル上ハ實用ノ際ニ更ニソノ主語ヲ取ルト一般ナリ。サレバ「富貴は羨し」ノ「うらやまし」ニ對シテ「富貴」ヲ主語トイフヲ至當トセバ、「體大なり」「力強し」ニ對シテ「象」「熊」ヲソノ主語トイフモ亦不當ニハアラジ。斯カレバコノ類ノ再度ノ主ヲ予ハ別ニ「總主」ト名ヅケントス。
 總主ハ斯ク頗ル簡單ニ説明セラルベク、亦容易ニ會得セラルベキ者ナリ。學者ノ潛思苦慮ヲモ要セズ、考古引證ヲモ須タズシテ、小學ノ兒童モ、口頭ニ、文章ニ、此語法ヲ用ヰ、歌人文士モ之ヲ用ヰテ毫モ疑フ事ナシ。コノ語法ハ本ヨリ我國ニ有リシナランガ、漢學ノ流行ニ連レテ益廣ク行ハレ、今日トナリテハ最早之ヲ目シテ國語ノ法則ニ非ズトイフヲ得ザルニ至レリ。然ルニ國語ノ法則トシテ日本ノ文法ニ之ヲ編入スル者ナキハ何故ゾ。西洋ノ言語ニ類似ノ語法ナク、西洋ノ文典ニ類似ノ記載ナキガ故ニハ非ザルカ
(草野淸民、國語の特有セル語法總主、『帝國文學』五卷五號、明治三十二年:大修館書店、日本の言語学 第3巻 文法Ⅰ、1978年、533頁)


(1311)「(他ならぬ)~が」の「~が」について。

2023-06-05 15:58:42 | 「は」と「が」

(01)
「マイクロソフトのBingAI」に、
太郎というのは、男子の名前ですか。
といふ風に、質問したところ、
はい、太郎というのは男子の名前です。1 一般的には長男の名前であり、次男は「二郎」、三男は「三郎」と続くことが多いです。
とのことである。
従って、
(01)により、
(02)
「太郎は男子で、花子は女子である。」
と言ふのであれば、「普通」である。
従って、
(02)により、
(03)
「太郎は男子で、花子は女子である。」
と言ふのではなく、
「花子は男子で、太郎は女子である。」
と言ふのであれば、「普通」ではない。
然るに、
(04)
「花子は男子で、太郎は女子である。」
といふのであれば、「私がそれを言ふ」のであれば、「誤解」を避けるために
「花子男子で、太郎女子です。」
と言ふことになり、その場合は、
「(太郎ではなく)花子男子で、(花子ではなく)太郎女子です。」
といふ「意味」になる。
従って、
(04)により、
(05)
「花子男子で、太郎女子です。」
といふ「日本語」は、
「(なら)花子男子で、(なら)太郎女子です。」
といふ「意味」になる。
従って、
(06)
「おばあさんは山へしば刈りに、おじいさんは川へ洗濯に行きました。」
とは言わずに、
「おばあさん山へしば刈りに、おじいさん川へ洗濯に行きました。」
と言ふのであれば、
「(おじいさんではなく)おばあさん山へしば刈りに、(おばあさんではなく)おじいさん川へ洗濯に行きました。」
といふことで、
「(なら)おばあさん山へしば刈りに、(なら)おじいさん川へ洗濯に行きました。」
といふ「意味」になる。
(07)
「むかし、むかし、ある所におじいさんとおばあさん住んでいました。」
といふのは、
「むかし、むかし、ある所におじいさんとおばあさんだけが住んでいました(、この時はまだ、桃太郎はいませんでした)。」
といふ「意味」である。


(1310)「(ラテン語の)強調形」と「私が」の「~が」。

2023-06-05 07:47:16 | 「は」と「が」

(01)
「ラテン語のbe動詞」は、
①   sum(私は、 ・・・である)。
②    es(汝は、 ・・・である)。
③   est(彼は、 ・・・である)。
④ sumus(我らは、・・・である)。
⑤ estis(汝らは、・・・である)。
⑥  sunt(彼らは、・・・である)。
従って、
(01)により、
(02)
①   sum 理事長(私は、  理事長である)。
②    es 理事長(汝は、  理事長である)。
③   est 理事長(彼は、  理事長である)。
④ sumus 理事長(我らは、 理事長である)。
⑤ estis 理事長(汝らは、 理事長である)。
⑥  sunt 理事長(彼らは、 理事長である)。
然るに、
(03)
人称代名詞が主語としてつかわれることは、意を強める場合か、対照的の場合ほかはないといっていい。
これは普通主語動詞の語尾表せていて、すぐわかるからである。
 Ego te laudo,tu me non laudas.
ここで ego(私が)といい、tu(お前が)というのは、特に「自分だ、と誉めるのは自分だ」と強調したからであり、また、一方 ego 一方 tu と対象させたからである。
(村松正俊、ラテン語四週間、1951年、182頁)
従って、
(02)(03)により、
(04)
① Sum(一人称・単数) 理事長。
と言はずに、わざわざ、
② Ego(一人称・単数) sum(一人称・単数) 理事長。
といふのであれば、
主語(一人称・単数)
が、「強調」され、その「結果」として、
② 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
といふ、「意味」になる。
然るに、
(05)
 私理事長です(理事長は私です)。
のように、ガの文はハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。
このような「私」を強制的になっていると言うことにする。そこには発音上のストレスを与えたのと似た効果をもっているからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、105頁)
然るに、
(06)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 私は(清音)
よりも、
② 私音)
の方が、「心理的な音量」が「大きい」。
といふ「意味」に於いて、
① 私は(清音)
に対する、
② 私音)
は、「強調形」である。
従って、
(04)~(07)により、
(08)
① 私は(清音)理事長です。
と言はずに、敢へて
② 私音)理事長です。
と言ふのであれば、その場合は、
② 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
といふ、「意味」になる。
然るに、
(09)
②「私」は、「私」だけであって、
②「私」以外に、「私」はゐない
従って、
(09)により、
(10)
③ 理事長は私です。
といふのあれば、
② 私以外に理事長はゐない
然るに、
(11)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 私理事長です。
② 私以外に理事長はゐない
理事長は私です。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(13)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  23MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)     ∃z(小倉z&~私z)                      A
    ア (ア)        小倉c&~私c                       A
    ア (イ)        小倉c                           ア&E
    ア (ウ)            ~私c                       ア&E
     エ(エ)               b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        小倉c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za)              3スCP
1  9  (ソ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}             セUI
従って、
(13)により、
(14)
(ⅰ)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(ⅱ)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(ⅲ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=zである)]}。然るに、
(ⅱ)あるzは(小倉であって、私ではない)。従って、
(ⅲ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは(小倉であって、小倉はxの理事長ではない)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)タゴール記念会は、私が理事長です。然るに、
(ⅱ)小倉氏は私ではない。従って、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私以外に理事長はゐない
③ タゴール記念会は、理事長は私です。
④ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(16)
① 象は動物である。
② 象といふ「集合」は、「動物」といふ「集合の(真)部分集合」である。
③ ∀x(象x→動物x)。
に於いて、
①=②=③ であって、尚且つ、
①「象は」は、「動物である」といふ「述語」の「主語」である。
然るに、
(17)
① タゴール記念会は、私理事長です。
④ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
④ タゴール記念会の会員 といふ「集合」は、「私理事長です」といふ「集合(?)の部分集合」である。
といふわけではない
然るに、
(16)(17)により、
(18)
③ ∀x(象x→
④ ∀x{T会の会員x→
は、両方とも、
③ ∀x(Fx→
④ ∀x(Fx→
といふ「形」、
③ すべてのxについて、xがFならば、
④ すべてのxについて、xがFならば、
といふ「形」をしてゐる。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
③ ∀x(Fx→
④ ∀x(Fx→
といふ「意味」である所の、
③ Fは
④ Fは
は、「主語」である。
とするならば、
③ 象は
④ タゴール記念会は
は、両方とも、「主語」である。
因みに、
(20)
「Bing AI」に「質問」をしたところ、
「象は鼻が長い」の「主語」は、「象」であり、
「象は鼻が長い」の「述語」は、「鼻が長い」であり、
三上文法では、日本語の主語は「主格が或る特別なはたらきをする国語において、その主格に認められる資格」とされています。しかし、三上のような「主語」概念とは異なる、認識論的(或いは存在論的)な「主語」了解の仕方もあり得て、そうした「主語」了解に立てば、日本語にも主語はあるということになります1。
一般的な日本語の主語と三上文法の主格が異なる点は、三上文法では、主格が或る特別なはたらきをする国語において、その主格に認められる資格を持つものが「主語」とされている点です1。
との、ことである。
然るに、
(21)
「ラテン語」等でいふ、
「主格」といふのは、「文の中の、その名詞・形容詞が、述語に対する、主語であることを」を示すための「語形」であるため、
「主格が或る特別なはたらきをする国語において、」といふのであれば、
「日本語」では、「主語を示すための語形」が「或る特別なはたらきをする」といふことなる(?!?!?)。
然るに、
(22)
漢文におけるこのような表現のしかたは、単語の間の関係を文法的な形式によって示すことを重んじている(ラテン語のような)西欧の言語になれている人にとっては、まことに奇妙なことに思われるものと考えられる。カールグレン氏は、その著書《中国の言語》において、このような奇妙な孤立的な漢語の文法は、「非常に貧弱なものであり」、「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つのは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようにして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである」と説き、更に、漢文の文の意味を理解するためには、「豊富な直観が、必要である」とも述べている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、293頁改)。
従って、
(22)により、
(23)
例へば、「漢文」の場合は、「主語」は有ったとしても、「主格(といふ語形)」は、無いことなるし、そのため、
けだし、「主格」の無い「言語」は有り得ても、「主語」の無い「言語」は、有り得ないはずである。
(24)
「ラテン語やギリシャ語の文法でいう、主格や属格というのは、語形のことですか。」
といふ風に、「Bing AI」に「質問」をしたところ、
「はい、主格や属格というのは、名詞や代名詞などの語形のことを指します。」
とのことである。


(1309)「犯人は佐藤である(佐藤が犯人である)」の「述語計算」。

2023-06-04 12:43:29 | 「は」と「が」

 ―「昨日(令和5年6月3日)の記事」を書き直します。―
(01)
1        (1)∀x{犯人x→(x=佐藤)∨(x=鈴木) ∨(x=高橋)} A
 2       (2)∀x(犯人x→~アリバイx)                A
  3      (3)アリバイ高橋&アリバイ鈴木                 A
1        (4)   犯人a→(a=佐藤)∨(a=鈴木) ∨(a=高橋)  1UE
 2       (5)   犯人a→~アリバイa                 2UE
   6     (6)   犯人a                        A
 2 6     (7)       ~アリバイa                 56MPP
    8    (8)         高橋=a                 A
     9   (9)         鈴木=a                 A
 2 68    (ア)       ~アリバイ高橋                78=E
 2 6 9   (イ)       ~アリバイ鈴木                79=E
  3      (ウ)アリバイ高橋                        3&E
  3      (エ)アリバイ鈴木                        3&E
 2368    (オ)アリバイ高橋&~アリバイ高橋                アウ&I
 236 9   (カ)アリバイ鈴木&~アリバイ鈴木                イエ&I
 236     (キ)         高橋≠a                 8オRAA
 236     (ク)         鈴木≠a                 9カRAA
1  6     (ケ)       (a=佐藤)∨(a=鈴木) ∨(a=高橋)  46MPP
1  6     (コ)      {(a=佐藤)∨(a=鈴木)}∨(a=高橋)  ケ結合法則
      サ  (サ)      {(a=佐藤)∨(a=鈴木)}         A
      サ  (シ)    ~~{(a=佐藤)∨(a=鈴木)}         サDN
      サ  (ス)     ~{(a≠佐藤)&(a≠鈴木)}         シ、ド・モルガンの法則
      サ  (セ)     ~{(a≠佐藤)&(a≠鈴木)}∨(a=高橋)  ス∨I
       ソ (ソ)                      (a=高橋)  A
       ソ (タ)     ~{(a≠佐藤)&(a≠鈴木)}∨(a=高橋)  ソ∨I
1  6     (チ)     ~{(a≠佐藤)&(a≠鈴木)}∨(a=高橋)  コサセソタ∨E
1  6     (ツ)      {(a≠佐藤)&(a≠鈴木)}→(a=高橋)  チ含意の定義
1236     (テ)     ~{(a≠佐藤)&(a≠鈴木)}         キツMTT
1236     (ト)      ~(a≠佐藤)∨(a=鈴木)          テ、ド・モルガンの法則
1236     (ナ)       (a≠佐藤)→(a=鈴木)          ト、含意の定義
1236     (ニ)       (a=佐藤)                 クナMTT
123      (ヌ)   犯人a→(a=佐藤)                 6ニCP
        ネ(ネ)       (a≠佐藤)                 A
123     ネ(ノ)  ~犯人a                        ヌネMTT
123      (ハ)       (a≠佐藤)→~犯人a            ネノCP
123      (ヒ)   犯人a→(a=佐藤)&(a≠佐藤)→~犯人a     ナニヒ&I
123      (フ)∀x{犯人x→(x=佐藤)&(x≠佐藤)→~犯人x}    ヒUI
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∀x{犯人x→(x=佐藤)∨(x=鈴木)∨(x=高橋)}。然るに、
(ⅱ)∀x(犯人x→~アリバイx)。然るに、
(ⅲ)アリバイ高橋&アリバイ鈴木。従って、
(ⅳ)∀x{(犯人x→x=佐藤)&(x≠佐藤→~犯人x)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが犯人であるならば、(xは佐藤である)か、(xは鈴木である)か、(xは高橋である)}。然るに、
(ⅱ)すべてのxについて(xが犯人であるならば、xにはアリバイが無い)。然るに、
(ⅲ)高橋にはアリバイがあるし、鈴木にもアリバイがある。従って、
(ⅳ)すべてのxについて{(xが犯人であるならば、xは佐藤であり)、尚且つ(xが佐藤でなければ、xは犯人ではない)}。
といふ「推論」は、「述語論理(古典論理)」として、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)犯人は、佐藤か、鈴木か、高橋である。然るに、
(ⅱ)犯人であれば、 アリバイが無い。然るに、
(ⅲ)高橋と鈴木には、アリバイが有る。従って、
(ⅳ)犯人は佐藤であり、佐藤以外(高橋と鈴木)は犯人ではない。
といふ「推論」は、「述語論理(数学語)」だけでなく、「日本語」としても、「妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
② 犯人は佐藤である。
③ 佐藤以外は犯人ではない
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(05)
Q:誰犯人か。
A:佐藤犯人である。
であって、
Q:誰犯人か。
A:佐藤犯人である。
ではない
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 佐藤犯人である。
犯人は佐藤である。
③ 佐藤以外は犯人ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(07)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 私理事長である。
理事長は私である。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(09)
 私理事長です(理事長は私です)。
のように、の文はハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。
このような「私」を強制的になっていると言うことにする。そこには発音上のストレスを与えたのと似た効果をもっているからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、105頁)
然るに、
(10)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① 私理事長である。
理事長は私である。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ であって、尚且つ、
①「私音)」は、「音」による「強調形」である。
然るに、
(12)
エゴー・エイミ(古代ギリシャ語: ἐγώ εἰμι ギリシャ語の発音: [eɡɔ̌ː eːmí] ) 「私はいる」、「私は存在する」は、古代ギリシャ語の動詞「である」を示す一人称単数 現在 能 動詞です(ウィキペディア)。
(13)
(a)この理由は、動詞の語尾が、主語が一人称であるか、それとも二人称であるか、または、三人称であるかを充分に示しているからである。つまり λεγω は「私は言う」(I say)である。故に、特に「私」を強調が置かれるのでなければ、εγω を付け加えない。
(b)強調というのは、通常対照によって生ずる。たとえば、εγω λεγω,συ δε γραφειs,「私は語るが、しかし汝は書く」(I say,but you write)という文で,εγω と συ とは強調されている。εγω と συ は互いに対照されているからである。そして、εγω λεγω、「私は語る」(I say)という文では、誰か他の人は語っていないということが、当然、類推されるわけである。
(J.G.メイチェン著、田辺滋 訳、新約聖書ギリシャ語原点入門、1967年、55頁)
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① 私理事長である。
εγω・ειμι the 理事長。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ であって、尚且つ、
①「私音)」は、「音」による「強調形」であって、
②「εγω+一人称動詞」は、「一人称代名詞・主格」による「強調形」である。
然るに、
(15)
③ 私以外は理事長ではない
のやうな「命題」を、「排他的命題(Exclusive propsition)」といふ。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 私理事長である。
εγω・ειμι the 理事長。
は、両方とも、「強調形」であって、尚且つ、「排他的命題」である。


(1307)「消去法」と「~が・・・である」。

2023-06-02 12:16:07 | 「は」と「が」

(01)
(ⅰ)
1   (1)   P∨ Q ∨R A
1   (2)  (P∨ Q)∨R 1結合法則
 3  (3)  (P∨ Q)   A
 3  (4)~~(P∨ Q)   3DN
 3  (5)~(~P&~Q)   4ド・モルガンの法則
 3  (6)~(~P&~Q)∨R 5∨I
  7 (7)         R A
  7 (8)~(~P&~Q)∨R 7∨I
1   (9)~(~P&~Q)∨R 13678∨E
1   (ア) (~P&~Q)→R 9含意の定義
   イ(イ) (~P&~Q)   A
1  イ(ウ)         R アイMPP
(ⅱ)
1   (1)   P∨ Q ∨R A
1   (2)  (P∨ Q)∨R 1結合法則
 3  (3)  (P∨ Q)   A
 3  (4)~~(P∨ Q)   3DN
 3  (5)~(~P&~Q)   4ド・モルガンの法則
 3  (6)~(~P&~Q)∨R 5∨I
  7 (7)         R A
  7 (8)~(~P&~Q)∨R 7∨I
1   (9)~(~P&~Q)∨R 13678∨E
1   (ア) (~P&~Q)→R 9含意の定義
   イ(イ)        ~R A
1  イ(ウ)~(~P&~Q)   アイMTT
1  イ(エ)   P∨ Q    ウ、ド・モルガンの法則
従って、
(01)により、
(02)
①(P∨Q∨R),(~P&~Q)├ R
②(P∨Q∨R),(~R)├ (P∨Q)
といふ「推論(選言三段論法・消去法)」、すなはち、
①(Pか、Qか、Rである)。然るに、(Pではないし、Qでもない)。従って、(Rである)。
②(Pか、Qか、Rである)。然るに、(Rではない)。従って、(Pか、Qである)。
といふ「推論(選言三段論法・消去法)」は、「古典命題論理(常識)」として、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
P=犯人は佐藤である。
Q=犯人は鈴木である。
R=犯人は高橋である。
として、
①(犯人は、佐藤か、鈴木か、高橋である)。然るに、(佐藤も、鈴木も、犯人ではない)。従って、(高橋犯人である)。
②(犯人は、佐藤か、鈴木か、高橋である)。然るに、(高橋は犯人ではない)。従って、(犯人は、佐藤か、鈴木である)。
といふ「推論(選言三段論法・消去法)」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
①(犯人は、佐藤か、鈴木か、高橋である)。然るに、(佐藤も、鈴木も、犯人ではない)。従って、(高橋犯人である)。
②(犯人は、佐藤か、鈴木か、高橋である)。然るに、(高橋は犯人ではない)。従って、(犯人は、佐藤か、鈴木である)。
と言ふのであれば、この場合は、
①(高橋犯人である)。
②(高橋は犯人ではない)。
と言ふのであって、
①(高橋は犯人である)。
②(高橋犯人ではない)。
とは、言はない。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 高橋犯人である =高橋以外に、犯人はゐない
② 高橋は犯人ではない=少なくとも、高橋は犯人ではない。
といふ、ことなる。
従って、
(05)により、
(06)
① ABである。
といふ「日本語」は、
② AはBであり、A以外はBではない
といふ「意味」になる。
然るに、
(07)
② A以外はBでない(Aでないならば、Bでない)。
③ BはAである(Bならば、Aである)。
に於いて、
②=③ は、「対偶」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① ABである。
② A以外はBでない
はAである。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)(08)により、
(09)
① 高橋犯人である。
② 高橋以外は犯人ではない
犯人は高橋である。
に於いて、
①=②=③ である。


(1295)「唯一のxがFである」場合の「述語論理」。

2023-05-03 13:42:41 | 「は」と「が」

(01)
性質Fをもつ「すくなくとも2つの相異なる対象が存在する」ということを表現するするためには、われわれは符号を必要とする。
すなわち、
  ∃x∃y{Fa&Fy&~(x=y)}
― どちらもFをもつ同一でないxとyが存在する。
(E.J.レモン著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、210頁)
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x∃y(Fx&Fy&x≠y)
② 性質Fを持つモノの個数は「2個以上」である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
① ~∃x∃y(Fx&Fy&x≠y)
② 性質Fを持つモノの個数が「2個以上」である。 といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
② 性質Fを持つモノの個数が「2個以上」である。 といふことはない。
③ 性質Fを持つモノの個数は「1個以下」である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ~∃x∃y(Fx&Fy&x≠y)
② 性質Fを持つモノの個数は「1個以下」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
(ⅱ)
1(1)~∃x∃y(Fx&Fy&x≠y) A
1(2)∀x~∃y(Fx&Fy&x≠y) 1量化子の関係
1(3)∀x∀y~(Fx&Fy&x≠y) 2量化子の関係
1(4)  ∀y~(Fa&Fy&a≠y) 3UE
1(5)    ~(Fa&Fb&a≠b) 4UE
1(6)    ~Fa∨~Fb∨a=b  5ド・モルガンの法則
1(7)  (~Fa∨~Fb)∨a=b  6結合法則
1(8)   ~(Fa&Fb)∨a=b  7ド・モルガンの法則
1(9)    (Fa&Fb)→a=b  8含意の定義
1(ア)  ∀y(Fa&Fy →a=y) 9UI
1(イ)∀x∀y(Fx&Fy →x=y) アUI
(ⅲ)
1(1)∀x∀y(Fx&Fy →x=y) A
1(2)  ∀y(Fa&Fy →a=y) 1UE
1(3)     Fa&Fb →a=b  2UE
1(4)   ~(Fa&Fb)∨a=b  3含意の定義
1(5)    ~Fa∨~Fb∨a=b  4ド・モルガンの法則
1(6)    ~(Fa&Fb&a≠b) 5ド・モルガンの法則
1(7)  ∀y~(Fa&Fy&a≠y) 6UI
1(8)∀x∀y~(Fx&Fy&x≠y) 7UI
1(9)∀x~∃y(Fx&Fy&x≠y) 8量化子の関係
1(ア)~∃x∃y(Fx&Fy&x≠y) 9量化子の関係
従って、
(06)により、
(07)
① ~∃x∃y(Fx&Fy&x≠y)
②  ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
に於いて、
①=② である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
① ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
② 性質Fを持つモノの個数は「1個以」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
① ∃x(Fx)
② 性質Fを持つモノの個数は「1個以」である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
② 性質Fを持つモノの個数は、「1個以」であって、尚且つ「1個以」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
① 性質Fを持つモノの個数は、「1個以」であって、尚且つ「1個以」である。
② 性質Fを持つモノの個数は、「0個でも、2個でもなく、ちょうど1個」である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
② 性質Fを持つモノの個数は、「ちょうど1個」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
つぎの相互に導出可能な結果を確立せよ。
(a):正確に1のものがFをもつ。
∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)┤├ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
(E.J.レモン著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、215頁)
〔私による解答〕
(ⅰ)
1  (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1  (2)∃xFx                 1&E
 3 (3)  Fa                 A
1  (4)     ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1  (5)       ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1  (6)          Fa&Fb→a=b  5UE
  7(7)             Fb      A
 37(8)          Fa&Fb      37&I
137(9)                a=b  68MPP
13 (ア)          Fb→a=b     79CP
13 (イ)       ∀y(Fy→a=y)    アUI
13 (ウ)    Fa&∀y(Fy→a=y)    3イ&I
13 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}   ウEI
1  (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}   23エEE
(ⅱ)
∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}├ ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
1  (1)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    A
 2 (2)   Fa&∀y(Fy→a=y)     A
 2 (3)      ∀y(Fy→a=y)     2&E
 2 (4)         Fb→a=b      3UE
  5(5)      Fa&Fb          A
  5(6)         Fb          5&E
 25(7)            a=b      46MPP
 2 (8)      Fa&Fb→a=b      57CP
 2 (9)   ∀y(Fa&Fy→a=y)     8UI
 2 (ア) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)     9UI
 2 (イ)   Fa                2&E
 2 (ウ)∃xFx                 イEI
 2 (エ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) アウ&I
1  (ウ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 12エEE
従って、
(13)により、
(14)
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
② 性質Fを持つモノの個数は、「ちょうど1個」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(16)
 (22)∃x{(Ix&Ox)&∀y(Iy→x=y)}
― ある人はイリアスを書いた、そしてオデュッセイアを書いて、そしてその人はイリアスを書いたただ1人の人である
(E.J.レモン著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、213頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
① ∃x{(Ix&Ox)&∀y(Iy→x=y)}
②「イリアスの作者」であって「オデュッセイアの作者」でもある人物は、一人しかゐない
に於いて、
①=② である。
従って、
(17)により、
(18)
① ∃x{(Nx&Ox)&∀y(Ny→x=y)}
②「忍者ハットリくん」の作者であって「オバケのQ太郎」の作者でもある人物は、一人しかゐない
に於いて、
①=② である。
然るに、
(19)
藤子 不二雄(ふじこ ふじお)は、日本の漫画家。藤本弘(ふじもと ひろし)と安孫子素雄(あびこ もとお)の共同ペンネーム。1951年コンビ結成。コンビ解消後の1988年以降はそれぞれ藤子・F・不二雄、藤子 不二雄Ⓐと名乗った。代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』(藤本)、『パーマン』(藤本、コンビ解消後はF名義となったが旧作は合作)、『忍者ハットリくん』(安孫子)、『怪物くん』(安孫子)など多数。
1976年に執筆された『オバケのQ太郎』の読切作品(合作)を最後に、1987年にコンビ解消を表明するまでの約12年間は、ほぼ全作品をそれぞれ単独で描き、藤子不二雄名義で発表していた。
(ウィキペディア)
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
②「忍者ハットリくん」の作者であって「オバケのQ太郎」の作者でもある人物は、一人(藤子 不二雄Ⓐ)しかゐない。
といふ「命題」は「真(本当)」であるが、
②「オバケのQ太郎」の作者である人物は、一人(藤子 不二雄Ⓐ)しかゐない
といふ「命題」は「偽(ウソ)」である。
従って、
(17)~(20)により、
(21)
① ∃x{(Nx&Ox)&∀y(Ny→x=y)}
② ∃x{(Nx&Ox)&∀y(Ny&Oy→x=y)}
に於いて、
①=② ではない
(22)
① ∃x{(Nx&Ox)&∀y(Ny→x=y)}
② ∃x{(Nx&Ox)&∀y(Ny&Oy→x=y)}
に於いて、
② であるならば、そのときに限って、
②「忍者ハットリくん」の作者。
③「オバケのQ太郎」 の作者。
に於いて、
②=③ であるが、「実際」には、
②=③ ではない
(23)
③「オバケのQ太郎」 の作者(ふじもと ひろし)は、
②「忍者ハットリくん」の作者(あびこ もとお)ではない


(1117)「(目の前に)象がゐる」の「~が」。

2022-06-14 12:33:42 | 「は」と「が」

(01)
(ⅱ)
1  (1)∀x(象x→動物x&動物x→象x)       A
1  (2)   象a→動物a&動物a→象a        1UE
1  (3)          動物a→象a        2&E
 4 (4)      ∃x(~象x&動物x)       A
  5(5)         ~象a&動物a        A
  5(6)             動物a        5&E
1 5(7)              象a        36MPP
  5(8)         ~象a            5&E
1 5(9)         ~象a& 象a        78&I
14 (ア)         ~象a& 象a        459EE
1  (イ)     ~∃x(~象x&動物x)       4アRAA
1  (ウ)   象a→動物a               2&E
1  (エ)∀x(象x→動物x)              ウUI
1  (オ)∀x(象x→動物x)&~∃x(~象x&動物x) イエ&I
(ⅲ)
1  (1)∀x(象x→動物x)&~∃x(~象x&動物x) A
1  (2)∀x(象x→動物x)              1&E
1  (3)   象a→動物a               2UE
1  (4)           ~∃x(~象x&動物x) 2&E
1  (5)           ∀x~(~象x&動物x) 4量化子の関係
1  (6)             ~(~象a&動物a) 5UE
 7 (7)               動物a      A
  8(8)                   ~象a  A
 78(9)               ~象a&動物a  78&I
178(ア)   ~(~象a&動物a)&(~象a&動物a) 79&I
17 (イ)                  ~~象a  8アRAA
17 (ウ)                    象a  イDN
1  (エ)               動物a→ 象a  7ウCP
1  (オ)   象a→動物a&動物a→象a        3エ&I
1  (カ)∀x(象x→動物x&動物x→象x)       オUI
従って、
(01)により、
(02)
② ∀x(象x→動物x&動物x→象x)
③ ∀x(象x→動物x)&~∃x(~象x&動物x)
に於いて、すなはち、
② すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物であり、xが動物であるならば、xは象である)。
③ すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物であって)、尚且つ、(象以外のxで、動物であるx)は存在しない。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(02)により、
(03)
② 象は動物であり、動物は象である。
③ 象は動物であり、象以外は動物ではない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(04)
Q:何動物か。
といふ「質問」に対しては、「答へ」ようが無い。
然るに、
(05)
U={象、机、椅子、鉛筆、三角定規}
といふ「集合」を「仮定」すれば、
Q:何動物か。
A:象動物である。
といふ風に、「答へる」しかない。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
① 象動物である。
② 象は動物であり、動物は象である。
③ 象は動物であり、象以外は動物ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)により、
(07)
① 象ゐる。
② 象はゐるし、ゐるのは象である。
③ 象はゐるが、象以外はゐない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(08)
ゾウ(象)は、哺乳綱ゾウ目(長鼻目)ゾウ科の総称である[2][3]。
アジアゾウとアフリカゾウ、それとおそらくはマルミミゾウの、2属3種が現生し、これらは現生最大の陸生哺乳類である。他に絶滅したマンモスやナウマンゾウなどを含む。
(ウィキペディア)
(09)
哺乳類に属する動物の種の数は、研究者によって変動するが、おおむね4,300から4,600ほどであり、脊索動物門の約10%、広義の動物界の約0.4%にあたる。
(ウィキペディア)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
① 象ゐる。
② 象はゐて、ゐるのは象である。
③ 象はゐるが、象以外ゐない
に於いて、
①=②=③ である。
といふのであれば、その場合は、
①(今、視線の先に)象ゐる。
②(今、視線の先に)象はゐて、ゐるのは象である。
③(今、視線の先に)象はゐるが、象以外ゐない
に於いて、
①=②=③ である。
といふことに、ならざるを得ない。
従って、
(10)により、
(11)
① 象ゐる。
といふのであれば、
① 個体としての、象ゐる。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)
① 象ゐる。
と言った「直後」に、
② 象体が大きいなあ。
と言ふのであれば、この場合は、
② 個別の象を目前にして、その象の特徴が、「(見ることは出来ない)象といふ集合の全体の特徴である」といふ風に、言ってゐる。
従って、
(12)により、
(13)
「説明」は「省略」するものの、
① 象ゐる。
② 象体が大きいなあ。
に於いて、
① は、『普遍量記号除去の規則(UE)』に基づいてゐて、
② は、『普遍量記号導入の規則(UI)』に基づいてゐる。


(1111)35年以上も前から思ってゐること(は・が)。

2022-06-05 14:45:17 | 「は」と「が」

― 門外漢ではあるのですが、昭和60年頃、『國語と國文學』に投稿したことが有ります。―
(01)
① A者[読み]Aは:Aは主語[訳]A
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、166頁)
従って、
(01)により、
(02)
① A者B也(ABなり)。
であるため、
① ABである(A者B也)。
であって、
② ABである(A者B也)。
ではない。
従って、
(02)により、
(03)
① ABである。
② ABである。
に於いて、
① は、昔から有ったが、
② は、昔は無かった。
然るに、
(04)
① Aは の「は」は、「清音」であって、
② A の「が」は、「濁音」である。
然るに、
(05)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① Aは の「は」は、「清音」であって、
② A の「が」は、「濁音」であるが故に、
② A の「心理的な音量」の方が、
① Aは の「心理的の音量」よりも、「大きい」。
然るに、
(07)
理事長です。(理事長は私です)
のように、ガの文がいわばハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。このような「私」を強声的になっていると言うことにする。そこに発音上のストレスを与えたのと似た効果を持っているからである(三上章、日本語の論理、1963年、106頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 私は の「は」は、「清音」であって、
② 私 の「」は、「濁音」であるが故に、
① 私は に対して、
② 私 は、「強声的」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① I am 理事長。
に於ける、
① I を「強調」しない「形」が、
① 私は理事長です。
であって、
② I を「強調」した「形」が、
② 私理事長です。
といふことになる。
然るに、
(10)
① ειμι 理事長。
② εγω ειμι 理事長。
に於いて、
② εγω は、「人称代名詞の主格」である。
然るに、
(11)
(4)人称代名詞の主格は、特にそれが強調される場合以外には用いられない。
(J・G・メイチェン 著、田辺滋 訳、新約聖書ギリシャ語原典入門、1967年、55頁)
従って、
(10)(11)により、
(12)
① ειμι 理事長(I am 理事長)。
② εγω ειμι 理事長(I am 理事長)。
に於いて、
② は、「I(一人称代名詞の主格)」が「強調」されてゐる。
然るに、
(13)
(a)この理由は、動詞の語尾が、主語が一人称であるか、それとも二人称であるか、または、三人称であるかを充分に示しているからである。つまり λεγω は「私は言う」(I say)である。故に、特に「私」を強調が置かれるのでなければ、εγω を付け加えない。
(b)強調というのは、通常対照によって生ずる。たとえば、εγω λεγω,συ δε γραφειs,「私は語るが、しかし汝は書く」(I say,but you write)という文で,εγω と συ とは強調されている。εγω と συ は互いに対照されているからである。そして、εγω λεγω、「私は語る」(I say)という文では、誰か他の人は語っていないということが、当然、類推されるわけである。
(J.G.メイチェン著、田辺滋 訳、新約聖書ギリシャ語原点入門、1967年、55頁)
従って、
(12)(13)により、
(14)
① ειμι 理事長(I am 理事長)。
② εγω ειμι 理事長(I am 理事長)。
に於いて、
② の場合は、「I(一人称代名詞の主格)」が「強調」されてゐるが故に、
② 私は理事長であって、私以外は理事長ではない
といふ「意味(排他的命題)」になる。
然るに、
(15)
② 私は理事長であって、私以外は理事長ではない
といふことは、
② 私=理事長
といふことに、他ならない。
従って、
(09)~(15)により、
(16)
① 私は理事長です(ειμι 理事長)。
② 私理事長です(εγω ειμι 理事長)。
に於いて、
① ではなく、
② に関しては、
② 私=理事長
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(17)
② 私=理事長
であるならば、そのときに限って、
③ 理事長=私
といふ「交換法則(Commutative law)」が、成立する。
然るに、
(17)により、
(18)
② 私=理事長
③ 理事長=私
であるならば、当然、
② 私は理事長であって、尚且つ、
③ 理事長は私である。
然るに、
(19)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(18)(19)により、
(20)
果たして、
② 私理事長です。
③ 私は理事長であって、理事長は私です。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(07)~(20)により、
(21)
① 私は の「は」は、「清音」であって、
② 私が の「」は、「濁音」であるが故に、
① 私は に対して、
② 私が は、「強調形」であって、そのため、
① 私は理事長です(ειμι 理事長)。
② 私理事長です(εγω ειμι 理事長)。
に於いて、
① ではなく、
② に関しては、
② 私=理事長
といふ「等式」が、成立し、だからこそ、
② 私理事長です。
③ 私は理事長であって、理事長は私です。
④ 私は理事長であって、私以外は理事長ではない
に於いて、
②=③=④ である。
といふ、ことになる。
従って、
(21)により、
(22)
① Aは、BCである。
② Aは、BはCであり、B以外はCでない
に於いて、
①=② である。
従って、
(23)
① 象は鼻長い。
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって長く)、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)}。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(24)
② 象の鼻は、耳ではない。
従って、
(25)
② 象は、鼻以外は長くない
とするならば、
② 耳が長い動物(例へば、兎)は象でない。
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
(ⅰ)象は鼻は長いが、鼻以外は長くない。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。 従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
cf.
1    (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
 2   (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
  3  (3)∃x(兎x&象x)                      A
1    (4)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  1UE
 2   (5)   兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za)  2UE
   6 (6)   兎a&象a                       A
   6 (7)      象a                       6&E
   6 (8)   兎a                          6&E
1  6 (9)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  47MPP
 2 6 (ア)      ∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za)  58MPP
 2 6 (イ)      ∃y(長y&耳ya)               ア&E
    ウ(ウ)         耳ba&長b                A
1  6 (エ)                 ∀z(~鼻za→~長z)  9&E
 2 6 (オ)                 ∀z(耳za→~鼻za)  ア&E
1  6 (カ)                    ~鼻ba→~長b   エUE
 2 6 (キ)                    耳ba→~鼻ba   オUE
    ウ(ク)         耳ba                   ウ&E
 2 6ウ(ケ)                        ~鼻ba   キクMPP
12 6ウ(コ)                         ~長b   カケMPP
    ウ(サ)             長b                ウ&E
12 6ウ(シ)             長b&~長b            コサ&I
12 6 (ス)             長b&~長b            イウシEE
123  (セ)             長b&~長b            36スEE
12   (ソ)~∃x(兎x&象x)                     36セRAA
12   (タ)∀x~(兎x&象x)                     ソ量化子の関係
12   (チ)  ~(兎a&象a)                     タUE
12   (ツ)  ~兎a∨~象a                      チ、ド・モルガンの法則
12   (テ)   兎a→~象a                      ツ含意の定義
12   (ト)∀x(兎x→~象x)                     テUI
従って、
(26)により、
(27)
(ⅰ)象は鼻長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」を、「妥当」である。
と、思ふのであれば、その人は、必ず
① 象は鼻長い。
といふ「日本語」を、
② 象は鼻は長いが、鼻以外は長くない
といふ「意味」に、捉へてゐる。
然るに、
(28)
三上章 先生は、
(ⅰ)象は鼻長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」を、「妥当」である。
と思ふに、違ひない。
従って、
(23)~(28)により、
(29)
三上章 先生も、
① 象は鼻長い。
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって長く)、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)}。
に於いて、
①=②=③=④ である。
といふことは、認めざるを得ない。
然るに、
(30)
三上章 先生は、
① 象は鼻長い。
といふ「日本語」の、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「意味」については、何らの言及をすることなく、
① 象は鼻長い。
に於ける、
① 象は は、「主語」ではない。
といふことだけを、「力説」される。
然るに、
(31)
① For any x, if x is an elephant then x is an animal.
② すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物である。
③ ∀x(象x→動物x)。
④ Elephants are animals.
⑤ 象動物である。
に於いて、
①=②=③=④=⑤ であって、
④ Elephants が「主語」である以上、
⑤ 象 も、「主語」であるに、違ひない。


(1110)「動物は象である」の「述語論理」。

2022-06-04 20:15:50 | 「は」と「が」

(01)
(ⅰ)
1  (1) ∀x(象x→ 動物x)  A
 2 (2) ∃x(~動物x&象x)  A
1  (3)    象a→ 動物a   1UE
  4(4)    ~動物a&象a   A
  4(5)    象a        4&E
1 4(6)        動物a   35&I
  4(7)       ~動物a   4&E
1 4(8)   動物a&~動物a   67&I
  4(9)~∀x(象x→ 動物x)  18RAA
 2 (ア)~∀x(象x→ 動物x)  249EE
12 (イ) ∀x(象x→ 動物x)&
      ~∀x(象x→ 動物x)  1ア&I
1  (ウ)~∃x(~動物x&象x)  2イRAA
(ⅱ)
1  (1)~∃x(~動物x&象x)  A
1  (2)∀x~(~動物x&象x)  1量化子の関係
1  (3)  ~(~動物a&象a)  1UE
 2 (4)    象a        A
  3(5)       ~動物a   A
 23(6)    ~動物a&象a   45&I
123(7)  ~(~動物a&象a)&
          (~動物a&象a)  36&I
12 (8)      ~~動物a   37RAA
12 (9)        動物a   8DN
1  (ア)    象a→ 動物a   29CP
1  (イ) ∀x(象x→ 動物x)  アUI
従って、
(01)により、
(02)
①   ∀x(象x→ 動物x)
② ~∃x(~動物x&象x)
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
②(動物でないxで、象であるx)は存在しない。
に於いて、
①=② である。
従って、
然るに、
(03)
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
といふことは、
① 象であるならば、それは動物である。
といふこと、すなはち、
① 象について言へば、それは動物である。
といふことである。
然るに、
(04)
「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)。また、「鼻が」は主格の補語にすぎなく、数ある補語と同じ格であるとする。基本文は述語である「長い」だけだ(三上文法! : wrong, rogue and log)。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ∀x(象x→動物x)⇔
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。⇔
① For any x, if x is an elephant then x an animal.⇔
① 象であるならば、それは動物である。 ⇔
① 象について言へば、それは動物である。⇔
① 象は動物である。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
①   ∀x(象x→ 動物x)
② ~∃x(~動物x&象x)
に於いて、すなはち、
① 象は動物である。
②(動物でない象)は存在しない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(06)により、
(07)
① ∀x(動物x→ 象x)
② ~∃x(~象x&動物x)
に於いて、すなはち、
① 動物は象である。
②(象でない動物)は存在しない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(07)により、
(08)
xの変域={、兎、河馬、ライオン}
であるならば、
① 動物は象である。
② 象以外は動物ではない。
といふ「命題」は、「ウソ(偽)」である。
然るに、
(09)
xの変域={桜、電車、鉛筆、机、
であるならば、
① 動物は象である。
② 象以外は動物ではない。
といふ「命題」は、「本当(真)」である。
従って、
(01)(08)(09)により、
(10)
確かに、
①   ∀x(動物x→ 象x)
② ~∃x(~象x&動物x)
といふ「命題」に於いて、すなはち、
①  動物は象である。
②(象でない動物)は存在しない。
といふ「命題」に於いて、
① の「真理値」と、
② の「真理値」は、「等しい」。


(1109)「ラッセルの確定記述の理論」と「は・が」。

2022-06-04 18:42:26 | 「は」と「が」

(01)
① ヒトラーは我が闘争を書いた。
② タゴール記念会は、私理事長です。
といふ「日本語」は、
① ∃x{ヒトラーx&我が闘争の著者x&∀y(我が闘争の著者y→y=x)}
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ風に、すなはち、
① あるxは{ヒトラーであって、我が闘争の著者であって、すべてのyについて(yが我が闘争の著者であるならば、y=x である)}。
② すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、xの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)]}。
といふ風に、「翻訳」出来る。
然るに、
(02)
ラッセルの確定記述の理論を用いて、つぎの論証の健全性を確立せよ。
(a)我が闘争の著者は1945年に死んだ。ヒトラーは我が闘争を書いた。故にヒトラーは1945年に死んだ。
Using Russell's theory of definite description, establish the soundness of the following argument:
(a)The author of Mine Kamp died in 1945. Hitler wrote Mine Kamp. Hitler therefore died in 1945.
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、215頁と原文)
〔私による解答〕
1   (1)∃y(我が闘争の著者y&45年死y)                  A
 2  (2)   我が闘争の著者a&45年死a                   A
  3 (3)∃x{ヒトラーx&我が闘争の著者x&∀y(我が闘争の著者y→y=x)} A
   4(4)   ヒトラーb&我が闘争の著者b&∀y(我が闘争の著者y→y=b)  A
   4(5)                  ∀y(我が闘争の著者y→y=b)  4&E
   4(6)                     我が闘争の著者a→a=b   5UE
 2  (7)                     我が闘争の著者a       2&E
 2 4(8)                              a=b   67MPP
   4(9)   ヒトラーb                            4&E
 2 4(ア)   ヒトラーa                            89=E
 2  (イ)         45年死a                      2&E
 2 4(ウ)   ヒトラーa&45年死a                      アイ&I
 2 4(エ)∃y(ヒトラーy&45年死y)                     ウEI
 23 (オ)∃y(ヒトラーy&45年死y)                     34エEE
1 3 (カ)∃y(ヒトラーy&45年死y)                     12オEE
1 3 (〃)あるyはヒトラーであって、yは1945年に死んだ。           12オEE
(03)
ラッセルの確定記述の理論を用いて、つぎの論証の健全性を確立せよ。
(b)タゴール記念会は、私理事長です。然るに、小倉氏は私ではない。従って、タゴール記念会は、小倉氏は理事長ではない。
〔自問自答〕
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  23MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)     ∃z(小倉z&~私z)                      A
    ア (ア)        小倉c&~私c                       A
    ア (イ)        小倉c                           ア&E
    ア (ウ)            ~私c                       ア&E
     エ(エ)               b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        小倉c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za)              3スCP
1  9  (ソ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}             セUI
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① ヒトラーは我が闘争を書いた。
② タゴール記念会は、私理事長です。
といふ「日本語」が、
① ∃x{ヒトラーx&我が闘争の著者x& ∀y(我が闘争の著者y→y=x)}
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ風に、「翻訳」出来るが故に、
① 我が闘争の著者は1945年に死んだ。ヒトラーは我が闘争を書いた。故にヒトラーは1945年に死んだ。
② タゴール記念会は、私理事長です。然るに、小倉氏は私ではない。従って、タゴール記念会は、小倉氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「健全(sound)」である。
然るに、
(05)
交換法則(commutative law)」により、
①(y=x)は(x=y)と「同じ」であって、
②(y=z)は(z=y)と「同じ」である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
交換法則(commutative law)」により、
① ヒトラーは我が闘争を書いた。
② タゴール記念会は、私理事長です。
といふ「命題」は、それぞれ、
① 我が闘争を書いたのはヒトラーであった。
② タゴール記念会は、理事長は私です。
といふ「命題」に「等しい」。
然るに、
(07)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
① A=B(B=A)
であること(交換法則が成り立つこと)は、
① AはBである。
といふ「日本語」が、
② ABである。
③ BはAである。
といふ風に、言ひ得る上での、『必要条件』である。
然るに、
(09)
記述の理論
〔英〕theory of descriptions
指示句には様々な種類があるが、基本的なものは(1)all で始まる名詞句、(2)a で始まる名詞句、(3)the で始まる単数形の名詞句の三つである(Webサイト:記述の理論)。
然るに、
(10)
定冠詞(the)は、それが厳密に用いられるときには、一意性を内含している。確かに、しかじかのひと(So-and-so)がいく人かの息子をもっている場合でさえ、the son of So-and-so という表現を使用するが、本当はその場合には、a son of So-and-so という方がより正しいといえよう。それゆえわれわれの目的のためには、the一意性を内含しているものと考えていく(頸草書房、現代哲学基本論文集Ⅰ、バートランド・ラッセル、指示について、1986年、53頁)。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① A is B.
ではなく
① A is the B.
であることは、
① AはBである。
といふ「日本語」を、
② ABである。
③ BはAである。
といふ風に、言ひ得る上での、『必要条件』である。
然るに、
(12)
Consider the English setence below.
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
(E.J.レモン著、竹尾治一郎・浅野楢英 翻訳、論理学初歩、1973年、204頁、原文)
従って、
(11)(12)により、
(13)
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
ではなく
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
であれば、これらの「命題」は、
(4)ソクラテスプラトンを教へた哲学者である(プラトンを教へた哲学者はソクラテスである)。
(5)パリフランスの首都である(フランスの首都はパリである)。
(6)勇気私が最も賛美する徳である(私が最も賛美する徳は勇気である)。
といふ風に、言ひ得ることになる。