日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1323)「対偶」の「真偽」の「一致」について。

2023-06-20 07:12:42 | 論理

(01)
(ⅰ)
1 (1) ∀x(象x→ 動物x) A
1 (2)    象a→ 動物a  1UE
 3(3)       ~動物a  A
13(4)   ~象a       23MTT
1 (5)   ~動物a→~象a  34CP
1 (6)∀x(~動物x→~象x) 5UI
(ⅱ)
1 (1)∀x(~動物x→~象x) A
1 (2)   ~動物a→~象a  1UE
 3(3)         象a  A
 3(4)       ~~象a  3DN
13(5)  ~~動物a      24MTT
13(6)    動物a      5DN
1 (7)    象a→ 動物a  36CP
1 (8) ∀x(象x→ 動物x) 7UI
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x( 象x→ 動物x)
② ∀x(~動物x→~象x)
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
② すべてのxについて(xが象でないならば、xは動物でない)。
に於いて、すなはち、
①「象の集合」は、「動物の集合」の「部分集合」である。
②「動物の集合」の「補集合」は「象の集合」の「部分集合」ではない
に於いて、すなはち、
①「象であるものは動物であるものである。」
②「動物でないものは象でないものである。」
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
①「象であるものは動物であるものである。」
②「動物でないものは象でないものである。」
に於いて、
① は、② の「対偶(contraposition)」であり、
、① の「対偶(contraposition)」である。
従って、
(04)
「対偶(の真偽)」は、「(互いに)等しい」。
然るに、
(05)
「Aである」といふ「事態の集合」
「Bである」といふ「事態の集合」
を「想定」しても、
①「事態A」であるならば「事態B」である。
②「事態B」でないならば「事態A」でない
に於いて、
①=② は「対偶(contraposition)」である。
cf.
事実は諸「事態」から、そして「事態」は諸対象から構成されている(ヴィトゲンシュタイン)。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
①「象であるものは動物であるものである。」
②「動物でないものは象でないものである。」
といふ「命題」に於ける、
①=② を含めて、一般に、
① Aであるならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない
といふ「事態」に於いて、
①=② は「対偶(contraposition)」である。
因みに、
(07)
(ⅰ)
1  (1) ∀x(象x→ 動物x) A
 2 (2) ∃x(象x&~動物x) A
1  (3)    象a→ 動物a  1UE
  4(4)    象a&~動物a  A
  4(5)    象a       4&E
1 4(6)        動物a  35MPP
  4(7)       ~動物a  4&E
1 4(8)   動物a&~動物a  67&I
  4(9)~∀x(象x→ 動物x) 18RAA
 2 (ア)~∀x(象x→ 動物x) 249EE
12 (イ) ∀x(象x→ 動物x)&
      ~∀x(象x→ 動物x) 1ア&I
1  (ウ)~∃x(象x&~動物x) 2イRAA
(ⅱ)
1  (1)~∃x(象x&~動物x)  A
1  (2)∀x~(象x&~動物x)  1量化子の関係
1  (3)    ~(象a&~動物a)  2UE
 4 (4)    象a        A
  5(5)       ~動物a   A
 45(6)    象a&~動物a   45&I
145(7)  ~(象a&~動物a)&
         (象a&~動物a)  36&I
14 (8)      ~~動物a   57RAA
14 (9)        動物a   8DN
1  (ア)    象a→ 動物a   9CP
1  (イ) ∀x(象x→ 動物x)  アUI
従って、
(07)により、
(08)
①  ∀x(象x→ 動物x)
② ~∃x(象x&~動物x)
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
②(象であって、動物でないx)は存在しない
に於いて、
①=② は「対偶(contraposition)」である。



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1 コメント

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ウィトゲンシュタインには、私も少し思い入れがあります。 (原左都子)
2023-06-20 10:12:59
我が2度目の大学時代の「科学哲学」担当教授が授業中に仰るには。 「世には立派な哲学者が数ほど存在するが、私が尊敬するのはプラトンとウィトゲンシュタインです」との事で、この両者を授業中によく取り上げて下さいました。
プラトンに関してはこの私にとっても贔屓の哲学者であり、後に我が産んだ我が一人娘の命名はこの「プラトン哲学」より引用した程です。
片やウィトゲンシュタインに関しては、この教授の授業にて初めて触れる感覚でした。
以下は我が当時の「科学哲学ノート」より引用しますが。
「ウィトゲンシュタインは哲学者としての活躍の後期に、grammer と ruleを問題の中心としてこれを見出すことが哲学であると唱えた。ただ、単純な規則性はナンセンスと考えた。」そして、「あらゆるものが規則に従っている訳ではないが、規則性を見出すことに哲学の目的がおかれている。 また、合理性rationalityの概念がこれまでのものと違っている」と、我が当時(昭和61年頃)の「科学哲学」ノートに書かれていました。
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