杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・「偶然」を呼びよせる努力 ~ 尊敬するコスタリカの親友のこと

2007-10-07 20:56:57 | Weblog
 私は、数年前から軍隊をすてた国「コスタリカ」を旗印する平和の市民活動をしていますが、4年前にこのコスタリカを尋ねたときに、現地で通訳をしてくださった女性と、たった一度、数日の出会いでしたが、以後とても親しい友人となりました。

 ツアーの段取りのために日本から彼女とメールで連絡を取っていましたが、コスタリカで初めてお目にかかったとき、私の不注意でその方のお勤め先に不要な連絡を入れてしまったことを、「ご迷惑でしたでしょうか?」と尋ねると、「迷惑です」ときっぱり言われ、なかなか厳しい出会いでした。

 ところが、現地でいくつもの訪問先を訪ねるごとに、彼女のスペイン語を日本語に移すだけではない深い理解力と、物事の判断の的確さ、人間性にドンドン魅力を感じていきました。私が、ツアーの雑用係だったこともあり、彼女とのコンタクトは一番多かったせいもあって、コスタリカを発つころには、私はなぜか彼女とこのまま別れがたいような思いになりました。翌早朝発つ日、彼女はその時間帯には来られないということだったので、人に託して渡してもらおうと深夜手紙を書きました。
ところが、翌朝、彼女は見送りにきてくれていたのでした。そして、ホテルを出るバスをずっと手を振って見送ってくれました。
通じ合うということでしょうか、彼女は「心のこもった手紙をもらい、このままでは申し訳なく書いた」という、それこそ心のこもった手紙をくれました。
それ以来、数年ずっとメールでではありますが、親しくおつきあいをしています。

 前置きが長くなったのですが、その彼女から、今年5月はじめに、
「日本から最高裁判所の裁判官がコスタリカを訪問されるので、その通訳をするようにという依頼うけた。はじめは断ったが、自分がそのようなことを頼まれるようになったのだ、と思い、引き受けることにした」というメールをもらいました。私は、彼女ならそれはこなせるだろう、と思っていまし、とても誇りに感じていました。

 彼女は、そのメールの中で、
「少し勉強してみて、単純に思うのは、コスタリカの裁判は善悪→懲罰に直結しているということ。司法省と公共安全省の上下関係が入り組んでいること。
なんだか裁判所と刑務所が表裏一体のような印象をうけてしまいます。(笑)」
と書いてきていました。

私はこれを読んで、司法制度についての系譜、英米法系と大陸法系の違いについて説明し、そのことが感じられていることと関係あるかもしれません、と返事に書きました。

それからしばらくして、「日本の最高裁判所の判事が訪れ講演をした中に、コスタリカがスペインの影響を受けた大陸法系の国であるという説明が何度も出てきましたが、たまたま杉浦さんにそのことを聞いていたので、すごくよく分かりました」
というメールをもらいました。

「たまたま」?
そうではないとわかりました。
私は、彼女から、最高裁判所の裁判官訪問について、その事実しか送られていなければ、法律の素人の彼女にわざわざ司法の系譜など話し出すことなど絶対にありませんでした。
私が書こうと思ったのは、彼女が私にそうさせたのだ、そこまでの勉強を彼女がしていたためだったのだとハッとしました。

「たまたま」、「偶然」、「運良く」と人が言うとき、多くの場合その人がそれをたぐり寄せているのだということに気づきました。
強いて加えるならば、自分がたぐり寄せていることを気づいてくれるような人を回りに配しているか、ということなのでしょう。


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2 コメント

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同感します (志村建世)
2007-10-10 11:16:59
偶然に助けられることは、たしかにあります。でも助けられて芽を出すものが自分になかったら、ただの小さな経験に終るでしょう。同じように、不運に見舞われることもあります。でもそれが財産として残っていることがあります。そして次の好運に出会ったとき、前の不運が無駄でなかったことがわかります。収支をならすと、結局は身の丈に合わせて成長していることになるのではないでしょうか。
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ならせば身の丈、なるほど (杉浦ひとみ)
2007-10-10 12:43:47
不運が次への財産になることも確かにありますね。そして、ならせば身の丈。
奇をてらったりすることなく、平らに平らに層を重ねることですね。ひとつひとつ生き方を教えていただく思いです。ありがとうございます。
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