1月20日の朝刊で
「全国13カ所の国立ハンセン病療養所を地域住民に開放し、福祉施設などの併設も可能にする「ハンセン病問題基本法案」が、超党派による議員立法で通常国会に提出されることになった。」
との記事を見て、やっと進み出すことになりそうだと本当にうれしく思っています。
私がハンセン病について初めて耳にしたのは、小学校3年生の頃に、手の甲のところにどこかにぶつけたのでしょう、青紫になった痣ができているのを母親が見て「らい病という病気があって、そんな風に痣みたいになるらしいけど、その病気になると小さな島に隔離されちゃうんだよ」と話してくれ、とても怖いと思ったのが最初でした。
母親も、そのような人を知っていたのか、聞いたことがあったのかは分かりませんが、たぶんかなり不確かな話だったのではないかと思いますが、母もまた怖いこと、という思いを持っていたのではないかと思います。
それからずっと、そのことを忘れていて、その次に印象的に聞いたのは映画「ベンハー」で主人公ベンハーの母と妹が「業病」にかかったといって岩の牢に閉じこめられているシーンを見たときでした。業病というのは、ハンセン病のことを指しているようでした。
そして、弁護士になって、ハンセン問題を法律問題として知るようになり、それがあまりにひどい人権侵害の歴史だったことを知りました。
でも、これは、ハンセン病に限ったことではなく、必要以上の人権差別・人権侵害を社会が作り出すという、今後も起こりうる問題であり、だからこそ、このハンセン問題は、しっかり私たちが総括しなければならない問題だと思うのです。
私たちは、ハンセン病元患者の方に対して、これまでの扱いについて深くわびなければならないし、今後少しでもこれまでの人権侵害が癒されるように努力していかなければならないと思っています。
その中で、もっとも有益だと思っているのが、ハンセン療養所の軒を借りる、ということだと思うのです。
つまり、ハンセン病元患者の方を社会に混ぜてあげるのではなく、私たちがそこに軒を借りて住まわせてもらうことで、差別をなくし、かつ、現在ある施設を有効に使い、またこれまで暮らしてこられた方たちが、人が減り寂しくなっていく施設内に取り残されることのないようにできるからです。
ですから、施設の有効活用ということだけの意味だと思っていないので、この法案が早く成立し、実施されることを期待しています。
<毎日新聞>
与野党でつくる「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」(藤井裕久会長、約110人)がこのほど、総会で方針を決めた。入所者減が続くハンセン病療養所の最大の課題である将来構想が大きく前進することになる。
13施設の入所者は2890人(昨年5月現在、平均年齢79歳)とピーク時の4分の1まで減少。入所者減に伴い医師や職員の定数が削減され、療養所では医療の質の確保が大きな問題になっている。
現在の療養所の設置根拠である「らい予防法の廃止に関する法律」(96年施行)では、施設を利用できるのは原則として入所者だけで、敷地内への他施設の併設も認められていない。10年後には全国の入所者は1000人程度になる見通しで、医療水準の低下や施設の統廃合を懸念する声が高まっていた。
このため、全国ハンセン病療養所入所者協議会などが昨年8月、医療の質を確保するとともに、市民との共生で差別や偏見の解消にもつなげようと、地域への施設開放を可能にする基本法案の制定運動を開始。約22万人の賛同署名も集まった。
懇談会は総会で、ハンセン病国賠訴訟の弁護団が基本法の試案を公表。21条からなり、施設の開放のほか元患者の名誉回復や、医師・看護師の確保を国に義務づけている。
将来構想として、地域住民も療養所に入院・通院できるようにするほか、高齢者や障害者の入所施設や人権啓発センターを併設する案などが検討されることになる。新法制定で、現行法は廃止される見通し。
国賠訴訟全国原告団協議会の谺(こだま)雄二会長(75)は「施設を開放すれば、病気への偏見で社会に出られない入所者を療養所ごと社会復帰させることになる」と話している。
「全国13カ所の国立ハンセン病療養所を地域住民に開放し、福祉施設などの併設も可能にする「ハンセン病問題基本法案」が、超党派による議員立法で通常国会に提出されることになった。」
との記事を見て、やっと進み出すことになりそうだと本当にうれしく思っています。
私がハンセン病について初めて耳にしたのは、小学校3年生の頃に、手の甲のところにどこかにぶつけたのでしょう、青紫になった痣ができているのを母親が見て「らい病という病気があって、そんな風に痣みたいになるらしいけど、その病気になると小さな島に隔離されちゃうんだよ」と話してくれ、とても怖いと思ったのが最初でした。
母親も、そのような人を知っていたのか、聞いたことがあったのかは分かりませんが、たぶんかなり不確かな話だったのではないかと思いますが、母もまた怖いこと、という思いを持っていたのではないかと思います。
それからずっと、そのことを忘れていて、その次に印象的に聞いたのは映画「ベンハー」で主人公ベンハーの母と妹が「業病」にかかったといって岩の牢に閉じこめられているシーンを見たときでした。業病というのは、ハンセン病のことを指しているようでした。
そして、弁護士になって、ハンセン問題を法律問題として知るようになり、それがあまりにひどい人権侵害の歴史だったことを知りました。
でも、これは、ハンセン病に限ったことではなく、必要以上の人権差別・人権侵害を社会が作り出すという、今後も起こりうる問題であり、だからこそ、このハンセン問題は、しっかり私たちが総括しなければならない問題だと思うのです。
私たちは、ハンセン病元患者の方に対して、これまでの扱いについて深くわびなければならないし、今後少しでもこれまでの人権侵害が癒されるように努力していかなければならないと思っています。
その中で、もっとも有益だと思っているのが、ハンセン療養所の軒を借りる、ということだと思うのです。
つまり、ハンセン病元患者の方を社会に混ぜてあげるのではなく、私たちがそこに軒を借りて住まわせてもらうことで、差別をなくし、かつ、現在ある施設を有効に使い、またこれまで暮らしてこられた方たちが、人が減り寂しくなっていく施設内に取り残されることのないようにできるからです。
ですから、施設の有効活用ということだけの意味だと思っていないので、この法案が早く成立し、実施されることを期待しています。
<毎日新聞>
与野党でつくる「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」(藤井裕久会長、約110人)がこのほど、総会で方針を決めた。入所者減が続くハンセン病療養所の最大の課題である将来構想が大きく前進することになる。
13施設の入所者は2890人(昨年5月現在、平均年齢79歳)とピーク時の4分の1まで減少。入所者減に伴い医師や職員の定数が削減され、療養所では医療の質の確保が大きな問題になっている。
現在の療養所の設置根拠である「らい予防法の廃止に関する法律」(96年施行)では、施設を利用できるのは原則として入所者だけで、敷地内への他施設の併設も認められていない。10年後には全国の入所者は1000人程度になる見通しで、医療水準の低下や施設の統廃合を懸念する声が高まっていた。
このため、全国ハンセン病療養所入所者協議会などが昨年8月、医療の質を確保するとともに、市民との共生で差別や偏見の解消にもつなげようと、地域への施設開放を可能にする基本法案の制定運動を開始。約22万人の賛同署名も集まった。
懇談会は総会で、ハンセン病国賠訴訟の弁護団が基本法の試案を公表。21条からなり、施設の開放のほか元患者の名誉回復や、医師・看護師の確保を国に義務づけている。
将来構想として、地域住民も療養所に入院・通院できるようにするほか、高齢者や障害者の入所施設や人権啓発センターを併設する案などが検討されることになる。新法制定で、現行法は廃止される見通し。
国賠訴訟全国原告団協議会の谺(こだま)雄二会長(75)は「施設を開放すれば、病気への偏見で社会に出られない入所者を療養所ごと社会復帰させることになる」と話している。
を見学したのが、非常に参考になりました。科学的知識の不足と思い込みの恐怖が、最大規模の組織的な人権侵害を引き起こしました。この教訓は、多くの人が知るべきだと思います。
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まだ普通に故郷に帰れるという状況にはなく、いまだ人権侵害は続いていると感じました。
国主導で起こされた人権侵害ですが、だからといって個人の人権侵害が許されるということではないと思います。
仮に、医学にうとい一般の市民が誤った恐怖心をもったとしても、感染の危険極めて少ないことなどを説明し、「差別すべきでない」と率先してその偏見を排除する義務が、国にあったはずです。にもかかわらず・・・です。
>国主導で起こされた人権侵害
>隔離政策を採り続けた国のやり方は許せません。
国が率先して国民に差別することを強要したわけではありません。
ハンセン病はご存じの通り、外見が著しく変形する病気です。昔は神仏の祟りや前世の悪行の報い、はたまた遺伝病などと信じられていました。今から見れば無知から来る偏見でしかありませんが、隔離政策継続は当時の人々の気持ちに応えるものであったのです。たとえ国・政府が廃止しようと考え、「感染力は弱い」「特効薬がある」と説明したとしても、当時の人々の心に巣くう、異形のものに対する恐怖は到底拭いきれるものではないものでしょう。
結局1996年まで強制隔離が続いてしまったのは、確かに国の不作為の結果でありますが、ハンセン病患者の方々を忌み嫌った国民、強い問題提起をしなかったマスコミの責任でもあります。
ハンセン病だけが差別ではありません。勝手に政治起源に認定して自らの責任にはほっかむり、国・政府の無責任を攻撃するだけでは、差別のない世の中なんて到底不可能だと思います。
国の不作為は許されるべきではありません。しかし、私たちの不作為もまた許されるべきものではないのです。
ただ、でも、いくらなんでもとその位置づけやそのいい方はヤメにしようとしたところ、元被害者のかたが、まさに「当事者の責任」を口にされ、その立派な視点に脱帽しました。
みんなが「国が悪い」といって結局責任が曖昧になってしまいます。
ハンセン病で言えば、強制隔離を始めたことの判断は誰で、適切だったか。強制隔離の必要性がなくなったのはいつで、それでも継続する判断をしたのは誰かなど、検証する必要があると思います。
多分光田健輔氏のことと思いますが、彼は「たとえ病原菌が無くなっても、世間の差別の目のせいで元患者が社会復帰するのは難しい。だからあえて隔離するのだ」と述べたとも言われています。杉浦さんのお母様の逸話からもわかりますし、私にも同じような経験がありますが、障碍者に対する当時の世間の目はかなり厳しいものがありました。
光田医師や第二次無らい県運動を起こした厚生省の役人を、現在の価値観から見て批判するのは簡単ですが、それだけでは何の解決にもなりません。
現在でも、身体や精神に障碍を持つ方々は家庭や施設で一生を送るのが当たり前です。そういう方々が「世間の差別の目」に晒されることなく、普通に生活していくためにはどうすれば良いのか。私たちは「差別の目」をどう矯正していくのか。どういう風に世間を啓発していくのか。政治の役割、教育の役割は。マスコミの役割は。
過去の個人の責任を検証するのは必要なことだとは思いますが、それを断罪するのではなく反省の糧とし、これからの私たちの取り組みの材料として捉えたいものです。
「世間の目」などというのは、強制隔離を正当化する理由にはなりませんね。その心配があるから、強制力のない施設を作るというのならわからないでもありません。間違った認識があるのなら、専門家としてはそれを正そうとするのが義務でしょう。
いまだに差別はなくなっていないようです。
自分ではなくて、他に差別者がいるのだというような理屈を付けて自分の差別行動を正当化したりしていますが、そんなことを言っている人こそ元凶ですね。
別に強制隔離を正当化する必要はありませんでした。世間もマスコミも、諸手を挙げて賛同していたのですから。