赤ちゃんポストについては、これまでも取り上げようかどうしようかと迷っていました。
非常に難しい問題で、自分の答えも定まっていなかったからです。
ただ、実際に運用が開始されたこともあり、今後意見が変わることもあり、という前提でエントリーします。
結論的には、私は反対ではないです。
その理由は、子捨てを容認する・助長するという抽象論で考えるべきではなく、具体的にケースを想定していくべきだと思います。
ポストを持って助ける必要がある場合としてどのような場合があるか。
① どうしようもなくて赤ちゃんを捨ててしまう、殺してしまうというというケースを直接間接に見たことがあるります。それは、未成年者(高校生)同士の未熟さ・無知から臨月を迎えてしまったケースと、パートナーに逃げられてどうしていいか分からなくなった未成年未婚女性のケースでした。
もともとは軽率さからの妊娠ですが、特に女性は約10か月毎日苦しみ続けました。当初は、今日こそは生理が来るように、と祈るような気持ちで待ち、やがて妊娠が動かし難いものと知ると、ふっと(胎児が)いなくならないだろうか、激しい運動をしたら流産するのではないだろうか、いっそのこと母子ともに・・・。そんな思いが片時も頭の中を占めているのです。胎動は悪魔の動きに思えることがあるとも。
勇気を持って大人に話せればいいのですが、そのことに思い及ばない。あるいは伝えたときの責任追及的な発言、叱責されるような発言があることに耐えられないと思いこんでいる。
妊娠直後に何とか相談して処置できない、そのまま臨月まで放置してしまう、それらは未熟、うかつ、無知、先が見えない、まさにこんなどうしようもない状態です。でも、ここまで来たときに、この母親(同様の父親)に出産後この子を育てさせることはおそらく子どもにとって不幸な結果になるでしょう。育てずに生命を断つことになれば、その子もまた殺めた親もまた不幸です。
このようなときには、赤ちゃんはポストに預けられ、親にはその間に「親」になってもらうことを望むしかありません。(未熟~成長待ち型)
② 他方、このポストがあることで子捨てが広がるでしょうか。
もともと赤ちゃんを手放す気持ちのない親は、いくら苦しくても子どもを手放したりはしないでしょう(手放さない型)。
③ 自分で育てたくてもどうしてもどうしても育てられない親は、一時ポストに預けても、いずれ迎えに来るでしょう(やむなく預け型)。
④ ポストができたので安易に預けてしまう親は、きっと子どもを育てても、その扱いの中では「あなたはいらなかった」というメッセージを子どもに投げかけてしまうでしょうし、虐待の可能性も高いと思われます(安易預け型)。とするなら、このケースでは、前もって子どもを預かることは、子ども自身の安全という観点ではむしろポストに預けてほしいケースです。
以上のように考えると、むやみやたらに親が子どもを捨てるということはないと思うのです。ですから、私は赤ちゃんポストは認めてもいいのではないかという結論になります。
但し、事実の認識(①~④)の点では、推測も交えて考えています。実際にこれと異なる状況があることをご存じの方は反論してください。
私も、もっと事実に即して考えていきたいです。
なお、3才児が第1号だったことについて
このケースは④のケースに当たるのではないでしょうか。
厚労相が児童相談所へ相談しなかったことを言っているそうですが、それは児相でなくポストを選んだというよりは、児相を知らなかった(ポストが有名になりすぎた)ということではないかと思います。
赤ちゃんポスト話題になってますが、
なぜ「最後の手段」的なものが最初に出てきて
しまうのかが疑問です。
児童相談所など、事前に相談できるところもあるのかもしれませんが、一般人は知らないのが現状です。実際私は知りません。
もっと事前に手を打つ制度なりがあればいいなと思います。
妊娠してしまった未成年の子も電話やメールなら相談しやすいだろうし、外から見たら、そういう相談場所だということがわからないようなところで相談でき、診察を受けられるような制度があればいいなと思いました。
もしそういう制度があるならもっともっとTVなどメディアで話題にしてほしいと思います。
長文失礼しました。
しかし①のケースでは、行政機関では救済が難しいでしょう。宗教法人や福祉法人が後につづいて、各県に1ヶ所ずつぐらいあっていいと思います。そして社会全体に「無理に自分だけで育てなくてよい」ことを認める寛容さが欲しいと思います。助けてあげる側になれる人は、たぶん大勢います。
私も、もっと早い支援が必要だと思います。
妊娠が分かった段階で、すごく悩むケースも容易に想像できるわけで、
「妊娠してしまった未成年の子も電話やメールなら相談しやすいだろう」と私も思います。また、
「外から見たら、そういう相談場所だということがわからないようなところで相談でき、診察を受けられるような制度」
細かい点までの気遣いは、初めてこのような問題に直面してしまった人を真に救済するためにはとても重要ですね。
それから、まだいろんな議論がでそうですが
「社会全体に「無理に自分だけで育てなくてよい」ことを認める寛容さ」とともに
性に対する健全な教育(淫靡なものとしてかくさないで、という意味)も必要だと思います。