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 風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

新作時代劇映画あれこれ

2019-04-02 05:34:55 | 時代劇

 

 

 

 

佐伯泰英原作によるベストセラー小説の映画化、『居眠り磐音』が5月17日より公開されます。

主演の「居眠り磐音」こと坂崎磐音に松坂桃李。その他木村文乃。芳根京子。佐々木蔵之介。西村雅彦。柄本明。中村梅雀など豪華出演陣。

 

新元号「令和」となってから公開される最初の時代劇映画ということで、なかなか目出度い(?)映画なのですが、

 

実はこの映画、大変な問題が発生してしまったんです。

 

つい最近、コカイン使用の容疑で逮捕された「あの方」が、結構重要な役、確か悪役だったと思いますが、で出演していたのです。

 

公開直前の不祥事に、配給会社の松竹は慌てます。「どうする!お蔵入りにするか!?」

いや、そうはいくまい。

 

松竹は「その方」の代役に奥田瑛士氏を立て、急遽撮り直しを慣行。なんとか公開日に間に合わせたようです。

 

「あの方」と奥田氏とでは、年齢も違えばイメージも大分違う。代役としては結構強引だったかもしれませんが、奥田氏は最近時代劇の悪役付いているし、上手い方だからそれなりによくやってくれたでしょう。

 

なにはともあれ、お蔵入りにしなかった松竹には感謝です。

 

松坂桃李くんは若手のなかでは好きな役者で、初の時代劇主役ということで、結港楽しみにしているものですから、まあ、良かったということにしておきましょう。

 

それにしても、「あの方」は本当に馬鹿なことをしたものです。逸材だったのに、

 

もったいない。残念。

 

 

 

映画『居眠り磐音』予告編。5月17日公開。

 

 

ところで5月17日といえばももクロ結成記念日でもあります。

 

今年の記念日には、5thアルバム、タイトルはズバリ『МOМOIRO CLOVER Z』が発売される日でもあります。

 

10年という節目を越えて、新たな門出となる11年目の記念すべき日であり、ニュー・アルバムの発売日が、新元号「令和」となった月にかさなるとは、なんと目出度いことか!

 

ももクロはやはり、

 

「持って」ますねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、同じく5月の25日には、映画「武蔵」が公開されます。

 

御馴染み宮本武蔵が主人公。今まで描かれてきた武蔵とは違う、より「史実」に近い武蔵を描くということで、随分丹念に調べた上で、物語を構築したようです。

 

今回特筆すべきは、武蔵のライバル佐々木小次郎です。佐々木小次郎といえば前髪姿の美少年といったイメージで描かれてきましたが、色々調べてみるとそうではないのではないか。実は50歳から70歳くらいの壮年もしくは老年の武士だったのではないかと言われるようになってきた。

 

その説に則り、今回の小次郎役には松平健さんが抜擢されています。

 

結構な「大人」の小次郎に最初こそ戸惑いましたが、これはこれで面白いかも。

 

宮本武蔵(新免武蔵)役には中村善彦。最近テレビドラマなどによく出演しているそうですが、なにせ私はテレビドラマをほとんど観ないもので、寡聞にして存じ上げませんでした。さて、どんな武蔵を見せてくれるものか。

 

その他出演は水野真紀。清水紘司。原田龍二。遠藤久美子。木之本亮。中原丈雄。半田健人。目黒祐樹。若林豪など。

 

 

巌流島の決闘もいままでとは違う描かれ方をするのでしょうな。さて、どんな映画に仕上がっているか、興味はありますが、

 

はたして、どうなることやら……。

 

 

映画『武蔵』予告編。5月25日公開。

 

 

5月には『ゴジラ・キング・オブ・モンスター』も公開されるし、元号は変わるし、映画に関しては、なかなか面白い月のようです。

 

まっ、映画に限らず、楽しく行きましょう。

 

楽しくね。


「切り放ち」にみる日本の心

2019-04-01 10:37:19 | 時代劇

 

 

 

 

 

「火事と喧嘩は江戸の華」などと申しますが、江戸の町は本当に火事が頻繁にありました。

 

時代劇によくありますね、火事になったとき、牢屋に入っていた囚人たちを一時的に開放するというシーン。あれは本当に行われていたことです。

 

 

事の起こりは明暦3年(1657)に発生した「明暦の大火」です。江戸市中の3か所から発生した火事は、江戸城天主閣をはじめ江戸市中の市街地をほぼすべて焼き尽くし、死者の数はおよそ10万ともいわれている大火災です。

 

この折江戸の小伝馬町にある老屋敷を取り仕切る牢屋奉行(囚獄)石出帯刀吉深は、独断で囚人たちを一時的に開放(切り放ち)することを決断します。

牢屋奉行は町奉行の配下であり、禄高は三百俵、身分は一応旗本ですが、お目見え以下つまり将軍との謁見はゆるされていない低い身分でした。

ですから「切り放ち」などという重要な決定を独断で下すなど、本来は許されません。手順としてはまず牢屋奉行から町奉行に答申し、さらには町奉行から老中にお伺いを立て、老中がこれを承認してはじめておこなわれるべきことです。しかしそんなことをしている時間はない。そんなまどろっこしいことをしている暇に、囚人たちは焼け死んでしまう。

 

いかに罪人とはいえ、生きたまま炎に巻かれるのを見過ごすわけにはいかない。

 

石出帯刀は切り放ちを行う際、囚人たち、期限内に必ず戻ってくるように云います

「戻ってきたならその報いは必ず行う。ただしもし戻ってこなかったなら、雲の果てまでも追いかけて必ず捕まえ、一族郎党に至るまで成敗する」と。

囚人たちは涙を流し、手を合わせて感謝したと伝えられています。

 

もしも囚人たちが戻ってこなかったら、御役御免だけでは済まされないかもしれない。最悪切腹、家名断絶ともなりかねない。

石出帯刀にとって、これは文字通り命がけの決断でした。

 

 

火事が終息した後、はたして囚人たちは戻ってきました。それも一人も欠けることなく

死罪の者も含めて、全員が戻ってきたのです。

 

これに感激した石出帯刀は、「このような義理堅い者たちを死罪に処するなど、後々国家の損失につながる」と、老中に全員の罪一等を減ずる処置を行うよう具申し、これが許され、帯刀は囚人たちの義理に報いることができたのです。

 

 

以後、火事の際の「切り放ち」は制度化され、江戸期を通じて行われ、明治以降、戦前に至るまで制度として残されていました。関東大震災や東京大空襲の際にも、この「切り放ち」は行われたそうです。

 

 

それにしても、囚人たちはよくぞ戻ってきましたね。囚人たちにしてみれば、命がけの越権行為で自分たちの命を救おうとしてくれた牢屋奉行の恩義には報いねばならないという思いがあった。

 

犯罪者には、裏社会にはそれなりの価値観、倫理観というものがある。たとえ犯罪者であっても、裏社会に属するものであっても、いや、むしろなればこそ、

約束は守る、義理は返す。必ず。

 

それが流儀。

 

とはいえ、囚人全員が約束を守ったというのは凄いことですね。この時代の日本人は概ねこうだったのかと思うと

 

なにやら、身震いするほどの感激を憶えます。

 

命がけで囚人たちを助けた牢屋奉行の「情」と、それに報いようとした囚人たちの「義」と。

 

義理と人情を量りにかけりゃ~♪なんて歌がありますが、義理も人情もどちらも大切にしていたのが、かつての日本人でした。

 

こうした日本人の「美しい」心、大切にしたいですねえ。


鬼平犯科帳 第1シリーズ 第11話 『狐火』

2019-02-20 05:01:50 | 時代劇

 

 

 

脚本 星川清司

監督 小野田嘉幹

 

 

 

火付盗賊改方長官、長谷川平蔵が、「銕三郎」を名乗っていた若い頃のこと。

 

妾腹の子であったこともあり、継母とそりが合わず随分と苛め抜かれた。これに反発した銕三郎は家を飛び出し、本所あたりの悪所に入り浸るようになります。

放蕩無頼の荒んだ生活を続け、やがて「本所の銕」と、その悪名を轟かせることになるのです。

 

その「本所の銕」時代によくつるんでいたのが、後に平蔵の密偵となる相模の彦十(江戸屋猫八)です。

その頃の平蔵は盗賊、鶴(たずがね)の忠助や、やはり盗賊の先代・狐火などとも親しく付き合っていました。その鶴の忠助の一人娘が、やはり後に平蔵の密偵となるおまさ(梶芽衣子)です。

 

 

長じたおまさは女賊となり、何人かのお頭の下で働きましたが、先代・狐火の下にあったとき、狐火の長男である勇五郎(速水亮)と恋仲になってしまいます。

仲間内の色事はご法度、これが狐火の掟、勇五郎は年老いた父親の教えに逆らえず、おまさを無理矢理仲間から追い出し、去って行ったのです。

 

あれから凡そ十年……。

 

 

 

 

 

市中探索に回っていたおまさは新宿(にいじゅく。当時は「しんじゅく」ではなく「にいじゅく」と呼んだ)の舟渡し場の茶店の主人が、狐火の配下である瀬戸川の源七(垂水悟郎)であることに気が付きます。これを聞いた彦十は「二代目狐火の盗人宿かもしれねえ」と推察します。

先代・狐火が亡くなったあと、跡目を継いだのは長男の勇五郎と風のうわさで聞いていたおまさ。狐火の盗み働きは「殺さず、犯さず、貧しき者からは盗らず」の盗賊三ヶ条を守り抜いたもので、二代目を継いだと噂される勇五郎は、先代の教えをよく守っていました。

 

しかし、江戸市中で残虐な強盗事件が発生します。商家に押し入った賊が店の者たちを皆殺しにし、しかもその場に

「狐火」と書かれた千社札を残していったのです。

 

あまりに残虐な犯行に怒りに震える平蔵。おまさは思わず叫びます。

「違う!これは狐火の仕業じゃない!」

 

いかに昔の縁があるとはいえ、このような外道を見逃すわけにはいかぬ。平蔵と勇五郎の板挟みとなったおまさは、平蔵にも知らせることなくしばらく一人で探索することを決意します。これを心配げに見守る彦十。

 

 

瀬戸川の源七の元へ探りを入れるおまさでしたが、源七はすでに足を洗い堅気になっていました。

勇五郎との糸が切れたかに思えたその時、

 

勇五郎が、源七のところに訪ねてきたのです。

 

かつて惚れ合った二人の、十年ぶりの再会でした。

 

「おまさ、おめえはちっとも変わらねえなあ」という勇五郎に

「いいえ、変わってしまいました、何もかも」と返すおまさ。

 

私は今、火付盗賊改方長谷川平蔵様の密偵、あなたを捕まえる立場。云うに言われぬおまさの苦衷が伝わってくる名シーンです。

 

 

勇五郎は自分の偽物が勇五郎の名を騙って外道働きをしていると云い、それは腹違いの弟、文吉(伊藤高)であることを告げ、これを探し出して諭し、いう事を聴かぬ時は殺すつもりだと打ち明けます。

 

おまさは源七とともに、文吉の隠れ家を探し、ついに文吉を見つけ出します。

 

文吉のもとへ単身乗り込む勇五郎。いまさら言う事を聞くはずもない文吉やその配下と激しい斬り合いとなります。

 

と、そこへ現れる平蔵。

 

「そこまでだ、みな神妙にしてお縄にかかれ」

「貴様だれだ!」

「火付盗賊改方長谷川平蔵!」

 

実は、おまさを心配した彦十が事の詳細を平蔵に打ち明け、平蔵は彦十や木村忠吾(尾美としのり)らとともに、おまさの動向を見張っていたのです。

 

次々と斬り倒される賊ども。勇五郎はその間に見事文吉を討ち果たします。

 

勇五郎に先代・狐火と縁があったことを告げる平蔵。

「昔のよしみで許してやる。京へ帰って堅気になって暮らせ。その代わり二度と盗みは働かぬという証文を置いて行け」

 

言うやいなや剣を抜き、勇五郎の右腕の筋を切り裂く平蔵。これで二度と盗みは出来ない。これが平蔵のいう証文でした。

 

「おまさ、勇五郎とともに暮らすならそれもよし、許して遣わす。その代わり、二度と俺の前に顔をだすなよ」

 

それはおまさへの、せめてもの餞でした。今まで命がけで働いてくれたおまさに対する、平蔵なりの思いやり。

好いた男と、幸せに暮らせよ。

 

去っていく平蔵。おまさは涙を流し、声にならぬ声で「ありがとうございます」という他ありませんでした。

 

 

それから1ケ月余り後ー。

 

 

平蔵が新宿の例の茶店を訪れると、そこに一人佇むおまさを見かけます。

 

聞けば勇五郎は、旅先の宿で流行り病のため、あっけなく身罷ったとのこと。

 

「おまさ、おめえもよっぽど、男運のない女だなあ」

 

おまさは平蔵に、もう一度平蔵の下で、密偵として働かせてくれと乞います。これに平蔵。

 

「へん!俺の事を捨てていったくせによお」

 

いたずらっぽくも、さも嬉し気に語る平蔵に、おまさは静かに微笑みます。

 

ー了ー

 


 

梶芽衣子さんが良いですね。いままで複数の女優さんがおまさを演じてきましたが、梶さんを越える方はおられませんね。

一見物静かで控えめな女性といった感じですが、その内側には熱く、鋭いものを秘めている。こうした感じがだせるのは、やはり「野良猫ロック」シリーズや「女囚さそり」シリーズ、「修羅雪姫」シリーズなどで一世を風靡した梶さんならではでしょう。

 

梶芽衣子さんの他におまさはいません。断言しちゃいます(笑)

 

 

 


ドラマ『闇の歯車』 平成31年(2019)

2019-02-13 05:04:06 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

 

藤沢周平原作によるピカレスク時代劇。藤沢周平にしては珍しいハード・ボイルド・タッチなドラマで、上手く映像化すれば面白い時代劇になり得たと思いますが、

 

さて。

 

 

 

江戸のうらぶれた居酒屋に集まり、特に会話もなく、それぞれが勝手に、店が看板になるまで飲み続ける、そんな男たちへ、声を掛けた男がいました。

「押し込みをやりませんか?」

 

伊兵衛(橋爪功)と名乗るその男は、言葉巧みに男たちを口説き、それぞれ事情を抱える男たちは、やがて伊兵衛の誘いに応じていく。

「裏稼業(殺し以外)」に手を染めた男、佐之助(瑛太)。

労咳の妻(実は駆け落ち)を抱える浪人、伊黒清十郎(緒形直人)。

デカいヤマを当てることばかりを考えている老人、弥十(大地康雄)

商家の道楽息子、仙太郎(中村蒼)

 

そして謎の男、伊兵衛。

 

 

彼らが押し込みを働く時刻は夜中ではない。彼らが狙う時刻は夕暮れ時。

一瞬、人通りがすべて絶える時間帯。いわゆる

「逢魔が時」であるー。

 


 

 

う~ん、今一つ入り込めなかったんですよねえ。

 

結局、人物の掘り下げ方が甘いんでしょうね。背景が見えてこないものだから、それぞれのキャラクターをどのように捉えれば良いのかがよく分からない。

瑛太さんなどは頑張っているんですけどね、目つきの鋭さや目の配り、立ち居振る舞いなどに裏の世界に手を染めている者の「唯ものでなさ」がよく出ていたと思うのですが、何故彼か裏の世界に足を踏み入れなければならなかったのかという背景がよく見えず、それぞれのエピソードを繋ぐ、この人物の「芯」が見えてこない。だからどういう人物と捉えれば良いのかわからず、感情移入が出来ないんです。

これは瑛太さんというより、演出、脚本のせいではないだろうか。

 

緒形直人さん演じる浪人にしても、労咳(結核)の妻を抱える辛さから逃げるために酒浸りになったわけですが、そうした苦悩や、駆け落ちの後ろめたさだとか、そういう気持ちの部分がまるで見えない。だから同情もなにも出来ないんです。それじゃダメだよね。

 

大地康雄さんもしかり、この老人は家族からも疎まれて居場所がない。だからデカいヤマを当ててみんなを見返してやろうと思うわけですが、やはりこの老人の背景がよく見えず、どう扱ったらよいのか分からない。

 

中村蒼くん演じる商家のドラ息子などはもう、話にならないという感じ。中村蒼くんはどこからみても、悪事に手を染めるようなドラ息子には見えない。真面目な美少年にしか見えず、役柄との乖離が甚だしいと言わざるを得ません。これは蒼くんのせいというより、キャスティングした側のミスでしょう。意外性を狙ったのかもしれませんが、全然ハマっていないものだから意外性もなにもあったもんじゃない。

 

 

このような体たらくのまま物語は進んで行くので、見ている側はまるで物語の中に入り込むことができない。困ったものです。

 

 

 

そんな中唯一見ごたえがあったのが、橋爪功さんの演技です。

 

橋爪さんは最初、ちょっと胡散臭いオッサンという感じで出てくるのですが、これが徐々に「悪い」顔になっていく。それにつれて話し方も高圧的なものに変化していくんです。

 

この段階を踏んだ役作りの見事さね。押し込みの際の目撃者を「殺れ」という声音の冷たさには思わず背筋が寒くなるほどの怖さがありました。

もうね橋爪功「演技品評会」といった呈で(笑)、橋爪ファンにはたまらないんじゃないかな。

 

流石としか言いようがありませんでした。結局橋爪さん一人が、おいしいところを持って行ったような感じですね。

 

 

題材が面白いだけに、もう少し脚本なり演出なりが上手く行っていたらなあ。その点がとても残念なドラマでした。

 

 

 

 

 

 

『闇の歯車』

原作 藤沢周平

制作 杉田成道

脚本 金子成人

音楽 遠藤浩二

監督 山下智彦

出演

瑛太

緒形直人

大地康雄

中村蒼

蓮佛美沙子

高橋和也

石橋静河

津嘉山正種

中村嘉葎雄

 

橋爪功

平成31年 時代劇専門チャンネル


忠臣蔵、知られざる「因縁」

2019-01-21 10:07:30 | 時代劇

 

 

 

 

忠臣蔵「事件」の発端となったのは、播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が勅使饗応役に任ぜられたことにあります。

勅使とは皇室から幕府に遣わされた使者です。徳川宗家は毎年正月に年賀の使者を皇室に遣わすのですが、それに対する返礼の使者が、毎年3月ごろに皇室より遣わされます。これを接待するのが勅使饗応役です。

 

皇室の使者を接待するわけですから、なにか不始末があれば幕府の体面を潰すことにもなりかねない大変なお役目です。ですからそのプレッシャーたるや相当なものだったに違いない。

 

 

ところで、この勅使饗応役に任命されたのは浅野内匠頭だけではありませんね、もう御一方あられます。

伊予吉田藩主・伊達左京亮です。

 

この伊達左京亮、忠臣蔵本編にはほとんど出てきません。浅野とは違って吉良上野介への進物が豪華だったとか、そんな話が出るくらいで、あとはほぼ登場しません。

なんで出てこないんだろう?私は常々疑問に思っていたんです。両家がもう少し協力し合っていれば、また展開は違っていたんじゃないかと。

 

なにか出てこれない事情でもあるのか?

 

 

このことと直接関係があるかどうか分かりませんが、実は浅野内匠頭の本家筋に当たる芸州広島浅野家と、伊達左京亮の本家である奥州仙台伊達家との間には、非常に強い「確執」があったんです。

 

 

 

ことの発端は戦国時代、豊臣秀吉による小田原北条攻めに遡ります。

秀吉は北条氏の立て籠る城、小田原城を取り囲み兵糧攻めにするのですが、その際全国の大名に参陣するよう触れを出しました。これに奥州の覇者伊達政宗は遅れて参陣します。その際正宗は真っ白な死に装束姿で秀吉の前に現れ、罰せられる覚悟を示します。この正宗の傾きぶりが秀吉に気に入られ、許されたというのは有名な話です。

この時、秀吉と正宗の中を取り持ったのが、豊臣家の重臣で五奉行の一人である浅野長政でした。

 

以来、正宗はなにかと長政を頼りとするのですが、この長政、あまり頼りがいのある人ではなかったようで、正宗が願うところのことをなかなかやってくれない。長年そんな状況が続き、とうとう堪忍袋の緒が切れた正宗は、長政との絶縁を宣言します。

以降正宗は徳川家康と急速に接近し、奥州仙台藩の初代藩主となります。浅野家は長政の息子の代に徳川家の家臣に仕え広島藩主となるわけですが、江戸時代を通して両家の確執は続いたままでした。

 

江戸時代を過ぎて明治、大正、昭和、平成に至り、両家が完全に和解したのは1994年のこと、発端から3~400年もの歳月が流れたあとのことでした。

 

 

ですから忠臣蔵事件のころは、浅野内匠頭の本家と伊達左京亮の本家とは絶縁状態だったわけです。本家筋にそういう事情がある以上、分家としてもそう仲良くするわけにはいかない。どうもそんな事情があって、内匠頭と左京亮との間に協力関係が築けなかったということなのかもしれません。

 

幕府は両家のそうした関係を当然知っていました。なのに何故わざわざ内匠頭と左京亮を組ませたのでしょう?幕府に悪意があったとは思われませんので、あるいはこれをきっかけとして、両家の和解を図ったのかもしれません。

実際幕府は、両家に対し和解するよう促したこともあるのですが、伊達家側がこれを受け付けず流れたという経緯もあったようです。

 

日本には「水に流す」という文化があることは周知のとおり。これは大変素晴らしい考え方だし、日本が世界に誇る文化だと思います。

しかし実際には、水に流すのは難しいようです。部外者は簡単に「水に流せ」と云いますが、実際にはそんな簡単なものではない。

 

人の心とは、そんな簡単に割り切れるものではありません。

 

私は日本人だし、日本が大好き、日本文化大好き人間ではありますが、日本文化至上主義者ではありません。日本人は言うほどには、

 

水に流しませんね。

 

ていうか、「流せない」のでしょうね。

それが人ってもんです。分かりもしない他人が、知った風なことを云うものではありません。

 

 

ともかく両家にはそんな経緯があった。しかしこのことは忠臣蔵の本筋とは関係のないことです。

ですから、忠臣蔵で伊達左京亮がほとんど登場しないのは、物語の中心となる浅野家との関係性を慮ってのこと、だったのかもしれません。伊達家としても、確執ある浅野家が中心となる物語に脇役として登場するのは面白くないでしょうから、そうしたことへの制作者側の気遣いが、左京亮の登場を控えさせた、ということなのかもしれませんね。

 

 

ところで、浅野内匠頭が切腹したのは、奥州一関藩主・田村家の江戸屋敷です。

 

この田村家、実は奥州仙台伊達家の親戚筋に当たるんです。

 

 

田村家は伊達政宗の正妻・愛姫(めごひめ)の実家です。田村家は一度滅亡しているのですが、実家が絶えたことを嘆いた愛姫が再興を願い、正宗と愛姫の孫が田村の名を継いで、一関藩主田村氏として独立したものなのです。

伊達政宗の血縁の者の江戸屋敷において、浅野長政の血縁の者が切腹する……なんだかちょっと震えがくるような因縁を感じます。

 

伊達左京亮と同様に、田村家当主・田村右京太夫も忠臣蔵にはほとんど登場しません。ここにも何かしらの配慮があったものかもしれません。

 

 

いずれにしろ伊達、浅野両家は3~400年掛かったとはいえ和解しました。これを契機として伊達家側からの視点で忠臣蔵を語るというのも、

 

面白いかもしれません。


名もなき人々の「視点」

2019-01-20 15:34:58 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

 

最近時間がなくてなかなか本が読めない。読めないのにどんどん買っちゃうので、読んでいない本ばかりが積みあがっていく。

 

この『火 みちのく一関忠臣蔵』もそんな本の内の一つ。一関藩は現在の岩手県一関市。東北の小藩と忠臣蔵にどんな関係が?と疑問に思うかもしれませんが、

 

実は赤穂藩主、浅野内匠頭が切腹したのが、この一関藩の江戸下屋敷だったんです。

 

松の廊下における刃傷事件があった日、たまたま江戸城に詰めていた一関藩主、田村右京太夫建顕にその御役が回ってきてしまったという事らしいですが、忠臣蔵本編では、この田村右京太夫はほとんど登場シーンがない。せいぜい名前がちょっとでるくらい。切腹の場所を提供したというのに、扱い悪いと思いません?

 

 

まあそれはともかく、本作ではその一関藩の江戸における重役・牟木平右衛門と赤穂藩士・富森助右衛門との交流を通して、地方の小藩の無名の人々の視点から見た、忠臣蔵を描いていく。

 

 

概要を聴いただけでワクワクしませんか?時代劇や歴史の好きな人ならば興味を引かれずには置かれない話だと思います。

 

著者である小野寺岺さんは一関市在住で、本小説の主人公は小野寺さんの御先祖なのだそうな。その御先祖が残した記録などを基に、当時の地方の小藩の人々のおだやかで慎ましい暮らしなどを描きつつ、日本人にとっての「家」とはなにか、親とは、子とはなにかを描いていく。

 

 

 

読んでませんが、早速映像化を希望します(笑)こういう地味だけど興味深い時代劇を作ってくれるのは、いまではNHKくらいでしょう。なにかと問題のNHKですが、ことドラマや時代劇に関しては、結構レベルの高いものを作ってくれます。

 

読んでないけどNHKさんに作っていただくということで、読んでないけど主人公には中井貴一あたりがよいかな。富森助右衛門には誰がいい?長谷川博己?斎藤工?NHKさんとは山本耕史とか相性がいいから、山本耕史くんとか、いいかもしれない。

じゃあ山本耕史くんで。

 

助右衛門の妻るんには、やはり武家の娘役といえばこの方、桜庭ななみちゃんとかいいかも。

よし、桜庭ななみちゃんで。

 

読んでないけど……(笑)

 

 

本当は映画化してくれたらもっと嬉しいんだけどね、現状では難しいかな。とりあえずはNHKさん、一つよろしく。

 

 

忠臣蔵「サーガ」に、また一つ新たな物語が加わりました。こうして忠臣蔵というのは時代とともに変化しながらも、永遠に伝えられていく物語なのでしょう。

忠臣蔵には元禄時代当時と、そして現代と、それぞれの「日本人」が描かれています。

 

忠臣蔵から見えてくる「日本論」「日本人論」。

 

興味ないなんて、もったいないかもよ。

 

 

なーんてごちゃごちゃ云っとらんと、早く読めって話だね(笑)

 

 

 

 

『火 みちのく一関忠臣蔵』

小野寺岺著

勝どき出版


明日待たるるその宝船

2018-12-20 05:20:49 | 時代劇






討ち入り前夜、赤穂浪士・大高源吾はある橋のたもとで俳人・宝井其角と出会います。


歌会などを通して二人は顔見知りでした。


宝井其角は大高源吾に上の句を投げかけます。



「年の瀬や川の流れと人の世は」



これに対し、大高源吾は下の句を返します。


「明日待たるるその宝船」



お見事!と膝を打つ其角。二人は挨拶を交わし別れます。




【年の瀬や川の流れと人の世は明日待たるるその宝船】




大高源吾と別れた宝井其角は、この歌の意味の深い部分に気付き、ハッとします。



愈々、討ち入りを成されるか!









忠臣蔵は大筋の話の他に、赤穂浪士一人一人の物語があって、これが重層的に重なってサーガを形成しています。この大高源吾の逸話もそうしたサーガの一つ。


当時の武士の教養の高さが感じられて、好きな話なんですよね。



分かる人には分かる。伝わる人には伝わる。



大事を簡単に教えるわけにはいかないし、本音を明かすのは無粋というもの。だから仄めかす。その仄めかしを読み取れるか否か。



太田道灌の逸話、【七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき】に通じるものがありますね。



忠臣蔵というのはこのような、日本的な教養の在り様や、精神的情緒の深さを感じさせてくれるから、




だから好きなんだよなあ。






忠臣蔵って、時代劇って、



いいね。

元禄繚乱OP

2018-12-09 07:07:12 | 時代劇










1999年に放送された大河ドラマ『元禄繚乱』。この作品で大石内蔵助を演じたのは中村勘三郎(当時・中村勘九郎)さんでした。


勘三郎さん特有の軽さと明るさのある内蔵助で、でも討ち入りをするにあたっては果断ではあるがどこか悲し気で、大石内蔵助という男の中にある様々な葛藤、苦しみというものを、1年というスパンのなかで見事に演じ切っていました。


歴代の内蔵助の中で、勘三郎さん演じる内蔵助が一番好きかな。


あつ、でも、松本白鸚さんもいいなあ。もちろん里見浩太朗先生も(笑)




さて、今年も忠臣蔵のシーズンがやって参りました。今年もなにか、忠臣蔵について書きたいのですがね。




さて、なにを書こうか?

新作情報

2018-11-30 09:13:41 | 時代劇







『輪違屋糸里 京女たちの幕末』予告編

浅田次郎原作『輪違屋糸里』の映画化。幕末京都を舞台に、島原輪違屋の芸姑・天神糸里を主人公に、新撰組初期の事件、「芹沢鴨暗殺事件」を女たちの視点から迫っていく。

主人公、天神糸里に藤野涼子。糸里が恋焦がれる土方歳三には溝端淳平。芹沢鴨に塚本高史。

他、佐藤隆太。松井玲菜。新妻聖子。田畑智子。榎木孝明など。



溝端くんの土方歳三は見た目は悪くないですね。あとはどこまで凄みをだせるか。

榎木さんが松平容保公というのは、申し訳ないが年齢が高すぎますね。容保公はもっとお若い。まあ、時代劇には在りがちな事ですが……。


12月15日公開。









『居眠り磐音』予告編


佐伯泰英原作による大ベストセラー・シリーズ『居眠り磐音』シリーズの映画化。江戸を舞台に、昼間はうなぎ屋で働き、夜は両替屋の用心棒を務めて日々の糧をしのぐ浪人・坂崎磐音の活躍を描く。

剣を構えた姿が「まるで居眠りをしている猫のようだ」と評されたところから「居眠り磐音」のあだ名を持つ、凄腕だが時代劇史上もっとも「優しい」と云える主人公、坂崎磐音を演じるのは松坂桃李。

他、木村文乃。芳根京子。中村梅雀。ピエール瀧。佐々木蔵之介など。


松坂桃李くんは若手の役者の中では好きな方だし、一見優しげだがその目の中に闇を感じさせる役者なので、この役には合っているかもしれない。これは面白いかも。芳根きょんちゃんも出てるし(笑)


2019年5月17日公開。




ともかくも時代劇が作られ続けることは良いことだとしておこう。大切な日本文化である時代劇を、


廃れさせるな!

映画 『散り椿』 平成30年(2018)

2018-10-09 11:24:02 | 時代劇












木村大作監督は「美しい時代劇」を撮りたいと言って、この作品を撮ったそうな。


「美しい」と一言で云っても、その意味はなかなか莫としていて掴み難い。



木村監督は元々カメラマンですから、映像を美しく撮るということもあるでしょう。家の障子を開ける度に、まるで日本画のように切り取られた風景。夏の緑が秋を迎えて赤く染まり、冬の訪れとともに真っ白な雪景色が広がる。日本の四季折々の、大自然の美しさ。、




しかしそれだけではありません。この映画で描かれているのは、人の心の美しさです。



日々誰かを思いやり、自分のためよりも誰かのために、覚悟をもって生きている。


そんな人々の物語。




岡田准一演じる主人公、瓜生新兵衛は、藩の上層部の不正を訴えますが聞き入れられず、妻・篠(麻生久美子)をともなって脱藩します。藩の上層部が放った刺客に狙われながらも、慎ましい暮らしを続けていた二人でしたが、やがて妻は病気のため他界。妻の遺した言葉に殉じるため、新兵衛は国元へ帰ります。

国元では、藩の実権を握り、私腹を肥やしている家老、石田玄蕃(奥田瑛二)と、その不正を糺し、御政道を改めようとする側用人・榊原采女(西島秀俊)とが対立していました。采女は新兵衛の旧友であり、采女はかつて篠に想いを寄せていたのでした……。




見どころはなんといっても岡田准一の殺陣です。伝統的な時代劇の殺陣を踏襲しながらも、現代的なアクションに通じる斬新さがある。その剣裁きはとてもスピーディーで、木村監督をして「三船(敏郎)さんより速い!」と言わしめたほど。

非常に実践的な殺陣で、刀を使うほかに拳で殴ったり、片手で相手の持つ刀を掴んで動けなくさせたりするのですが、これが実に力強い。拳で殴るときはズゴンというような、確実に相手を沈める殴り方をするし、刀を手で押さえつけるときのガシッといく感じとか、実に力強い。最近の漫画原作時代劇に有りがちな、軽いポーズみたいなアクションとは根本が違います。


またこれについていけてる西島秀俊も凄い。新兵衛と采女が剣を通じて「語り合う」シーンがあるのですが、岡田准一の素早い剣の動きに、西島秀俊がちゃんとついていってるんですね。まあ、岡田くんが多少の手加減をしているようにも見受けられますが、西島くんもそれなりに見栄えのする殺陣をちゃんと見せてくれていますから、大したものだと思います。



若手の俳優さんたち、頑張ってましたね。池松壮亮くんとか、ちゃんと武士に見える佇まいを見せていましたし、驚いたのは柳楽優弥くんです。申し訳ないですが私は今まで、柳楽優弥という役者の、やる気があるのかないのか分からないような演技が苦手でした。ですから勝手に、侍役なんかできないに違いない、殺陣なんてできないに違いないとおもいこんでいたのですが

これが見事な「侍」になっていた。殺陣の動きや所作等実に素晴らしく、いやあ、参りましたという感じ。


柳楽くんは立派な役者でした。申し訳なかった。



役者さんそれぞれの役柄の配置の仕方も絶妙でした。新井浩文の持つ不穏な雰囲気ね。良い人とか悪い人とかではない、そこにいるだけで「不穏」な雰囲気を漂わせるこの役者さんの特色をうまくいかしていたし、一方で芳根京子ちゃんがでてくると、そこにいるだけでシーン全体がほっこりした雰囲気になる。

この辺り、上手かったですね。




そして家老、石田玄蕃を演じた奥田瑛二の重厚さ。最近は悪役ぶりがすっかり板についた感がありますね。







伝統的な時代劇の所作などを踏襲しながら、この映画ではそうした伝統的な型をわざと崩していきます。型を知った上での「型破り」をおこなっているんですね。これが斬新なんだ。

冒頭、新兵衛と篠の夫婦が縁側で寄り添っている。その密着の仕方が、今までの時代劇にはあり得ないくらいに「近い」んです。でもそこに違和感はない。ちゃんと時代劇になっているのだから面白い。

池松くんが廊下を全速力で走るシーンとか、今までの時代劇で廊下を走るってなかったでしょ?これも新しいし、その池松くんが枯山水の庭を走り抜けて、若殿の下へはせ参じるなど今までの時代劇ではやはりあり得なかった。

大体、枯山水の庭に足を踏み入れるなど、本来は切腹ものの重罪なんです。そこを敢えてやっちゃうところに、木村監督の思い切りのよさがある。これくらいまでなら、違和感はないだろうという計算もあったのでしょうね。


伝統を継承しながら革新していく。このバランス感覚こそが、文化を後世まで伝えて行く要なんです。木村監督はよくわかってらっしゃる。


木村監督みたいな演出家がもっと沢山いれば、時代劇の未来は明るいんだが……切実に思いますね。





全体的によくできた映画だと思います。ただ若干の不満を申し上げれば、豪雨の中での殺陣は二回もいらないと思ったし、ラストの黒木華ちゃんのセリフが長すぎたかなという感じだったかな。 


黒木華ちゃん、頑張ってました。素晴らしかったと思います。ただラストはもうちょっとセリフを削って、情感で見せていくような演出はできなかったものかと思ってしまいます。まあこれは、私の個人的な好みの問題ですかね。


それとナレーション。あれ個人的には要らないと思いましたね。無くてもわかりますよ。



でも全知的に見れば、やはり良い映画だったと思います。この作品が今後の時代劇を作る上での、一つの「範」のようなものになればよいなと、


そう思いました。






映画『散り椿』予告編









『散り椿』
制作 市川南
原作 葉室麟
脚本 小泉慧史
   木村大作
音楽 加古隆
殺陣 久世浩
   山田公男
   岡田准一
撮影・監督 木村大作

出演

岡田准一

西島秀俊

黒木華

池松壮亮

新井浩文
駿河太郎

矢島健一
蛍雪次郎
柄本時生

芳根京子

柳楽優弥

渡辺大
筒井真理子

石橋蓮司

緒形直人

麻生久美子


ナレーター・豊川悦司


富司純子


奥田瑛二

平成30年 東宝映画







「大切なものに出会えたら、それだけで幸せだと思っている」
瓜生新兵衛