荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『もうひとりのシェイクスピア』 ローランド・エメリッヒ

2013-01-09 23:41:43 | 映画
 シェイクスピアの作品をじっさいに書いたのは別人だったという根強い説を敷衍して、登場人物の現れ方・消え方が小気味よく、なかなか愉しい宮廷陰謀劇をでっち上げたのは、『インデペンデンス・デイ』などSFパニック大作で財を築いた、ドイツ・シュトゥットガルト出身のローラント・エメリッヒである。
 『アマデウス』におけるサリエリのような、天才の出現におののきつつ「すべてを目撃した証人」として、当時の代表的な劇作家のベン・ジョンソン(セバスティアン・アルメスト)が召喚され、「処女王」エリザベス1世(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)、冷血宰相ウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)、そして「真のシェイクスピア」オックスフォード伯エドワード(リス・エヴァンス)など、実在の人物を絶妙な配置地図のもとに置き直し、ゲーム性豊かな歴史ミステリーを構築する。
 グローヴ座などエリザベス朝時代の円筒形をなした劇場の内部をぐいっとした仰角のパンで見せてくれたり、『ハムレット』上演中の降雨が観客の頭を濡らしたりするのは浮き浮きさせられるし、泥土と汚水にまみれたロンドンの市道、曇天に鈍く光るテムズ川、テューダー朝の隠然たる宮廷、ベン・ジョンソンやシェイクスピアたちがたむろする猥雑な居酒屋、オックスフォード伯が覆面の劇作家としてせっせと傑作戯曲を書き続けた書斎のようすなど、空間の見せ方に非常なる豊饒さをたたえている。
 時制の扱いが妙にシェイクされ、説話構造が不必要に複雑化しているのは、いつものSFパニック大作とはちがって、「作家性が試されている」とエメリッヒ以下、彼のブレーンが力んでしまったせいだろう。こういうのはしたり顔でやられると救いようがないが、もう少し単純に作ってもよかったのではと感じる程度で、嫌みなものではないし、シリアスな覆面を被った1個のゲームと捉えれば気にはならない。詩=演劇という火遊びが血なまぐさい事件の契機となり、またその事件の血の匂いが、あらたな詩=演劇の材ともなる。ケネス・ブラナーのようにシェイクスピアの戯曲そのものを「公式」的な感覚で映画化するより、こういう異説を活用して外伝的な歴史ミステリーを撮りあげるというほうが、映画としてのいかがわしい面白味が出る。


TOHOシネマズシャンテ(東京・日比谷)ほか全国で公開
http://shakespeare-movie.com


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