荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

美々卯での記憶 覚書

2014-11-27 01:04:36 | 映画
 京橋「美々卯」の前を通りがかる。こんな寒い日は、うどんすきに熱燗なんてやったらさぞかし暖まっていいだろうが、我慢、我慢である。フィルムセンターで千葉泰樹を見るのが先決だからである。京橋の「美々卯」といえばここで、パスカル・ボニゼール、梅本洋一、坂本安美、私の4人で『アンコール』のTIFFコンペティション無冠残念会をやった思い出がある。1996年の秋だった。もう18年も前のことになってしまうのか。
 TIFFの会期中にボニゼールは、デビュー作『豚が井戸に落ちた日』を携えてきた韓国の新人監督ホン・サンスと仲良くなっていたらしい。ホン・サンスもその残念会に参加したそうにも見えたが(ホン・サンスも無冠に終わった)、あの頃はまだその若者が何者かよく知らず、東急Bunkamura前の通りで、4人だけでタクシーを拾ってしまった。大変失礼なことで、あの瞬間も私たちの心は曇ったが、私はそのことが依然として気にかかっている。とはいえ、いまや世界的な大監督になられたホン・サンスに、この小事を詫びる機会はもうあるまい。
 「美々卯」のあと、飲み足りないので、ボニゼールの宿泊するホテル西洋銀座のバーで飲み直した。押しも押されもせぬリヴェットの脚本家なのだから、TIFFの選考結果なんぞさして関心なかろうとこちらは勝手に思いこんでいたが、ボニゼール本人は意外なほど落ち込んでいる。やっぱり作家ってそういうものだよなと、改めて思った。
 そのホテル西洋銀座も今や解体中である。幼少期から少年期にいたる「テアトル東京(およびその地下にあった名画座のテアトル銀座)」の思い出がまずあり、そのテアトル東京の建物が壊され、次いで青年期における「ホテル西洋銀座」およびその3階の「銀座セゾン劇場(のちの「ル テアトル銀座 by PARCO」)」、5階の「銀座テアトル西友(のちの「銀座テアトルシネマ」)の思い出がある。現在解体中のこの建物、どうなるのであろうか? この地は、70年間にわたって映画館があった地である。その命脈もこんどばかりは途絶えてしまうのかもしれない。今年は日本橋にTOHOシネマズの9スクリーンがオープンして、有楽町については、ニュー東京ビルが取り壊されるらしい件を除けば、とりあえず健在である一方、その中間にある新橋、銀座、東銀座が、いつの間にか映画不在の地になりつつある。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿