荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『領域』 パトリック・シハ

2011-09-11 10:12:52 | 映画
 この作品の監督パトリック・シハの母国であるオーストリアの高地。リゾート・ホテルを改造したとおぼしきアルコール依存症患者のためのサナトリウムは、アルプスの山間に建ち、雪化粧をほどこした斜面が、午後の陽光を浴びて切なく薄い黄色に光る。
 あれほど野性的な誘惑の力に溢れ、油断のならない存在であったベアトリス・ダルという女優が、どうにもならないほど悄然とした姿をさらすのをじっと眺め続けるというのは、つらいというかうれしいというか、どこか変態的な映画体験となってくる(あたかも溝口健二の『折鶴お千』における山田五十鈴のように!)。彼女が演じるナディアという女性は数学者として紹介されているものの、数学と相対することはほとんどない。学生相手に教鞭をとることもない。数学者というあいまいなレッテルだけが、幽霊のように一人歩きしている。

 シュヴァルツバッハなるオーストリアの数学者(ベルント・ビルクハーン)を迎えた学会の打ち上げ明けなのだろう、真夜中の河畔でシャンパンを空にする男女グループの浮かれぶりには、これといって崩壊の予感はなく、むしろ男子高校生ピエール(イザイエ・シュルタン)の自意識の殻から抜けきれない様子だけが、微笑ましく強調されるのみだ。彼らの会話に頻出するゲーデルはオーストリアの数学者であり、どうやらゲーデルを信奉しているナディアは、「数学によって世界は十全に把握され、秩序づけることができる」と誇らしく宣言していた。
 しかし、宴の主役であるシュヴァルツバッハ氏はこれ以降、姿を消してしまう。シュヴァルツバッハ(Schwarzbach =黒い小川)という不吉な名前をもつ数学者の不在を埋めるように、ピエールとナディアは公園の森を奥深くまで歩き、漆黒の街をタクシーにも乗らずに彷徨する。
 この「黒い小川」という符牒が、ラストのサナトリウム敷地内における悄然とした、そしてわずかながらも復調の予感を漂わせる森での彷徨へと、遙かに接続されることはまちがいあるまい。映画のタイトル『領域(Domaine)』というのは、犯されていく心の内部を指し、また漆黒の森を指し、さらには死へと通じる液体を底なしに受け入れるベアトリス・ダルがクローゼットから取り出してみせるドレスの黒い布地を指し示しているのだろう。


本作は、東京日仏学院(東京・市谷船河原町)で開催中の《第15回カイエ・デュ・シネマ週間》にて上映
http://www.institut.jp/


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