荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ノンフィクションW『映画人たちの8月15日』

2011-09-09 02:21:33 | ラジオ・テレビ
 WOWOW『ノンフィクションW』の枠で8月8日と15日の二週にわたって放送された『映画人たちの8月15日』前・後編を、遅まきながら視聴した。「キネマ旬報」1960年8月下旬号で「15年前のあの日、日本の映画人たちがどこで何をしていたのか」という特集が組まれていて、戦後66年にあたる今日、当時の映画人たちによるそれらの言葉が、私たちの耳にどのような響きを響かせるかということを問い直す趣向の番組であった。エンド・クレジットを見たら、プロデューサーのうちひとりは私の大学時代の先輩で、竹藤恵一郎の8mm映画に主演(すばらしい作品だったが、残念ながら題名は失念)していた下温湯健だった。

 写真構成と映画の引用だけでなく、パステル画のようなアニメを挿入しながら、検閲によってカットを余儀なくされた稲垣浩の傑作『無法松の一生』(1943)の1シーンを再現していたのは、この番組の白眉だ。「車夫ごときが将校の未亡人をひそかにであろうとも慕うとは何ごとか」とずたずたにされた『無法松の一生』の中でもっともエモーショナルなシーンとなるはずだったと言われる、車夫・松(阪東妻三郎)が将校未亡人(園井恵子)に向けて、あともう少しのところで切ない胸中を吐露してしまいそうになるシーンが、(なんとカラーで)再現されたのだ(「奥様、俺の心は汚ねえです…」とまで白状してしまっているのだから、ほとんど吐露しきったようなものだが)。
 私が『無法松の一生』で何よりも感動的だと思えるのは、園井恵子が阪妻の胸中を知ってか知らずか、自分に対する生涯におよぶ好意あふれる便宜のかずかずを、すべて親切によるものと断ずることをやめようとしない、あの鈍感さなのである。ちなみに園井恵子という女優は、慰問劇団「さくら隊」のメンバーとして広島で公演期間中、原子爆弾によって被爆死している。新藤兼人の『さくら隊散る』や井上ひさしの戯曲『紙屋町さくらホテル』といった伝記的な作品もあるが、彼女たちが東京・下目黒の五百羅漢寺に祀られているのを、だいぶ以前に拝観したことがある。

 戦後15年にキネ旬のアンケートに答える形で書かれた、玉音放送を聴いた瞬間の映画人たちの涙と解放感は、ことのほか明るい。そういえば吉田喜重の『秋津温泉』(1962)における、あの「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…」という放送を聴いたばかりの新子(岡田茉莉子)が見せた号泣はまさに圧倒的かつ開放的なもので、映画史上に残る号泣であるのはまちがいない。アレクサンドル・ソクーロフの『太陽』では、玉音放送の録音技師が自害したことが侍従長によって昭和天皇に告げられていた。
 また大島渚が『わが青春に悔なし』(1946)について次のように述べていたことも思い出される。「山本嘉次郎の助監督をつとめたのち、戦争中に監督として出発した黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔なし』が、戦前・戦中の権力に対する激しい弾劾と、戦後日本への明るい希望に満ちていたのは当然である」。
 こうした「明るい希望」が、大震災と放射線物質の広範囲な汚染に苛まれている現代日本において、ノンフィクションという形をとって語られたとき、これをどのように受け止めてよいものなのであろうか。私としては、考えあぐねるしかないというのが正直なところである。


ノンフィクションW
http://www.wowow.co.jp/documentary/nonfictionw/
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