南米チリの新鋭監督パブロ・ララインが第4作として映画化したのは、同国出身で西ベルリンに亡命した左派小説家のアントニオ・スカルメタによる未上演の戯曲『国民投票(El Plebiscito)』である。1988年の秋、ピノチェト(Pinochet 1915-2006 スペイン語で正しくはピノチェ)による長期の軍事独裁政権に対する信任投票をめぐり、「Si(イエス)」か「No」かで国全体が揺れる中、No派の広報担当として雇われたCMプランナーが、「まるでコカコーラのコマーシャルのようだ」と軽薄な広告手法を非難されながらも、着実に一般市民の支持を得ていき、流行となったプロテストソングによって最終的にはピノチェ打倒を達成する、という近年まれに見るサクセス・ストーリーである。
主人公のCMプランナーを演じるガエル・ガルシア・ベルナルの細面のヒゲ面は、どこかイタリアのナンニ・モレッティを思い出させる。左派闘士としての熱血的な側面と、メランコリックにしてプラグマティックな側面が同居する。キャンペーンが徐々に奏功するなか、主人公の身辺が怪しくなり、小さな息子の無事がピノチェ支持派の暗躍によって脅かされる。進退窮まったCMプランナーは、息子の母親である元妻とその新恋人の家に息子を預けることにする。二人三脚で歩んできた息子は、母親とそのパートナーと共に新たな「パパ-ママ-ボク」の三角形を成立させてしまうのだろうか? ちなみに、左派闘士でなんども警察に暴行を加えられたりするこの元妻ベロニカを演じたアントニア・セヘルスは、チリ随一のスター女優であり、映画作家自身の妻である。心を折れさせるこの光景を相手の家の玄関でちらっと確認してから使命に向かうガエル・ガルシア・ベルナルのなんとも言えぬ凄惨な表情。カメラは彼、そして彼を取り巻く同志たち、そして彼の不倶戴天の敵にさえ平等である。
主人公の広告手法は勝利を収め、翌年にピノチェは大統領職を後任の民主派リーダーに明け渡す。上にも記したように、本作は近年まれに見るサクセス・ストーリーに向かって突っ走る。だが、国民投票の勝利をよろこぶ大群衆のシュプレヒコールが醸す祝祭感が画面を圧倒していくなか、主人公だけが勝利のよろこびをぐっと静かに噛みしめつつ、愛息を胸に抱きながらクールに群衆の喧噪から身を引き剥がそうとする。この姿勢もまた、ナンニ・モレッティのそれにそっくりである。
スペイン語圏では現在もなお、さまざまな民主化運動、独立運動、反独裁運動が熱い。偏狭にしてアナクロ、単細胞的な民族主義の品評会と化した現代の東アジアとは対極である。そして、ムーヴメントのど真ん中にバスク人が存在していることも確認しておかねばならない。本作を作った映画作家パブロ・ララインはバスク系である。プロデュースを担当した従兄のフアン・デ・ディオス・ララインはもちろん、原作戯曲の作者アントニオ・スカルメタも、はたまた彼らの標的である軍事独裁政権の首領アウグスト・ピノチェその人もまたバスク系である。
以上のような背景を念頭に置いて本作を見ていただきたい。1980年代に主流だった放送用のビデオフォーマットであるソニーの「U-matic」(テープ幅が3/4インチであったことから当時は “シブサン” と呼ばれていた)の、今にしてみればなんとも不体裁な画質。本作はこの当時の画質にオマージュを捧げているのか、当時の報道素材、広告映像のシブサン画質のみならず、本編部分までシブサン並みの汚さである。映画芸術が100年来追究してきた映像というものの輝きに反したこの汚さは支持しがたいが、それでも本作の作者の未来を信じられる脈動が波打っている。
ヒューマントラストシネマ有楽町(東京・有楽町イトシア)ほか全国順次上映
http://www.magichour.co.jp/no/
主人公のCMプランナーを演じるガエル・ガルシア・ベルナルの細面のヒゲ面は、どこかイタリアのナンニ・モレッティを思い出させる。左派闘士としての熱血的な側面と、メランコリックにしてプラグマティックな側面が同居する。キャンペーンが徐々に奏功するなか、主人公の身辺が怪しくなり、小さな息子の無事がピノチェ支持派の暗躍によって脅かされる。進退窮まったCMプランナーは、息子の母親である元妻とその新恋人の家に息子を預けることにする。二人三脚で歩んできた息子は、母親とそのパートナーと共に新たな「パパ-ママ-ボク」の三角形を成立させてしまうのだろうか? ちなみに、左派闘士でなんども警察に暴行を加えられたりするこの元妻ベロニカを演じたアントニア・セヘルスは、チリ随一のスター女優であり、映画作家自身の妻である。心を折れさせるこの光景を相手の家の玄関でちらっと確認してから使命に向かうガエル・ガルシア・ベルナルのなんとも言えぬ凄惨な表情。カメラは彼、そして彼を取り巻く同志たち、そして彼の不倶戴天の敵にさえ平等である。
主人公の広告手法は勝利を収め、翌年にピノチェは大統領職を後任の民主派リーダーに明け渡す。上にも記したように、本作は近年まれに見るサクセス・ストーリーに向かって突っ走る。だが、国民投票の勝利をよろこぶ大群衆のシュプレヒコールが醸す祝祭感が画面を圧倒していくなか、主人公だけが勝利のよろこびをぐっと静かに噛みしめつつ、愛息を胸に抱きながらクールに群衆の喧噪から身を引き剥がそうとする。この姿勢もまた、ナンニ・モレッティのそれにそっくりである。
スペイン語圏では現在もなお、さまざまな民主化運動、独立運動、反独裁運動が熱い。偏狭にしてアナクロ、単細胞的な民族主義の品評会と化した現代の東アジアとは対極である。そして、ムーヴメントのど真ん中にバスク人が存在していることも確認しておかねばならない。本作を作った映画作家パブロ・ララインはバスク系である。プロデュースを担当した従兄のフアン・デ・ディオス・ララインはもちろん、原作戯曲の作者アントニオ・スカルメタも、はたまた彼らの標的である軍事独裁政権の首領アウグスト・ピノチェその人もまたバスク系である。
以上のような背景を念頭に置いて本作を見ていただきたい。1980年代に主流だった放送用のビデオフォーマットであるソニーの「U-matic」(テープ幅が3/4インチであったことから当時は “シブサン” と呼ばれていた)の、今にしてみればなんとも不体裁な画質。本作はこの当時の画質にオマージュを捧げているのか、当時の報道素材、広告映像のシブサン画質のみならず、本編部分までシブサン並みの汚さである。映画芸術が100年来追究してきた映像というものの輝きに反したこの汚さは支持しがたいが、それでも本作の作者の未来を信じられる脈動が波打っている。
ヒューマントラストシネマ有楽町(東京・有楽町イトシア)ほか全国順次上映
http://www.magichour.co.jp/no/
単に粗悪な上映素材なのではないでしょうか。なかなか見られない映画作家の作品が公開されるのはうれしいことですが、せっかくなので、上等な上映環境で見たいものですね。