荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『広場の孤独』 佐分利信

2014-10-23 04:22:29 | 映画
 1950年から59年までの9年間に14本ほど撮られた佐分利信の監督作品のうち、9本も含まれた今回のシネマヴェーラ渋谷のイベントで、『心に花の咲く日まで』(1955)をのぞく8本の上映が済んだいま、「サブリ・シン」という、不気味きわまりない映画作家の名を記載し直すのは、映画史の喫緊の課題となった。佐分利信という映画人が、小津映画で余裕しゃくしゃくのセクハラ親父を演じる役者に甘んじた存在ではないことが、まざまざと白日の下にさらされたのである。
 それにしても、堀田善衛の芥川賞受賞作を映画化した『広場の孤独』(1953)のドス黒さは、いったい何なのだろう。ひと言で言って、この作品はヤバすぎる。こんな身近なところに、キム・ギヨンを凌駕するヤバい映画作家がいたとは。『広場の孤独』は『玄界灘は知っている』よりヤバいし、『慟哭』は『下女』よりヤバい。ようするに緊急事態なのである。

 東京・有楽町の新聞社を舞台に、朝鮮戦争の戦況、およびスターリンの死亡説で色めきだつ国際面の記者たちの狂騒的な日常を描く。そこに、朝鮮帰りのアメリカ人ジャーナリストの情けないバースデー・パーティがあったり、ティルピッツ男爵なる謎のオーストリア貴族が極秘裏に来日して、神奈川県大磯の吉田茂首相の近所に邸宅をかまえ、バラの品種改良を隠れミノに謀略に励んでみせたり(この神出鬼没にして日本語堪能なオーストリア貴族は、右翼団体にも労働組合にも資金を提供しつつ、ダンスホールに非合法のカジノを設けるなど、日本社会をいいように手玉に取るのだ)、これは従来の日本映画スケールを軽く凌駕している。作品中、銃声は一発しか聞こえないが、これはれっきとしたフィルム・ノワールであって、いや、これほど率直な政治的フィルム・ノワールはアメリカにおいてさえないのではないか? エイブラハム・ポロンスキーの『悪の力』も、ジョセフ・ロージー『緑色の髪の少年』、ロバート・アルドリッチ『ガーメント・ジャングル』も、率直さでは『広場の孤独』に道を譲らざるを得ない。
 ラスト、アメリカ人ジャーナリストが博多空港のタラップで吐く「朝鮮半島は板門店で手打ちになったから、もう興味がないよ。お次はホー・チ・ミンの仏印さ。“朝鮮、仏印の次は日本” なんてことにならないように、君たち、気をつけてな」なんていうセリフは、製作当時の1953年の段階では生々しすぎる。
 そして、社の方針と自身の正義感のあいだで揺れる新聞記者(佐分利信)の妻を演じた高杉早苗の妖艶にして、怒りに満ちた美しさもまた、これは日本映画の閾ではない。ウォン・カーウァイも真っ青のメランコリー、デカダンスが支配する。高杉早苗(香川照之の祖母にあたる)ってこんなにすごい女優だったのか、と思わざるを得ない。この人は戦前が全盛期だが、戦後もこういうものがあるとは。上海育ちの女で、コスモポリタンといったら聞こえはいいが、とにかく日本嫌いで、南米移住を夢見て、オーストリア貴族の金づるの罠にズブズブとはまっていく。新聞社ではキレ者でならす佐分利信も、家では指をくわえてデカダンな妻の暴走をただ見守るしかない。佐分利信のマゾヒズムここに極まれり。政治的陰謀劇、フィルム・ノワール、ファミリー・メロドラマが渾然一体となり、大小のスケール感がすさまじい差異をうみだして、見る者にめまいを起こさせるのである。


《日本のオジサマII 佐分利信の世界》はシネマヴェーラ渋谷(東京・渋谷円山町)にて10/31(金)まで
http://www.cinemavera.com/


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (橋脇隆)
2014-10-23 09:08:06
そんなに凄いんですか!! 観てみたい~!! 間に合うかなぁ。
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Unknown (橋脇隆)
2014-10-24 17:39:01
もう観れないよーです…。残念。WOWOWで放送してくれないかしら、佐分利信監督特集。
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佐分利信 (中洲居士)
2014-10-25 12:53:51
WOWOWでやってくれたらいいですね、佐分利信特集。今回はすっかり監督作にはまりましたが、大庭秀雄の『帰郷』なんかもかなり異様な作品でした。
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Unknown (けもの道)
2014-10-28 22:42:04
写真は原節子では?
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Unknown (中洲居士)
2014-10-29 00:13:05
けもの道様

やっぱり、なんかぜんぜん違うぞとは思っていました。あまりにもいい写真だなあと吸い込まれていってしまった一人の男が迷子になったのだと思ってくださいませ。
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