荻野洋一 映画等覚書ブログ

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スーザン・ソンタグ 著『イン・アメリカ』

2017-01-01 01:43:31 | 
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、全米の劇壇で活躍したシェイクスピア悲劇の伝説的な女優ヘレナ・モジェスカ(1840-1909)の生涯にインスピレーションを受け、モジェスカと同じポーランドに一族の出自をもつスーザン・ソンタグが小説にしている(邦訳 河出書房新社)。
 1861年、ポーランドで劇壇デビューして以来、母国ポーランドの劇作家による戯曲はもちろん、ドイツ語、フランス語、英語を駆使し、あっという間に地元のクラクフとワルシャワでトップ女優に上りつめたが、ワルシャワ帝国劇場の終身契約をあっさり破棄し、1876年、アメリカへの移民を決意する。当初は、天候のいいカリフォルニア州アナハイムで、夫のフワポフスキ伯爵と共にワイン農場の経営にがんばるが、貴族経営の限界で、すぐに失敗。翌1877年、みずからの宿命にもはや観念したのか、西部第一との誉れ高いサンフランシスコのカリフォルニア劇場で、エルネスト・ルグヴェのフランス悲劇『アドリエンヌ・ルクヴレール』で主演デビュー。たちまち全米一の女優となり、シェイクスピア、イプセンなどを演じつづける。
 ソンタグは彼女の生涯を換骨奪胎し、一篇の大ロマネスクに仕上げることに成功している。史実とフィクションを上手に混ぜ合わせ、と同時に、のちに『クォ・ヴァディス』(1895年刊)で世界的文豪に上りつめ、その10年後にノーベル文学賞を受賞することになるヘンリク・シェンキェヴィチを、リシャルト(米国名ではリチャード)の仮名で捏造的に登場させ、ヒロインに恋する年下のツバメをやらせている。このロマネスク的捏造によって生み出されるパッションを、元来は批評家肌のソンタグが体得しているというのは、驚くべきことだ。ユージーン・オニールによってアメリカ近代演劇が始動する前夜の、まどろみのような劇壇における生き生きとした、一女優の冒険と苦闘が、まさに小説そのものとして浮かび上がる。


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