荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『緑はよみがえる』 エルマンノ・オルミ

2016-02-15 23:15:45 | 映画
 ロンバルディア州出身のエルマンノ・オルミ監督は徹頭徹尾、北イタリアのアンチ地中海的な風土と共にある。同州中部の都市ベルガモで生まれ、やがて同州最大都市ミラノで活動することになる彼は、まず北イタリアの電力会社エディソンに就職し、水力発電などについてのドキュメンタリーを40本も撮っている。フランスのヌーヴェルヴァーグと同世代の彼は、やや遅れて1978年の『木靴の樹』で確固たる地位を築いた。
 しかし、私が作って1994年に中野武蔵野ホールで公開してもらった16ミリ短編に出演してくれた某イタリア人女性いわく、「エルマンノ・オルミは真のイタリアを写していない」「『木靴の樹』はイタリア映画ではない」とのことだった。われわれ外国人には見当もつかぬリアリティ論議だが、確実に言えることは、真のイタリアが描かれていようといまいと、『木靴の樹』が規格外の傑作であること、そして多少の好不調はあったにせよ、オルミが近作の『ポー川のひかり』(2006)、『楽園からの旅人』(2011)に至るまで、すばらしい映画をいまなお作り続けている、ということである。
 最新作『緑はよみがえる』は、第一次世界大戦の激戦地として知られるヴェネト州の山深いアジアーゴ高原の塹壕をもっぱら舞台とする。大戦末期の雪深いこの地で、兵士たちの体力、気力は限界に来ている。南イタリアのナポリ出身の陽気な兵士がカンツォーネを朗々と歌いあげ、敵のオーストリア帝国軍の兵士からも喝采の声が飛ぶシーンで、いきなり惹きつける。美に対する感受性が、敵と味方を結びつける。ジャン・ルノワール『大いなる幻影』(1937)のごとき人間性の謳歌であったが、それは長くは続かない。
 あとは、食糧配給、内地からの手紙、本部による理不尽な作戦命令、敵からの一斉砲火、塹壕爆発と、精神的なショックが延々と続く。塹壕の受難についての映画、敗走についての映画。つまり戦争映画によくある、占領地の中心に自国の国旗を打ち立てるとか、そんな痛快なものはいっさい写っていない。逃げ道のない恐怖と悲しみが、登場人物たちをひたすら痛めつける。そして、「戦争映画は活劇だ」みたいなことを得意げに吹聴する輩のクリシェを、本作は静かに撃つだろう。


4/23(土)より岩波ホール(東京・神田神保町)で公開予定(旧作『木靴の樹』も3/26よりリバイバル公開予定)
http://www.moviola.jp/midori/(緑はよみがえる)
http://www.zaziefilms.com/kigutsu/(木靴の樹)


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