イングマール・ベルイマン『ある結婚の風景』(1973)のオリジナル全長版が、NHK-BSにて3夜連続で放送された。これは、非常に有難かった。映画版に先だって製作されたテレビ用の連続ドラマで、全6話を合計すると約5時間におよぶ。
少しの例外をのぞいたほとんど全シーンが、リヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソンのダイアローグのみで成り立っており、結婚10年目を迎えたおしどり夫婦が、どのように関係をこじらせ、別離に至るか、ということだけがネチネチとカメラでおさめられている。
しかしながら、長丁場を乗りきるために、さしたる忍耐も努力も必要としない。苦悶する主人公夫婦には申し訳ないが、透明人間になりきっている私たち視聴者にとっては、あまりのおもしろさのために、片時も目が離せないからである。「さて、今夜はどんな始まりかたをするのかしら」と導入部の確認だけをしようと思って、就寝前に録画をちょっと再生すると、ズルズルとエンディングまで見てしまう結果となる。そして次回が待ち遠しくなり、寝付けなくなってしまうのだ。
最終話では、離婚が成立して数年が経過し、おのおの別の家庭を築いた元夫婦が、久しぶりに再会し、友人の別荘で「再-不倫」に興じるが、この奇妙な平穏さは、「ヨリを戻した元夫婦」ごっこを演じているに過ぎないゆえの平穏さである。高慢、不誠実、エゴイズム、ニヒリズム、被害者意識、愛の持続の不可能性などが、ベルイマン的としか言いようのない執拗さでえぐるように語られた後にぽっと出てくる、悲しく滑稽な戯画。
このオリジナル全長版を見たあとに、2人の老後の再会をHDカメラでおさめた半-続編『サラバンド』(2003)をすぐに見直すと、感慨もひとしおとなる。
少しの例外をのぞいたほとんど全シーンが、リヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソンのダイアローグのみで成り立っており、結婚10年目を迎えたおしどり夫婦が、どのように関係をこじらせ、別離に至るか、ということだけがネチネチとカメラでおさめられている。
しかしながら、長丁場を乗りきるために、さしたる忍耐も努力も必要としない。苦悶する主人公夫婦には申し訳ないが、透明人間になりきっている私たち視聴者にとっては、あまりのおもしろさのために、片時も目が離せないからである。「さて、今夜はどんな始まりかたをするのかしら」と導入部の確認だけをしようと思って、就寝前に録画をちょっと再生すると、ズルズルとエンディングまで見てしまう結果となる。そして次回が待ち遠しくなり、寝付けなくなってしまうのだ。
最終話では、離婚が成立して数年が経過し、おのおの別の家庭を築いた元夫婦が、久しぶりに再会し、友人の別荘で「再-不倫」に興じるが、この奇妙な平穏さは、「ヨリを戻した元夫婦」ごっこを演じているに過ぎないゆえの平穏さである。高慢、不誠実、エゴイズム、ニヒリズム、被害者意識、愛の持続の不可能性などが、ベルイマン的としか言いようのない執拗さでえぐるように語られた後にぽっと出てくる、悲しく滑稽な戯画。
このオリジナル全長版を見たあとに、2人の老後の再会をHDカメラでおさめた半-続編『サラバンド』(2003)をすぐに見直すと、感慨もひとしおとなる。
ベルイマン監督の作品は、昔々『野いちご』と『処女の泉』を観ただけですが、『叫びとささやき』や他の作品も観てみたい…と思います。
“愛の持続の不可能性”と言う言葉には、深く頷いてしまいます。結婚も恋愛も、ラブラブは最初の半年から一年位で あとは忍耐・惰性・諦めの境地ではないでしょうか?
江さんのおっしゃるとおりで、あとは持続のためのテクニックを、欺瞞と礼儀でうまく調整していく、という感じでしょうか。
映画でもだいたいにおいて、「ラブラブ」な状態を描いても退屈なだけであって、「忍耐・惰性・諦めの境地」のほうがはるかにおもしろい。ベルイマンはずばりこれですね。「忍耐・惰性・諦め」がどうもできない往生際の悪い人たちの七転八倒が、ベルイマン映画を高熱に活気づけていると思います。そうでない作品もありますが。
ヨセフソンは1923年生まれですが、ベルイマンとの交友は1930年代にまで遡るらしいですね。まず舞台での協働作業があり、1946年の『われらの恋に雨が降る』が初のベルイマン映画への出演。たがいの遺作である『サラバンド』までなんと60年近く、14本のベルイマン映画に出演していますから、息が長い関係性です。また彼自身にも1978年に共同監督作"One and One"と1980年に監督作"Marmalade Revolution"というのがあるようです。