荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『トスカーナの贋作』 アッバス・キアロスタミ

2011-04-12 20:57:06 | 映画
 本作はイタリア、トスカーナ地方の都市アレッツォとその周辺で撮られている。とても中世的な景観をもつことで知られるこの街から、あるカップルが車を少し走らせて、郊外の村を訪れる。アッバス・キアロスタミの手にかかると、トスカーナの古村が、彼の諸作にあらわれたイランのさまざまな地方都市と同類の、魅惑的でいながら少しばかりとげとげしいあの独特の空気に包まれてしまうのだから、まことに不思議である。道はか細く複雑に曲がりくねり、見る者は時間の感覚も喪失していく。昼が異様に長く感じられ、かと思うと最終的には、夜のとばりがあまりにも早く下りたようにも感じられる。

 アレッツォ市内で骨董ギャラリーを経営するフランス人女性(ジュリエット・ビノシュ)と、美術作品の贋作についての著作を発表したばかりのイギリス人男性(ウィリアム・シメル)。このふたりが、ひょんなことから「関係の冷えた夫婦」を演じるゲームを始める。ようするにシネフィル的に言うと「ロッセリーニごっこ」といったところ。そして、虚実の境界がみるみるうちに不分明となっていくのは、キアロスタミ映画そのものである。
 私が本作でもっとも気に入っているシーンは、村の狭い美術館で、この男女が小さな女性肖像画を鑑賞する場面。ここでのジュリエット・ビノシュは最高だと思う。その絵は、彼女が以前から真実の美を見出してきた作品だったのだが、これに対して男は、歴史的な価値から割り出した冷淡な評価を下すことしかできず、女を決定的に失望させる。

 贋作をめぐるリプリーのゲームを描いた(描いた、と言えるのかはさておき)ヴェンダースの『アメリカの友人』ではないが、贋作というものは、つねに一筋縄ではいかない。むかし、江戸化政期の亀田鵬斎や谷文晁は、人気者ゆえ贋作が数多く市中に出回ったのに、いっこうに気に病むことがなかった。それどころか、出来がいいと認める贋作には、率先して自分の名を署名してやっていたらしい。そんなやり口で裏収入を確保したのであろうし、才能ある若手が糊口を凌ぐのを手伝う、という名分もあったかもしれない。そんなことを思いめぐらせながら本作を眺めていたら、あっという間にゲームの終了を告げる鐘が鳴ってしまった。こんなとげとげしい内容の世知辛い会話劇でも、微笑みと共に眺めていられるのは、キアロスタミの徳性のためか。


シネマート新宿ほか、全国各都市でM.O.
http://www.toscana-gansaku.com/


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