荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『わが恋の旅路』 篠田正浩

2015-08-14 15:57:32 | 映画
 岩下志麻という女優の出演作として最も世界で知られているのは、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』(1962)であることは、議論の余地がない。小津がもっと長生きしていたら、この女優の人生はまったく別のものとなっていただろう。その次には、篠田正浩との結婚後第2作『心中天網島』(1967)あたりがくるだろうか。はばかりながら私の趣味を言わせてもらうなら、加藤剛との愛欲に溺れていくシングルマザーを演じた『影の車』(1970 野村芳太郎)での色気にはぞくぞくさせられる。『極妻』以降はイメージが固定化した格好で、ちょっと気の毒だが、『極妻』直前に出た山田太一シナリオのドラマ『早春スケッチブック』(1983)の訳あり主婦の役が秀逸だった。このドラマでは、実際の又従兄弟にあたる河原崎長一郎と夫婦を演じている。血は繋がっているのに、岩下と河原崎はまったく似ていない。
 スカパーで放送された『わが恋の旅路』(1961)は、のちに結婚することになる篠田と岩下のコンビ作としては、同年の『夕陽に赤い俺の顔』に次いで2作目となる。本作の翌年、岩下志麻は『秋刀魚の味』の主演に大抜擢され、「女優王国」とながく謳われた松竹の新エースに成長していく。また、篠田と早大で同窓の寺山修司をシナリオにむかえた作品としては『乾いた湖』『夕陽に赤い俺の顔』に次いで3作目となる。篠田と寺山のシナリオ関係は、寺山自身が監督業に乗り出すまで続く。
 すっかり前置きが長くなってしまった。しかし、この小文は前置きだけでいいような気もしている。『わが恋の旅路』はじつは例の曽野綾子の原作の映画化だ。現在では、軍事独裁政治を礼讃したり、原発事故に際し東京電力を弁護したり、日本にアパルトヘイトの導入を提案したり、悪い冗談のような反動思想で世間を騒がせる存在である。近著を一冊読んでみたが、読むに耐えぬ代物であった。初期作品の映画化『わが恋の旅路』にしたところで、(原作には当たっていないため、映画の内容に限って言えば)甘い心理主義といったところである。
 ブルジョワ青年(渡辺文雄)と不幸な結婚をした岩下志麻が、買い物の途中で交通事故に遭い、記憶喪失になる。手に負えなくなった夫は去り、かつての恋人(川津祐介)の献身的な介助によって、記憶と真の愛を取り戻す、という内容である。精神分析に手を突っ込んでいるが、甘ったれた不徹底さで、ニューロティックロマンとしての体もなしていない。
 1960年代初頭の横浜の街並みがあざやかに切り取られているのが、本作の最も価値ある点である。かつて清水宏が『港の日本娘』(1933)、『金環蝕』(1934)、『恋も忘れて』(1937)で爆発的な喚起力をもってとらえたモダニズム都市・横浜の、日活の無国籍アクションでさんざんしゃぶり尽くされたあとの最後の残滓が、この『わが恋の旅路』には、世を忍ぶようにして写りこんでいる。港を眼下にのぞむ見ず知らずの外人邸宅の、芝生の庭に打ち捨てられた芝刈り機。私はあれを、曽野綾子の陳腐な心理主義的小道具としてではなく、モダニズム都市の残滓の映画的物証として見つめた。


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