夜中、激しい雨音で目が覚めると、当然ながら牛たちのことが気になる。暗闇の中で、叩きつけるような雨にじっと耐えてる姿を想像して、不憫に思う。昨年は、風邪をひいた牛もいた。
昨日も頭数確認と牧柵の点検を兼ねて小入笠の頭まで登っていけば、後を追ってついて来ようとする牛たちにも、それとなく疲労のようなものを感じた。
多様性を良しとする社会であれば、定めのないことをしようとすると異論反論は避けようがない。それを承知でやるなら、やればいい、それこそ粛々と。もとより結果の覚悟はできているだろう。
それにつけても「丁寧な説明」とはどういうことだろうか。詳しく、正確に、隠さずに説明することが求められているのであって、丁寧であることは二次的なことだと思うが。
何か問題が起こると、この「丁寧な説明」という言葉が必ずと言っていいほど使われる。「隠さずに説明」ができないから「丁寧な説明」に逃げる。大方は説得力に欠け、さながら「丁寧な言い訳」と言ったほうがいいと思う。
ついでにもう一言、信教の自由は尊重されても、信ずる対象が論議の的にされることはある。あってもいいし、あるべきだと思う。多くの人を教導し、"心酔"させているわけだから、その当人がどういう人か、関心を持たれ、評価されることは避けれないだろう。脛に傷持つ政治家が、この時ばかり信教の自由についてあまり声高に言うのは聞き苦しい。
今回の内閣が決定した「国葬儀」に反対者が多いのは、費用の問題もさりながら、それより混乱動揺が鎮まって、早くも「棺を蓋いて事定まっ」たからではないのか。はたまた、人々の間にcovid-19などによる鬱屈が溜まっていて、この問題が不満の袋に一刺しの穴を開けてしまったのかも知れない。
また雨音が一段と激しくなってきた。外はいつの間にか明るくなっている。そろそろ牛たちが囲いの中へ来るころだ。昨日のこの時間は「孤高の牛 No.27」が1頭、雨に濡れながら草も食べずじっと立ち尽くしていた。
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本日はこの辺で。