入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「春」(45)

2022年05月03日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 寒い朝だ。午前7時の気温は4度、もっと標高の高い山は当然氷点下だったろう。ここで知る限りは、山の遭難事故は起きていないようだが、詳しいことは分からない。これで霙や氷雨でも降れば、ひとたまりもない人たちもきっといただろうに、幸い昨日はそれほど天気は悪くなかった。
 
 今でも、連休の山行をあれこれと考えて気持ちを高ぶらせていたころを忘れてはいない。あまり思い出すこともないが、こうして振り返ってみれば、使わずに放置していた山道具のように、ゾロゾロと記憶の奥からかつての山の日々が甦ってくる。
 ただし、それらの日々を懐かしんでいるかと言えば必ずしもそうではない。山に関して、もしあのころの時代に還れたとしても、また同じように山を選ぶかどうかは分からない。これは正確な記憶ではないかも知れないが、出征する息子に対して父親が「来生があるとしたなら君の母を妻とし、君を息子とする」と言った人ほどの確信が、山との結び付きに果たしてあったのだろうかと考えると、覚束ない。
 確かに、山を引きづって今の牧守になったはずだが、こうして山の中で暮らしていると、重い荷物を担ぎ、あまり上手くもない岩登りに血道を上げたことを、まるで他人事のように感じている場合が多い。どうしてこんなふうに感ずるようになったのだろう、山に夢中だったことは確かだったのに。
 今の牧守の方が自分の性には合っていると気付き、納得しているから、あまり遠い昔の山行を懐かしむ気持ちになどならないのだろうか。もう一度登ってみたい山はと問われても、好きな山はと尋ねられても、すぐには答られない。山の仲間にしても、中には山で死んだ者もいれば、里で病に倒れた者もいる。また、山を離れて付き合いの途切れてしまった者もいるが、山が取り持った縁を特別視していた時代はいつの間にか終わってしまった。
 越年のため晦日、そして2月、3月と雪道を歩いて牧場へ来たが、あの時も一刻も早く目的地の小屋に着きたい一心でスキーを、スノーシューズを滑らせ、たった4,5時間くらいの行程に過ぎなかったのに、山を楽しむ余裕などあまりなかった気がする。

 山の本も少しは読んだ。前にも呟いたことがあるが、あの人の「もう登らない山」という本、題名の思わせぶりが気に入らなくて読まずにきたが、今の自分も考えてみればそういう心境に近いと思う。どうでもいいと言えばいいことだけれど、これを諦めと言うのか、それとも何と言えばいいのか、あの人なら教えてくれるだろうか。

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 本日はこの辺で
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