入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「冬」 (15)

2019年01月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                  Photo by かんと氏

 昨夜、少し雪が舞った。入笠はどうだったろう。昼になっても曇り空からは日が射さず、寒い一日のようだ。

 もし登山が他のスポーツ競技のように、出場資格を審査できたとしたらどうだろうか。多くの登山家と呼ばれていた人たちは、それに合格できただろうか。今、南米最高峰のアコンカグアを目指しているあの人には、果たしてその資格が与えられるだろうか。昨夜のNHK番組を見て、そんなことを考えた。
 クリキノブカズという登山家のことは、偶然目にしたTV番組でその特異な登山が目に留まったが、それだけですぐに忘れてしまった。大分以前のことだ。昨夜、NHKが看板番組で彼の登山と死を取り上げるというので見てみた。彼の目標としたエベレストの無酸素登頂までは納得できたが、その登頂ルートが南西壁からだったと知って驚いた。エベレストは8回目の挑戦だったらしいが、それまでの経緯や今度の挑戦とその結果については、かなりの批判があったらしい。「勉強もせずに、金を貰って、東大を受けているようなものだ」などは、その一例だ。
 エベレストの南西壁は、日本からも70年代、第2次RCCなど幾つかの登山隊が編成され、精鋭が挑んだが果たせず、成功したのは75年の英国隊だけだと思っていた。ところが調べてみたら、1993年群馬岳連隊も厳冬期に成功していて、その中にはもっと評価の高く厳しいローツェの南壁まで成功した登山者もいた(2006年)。こんな大ニュースを知らないでいたのは迂闊だったが、ともかく、超ド級の難ルートであることは現在でも間違いないはずだ。
 クリキ氏の登山だが、彼が他の登山者と一番違う点は、絶えず一般の人々にその姿や状況を伝え、登山の困難を共有してもらい、もっぱらその声援に支えられ登っていたということだろう。それが、彼を頂上に導く見えない固定ロープ的な役(実際には使っていない)をしてくれたに違いない。ただしかし、このロープは、脆いロープでもあった。何度もの敗退が祟り、頼りにしていた一般の人々の声援が次第に小さくなっていった。結果、さらに強靭化しなければならない立場に追い込まれていったのだろう。
 彼の体力や技術力が審査されたら、果たして合格できたかどうかは分からない。市民ランナーとオリンピック選手ほどの差があるとも言われたが、さてどうだろう。何ゆえにそんな評価がくだされたのかは知らないが、彼も、キリマンジャロの雪原に倒れ伏した1頭のヒョウであっただろうと思いたい。

 「冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。








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