入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「冬」 (9)

2019年01月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                          Photo by FUWA氏

 そろそろ入笠へ出掛けていかないとには、ここに載せる写真や、呟きのネタが切れてしまう。そんなことをボヤくと、年間50日から70日以上は山やスキーに行ってた時期もあったのだから、思い出の引き出しから少しづつ取り出せればいいと言ってくれる人もいるが、ボロボロの衣類のような代物しかそこには入っていない。"パンセの人″のように、豊かな記憶力も想像力も持ち合わせていないし、実際の山行をあそこまで脚色し、演出することはとても無理だ。
 昨日も、西駒、この地方ではそう呼んでいる、には30回以上は登っていると呟いた。中学では学校登山と、もう1回3年の時に3人の友人たちと登った。名前も顔も今でも覚えている。多分、そのときだった、雨に濡れて、予定の西駒山荘からさらに2時間以上をかけて千畳敷の山小屋へ行ったのは。理由ははっきりとしていて、ただ風呂に入れるというそのことだけだった。あやふやな記憶だが、この時は、山頂には行ってないと思う。それでも、カールへ下っていく時の霧の中の奇岩に名を付けたりしたことや、山荘の風呂のことは覚えている。まだロープウエイなどなかったが、建設の噂はすでに聞いていたかも知れない。
 高校に入ってからは、2年3年になってようやく、北アルプスや八ヶ岳や、南アの仙丈にも足を伸ばしたが、それでも何かと言えば西駒にばかり行っていた。土曜の夜に出掛けていくことが多かったが、果たして山頂にそれほどこだわっていたかは、あまり記憶にない。何となく無人の西駒山荘に泊まり、「鳥小屋」と呼んでいた進駐軍の払い下げだという寝袋に鳥の羽だらけになって眠り、それで終わっていたような気がする。中学の時の学校登山の時はいたが、その時以外で管理人に会った覚えがない。
 あの頃は、大体学校には無断だったと思う。顧問の先生が2名一緒だったこともあるが、なぜ覚えているかといえば、「立ち臼」という綽名の先生が「気付け薬だぞ」と言ってはウイスキーを飲ませてくれたからだ。すでに煙草も酒もやっていた。まだ、山が本当に好きかどうか、よく分からないまま登っていたころのことだ。

 末広さん、そうです。分かりました? またそんな心配も増えます。

 日が傾きかけた長い影を引く落葉樹の森や牧場も、やがては雪の中に眠るでしょう。お出掛けください。
冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。




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